=少女

杉浦 遊季
杉浦 遊季

ファイル2「未来」

公開日時: 2020年9月3日(木) 15:03
文字数:4,323

 アスと名乗った人物は、尻餅をついた状態から立ち上がり私と向き合った。しかし尻餅をついていたのが私の足元ということもあり、立ち上がって振り向いたアスの顔は非常に近いものとなった。私はたまらず後退り距離をとる。


 一目で若い人とわかるけど、しかし成人なのか未成年なのかがまるでわからない。それどころか男なのか女なのか、いや少年なのか少女なのか判別がつかない顔立ち。髪も男性としては長いけど女性としては短いような気がするし、体格も全体的に細身で性別を判断する材料にはなり得なかった。色白の肌に、体形に合わせた白いシャツと白いスラックスを身に着け、脱色したかのような髪色をしているので、第一印象としては得体の知れない白い人といったところだろうか。


「えっと……なんだって?」


 一度聞いた問いだけど、その答えが理解できなかったのでもう一回聞くことにした。


「ハイ。ワタシは未来人です」


 あー、オーケーオーケー。未来人さんですね……って、納得できるわけないでしょ。


「あの、頭大丈夫ですか?」


 いや今会ったばかりの見ず知らずの人にいきなり頭大丈夫ですかって聞くのは失礼だと思うけど、でもさすがに自分のことを未来人と名乗る人は正常ではないような気がした。中二病とか電波さんみたいなただの痛い人なのかもしれない。もしくは不審者。


 とにかく、関わってはいけない人だということは理解した。どういう人物なのにせよ、とりあえず警察とか呼んだ方がいいのかな、と考えていると、


「アナタはワタシの命の恩人です。何かお礼をさせてください」


 目の前のアスはスッと私の手を両手で握り、私の瞳を直視しながらそう言ってきた。


「いえ、結構です。そういうのはお気持ちだけで充分です」


 アスの手はとてもひんやりとしていて、生気がまるで感じられなかった。私はアスの冷たい手を意識しながら、アスの申し出を丁重に断った。


「そうだ、お礼としてタイムリープで過去に送ってあげますよ」


「いやそういうのは大丈夫ですから。というより、いい加減手を放してください!」


 語気強めに言うと、アスはすんなり私の手を離した。しかしアスは私を見つめたまま視線を動かそうともしない。……というか今気がついたけど、この人瞬きしてる? さっきから瞼が動いているようには見えないけど。


 そんな様子のアスを見て、私はより一層気味が悪くなった。しかしアスはそんなことを気にすることなく、


「なにか、やり直したい過去とかありませんか?」


 と尋ねてきた。


 その言葉が、私の内に秘めた何かに引っかかった。


 やり直したい過去。やり直せるなら――


 ――もしやり直せるのなら、もっと早く小桜さんに告白したかった。


 それはついさっき思ったこと。中学校生活を送っている間、私は小桜さんに片想いをしていて、結局想いを伝えることはできなかった。もしも過去をやり直せるのなら、卒業式後小桜さんが帰る前に声をかけられるかもしれない。いや、もっと前の過去に戻れるのなら、卒業式前に告白することだってできるかもしれない。もし本当に、過去に戻れるのなら……。


 そこまで考えて、私は正気に戻った。


「タイムリープなんかできるわけないでしょ。どうやってやるつもりよ」


 私はアスに向かって正論を叩きつけた。タイムリープなんてものは所詮創作物の中にしかない。ただのフィクションの世界。たぶんどっかの研究機関が真面目にタイムマシンとか作ろうとはしているかもしれないけど、そんなものが成功したなんて話は聞いたことない。ましてはこんな昼間の住宅街で出会った奇妙な人が、単身でタイムリープを行うのはありえない。危うく話に乗っけられるところだったけど、この人の話を真面目に聞いてはだめだ。


 しかしアスは私の正論をうけても表情を変えなかった。それどころか、


「タイムリープの方法について質問ですか?」


 とぬかした。


「いいですよ。お教えしましょう。詳しいことは説明の理解をしやすくするために割愛しますが、そこはご了承ください」


「いや別に――」


 私は正論を言ったことで、後悔した。それを言ったことによってアスの何かしらのスイッチを入れてしまったらしく、アスは嬉々として――表情が変わらないからよくわからないけど口調でなんとなく――説明を始めてしまった。


「まずアナタの時代から少し経つと、液体コンピューターというものが実用化されます。言葉通り液体のコンピューターです。そして人体の中で無駄に水分を保有している器官が眼球です。その眼球の、|硝子体《しょうしたい》という眼球の形を整えているゲル状の器官に、適応するよう調整された液体コンピューターを注入することで、眼球そのものを補助脳、つまり身体をディバイス化することに成功します。ア、眼球に液体コンピューターを入れる発想は、二〇一〇年代に世界的に有名な企業が特許を申請しています。方法は全然違いますが、でも根本的なアイデアはそこがもとです」


 別に聞きたくはないけど、でもアスは私の呆れた反応を無視して説明に没頭している。しかし……眼球にコンピューターを入れるって、なんか怖いよ。


 アスは私が望んでいない説明を続ける。


「デ、その液体コンピューターが技術の向上によりさらに発展して、眼球だけではなく人体の体液のほぼすべてに適応させることに成功しました。そのことにより人は全身コンピューター化することを実現させた。脳単体での処理能力を遥かに凌駕したのはもちろん、それまであった既存のコンピューターよりもハイスペックなコンピューターが体内に宿りました。そうなると人類は新たなステージへと進化した」


 一応アスの説明に耳を傾けてはいるけど、正直アスが何を言っているのかこれっぽっちも理解できていなかった。話が難しい。そもそもタイムリープの方法を説明しているはずなのに、一向に時間についての説明が出てこないけど……。どうしようこれ。どうしたらいいの?


 私が困惑している間、アスは変わらず説明を続けていた。


「情報主義社会。それまでの資本主義などの経済形態や民主主義といった政治形態に代わり、情報がすべてを支配するようになった。情報主義では、人による全身生体コンピューターと据え置きのスーパーコンピューターによって、あらゆる物質や事象が情報化されるようになった。人も金も権力も、すべてが情報として数字や記号に成り果てている。もちろん、時間や空間といった概念的なものもね」


 黙って聞いているけど、なんかとんでもない方向に話が進んでいる。


「その情報主義社会を支える膨大な処理能力を生かして肉体を解析、情報化して圧縮したのち、同じく情報化した時間を改竄してセットで転送する。すると改竄された時間に導かれて情報化した肉体は過去や未来に飛んでいきます。転送後に情報は自動で物質化され、転送先の時代で肉体を構築することでタイムリープを実現させたのです」


 ……なるほど、わからん!


 ただ何となくタイムリープができそうなことだけは伝わってきた。全く、これっぽっちも理解してないけど、でも妙な説得力だけはあった。


 話はよくわからなかった。だけど話自体は面白かった。そんな感想を抱いたからこそ、私はその話に乗っかってちょっとからかってやろうと思った。


「でもさ、じぁあタイムリープしたら、その時代に同じ人が二人も三人もいることになるのかな。それによるタイムパラドックスとかの心配とかはどうなるの?」


 ここまでSFチックな設定を考えられた電波さんなのだから、当然そのことについても考えているんでしょうね。


「もちろんタイムリープしたことによる弊害はあります。でも今はあまり関係ないかな。それに最初に言ったでしょ。詳しい説明は割愛させてもらうって」


 私はちょっと答えを期待していたけど、でも失望した。こいつ逃げたな。さすがにタイムパラドックス云々を易々解決できる設定は思いつかなかったか。こいつの話、一気に胡散臭くなってきた。


「あー、さっきお礼にタイムリープさせるって言っていたけど、でも私、時間跳躍してその時代の自分と遭遇するのは嫌だよ」


「そのことについてはご心配なく。アナタを過去にタイムリープさせる際、アナタの意識しか送信できません。今のアナタの意識を過去のアナタの肉体に転送させ、意識の情報を上書きするだけです」


「なんで私は意識しかタイムリープできないの?」


「それは簡単です。最適化できないからです。自分の身体を一番理解しているのは自分です。同じように、マシンのことを一番理解しているのはそのマシンです。自分自身を情報化する際は、自分の身体ということもあり無駄な工程を簡略、または省略することができます。しかし他者を情報化する場合は、その人物のことをより詳しく解析したうえでないと情報化できません。そしてそこにリソースが割かれるため、ワタシのスペックでの他者の情報化は、精々意識程度しかできません。ご理解いただけましたか?」


 理解できたかどうか問われているけど、理解はできていない。ただ自分と他人とでは勝手が違うということだけは何となくで理解できた。


 というか、この人の話は難しすぎてもう嫌だ。なんとかして話を切り上げなければ。


 私がこの局面をどう切り抜けようか思案していると、


「では他にご質問もないようなので、早速タイムリープをしますか。いつに戻りたいですか?」


 アスはタイムリープすることを提案してきた。そして私はその提案に「これだ!」と活路を見出した。


「どのくらい前までの過去に戻れるの?」


「そうですね、どこまでも戻れますが、でも戻りすぎると状況を把握するのに時間がかかり、そして混乱してしまうでしょう。ですから、初心者はまず一日、昨日に戻ることをオススメします」


 昨日か……。まあいいか。どうせタイムリープなんでできっこない。ここでタイムリープをしようとして失敗すれば、さすがのこの人も現実を見るだろう。そこで「やっぱタイムリープなんてできないじゃん!」とでも言えば、それを口実にしてこの場を離れることができそう。よし、それでいこう。


「じゃあ、昨日でいいや。昨日の午前中にして」


 私はアスの言葉に従って戻りたい日にちを伝える。午前中にしたのはただの気まぐれ。咄嗟に出てきたのが午前中という言葉だった。


「わかりました。昨日の午前中ですね。では目を閉じてください。今から頭を押さえて親指を瞼に添えます」


 私はアスの言う通りに目を閉じた。するとアスの冷たい手が私の頭を両側から押さえつけた。そしてそのまま親指を瞼に押さえつけていく。……って、力強い。この人私の眼球を潰す気なの! 圧迫感が半端ない。


「ではいきます」


 悶える私を無視して、自称未来人のアスは何かを始めた。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート