44.就任
◆北ウルスラ王国の北方辺境
北辺の深い森を抜けて馬車が丘陵地帯を走る。
この辺り一帯はゴッドワルド辺境男爵の領地だ。
丘陵地帯には畑が広がるも、育ちはよくないようだ。
この辺りは土地が貧しい。統治もうまくいっていないのだろう。
あまり整備されていない街道はでこぼこしていて石も多く、馬車の揺れは激しい。
馬車の中には勇者ルンが横たわっていた。
ルンは夢を見ている。
そこは古い神殿。床も壁も柱も、鈍い色の金属で造られている。
低い振動音が絶え間なく鳴り響く。
神殿の祭壇はあまりにも暗く闇に包まれている。
だがそこには確かになにかが存在していた。
ルンはそれと話をしている。
「……嫌だよ、僕はもっと遊びたいんだ」
祭壇から暗闇が伸びる。
ルンは後ずさる。
「お前のせいでまた大事な友達をなくしかけた」
暗闇がルンの足元から絡みついてくる。
「僕はもう食べたくない!」
暗闇がルンを縛り付けていく。
「止めろ! 僕から出ていけ! アトポ……」
暗闇がすっかりルンを覆い尽くし、ルンそのものになる。
馬車の中、ルンは目を開いて起き上がる。
楽しげな表情だ。
ルンはつぶやく。
「ふふっ、次は龍王か。食べがいがありそうさ。ねえ、ルン」
◆迷宮街の地上、大通り
夏の早朝、今日は上天気とあって日射しがすでに強い。
大通りに集まっている者たちを太陽が明るく照らす。
大通りに面したホテルの落成式である。
煉瓦造りで五階建ての豪壮な建築だ。
ホテルの正面入り口にはヴァリアホテルとの看板が掲げられている。
魔王国が健在だったころ、この地にあった首都の名前がヴァリアだった。
迷宮街は発展して、もはや都市と呼ばれるのにふさわしい規模にまで大きな街となっている。
冒険者だけでなく、観光客も増えてきた。
富裕な観光客相手に建てられたのがこのホテルだった。
ホテル入口の前で、ダンとマッティの夫婦が落成の挨拶をする。
このホテルは二人がオーナーだった。
酒場で稼いだ金とギルド銀行からの借金で建てたのだ。
二人は誇らしげに挨拶を済ませると、入口から中へと招待客を案内していく。
招待客の先頭はヴァールだった。すぐ後ろにエイダが続く。
ヴァールにダンが声をかけてくる。
「この度はおめでとうございます」
「おめでたいのは汝のほうじゃ。立派なホテルではないかえ」
「このホテルができたのもギルドマスター様のお力あってこそで。先日の地震には肝を冷やしましたが免震魔法のおかげでなんともありませんでさ」
「浮遊魔法《レビテーション》によって常に少し浮いておるからのう、地面が揺れても建物は揺れぬのじゃ」
「感謝の言葉がいくらあっても足りませんで。さあ、こちらへ」
「うむ」
ダンがヴァールをホテルの広間に案内する。
そこは柔らかな絨毯が敷き詰められ、細かな細工が施された重厚なテーブルや椅子が並び、天井にはシャンデリアが煌めいている。
奥の壁には、始まりの勇者ヴァールご就任記念パーティとの垂れ幕が掲げられていた。
「いよいよ余が勇者かや……」
垂れ幕を見たヴァールは顔を強張らせてぴくぴくさせたが、なんとか笑顔を浮かべる。
ここには大勢の客が集まっているのだ。
主賓のヴァールは壇上に設えられた大きな席に向かう。エイダがひょいとヴァールを持ち上げて高い席に座らせる。
エイダは後ろに控えて嬉しそうにヴァールを眺める。その手には撮像具だ。
聖騎士団の仕切りでパーティは始まった。
聖騎士団指揮官ハインツが挨拶を行い、勇者とはいかに偉大な存在であるのかを説明する。
居並ぶ招待客たちは迷宮街の大きな商店主や宿主に高レベルの冒険者たち。
重剣士のグリエラやヴォルフラムらもいる。
ギルド関係者としてイスカやクスミ、ズメイも並んでいた。
ライバルである聖教団のイベントにイスカやクスミは少し緊張している様子だ。
ズメイは面白そうに観察している。
ハインツの長い挨拶が終わると、神官アンジェラが恭しく両手で剣を掲げてヴァールの元へ。
「聖剣ヘクスブリンガー、勇者のための剣でございますわ」
ヴァールは席から降りて、捧げられた剣を受け取る。
小さなヴァールにとってこの剣は如何にも大きい。
皆は固唾をのんで見守る。
ヴァールは柄に手をかけて、鞘から剣を勢いよく引き抜いた。
刀身からの輝きが広間を満たすかのようだった。
「おおお!」
万雷の拍手が広間を満たす。
重い剣をヴァールは掲げ、しみじみと言う。
「これこそ余の剣じゃ」
さらに拍手喝采。
そこからは宴だった。
テーブルには次々と豪華な料理が並び、酒が開けられる。
森で獲れた鳥や猪の丸焼きがじゅうじゅうと音を立て、オーブンから出てきたばかりのパンやケーキが香る。
ヴァールの元には招待客たちが挨拶に詰めかける。
「勇者様万歳! この剣で大魔王も一刀両断ですな!」
「勇者様おめでとうございます! 魔王など相手にもならないでしょう!」
「そ、そうじゃろうか、魔王もなかなか強いのじゃぞ」
「大魔王に負けた魔王なんて話にもなりません!」
「……負けたことはないと思うのじゃがのう」
冒険者たちも続々とヴァールの元にやってきて、いずれ魔王討伐の時には一緒のパーティに入れていくれと頼んでいく。
ひきつった笑顔でヴァールは応える。
ようやく一段落して人の流れが少し途切れた。
ヴァールのためにいそいそとエイダが食事をとりわける。
ヴァールは聖剣ヘクスブリンガーを手に持ち、間近に眺める。
「戻ってくるとはのう」
かつて和平の印として魔王ヴァールが勇者ルーンフォースに贈った魔剣だ。
魔王自らが鍛えたこの剣は、魔王の力を吸うことができる。
それが魔王の封印に使われたあげく、聖剣と呼ばれて戻ってくるとは。
思いにふけるヴァールの前にハインツが緊張した面持ちで現れた。
「勇者ヴァール殿、東ウルスラ王国への龍王軍侵攻について情報が入りました。東王都は包囲されましたが攻撃は未だ開始されず、龍王の姿も見えないとのことです」
「ふむ…… あの気短な龍王にしては珍しいことじゃな。なんぞ企んでおるのであろ」
「はっ、油断せぬように伝えておきます!」
そこからはまた人の流れが再開して、ヴァールへの挨拶が続いた。
せっかくの料理やお菓子を食べる暇がなくてヴァールは悲しい目をする。
このパーティが終わったら次はギルドマスター握手会に出ねばならない。
ヴァールは大忙しだった。
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