53.男爵領
◆北部辺境 ゴッドワルド男爵領 田園地帯
聖騎士団指揮官のハインツと女神官のアンジェラ、それに部下の聖騎士たちは騎馬で田園地帯を進む。
北辺大森林を抜ければそこはゴッドワルド男爵領。
緩やかな丘陵に田園が広がっている。
季節は秋、この辺りでは作物を収穫する時期にあたる。
だが見るからに田園は荒れていた。収穫も乏しいだろう。
大農園で生まれ育ったハインツは眉をひそめる。
「ゴッドワルド男爵は領地がこれで平気なのか」
「少なくとも領民は平気じゃないから寺院に駆けこんできたんでしょうね」
アンジェラが返事する。
ハインツとアンジェラは馬を並べて街道を進む。
「しかしこんなところで鬼魔族が暴れているというのは信じがたい。奪うものもないではないか」
「こういうところの領主は案外と貯め込んでいるものよ」
秋の日差しを受けながら単調な街道を二時間ほど進むと下り坂になり、向こうに川の煌めきが見えてきた。
北辺を流れるノルトン川だ。
ノルトン川の周囲には町が広がっている。
町の中央には城があり、高い塀に囲まれている。
「自分だけ守ろうという根性が気に食わん」
ハインツが吐き捨てる。
ウルスラ王国では住民の居住区全体を囲うように塀を作るのが一般的だ。
それがこの男爵領では城だけが囲われている。
「あの城、小さな町のわりに大きすぎるんじゃないかしら」
アンジェラも嫌悪を隠さずに言う。
貧相な町並みとは不釣り合いに大きく華美な造りの城だった。
緩やかな曲線で構成された建築は、最先端の流行を取り入れたものとおぼしい。
「見張り台がずいぶんと多いな」
「誰を見張っているのかしらね」
高い見張り台が過剰なほどに設置されており、警戒心の強さを感じさせる造りだ。
聖騎士団の一行は丘陵を下って町に入る。
並ぶ建物は貧相な造りでろくな手入れもされていないようだ。
活気がない通りを進んで、目指す聖教団寺院にたどりつく。
聖教団の予算で建てられている寺院は、さすがにまともな見た目だった。
一階は数十人が集まる事のできる広間になっており、二階と三階は居住や執務に使われている。
裏の小屋に馬をつないでから、一階の広間にハインツたちは集まった。
寺院の老いた神官ルーデンスはほっとした様子だった。
しわだらけの手でハインツの手を包み込むように握手をしながら、何度も礼を言う。
「聖騎士団に来ていただけるとは本当に心強いことです。しかもあの魔族殺しのハインツ閣下に」
「……その呼び名はもう返上したいのだが」
「是非ともこの地を荒らす鬼どもを皆殺しにしていただきたいのです」
「そういったことはもう止めたつもりなのだが」
「ああ、ありがたい」
老神官とはあまり会話が成立しない。
ハインツはそれでも作り笑いを浮かべて、
「被害状況を聞かせていただきたい」
「ええ、それはもう、鬼どもと来たら残虐で、欲深でーー」
小一時間かけてからようやくハインツは状況を把握することができた。
「つまり、鬼魔族が集団で町に現れては倉庫を略奪した。兵士が現れるとすぐ逃げ出した。これが何度も繰り返されて、商人たちの中には破産する者も現れている。農民たちの収穫も奪われて税を収められなくなり、代わりの労役に苦しんでいると」
「はい、そうなのです、なんと惨いことか」
老神官ルーデンスは両手をこすり合わせて祈りのポーズをとる。
「でも、鬼が現れてたのってもう一か月も前で、姿を消しちゃったんでしょ。私たちが来なくたってよかったんじゃないかしら」
広間の長椅子に座ったアンジェラが、手元の薄く四角い魔法板で過去のニュースを調べながら呆れたように言う。
「とんでもない! 鬼はまた必ず来ます! ああ、なんと恐ろしい、あの姿、あの叫び、あの臭い」
老神官は身を震わせながら叫ぶ。
魔族の中でも鬼魔族は目立って恐れられている存在だ。
人間より一回り二回りも巨大な体躯、むくつけき鋼の筋肉、額には鋭い角。
相対した人間は本能的な恐怖を呼び覚まされてしまう。例え鬼魔族に敵対的な意志がなかったとしても。
結果として人間と鬼魔族の争いは絶えず、もともと数が少ない鬼魔族はさらに数を減らして、もはや滅多に見ることがない存在となっていた。
アンジェラは肩をすくめ、魔法板をいじり始める。
「え、ちょっと、なにこれ!」
魔法板に表示された速報掲示板の情報にアンジェラが声を上げる。
「ヴァリア市に鬼、ギルド会館が崩壊!」
「なんだと!」
魔法板を覗き込んだハインツも驚きに目を見開く。
崩壊して床しかなくなったギルド会館の撮像が掲載されている。
「勇者殿が大鬼を撃退されたと。さすがだ。しかしどれほどの鬼が侵入しているのかーー それに男爵がヴァリア市の領有権を主張しているとはどういうことだ」
アンジェラが形のいい顎に手を当てて、
「ふうん、私たちが鬼騒ぎで呼び出されている間にヴァリア市が襲撃されて、しかもそこには男爵がいる。どうにも臭いんじゃないかしら」
「ともかく戻るぞ。鬼魔族が出る場所はここではない、ヴァリアだ」
すぐにもまた旅立とうとする勢いのハインツにアンジェラはため息をついて、
「私は残るわよ。男爵の動きをよく調べたほうがいいんじゃないかしら」
老神官は状況を掴めずにおろおろしている。
アンジェラは窓から外に目をやる。
どうにも怪しい男爵城がそびえ立っている。
国家権力から半ば独立した勢力である聖教団と地方領主は折り合いがあまりよくない。
特に軍事組織である聖騎士団は領主から邪魔者扱いされることも多かった。
魔族との衝突から住民を守ってきた聖騎士団は人気が高く、それが領主軍の神経を逆なでしてきたという経緯もある。
聖教団本部からは地方領主への慎重な対応が求められている。
「でも、遠慮せずやらせてもらうかしら」
アンジェラはつぶやいた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!