新魔王城の大広間。
ヴァールが手にした袋の中身からエイダの声が響く。
「エイダ! 声を届ける魔道具なのかや!?」
「違います。これ自体があたしなんです」
「なんじゃと!? ……なんということじゃ……」
ヴァールは袋の中身をまじまじと見つめる。
「ネクロウスの銀血を研究して、魂を物に移す方法が分かったんです。この方法を使って肉体と魂を物理的に分離しました」
「……アトポシスを引っかけるためにかや」
「はい、成功したみたいですね。乗り移る先の魂をアトポシスは失いました」
今、袋を奪われたエリカは床に落ちてうずくまっている。動かない。アトポシスに異常が発生しているのは間違いない。
「じゃが、こんな姿に……」
ヴァールはエイダの眼鏡をひしと抱きしめる。
「ヴァール様、すみません、あの、あたしは指輪のほうです」
「あ」
ヴァールはエイダの指輪をそっと握り、そして左中指にはめた。左薬指にはヴァールの指輪がはまっている。指輪が並ぶ。
ヴァールはエイダの眼鏡を試しにはめてみたが度がきつくてくらくらしたので袋に戻し、魔装の胸ポケットにしまう。
「エリカはどうなっておるのじゃ」
ヴァールが問うと、指輪が激しく震えだした。中で争っているかのような気配だ。
しばらくして指輪が静かになり、
「この指輪はあたしのものですから、エリカさんには引っ込んでもらいました!」
「う、うむ」
「それよりもアトポシスのことを話しましょう」
ヴァールは気を取り直す。
「全てはアトポシスによる勇者への乗り移りを解析するためだったのじゃな」
「はい、そのためには勇者ルンを呼んで、そしてエリカに勝たせて、アトポシスに乗り移りを誘う必要がありました」
「おかげで余はよく分かったぞよ」
「あたしもです!」
「神話によれば、この星の生命はかつて星神に創られた。肉体を創造した星神はしかし魂を生み出すことができず、はるかな異世界の魂を使うことにしたのじゃ」
「星神はそのために魔法を作りだし、転生を行わせたんですよね」
「そうじゃ。古えの大魔法によってこの星自体を転生の大魔法陣としたのじゃ」
「そして呼び寄せた魂で生命を生み出した後は、さらに魔法を積み重ねて生命管理のシステムを作り上げ、今も魂と肉体をつないでいるんですね」
「うむ。生命は死ねば魂と肉体に分かたれ、魂は星に戻り、いずれまた新たな肉体に宿る。そのようにシステムは働いて魂を輪廻させておる」
「でも古い転生システムもまだ基底に残っていて、そこにアトポシスはつけこんだ」
「そのようじゃな」
ヴァールはエリカを見やる。
エリカは動かない。だが周囲の空間が歪み始めている。
「ヴァール様、生命が生まれてるときには、魂と肉体の魔力波長が同期しますよね。そして異なる魔力波長の魂は受け付けなくなる。それが魂の独立境界による不可侵法則」
「そうじゃな」
「既に魂を持つ肉体は、他の魂からのアクセスを受け付けない。でも死んだ魂が転生しようとしてきたときだけは、例外的に、転生のための認証が行われる」
「もはや不要になったはずの転生システムがまだ動いておるのじゃな」
「はい。ネクロウスさんの操術は、魂を死に続けさせることで、この一時的なはずの認証を無理やりに続けさせる技術でした。でも魔力波長が異なるので相手の魂と不整合を起こして自我を喪失してしまうのが欠点です」
「その点、アトポシスは完璧なのじゃな」
「はい。アトポシスは基底システムのデバッグモードを起動できるんだと思います。転生のための接続に失敗したとき、デバッグモードから魂を強制上書きできてしまうみたいです。魔力波長も変更して同期できるみたいですね。だから自我を乗っ取ることだってできる」
「ううむ、おそらく星神が最初に異世界から魂を転生させるとき、接続失敗しても回復できるようにと作っておいた安全措置なのじゃろうな。それが今も残って悪さをしておる」
「悪さを止めるには基底システムを修正するしかないと思います」
「この星の生命そのものと言ってもよい、途方もない大魔法じゃぞ」
「アトポシスから乗っ取られるとき、魂の世界が見えました。ずっと下の方、星の奥底にたくさんの魂の光が集まってました。あそこが魂の基底システムなんじゃないでしょうか」
「星の底かや。ああ、そうじゃったのか…… ヴァリアの地下に埋まった神殿には星の底への穴が祭られておる。あれは基底システムを守っておったのじろうな」
「行きましょう。ヴァール様とあたしなら、きっとやれます!」
「ーーそうじゃな!」
二人の長い相談が終わった。
その間、負傷した者たちの治療も概ね終わっていた。
勇者ルンも蘇生はできたようで、意識はないものの息を吹き返している。
ただ、エリカに蹴り飛ばされて倒れているサース五世はそのままだ。一応生きてはいるみたいだが、かなりの重傷を負っているようだ。
「治してやらぬのかや?」
「変態はちょっと……」
ヴァールが問うても巫女イスカは嫌がる。
「助けてもろうた恩義もあるからのう。余はあまり治癒系は得意ではないのじゃが」
ヴァールが治癒の魔法陣を発動した。
強く輝く魔法陣から大きすぎる生命力が強引に注ぎ込まれて、サース五世は跳ね上がるように起きる。その鼻からは勢いよく鼻血が噴き出る。
「やっぱり…… 変態……」
鬼王バオウがつぶやく。
「嫌らしいです」
忍者クスミが吐き捨てるように言う。
「うわあキモい。あんな風になっちゃだめだよ、ズメイ」
「お、おう……」
ジュラにくっつかれながらもズメイは少し気の毒そうな目でサース五世を見やる。
ともかくエリカを止めるのに貢献したはずなのだが。
そのエリカはまだ動かない。
だが周囲に異様な現象が起き始めていた。
魔法陣が生まれてはすぐ崩壊し、魔法の出来損ないが放射され、空間が醜く傷つき歪んでいく。
ヴァールが眉根を寄せる。
「極めて不味い状態じゃぞ。魂の接続先を失ってアトポシス自身の魔法が壊れていっておるのじゃ」
エリカの身体から黒い焔が噴き上がる。空間がひび割れるように歪みを広げていく。身体を覆っていた黒水晶が無秩序に成長して不気味な塊になり、そこから角が次々に生える。
エリカ、いやアトポシスが血を吐くような声で言う。
<ヌルポインタソウルエラー…… 魂不定…… 修正不能…… 不正不正不正不正不正不正!!!>
アトポシスがよじれるように浮かび上がる。
暴走する魔法が広がり始める。
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