◆新魔王城 六階 大広間
五階から六階への階段を上がって、サース五世枢機卿が六階の大広間に姿を現す。その後ろから勇者ルンが軽い足取りで出てくる。
大広間には大きなテーブルを囲んで仰々しい椅子が並び、最奥部には玉座が置かれている。
そこでは痩せた長身の男が胸いっぱいに荷物を抱えてよろよろと歩いていた。ゴッドワルド男爵の手下だった魔導師ボーボーノだ。クスミらに追われてこの六階まで逃げ込み、今やエイダにこき使われている。
ボーボーノは肩で息をしながらサースに目をやって、
「こ、これは枢機卿の旦那。後ろの方はどなたで?」
サースは冷たい目をボーボーノに向けて、
「これは勇者ルンだ。エイダはどこにいる」
「ひっ! 勇者! エイダ様なら部屋で研究中です。荷物を大広間まで運んでおけと言われまして」
ボーボーノは運んできた荷物をテーブルの上にばらまく。
金属製のパーツや透明なレンズ、薬品が入ったフラスコなど雑多な品だ。
そこにエイダも現れる。抱えている籠には服やら筒やらこれまた雑多な品が詰め込まれている。籠が大きすぎて前がよく見えていない。
エイダはテーブルの上に荷物を降ろしてから、そこにいる面子に気付いた。
勇者ルンに目を留める。
ずり落ちている眼鏡を上げ直して凝視する。
「え?」
急いでテーブルの端にあるボタンを押す。撮像具が作動開始する。
「もう来ちゃったんですか? 時間稼ぎは失敗?」
ルンもまたエイダを見やって疑わしそうに、
「へえ、この子が大魔王なんだ? 本当に?」
サースはむっつりした顔だ。
「本当だ。そして勇者の転生でもある。さあ、どちらが本物の勇者として生き残るのか決めるがいい」
エイダはきっとサースをにらみ、
「ちょっと、サースさん、裏切ったんですね!」
「俺は聖騎士団の枢機卿、勇者について大魔王を倒すのは当然のことだ」
「あたしも勇者の転生なんでしょ?」
「勝った方が本物の勇者になる、問題ない」
「じゃあ負けた方は大魔王になるんです?」
「勝った方が大魔王だ」
「どっちなんです!?」
サースは鼻で笑った。
「そもそも勇者とはなんだ?」
エイダは急いで籠の荷物を並べつつ、
「聖騎士団に申請して認定されたら勇者じゃないんですか」
「それは肩書にすぎない。勇者の本質とは異端の力だ」
「あたしにそんな力はないです」
エイダは荷物から大魔王用のとげとげしい扮装を籠から取り出して、探検服を脱ごうとし、
「ちょっとあっちを向いててもらえませんか」
サースは慌てて後ろを向いてから、
「貴様は魔王の封印を解除したのだぞ。まさしく異端の力だ」
「それは魔法をずっと研究した成果ですし」
サースは頭を振る。
「あらゆる魔導師が手も足も出ず、至上の魔法使いである魔王ですら三百年かけても解けなかったのだ。それを解いた貴様の力は世界をはみ出している。貴様が力を魔族との戦いに向けたとき、魔王をすら滅ぼしてしまうだろう」
「向けるわけないじゃないですか!」
エイダは叫ぶ。
「魔族との和平を誓った勇者エリカが、魔族を殺し都を滅ぼし魔王を封印した」
サースは自分の肩から胸にかけてを指先でなでる。かつてエリカに断ち切られた傷だ。
「あ、もう大丈夫ですよ」
エイダに言われて振り返ったサースは指先をエイダに突きつける。
「エイダ、いや勇者エリカ! 再び魔王に剣を向ける前におとなしく封印されろ!」
「お断りです!」
エイダは大魔王の扮装をしていた。
長い黒マント、露出度の高い水着のような黒服は要所を紫の結晶に覆われている。肩の装甲からはとげが生えていた。額にもとげとげしいサークレット。
「あたしは約束したんです! 二人で迷宮を築いて! 冒険者たちを迎え入れると! だから!」
勇者エリカの話を聞かされてからエイダはずっと考えてきた。しかし、どうしてエリカがヴァール様を裏切ったのかまるで分からない。それではまた裏切る可能性を否定できない。
であれば自らを封印してしまうのが安全策ではある。ヴァール様のためなら命なんて惜しくないのだ。でもそんなことをしたらまたヴァール様を悲しませてしまう。
それに約束したのだ、二人の未来を。守らねばならない。どうしても守りたい。ああ、でもいつの約束だったろうか。もうはるか昔のような気がする。
「勇者と戦う! そしてエリカが裏切った謎を解く! そのためには大魔王にもなってみせる!」
エイダは昂然とルンをにらむ。
ルンは笑った。
「さあ、始めようよ。もう待ちきれない」
ルンは生体甲冑をまとっている。龍や鬼の生体パーツから成る生きた甲冑だ。右腕の先にある龍の顎が開き、そこから牙が剣のように伸びる。
「いいね、この玩具」
大広間にみしりと殺気が満ちた。
「ひいいいい!」
ボーボーノは逃げていく。
「ふん」
サースは静かに後退する。
エイダは大きく深呼吸して生体甲冑を観察する。
この甲冑はあまたの生命を犠牲にしてネクロウスが作り上げたおぞましい代物だ。四十の龍、四十の鬼から成るそれは、膨大な龍の魔力、絶大な鬼の筋力と防御力を兼ね備える。
対勇者の戦いに使われることを想定していたのに、自分が相手にすることになるとは思っていなかった。
はたしてただの研究者である自分が対抗できるのか。
恐ろしさに足が震えそうだ。
エイダは首から提げている小さな布袋を握りしめる。
「ヴァール様、勇気を」
祈り終えると布袋を胸の谷間にしまい、ねじ回しを構える。その目はテーブルに並んだパーツへと向いている。
ルンは大テーブルを挟んでエイダと対峙している。
大テーブルなど存在しないかのようにルンは歩み出す。
軽く牙剣を振うとテーブルは吹き飛んで、並べられていたパーツ類がまき散らされる。
「あっ!」
エイダはパーツ類を目で追ってしまう。
組み立ててから迎え撃つつもりだったのに早すぎた。戦いながらやるしかないのに。
ルンはエイダから目を離すことなく接近してくる。
牙剣がエイダを真っ直ぐに刺突する。
「ぐうっ!」
エイダはうめく。
紐で引っ張られた人形のようにエイダの体が横っ飛びした。
勢い余って壁に叩きつけられる。
エイダが身に着けている服の要所で紫の結晶が輝いている。
ルンは追撃。牙剣を横に薙ぐ。
エイダはまた吊られたように跳んだ。
ぶつかりそうなところでなんとか姿勢を変えて足を天井に着く。
エイダの奇妙な動きにサースは眉根を寄せる。
「速い、しかし雑すぎる」
エイダは天井を走り、逆跳躍して床へ。落ちていたパーツをいくつか拾う。
そこにルンの牙剣が迫る。
連続する斬撃、エイダは体ごと振り回されるように動いて無理やりにかわす。
「うう、吐きそう!」
エイダは目を回しかけている。
服の要所に付いている紫の結晶が強く輝いている。
サースがよく見れば、その明滅はエイダが激しく動くときと符合していた。
ルンもそれに気付いたようだった。エイダの動きへの対応が早くなっていく。
「へえ。楽しませてくれるね」
ルンはにこやかに剣速を上げる。
「ちょっと分かってきました!」
エイダの動きも少しずつ無駄が無くなってきた。
「これはどうかな!」
ルンの左腕にある龍の顎が開き、そこからも牙剣が伸びる。二刀流だ。
牙剣が倍の勢いでエイダに襲いかかる。
両方の剣が上下左右からエイダを切断したかのように見えた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!