=少女

杉浦 遊季
杉浦 遊季

ファイル8「再度」

公開日時: 2020年9月7日(月) 17:06
文字数:5,356

 結局ずっと小桜さんに関することで頭を悩ませていたけど、しかしそのことで明確な結論が出ることはなかった。今回小桜さんが死亡したであろう橋の転落現場の処理をこの目で見たものの、翌朝小桜さんは何事もなく教室にいて、かと思えば数十分後には机に花瓶が飾られていて死亡したという事実を、現実は無言で語っていた。


 この辻褄の合わない出来事を認識してから、私はしばらく小桜さんの席に座り、じっくり花瓶に生けられた花を見つめていた。そののち私は立ち上がって教室を離れた。もうすぐ卒業式は終わり皆が教室に戻ってくる。保健室で休むといって抜け出した手前、私が教室いるのは都合が悪いように思えたからだ。一人で勝手に学校を抜け出し、ゆっくりとした足取りであてもなく住宅街を彷徨う。


 いつしか例の横断歩道に差し掛かかり、そして明らかに速度を超過した車やバイクを眺めながら、私は待っていた。未来人ことアスが現れるのを。


 ちゃんと時間を確認してはいなかったけど、でも例の未来人はこれまでと同様同じ時間に登場、何食わぬ表情で信号無視をしようとした。私としては三回目なので勝手がよくわかっている。私はベストなタイミングで手を伸ばし、アスの襟首を後ろから掴んで引っ張った。


「ア、助けてくれてありがとう。ワタシの名前はアスと言います。まだこの時代に来たばかりだったので、この時代の危機的状況を把握しきれていませんでした。本当にありがとうございます」


 尻餅をついたアスは私を見上げながら礼を言った。私はそれに対してとくに反応することなく次の言葉を待った。


「アナタはワタシの命の恩人です。何かお礼をさせてください」


 アスは前回前々回同様危機を救った私にお礼をしようと申し出た。スッと私の手を両手で握り、私の瞳を直視している。


「そうだ、お礼としてタイムリープで過去に送ってあげますよ」


 そして続く言葉も前回前々回と同じだった。


「なにか、やり直したい過去とかありませんか?」


「やり直したい過去ならある」


 正直何がどうなっているのか全くもって謎である。でも状況としては、小桜さんは死亡したままである。訳のわからない状況だとしても、そこだけは改善しなければならない。死んでいるよりは生きている方がいいに決まっている。


「昨日の午前中に戻して」


 私は静かに答えた。


「わかりました。昨日の午前中ですね。では目を閉じてください。今から頭を押さえて親指を瞼に添えます」


 私はアスの言う通りに目を閉じた。するとアスの冷たい手が私の手から離れ、私の頭を両側から押さえつけた。そしてそのまま親指を瞼に押さえつけていく。相変わらず私の眼球を潰す勢いで圧がかかっている。


「ではいきます」


 今回は悶えるのを我慢する。そんな私をよそに、未来人のアスは過去へ戻るタイムリープを始めた。


 私は四周目に突入した。卒業式前日に行われている予行練習の時間まで戻ってきた。


 さて、どうしようか。


 下手に行動して余計事態を悪化させるのは得策ではない。けどこのまま何もしないわけにはいかない。一周目と二周目の状況を考えると、私が告白したから小桜さんは亡くなってしまったらしい。どういった因果関係なのか全くもって謎だけど、おそらく始まりと終わりの繋がりはそうなっているのかもしれない。私の言葉が小桜さんを殺している。


 こうしている間も時間は流れている。行動を起こすのなら今から……。


 そう考えてから、私はふと思った。むしろ何もしない方がいいのではなかろうか。だって告白をしなかった一周目は、小桜さんは死亡することなく生きていたのだから。


 しばし黙考する。私のこの想いさえ犠牲にすれば、小桜さんは亡くなることはない。万事解決する。そう、私の想いさえなければ。


 そもそも女である私が同性である女の子のことを好きになること自体普通ではないのだ。マイノリティである。私が抱いたこの気持ちは、多感な思春期において不安定で拗れた感情が生み出した、一種の気の迷いでしかないはず。


 小桜さんを救うために、私は想いを封印する。それで小桜さんの生死も私の気の迷いも、すべてが解決するのである。


 その考えに至った私は、そのまま予行練習に参加した。終了後は保健室には向かわず列に従って教室に戻った。少しの間待機してホームルームが始まり、実にあっけなくホームルームは終わる。


 一周目と二周目と同じくホームルームが終わった後に戻ってきた小桜さんは、自分の席で帰る支度をしつつ、クラスメイトにホームルームの内容を伺っていた。それに安西や三上が適当に答え、そして小桜さんを含めた安西グループが教室から出ていく。その際ドア付近で私を迎えに来た莉音とすれ違い、集団最後尾にいた三上が莉音と小さな挨拶を交わす。薫に催促され莉音と合流して下校し、何気ない会話も適当に受け答えしていつもの横断歩道前まで来たところで二人と別れた。


 帰宅してから自分の部屋に籠った。じっとしていると小桜さんへの想いがぶり返してくる。これは諦めなければならない想い。抱いてはいけない想い。同性愛とかそういうこと以前に、時間の流れの都合上私の想いの行先には悲惨な結末しかない。だから抑え込む必要がある。


 私はベッドの上に転がり、布団に包まって自分の感情を抑え込む。意図して何も考えないようにする。そのうち眠くなってそのまま寝てしまえば楽になるかもしれない、と淡い希望を抱く。寝ていれば何も思うことがないから、今私の中で渦巻いている感情をやり過ごせるはず。


 しかし残念なことにまだ昼間だからだろうか睡魔は襲ってこなかった。そのまま何も考えないようにして丸まり続け、いつの間にか数時間が経過していて晩御飯ができたと親に呼び出されるまで動かなかった。ご飯を食べたりお風呂に入ったりして夜を過ごし、再び布団に包まれる。いつもの就寝時間よりかなり早いけど、幸い夜ということもあって眠りに落ちることはできた。


 翌朝、私はいつもより早く起床した。昨日早めに寝たせいかもしれない。


「あ、アンちゃんおはよう」


 莉音が当たり前のように早朝の私の部屋にいるけど、これも普段と何も変わらないいつも通りの朝。莉音はさも当然のように毎朝私の部屋にいる。でも前回と二周目は部屋に来なかったけど。


「……莉音、何してんの?」


 と私はタイムリープによる些細な差異に疑問を抱いたけど、でも身を起こして莉音の方を向いた瞬間、そんなことがどうでもいいと思えてしまうくらい衝撃的な光景を目の当たりにした。


「何って、匂いチェック」


「何の?」


「制服の」


「だからって、嗅ぐなよ……」


 莉音は私が普段着ている制服を勝手に持ち出したのち、本人の部屋の中でスカートに顔をうずめていた。いや、ていうか、普通に引くよこれ……。なんで、寝起きで自分の服の匂いを嗅いでいる女を目にしなきゃならないの。本当に何やってんの。


「あの……非常に気持ちが悪いのでやめてくれる」


「なんで?」


 まさか「なんで」と反応するとは。何を考えているの本当に。


「そもそもなぜ制服の匂いを嗅いでいるッ」


「なぜって、今日は卒業式じゃない。だから最後の匂いを記憶に刻もうと。今日が最後になるからね」


 莉音は制服に顔をうずめているせいか、ややくぐもった声で答える。


「まさか、これまでの三年間毎日こんなことやってたの?」


「まあね」


「まあねって、私はそんなこと全然知らなかったよ」


「いつもならもう三十分くらい寝ていたからじゃないかな。毎日アンちゃんの寝顔を眺めて、起きる前に匂いチェックしてたから」


 衝撃の事実。まさかの私は、幼馴染が顔をうずめた制服を着て三年間を過ごしていたらしい。これはもはや、実は床に落ちた食材をそのまま調理していたとか、実は自分の歯ブラシが掃除道具として使われていたレベルの大事件だよ。確かにいつもなんか生暖かい感じはしていたけど、まさかそんな秘密があったとは。どうするのよ、私は幼馴染が顔をうずめた制服を着て卒業式に出席しなければならないのか。


「どうしたのアンちゃん? 風邪?」


「いや……もうほっといてよ」


 私はベッドに座りながら頭を抱えた。もう誰かなんとかしろよ、この変態を。


「まあいい、……よくはないけど、汚さなければもう好き勝手にしてよ」


 そう私は言い捨てる。ああ……莉音は朝から平常運転だな。これらの非常識行動の数々を、平常運転として半ば許してしまうくらいに慣れてしまっている私も大概だけどね。莉音とは幼稚園の頃からの幼馴染。大抵のことは諦めている。


 相変わらず私に対する莉音の愛が重たい。そのうち束縛と評した軟禁とか、心中とか殺人とかやりかねないかも。その感情の爆発が私に向いている分にはまだいいが、これが他者に向いて迷惑を与えることだけは避けたい。


 そんなこんなで卒業式当日だというのに、私たちはいつもと変わらない馬鹿馬鹿しい朝を迎え、ちょうど頃合いになったところで学校に登校した。ちなみに、もちろん私は莉音の顔によって生暖かくなった制服を穿いている。これからの高校生活でも同じような日常を過ごすことを考えると、なんだか妙に憂鬱となってしまう。


 当然のように莉音と一緒に登校し、昇降口を過ぎて教室の前で別れる。莉音が隣の教室に入っていくところを見送ったところで、私は自分の教室の前に佇む。朝は莉音とバカなことをしていたけど、むしろバカなことをやっていたおかげで、私の荒れていた心が幾許か落ち着きを取り戻したみたい。そういったことであれば、私は莉音の行動に感謝しなければならないのかもしれない。


 当然小桜さんは生きている。小桜さんは安西の席の傍らにいて、安西グループの会話を一歩引いた感じで相槌を打っていた。今日は体調がいいのか、何事もなかったような表情をしている。その後の卒業式も小桜さんは途中退席することなく最後まで出席していた。


 小桜さんは式後すぐさま帰宅したらしく、話しかけるタイミングなどなかった。最後に声をかけることもできず、多分一生会うこともないでしょう。式のあとに見上げた昼の空は、冬独特の曇り空だった。その今にも落ちてきそうなくらい圧迫感のある冬空は、門出の日には不釣り合いな景色。私は今、証書を手にしながら昇降口で立ち尽くしている。


「おい杏、そんなところに突っ立ってても小桜さんは現れないぞ」


「アンちゃーん。帰るよー」


 一周目とは別の理由、というか全く逆の理由で昇降口に立ち尽くしていた私を挟むようにして現れたのは、当然一周目のときと同じ薫と莉音だった。


「アンちゃん、帰るってば!」


「お前まだ落ち込んでるのかよ。どうせお前じゃ無理だ」


 莉音と薫は私の脇を通り過ぎるが、歩き出さない私を訝しんだのか、振り返って催促してきた。


「あ……うん」


 私は頼りない返事だけをして二人についていく。例のごとく薫が前を歩き、莉音は背後霊であるかのようにピッタリと私にくっついて歩いていた。莉音の家で卒業パーティをするという一連の流れを含む中身のない雑談があり、私は適当に会話するだけだった。なので会話の内容はまるで印象がなかった。


 いつしか例の横断歩道に差し掛かり、私は薫と莉音と別れた。そして明らかに速度を超過した車やバイクを眺めながら、私は待っていた。未来人ことアスが現れるのを。


 ちゃんと時間を確認してはいなかったけど、でも例の未来人はこれまでと同様同じ時間に登場、何食わぬ表情で信号無視をしようとした。私としては四回目なので勝手がよくわかっている。私はベストなタイミングで手を伸ばし、アスの襟首を後ろから掴んで引っ張った。


「ア、助けてくれてありがとう。ワタシの名前はアスと言います。まだこの時代に来たばかりだったので、この時代の危機的状況を把握しきれていませんでした。本当にありがとうございます」


 尻餅をついたアスは私を見上げながら礼を言った。私はそれに対してとくに反応することなく次の言葉を待った。


「アナタはワタシの命の恩人です。何かお礼をさせてください」


 アスは前回前々回同様危機を救った私にお礼をしようと申し出た。スッと私の手を両手で握り、私の瞳を直視している。


「そうだ、お礼としてタイムリープで過去に送ってあげますよ」


 そして続く言葉も前回前々回と同じだった。


「なにか、やり直したい過去とかありませんか?」


「……なら、昨日の午前中に戻して」


 私は静かに答えた。なぜそう答えたのか私自身わかっていない。これまでタイムリープを繰り返してきて判明したことは、告白をしなかった一周目が正解ルートであったこと。そして今回は一周目をほぼなぞっている。小桜さんは生きている。これ以上タイムリープする必要がない。


 私の感情的な部分だけが、無様に抵抗を続けている。


「わかりました。昨日の午前中ですね。では目を閉じてください。今から頭を押さえて親指を瞼に添えます」


 でもアスは私の気持ちを察することなく、返事に従って私を過去に送ろうとする。


 私はアスの言う通りに目を閉じた。するとアスの冷たい手が私の手から離れ、私の頭を両側から押さえつけた。そしてそのまま親指を瞼に押さえつけていく。相変わらず私の眼球を潰す勢いで圧がかかっている。


「ではいきます」


 今回は悶えるのを我慢する。そんな私をよそに、未来人のアスは過去へ戻るタイムリープを始めた。

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