……お覚悟を。
あの後、璃乃が俺を放したのは10分くらいしてからだろうか。
元アイドルの美少女に抱き着かれるとか夢のような事態だけど、俺からしたら冷や汗モノでしかなかった。
少し嬉しくあったけど、周りからの視線が俺たちに集中していたから抱き返せなかったのは秘密である。
「ボクでもそんな長い時間翔也に抱き着いてたことないよー……」
「それなら、愛果ちゃんもそうお願いすればいいんじゃない?」
「……それもそうだね!」
……もうこれ以上公衆の面前ではやめろよ?
さっきから視線がヤバいのに気づいてないんだろうか?
どうやら周りに勘のいいガキ――もとい野次馬――がいるらしく、ここに璃乃がいることに気付いているらしく、俺を忌々しそうな目で見ている。
そんな中、野次馬の一人がコッチに来て……。
「おい!ここにあの大日向 璃乃がいるぞ!」
叫びやがった!
すると周りの人々はそれに反応して、コッチに大勢集まってき始めた。
このままじゃ璃乃が大変なことになるかもしれない。
「燿利!お前ならどうにかできるだろ!?」
「ふーん、そうだねぇ。じゃあ何か奢ってくれるならいいけど?」
「分りました!燿利様ぁぁぁぁぁ!」
*
「ほ、本当にジュースだけで良かったのか?」
「まあ、これからも似たようなことが起こるかもしれないからね」
……俺たちは、なんだかんだ言って逃げきれた。
と言うものの、近くの警察まで走っただけだが。
俺がこんな逃れ方を思いつかなかったのは逆に不思議である。
「ねえ、翔也。さっきの警察の人たちからコワイ視線を感じてた気がしたんだけど……」
「そこは気にしたら負けだ、気にしない方がいい。それに、どっちかっていうと璃乃を見てたんだと思うぞ」
璃乃はこういうことに慣れちゃったのかそんなに反応してないけど、愛夏は少しトラウマになりかけたらしい。
後で愛果のお願いを聞く時はちゃんと応えてあげよ……。
「そういえば、今日って何する予定なんだ?」
「あー、それなら俺と璃乃と愛果で決めたぜ。二人が争いあえそうで、お前も楽しめる最高の予定をな」
ほう、つまりは二人が何かしらの戦いでそれぞれを誇示するってことか?
何になるのかは分からないけど、どんな戦いに……?
*
「……まあそうなるか」
璃乃はアイドルだったのだから、歌で対決するのは当然とも言えよう。
今俺たちはカラオケに来ている。
採点バトル的な機能を使って二人は歌唱力バトルを繰り広げていた。
どっちも僅差で、一進一退ってところか。
「それにしても、璃乃も愛果もヤバいな」
燿利がポツリと零す。
まあ、こんなに90点台を連発されるとそう言いたくなるのも分かる。
璃乃は数年間歌っていたから問題外として、愛果も負けず劣らずで驚かされた。
「ほら、今度は燿利くんの番だよ」
今しがた璃乃が歌い終わり、璃乃に声を掛ける。
モニターに表示されていたのは、『98.976』の文字。
……さっき愛果がこの曲を歌った時は『98.947』だったな。
ホント、何時になったらハッキリと点差が出るんだろうか。
そんなことを思っていた時。
「そうだ!次の曲はそれぞれの得意な曲で歌って、その得点で争おうよ!」
愛果が一つの提案をする。
確かに、その方が決着がつきやすくなるな。
でも、こういう時って大抵の場合で裏が……。
「その時に得点の高かった方は、翔也の頬にキスできるからね!」
――そんなこったろうと思ってたよ。
愛果は自分が勝てると確信したように感じるけど、実際はどうなるんだか……。
果たしてソレを璃乃が受け入れるのか?
「分かった。それなら、私は私が歌ってた曲を歌うね」
案外アッサリと受け入れたな。
……あれ?今の発言から察するに、璃乃は自身が現役でやっていた時の曲ってこと?
持ち歌って得点下がるって聞いたことがあるんだけど。
丁度のタイミングで燿利が歌い終わり、璃乃がマイクを持つ。
そして、現役時代を懐かしむような表情で璃乃は歌いだした……。
*
「そんなぁ……」
結局、あの勝負は璃乃が勝った。
持ち歌は得点が下がるとか言われていたのがウソのように、しっかり満点を出していたのには驚かされた。
そして今、俺は心臓バクバクになりながら璃乃と向き合っている。
向こうもドキドキしているのか、少し顔が赤い。
そんな少し色気を持った璃乃は俺の頬に恐る恐る顔を近づけ、頬にキスをした。
頬に柔らかい感触が走り、俺は少しテンパりかけている。
これはまだファーストキスとは言わないよなと俺が葛藤していると。
「そうだ!ほら、翔也を放した時に言ってたアレで翔也とキスさせて!」
「あ、ああ。分かった」
……まああの時ちゃんと放してもらったんだ、文句は言えない。
まあ、文句の『も』の字ですら見当たらないけど。
そんなことを考えてると、俺の……口に!?
「あっ!?」
「へぇ……マジか」
こ、こんな変なことでファーストキスをあげられるかー!
しかし、俺の抵抗も空しく、愛果は俺に抱き着きながら口内に舌を伸ばしてきていた。
こうして、俺のファーストキスは成す術もなく奪われたのだった。
「愛果ちゃんだけは納得できないから、できれば私も……」
……結果的に俺は、変なシチュエーションで二人のファーストキスを奪ったことになったのだった。
不思議な感覚だったけど、悪くは……なかった。
――そして月曜日、カラオケの帰りにこのことを話題にしていた所為で学校の生徒にバレ、俺は『選ばれし二股野郎』という通り名が付いてしまったのだったが、それはまた別の話である。
次回 Episode007 雨の日
……ね、言ったでしょ?
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