ノルトン砦の屋上、魔王と対峙するウルスラ国王。
国王の見えない刀が一閃した。
甲冑ですら両断する切れ味の攻撃だ。
世界は静まり返る。
国王は深々と息を吸い、吐く。
そして冬の曇天を仰いだ。
「だから、人は魔王を恐れるのだよ」
北からの突風が吹き抜ける。
見えない刀の斬撃は狙い過たずに魔王の首を飛ばしたかに見えた。
魔王の赤い長髪がふわりと二本、三本切られて、風に吹かれ空へと舞う。
国王の見えない刀は、見えない何かに止められていた。
「空間のずれを反魔力で維持するとは面白い技じゃな。こうするのであろ」
魔王もまた見えない刀を構えていた。それが国王の攻撃を寸前で防いだのだ。
ウルスラ国王は嗤った。
「魔王を倒さんがために我が人生をかけて練り上げた御留流の秘奥義だぞ。如何なる防御結界であろうが断ち切る無刀の刀だ。それが一目で真似され、髪の毛三本を得たに終わるかね」
魔王は厳しい顔つきで、
「どうして先に技を見せたのじゃ」
「これは王と王の決闘、暗殺ではないからだ」
その時、砦が大きく揺れた。
重い響きが伝わってくる。
魔王城の方角からだ。
さきほどの光に続く怪現象だった。
魔王城までは数十キラメルもの距離があるのに尋常ではない。
魔王の顔に焦りの色が浮かぶ。
「これも汝らの仕掛けかや」
国王はゆっくりと引き下がり、無刀を収める。
「人間はか弱い。魔王に立ち向かうには知恵を尽くし、あらゆる手を打つしかない。王であろうと、勇者であろうと」
「エリカに何をさせるつもりじゃ!」
国王は呆れたように嘆息する。
「これは全て勇者、エリカ=ルーンフォースの計画だよ」
「エリカは余の友じゃぞ! そんなことはありえぬ!」
「勇者はかつての勇者にあらず。戻って相まみえるがいい」
国王が言うや、閃光が奔った。
国王は吐血する。
彼がまとう豪奢な服の腹には赤い筋が横に走っていた。
魔王の攻撃ではない、国王が自ら斬ったのだ。
「これで…… ここで起きたことは…… 国の恥は歴史から葬られる……」
魔王は治癒魔法を使うべきか逡巡する。
だが国王はゆっくりと手を上げて魔王を止める。
「王は…… 国に捧げられた供物…… これで良いのだ…… 魔王よ…… あなたもまた……」
国王は穏やかに座り込み、首を深く静かに垂れた。
「なぜじゃ、どうして手を取り合うことができぬのじゃ!」
魔王の叫びに国王の返事は無かった。
彼の命は消えていた。
敗北感に打ちのめされながらも、魔王は風を巻いて屋上から飛び上がった。
風のマントをなびかせて全力で魔王城へと飛翔する。
見ていることしかできないヴァールの意識もまたついていく。
魔王城に近づくと異様なものが見えてくる。
ぼんやりとした闇の半球が城下街全体を覆っている。
なんらかの大規模な魔法攻撃か。
それにしては魔力が感知されない。
半球は中心部に行くほど闇が濃く、その中に何があるのかは見えない。
半球は周辺の大気や物を巻き込み吸い込みながら成長しているようだ。
周囲の土砂が吸い寄せられて、市街に降り積もっていく。
物を吸い込むたびに激しい放電が発生して雷鳴が轟く。
「ふざけてんじゃねえぞ!」
大声と共に紅の龍が出現した。
龍王アウランの龍身だ。
龍は半球に巻き付いた。
全身を結界として、半球を封じ込もうとしている。
半球の活動は少し鈍ったかのようだった。
しかし半球から白い光が走る。
龍の身体にいきなり傷が現れる。
傷から噴き出した鮮血は半球が吸収する。
白い光がさらに奔り、傷が増えていく。
魔王は半球の上空に至った。
激しい風が吹きすさんでいる。
龍はもはや全身血塗れなのがはっきりと見えた。
「アウラン、逃げよ!」
「まだいけるって!」
アウランは元気そうに返事するが、無理を押しているのは分かりきっている。
魔王にも事態がつかめてきた。
半球は周囲の魔力を吸収している。
理論的には存在するはずだが、現実には確認されたことがなかった現象、魔力を吸収する次元空洞、暗黒洞だ。
魔力を吸収するということは、魔力を持つ魔族も吸い込む代物だ。
皆を守るために龍王は自分の魔力で暗黒洞を包んでいるのだ。
それでも強い引力が魔族たちを捉えて暗黒洞へと引き寄せていく。
少しでも魔力を帯びたものは暗黒洞に吸い込まれ、闇の中へと消える。
残りの四天王たちは、暗黒洞を前にして血の海に沈んでいた。
彼らも半球から攻撃を受けてしまったのか。
自らの身体を斬られたかのように魔王は苦痛を覚える。
倒れたままでは彼らもまとめて吸収されてしまう。
魔王は急いで彼らの元に降り立った。
サスケは袈裟斬りで胸から腹まで斬り下ろされている。
バオウは胸に大穴。
ネクロウスは片手片足を斬り飛ばされていた。
いずれもまだぎりぎり生命はあるようだった。
だが暗黒洞へ引き寄せられつつある。
おそらく足手まといになるようにわざととどめを刺していないのだと気付いて、魔王は憤怒に燃える。
どう見ても死にかけているサスケが血を噴き出しながらも立ち上がった。
「御下知を…… 陛下」
「動くでない!」
血に染まった凄惨な顔でサスケは笑ってみせた。
「我が忍軍が、暇を持て余しております…… 如何になさいますか」
余裕を見せるサスケの態度に魔王も気を取り直した。
「ーー街に取り残されている民を見つけよ」
「御意」
サスケの部下たちが街に散る。
暗黒洞が吸い込む大気は土砂をも運んで街にまき散らし、もはや街は半ば埋もれつつある。
その下に残された民たちを忍者が見つけていく。
「あたしたちが助けるね」
胸の大穴から流す血も枯れてきたバオウが、鬼魔族の仲間を動かし始めた。
倒れた壁や瓦礫を軽々と鬼魔族が運び出して、その下から民を救う。
バオウ本人も助ける相手を見つけてよろよろと向かう。
建物の陰にジュラがいる。
「愛しき君よ、私にもご命じを」
片手片足を失っているネクロウスが這いながらも魔王に命令を乞う。
「暗黒洞の容量を解析するのじゃ」
「ははっ、ありがたき幸せ」
「……すまぬ」
魔王は四天王たちに指示を飛ばしつつ龍王の近くに降下。
龍王は無数の深傷を負っている。
「もう良い、アウラン!」
「良くねえぞ」
龍から噴き出る血を暗黒洞が吸い込んでいく。
まるで命を吸われているかのようだ。
「早く退くのじゃ!」
「今離れたら! みいんな吸い込まれちまうだろが!」
ジュラの叫びが聞こえてきた。
「お母さん! おかあさあああん!」
バオウが暴れるジュラを抱えて城に入っていく。
街中で魔族の民たちが逃げ惑っている。
魔王は風を起こして民たちを暗黒洞から遠ざけようとする。
だが暗黒洞はますます力を強めていく。
暗黒洞を抑えるアウランの力が限界に近づいているのだ。
「こなくそが!」
アウランの龍身が赤く輝き始める。
「やめよ! アウラン!」
魔王の叫びもむなしく、アウランの全身が輝き燃え上がる。
それは灼熱の焔となって暗黒洞を包み込む。
吸い寄せられてきた土砂が溶けて蒸発するほどの高温。
まるで太陽が出現したかのような眩しさだ。
焔属性の龍が己の強大な魔力を熱エネルギーにすべて変換している。
轟音の中で超高熱の球が燃え盛る。
至近距離にいた魔王は結界で防御する。
燃える音、吹きすさぶ風の音、煮える音。轟音に包まれる。
やがて音は静まり、熱が弱まり、魔王は結界を解いた。
暗黒洞があった場所にはえぐりとったような深い穴ができていて溶岩がたぎっている。
龍身は消え、代わりに焦げた女性が穴の縁に倒れていた。人身のアウランだ。
魔王はアウランに駆け寄って抱きかかえる。
「これは…… もういけねえ」
血に汚れたアウランの顔色は失血しすぎて蒼白い。
全身はずたぼろのように切り裂かれている。
「アウランの癖に弱気なことを言うでない!」
魔王は涙をこぼすが、高熱ですぐに蒸発する。
「ジュラは、無事か」
「バオウが助けて城の中じゃ。すぐ迎えに行こうぞ」
アウランは城を見ようとするが、もうその目には何も映っていない。
「……そう、悪くも、ない、一生、だった…… だから」
アウランはなんとか手を持ちあげて、魔王の手を握ろうとする。魔王は強く握り返す。
「お前も、好きに……」
アウランの言葉に続きはなかった。彼女はこと切れていた。
「うああ、うああああああっ!」
慟哭する魔王。
その前で赤い溶岩が渦巻く。
中心に泡が浮いてきて、やがて黒い曲面が姿を見せる。
曲面は溶岩を垂らしながら浮上してくる。
それは円い形状を露わにしていく。
暗黒洞だ。暗黒洞が完全な球体となっていた。そして動き始める。魔王城の方へと。
「いかん、いくら多重結界に守られた城としてあれに直撃されては」
魔王はあせる。
測定の魔法陣を多数展開していたネクロウスが魔王へと叫んだ。
「愛しき君よ、暗黒洞を止めるには魔力で次元空洞を埋める他ありません!」
「余の魔力で足りるかや」
「はばかりながら、今の陛下はほとんど魔力を失っておられます。無理に魔力を使えば御身を損ないましょう」
魔王の目に光が宿った。
「つまりこの身体と引き換えにやれるということじゃな!」
「しかし!」
ネクロウスの目に映る魔王の姿は既にいつもよりも心なしか小さい。魔力が切れた身ですでに魔法を使い過ぎている。それは魔法生命体である魔王にとって自らを削り放出していくのと同じこと。
魔王の周囲に黒い闇が生じ始める。
ネクロウスは止めようとするが動けない。
「愛しき君、それは、まさか」
「暗黒洞じゃ。あれと融合して内部から潰す」
ネクロウスの目は驚きに見開かれる。
「そのような技をお使いになられたとは」
「初めてじゃ。しかし見ればわかることであろ」
魔王は黒い小さな球となって浮上する。
その前には数百倍もの大きさを持つ暗黒洞。
「行くぞよ!」
魔王の球体は暗黒洞へと突入していく。
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