=少女

杉浦 遊季
杉浦 遊季

ファイル6「挫折」

公開日時: 2020年9月5日(土) 17:00
文字数:7,206

 未来人ことアスによって瞼に圧力が加えられたけど、そのアスが「ではいきます」といった次の瞬間、その圧力ははなからなかったかのように消え去ってしまった。指を緩めて圧力を加えるのをやめたのかと思ってしまいそうだけど、しかしやめるというより途切れる感じで消え、そのことに私は不安を覚えた。瞼の圧力と同じく、両手で頭を押さえつけられていた感覚も消え去っていた。二度目だけどあまりにも奇妙で不思議な感覚なので、そうそう慣れるものではなかった。


 私はゆっくりと目を開ける。目が光りを認識する。


 しかしその光は昼間の住宅街の自然光ではなく、人工の光であるかのような調整された光だった。


 自分の足と床が視界に入る。その足には学校の上履きが履かれており、床は塗装され光沢を帯びた木材。


 私は、視線を上げて周囲を見渡す。すると幾人もの生徒が並べられたパイプ椅子に着席していた。皆じっと座っているだけで、何か行動を起こそうという人は誰もいない。さらに視線を上げると、アーチ状の天井。横を向くと鋼鉄の扉と二階通路が視界に入る。そして衣服越しには、底冷えする冷気が伝わってくる。風通しが悪いうえに暖房で中途半端に暖められたのか、全身を覆う冷気は外の空気よりも淀んでいて重たい。


 ここは体育館で、今は卒業式をしていた。いや、卒業式の予行練習をしていた。卒業式は明日である。


 タイムリープに成功、三周目に突入。


 前回はタイムリープ初回ということもあり動揺して立ち上がってしまったけど、でも今回はもうタイムリープが成功すること前提で戻ってきたので、特段大袈裟に驚いたりはしなかった。精々パイプ椅子に座りながら周りをキョロキョロ見渡す程度。前回注意した担任も、私を茶化した薫も、今は私のことなど気にかけることなく式の予行練習に集中していた。


 しかし……小桜さんの死があまりにもショックで、それを必死に覆そうと決意したことが起因とはなっているけど、でも私すんなりタイムリープを受け入れてしまっているな。順応が早いと言えば聞こえはいいけど、所詮無我夢中であり得ないことにしがみついているだけ。


 そんなこんなで私が騒ぎを起こすことなく、順調に予行練習は行われていく。私は適当に立ったり座ったりのタイミングを合わせて怪しまれないよう気をつけながら、これからのことを思案する。


 まず最重要目的は、もちろん小桜さんの死をなかったことにすること。死んでいるよりは生きている方がいいに決まっている。一周目では生きていて二周目では死んでしまうのなら、まずそこを改善しなければならない。


 次いで小桜さんへの告白。本来こちらが本命の目的ではあったけど、しかしさすがに命と引き換えにするほどのものではない。小桜さんの死がなかったことになってから改めて告白すればいいだけの話だ。


 ではどう行動するべきか。


 手っ取り早いのは、小桜さんが死ぬところに介入して死を阻止することでしょう。現状私の知っていることといえば、卒業式前夜――三周目の現在では今夜――に例の池の橋から転落して溺れ死んでしまったことだけ。なら改変するポイントはそこになる。橋へ向かう前に声でもかければ、あとは流れでなんとかなるかもしれない。確か告白の返事を保留にしたときに、一日かけて家で考えてくる、と言っていた気がするので、自宅にいる可能性が高い。何かの都合で外出して橋を通ったと思われる。


 しかし卒業式前夜といっても具体的な時刻がわからない。夜ということだから日が暮れてから精々日付が変わるくらいまでだろうか。いやあまり遅くまでいると補導されかねないからもっと短いかもしれない。でも夜になると寝静まる街だから補導されないと踏んで朝方までという可能性も捨てきれない……。


 あーッ! そんなこといったら切りがない。


 と私が頭を悩ませていると、思考に意識を集中させ過ぎたせいか起立するタイミングを逃し、私は一瞬遅れて立ち上がった。その失態は外から見たら目立ったのか、脇に控えている担任が「しっかりしろ」と誰に言うでもなく呟いた。でもたぶん私のことだよね。


 気を取り直し、周りのタイミングに合わせて着席しつつ思案を続ける。


 ある程度の妥協は必要となる。それに女神的な小桜さんが補導されるような時間帯に外出するとは思えない。加え私だって両親がいるから深夜まで外出するのは無理である。遅くても夜の十時くらいが限度かと思われる。


 なら夕方の日が暮れてから夜の十時くらいまで、あの橋へ向かう小桜さんを待ち伏せするしかない。確か薫の情報によれば、小桜さんの自宅は駅前の大きいマンションだったはず。


 私がそこまで考えたところで、ちょうど式の予行練習が終了した。ずっと同じ空間で立ったり座ったり、歌ったり返事したりで、皆どことなく疲労が蓄積したようで、予行練習が終わると多くの生徒がその場で伸びをして身体をほぐしていた。そののちクラスごとに教室へ戻ることなり、私は列が進むに任せて体育館をあとにし、途中列を抜け出して保健室へ向かう。


「先生?」


 卒業式前日、この時間の保健室には小桜さんがいる。養護教諭も席を外しているようで、保健室には小桜さん一人だけだった。二周目と同じく、私という入室者に気がついた小桜さんは、ベッドを囲うカーテンを中途半端に開けて誰何した。


「小桜さん」


 優しい雰囲気を纏わせた小柄な女の子。全体的にやや色素が薄い印象で、思わず天使と形容したくなる容姿をしている。


「ごめん。先生ではない」


 そんな可憐な小桜さんに魅了されていた私だけど、でも二周目のときよりもスムーズな返事ができていた。タイムリープによる二度目は伊達ではない。


「こっちこそ間違えてごめんなさい」


「その、体調は大丈夫?」


 前は保健室にいるのに何しているのかと、かなり頓珍漢なことを尋ねてしまったけど、今回は二度目ということもあり、まともなことが言えた。片想いをしている相手なので相変わらず緊張してしまうも、初見ではないので幾分ましだった。


「うん。大分よくなった。稲垣さんも具合悪いの?」


「具合悪いってわけじゃないけど、なんか疲れちゃって、ちょっと静かなところで休みたいなって思ったんだ」


「そうなんだ。じゃあ、先生が来るまで話でもしてようか」


 そう言って小桜さんは私の隣の椅子を引いて座った。二度目だけど、昇天してしまうほど嬉しい。


「明日卒業式だね」


「そ、そうだね」


「せっかくの卒業式だから、明日は貧血にならないように気をつけなきゃ」


「そうだね。今日は家帰ったらしっかり休んだ方がいいよ。夜とかまだ結構寒いから、外出は控えた方がいいかと」


 どさくさに紛れて小桜さんが例の池の橋へ向かわないよう忠告も入れてみた。二度目の会話ならこういう些細な調整ができる。


 小桜さんは私の忠告の真意を察してはいない様子だけど、でも「うん。気をつける」と微笑みながら受け入れてくれた。


 それから、何を話したらいいのかと迷っているかのように、私と小桜さんとの間に沈黙が訪れた。


 しかし、それならそれで、伝えなければならないことを伝える機会として活用するだけである。誰もいない保健室、中学校生活中に二人っきりになれるタイミングは今この瞬間が最後。告白は今しかない。


「あの、小桜さん」


 二周目では声が上ずってしまい奇妙な発声になってしまったけど、今回は十分に覚悟ができていたのか、まともな声で小桜さんを呼ぶことができた。


「なに?」


 小桜さんも私の声に笑うことなく返事する。


「あの、もう卒業だから言うけど、実は、……ずっと、小桜さんのことが好きでした。多分、恋愛感情として。その、卒業して離れ離れになるけど、もしよろしければ高校生になってもよろしくお願いします」


 今回も当然緊張はしているけど、二度目なので幾分ましである。今一度自分の想いを咀嚼し、スマートに気持ちを言葉にした。最後は前と同じく握手を求めて手を差し出したけど、今回は頭を下げずしっかりと小桜さんの目を見つめて返事を待った。


 私の突然の告白に、小桜さんは心底驚いた様子だった。目を見開き、両手で口を覆って固まっていた。


「えっと、あの――」


 小桜さんはそのままの状態で反応するが、しかし一向に続く言葉が出てこない。そしてお互い身動きしないまま時間だけが過ぎていく。手を差し出したまま、保健室の時計が刻む秒針の音がやけにうるさく聞こえた。


 いったい何分経過したのかはわからない。わからないがしばらく時間が過ぎたのち、小桜さんは口に当てていた両手をゆっくり離して膝の上に置いた。


「その、いきなりでびっくりしちゃって……その、返事、だけど」


 驚きから少し落ち着いたのか、小桜さんはゆっくりと噛み砕くかのように言葉を発する。私はそれを聞いて、またしても息をのむ。


「返事は、少し待ってもらえるかな?」


 二周目と全く同じ返事だった。


「その、恥ずかしいけど、私、誰かに告白されたこととかないから、びっくりしちゃって。それも男の子からじゃなくて、女の子からだったから、余計に。恋愛とかまだよくわからないけど、でも稲垣さんが真剣に気持ちを伝えてくれたから、私も真剣に答えなきゃって思って、でもそう思うと気持ちがわーってなって混乱しちゃうから、その、時間をかけてでも気持ちをちゃんと整理して、真面目に返事を出さなきゃって思ったから、だから別に稲垣さんのことが駄目とかじゃなく、その、時間が欲しいだけなの。稲垣さんの気持ちにしっかり向き合えるだけの時間が、ね」


「うん。そうね」


 私は当たり障りのない返事をする。


「あ! でも、卒業式は明日だから、明日までにはちゃんと返事するから。一日かけてお家で頑張って考えてくるから!」


 明日が卒業式で、それが過ぎればもう会えないことに思い至ったのか、小桜さんは慌ててフォローした。例の池の橋には行かず、家でじっくりゆっくり考えてください。そんなことを思いつつも「わかった。じゃあ、明日」と小桜さんに返事した。


「…………」

「…………」


 でも宙ぶらりんな状態となった告白のせいで、私たちの間に妙な沈黙が支配した。何かを話そうとしても、おそらくお互い相手を意識してしまってまともな会話にならないでしょう。そのことがもう明白なので、私も小桜さんも話題を出すことができずにいた。


 私はさりげなく横目で小桜さんを見る。小桜さんは顔を俯かせ、膝の上で指先をいじっていた。その顔はわずかに紅潮しているようにも見えた。前はこの奇妙な空気が気まずかったけど、今はかすかに心地よかった。一度想い人の死を体感した身としては、こうして一緒にいられるだけで幸せである。二周目ではこの空気に耐え切れず逃げ出してしまったけど、しかし今の私はこの状況を噛みしめている。


 だがそんな幸せを体感しているのは私だけだった。


 限界を迎えたらしい小桜さんは唐突に立ち上がる。その突然の行動に今度は私がビクッと身体を震わせた。


「あ……えっと、じゃあ、明日。返事、必ずするから」


 小桜さんは私を見下ろしながらそう言い残し、私の反応を待つことなく逃げるように保健室から出ていった。まさに二周目の私のように。立場が逆転しちゃったよ。


 結局、私は養護教諭が戻ってくるのを待つことになった。時間的にホームルームをやっている最中だろうか。そのころになってようやく養護教諭が保健室に戻ってきて、私は予行練習中に体調悪くなって勝手に休ませてもらったことと、体調がよくなった小桜さんが教室へ戻ったことを伝え、私も体調がよくなったので戻る旨を伝えてから退室した。教室へ戻ると、ちょうどホームルームが終わったところだった。


 私は席に戻って下校の支度をする。一方小桜さんは安西グループの面々とともに教室を出てい行く。その際ドア付近で私を迎えに来た莉音とすれ違い、集団最後尾にいた三上が莉音と小さな挨拶を交わす。


 薫にも催促され、莉音と合流して下校する。会話の内容から歩き方までこれまでと全く同じ。何気ない会話を適当に受け流し、家近くの横断歩道前まで来たところで二人と別れた。


 ここからが前回とは違う行動をする時間。


 前回はタイムリープした混乱と場の流れで小桜さんに告白してしまい、そのことにより心が落ち着かずずっと自室に引きこもっていた。初回は記憶に残っていないほどどうでもいい過ごし方をしていた。しかし今回は小桜さんを救う方法を確立するため有意義な行動をしなければならない。


 これから長期戦になる。私は厚着をして外出、途中スーパーで暖かいペットボトルの飲み物を買って駅前へ向かった。三月の日中であれば、春を先取りしたかのような陽気に包まれている。先月よりは幾分暖かくはなっているものの、冬服を手放すほど気温があるわけではない。寒すぎる真冬から普通に戻っただけ。日当たりのいい駅には、平日の昼間ということもあるのか構内への出入りはまばらで、おじいちゃんおばあちゃんの他には短縮授業だった高校生ばかりだった。


 そんな駅の目と鼻の先に高層マンションが建っている。ここ三年か四年くらい前に完成したこのマンションは、広告で「駅から徒歩一分!」と宣伝されており、いかにもベッドタウンとして発展してきたこの街らしいマンションだった。


「確かに、大きいな……」


 私は駅前マンションを見上げながら呟いた。前回の時間で薫と二人っきりで話をしたとき、薫が「駅前のでかいマンション」と言っていたけど、まさにその通りだった。何階建てか数えようとしてみたものの、七階くらいで挫折した。私が暮らす住宅街にもマンションはあるけどこちらの方が比較的新しいので、より流行的で高級感のある見栄えだった。


 さて、これからマンションの出入り口を見張り、小桜さんが出てきたところで橋へ向かうのを阻止しなければならない。しかしマンションの住民ではない人物がマンション前で張り込みをしていれば、当然不審者として通報されかねない。だけどここは駅前。ちょうどこのマンションは駅のロータリーに面しているため、バスか何かを待っているふりをして遠くから見張っている分には怪しまれないはず。私はバス停の目立たない位置から見張ることにした。


 最初の一時間くらいはスマホで音楽を聴きながら待機。今のところ動きはなし。というか人が疎ら過ぎて、動きらしい動きが皆無だった。


 さらに二時間ほど経過。スマホには多くの楽曲が入っているし、最悪動画投稿サイトの動画を音声だけを聴いたりしながら、とにかくマンション前を注視している。日が暮れ始め、私の目の前を早めに仕事を終えた社会人が通り過ぎていくことが増えた。高校生の数も増え、大学生らしい若い人も何人かいる。ロータリーでは時折人をたらふく飲み込んだバスが出発していく。


 例のマンションは、ごく稀に住民の出入りがあるだけ。小桜さんの姿は現れない。


 さらに時間は経過。時刻は二十時になろうとしていた。この頃になるとゲームしたり電子書籍で小説を読んだりと、スマホをいじる時間が増えたけど、しかし視界の隅でしっかりマンションの玄関口を捉え見張りは怠っていない。幸か不幸か、マンションから小桜さんが出てくることはなかった。


 二十時となれば、十分夜であろう。小桜さんが昼間から夕方過ぎて夜になっても外出していないという事実を確認できただけで、このマンションの見張りの収穫はあった。となると次は、問題の例の橋となる。私は駅前マンションから離れ、最短で橋へ向かった。駅前の区画と私が住んでいる住宅街の玄関口となる橋へ。


「え?」


 とくに事件と遭遇することもなく例の橋に到着したけど、しかし何かがあったらしくちょっとした人だかりができていた。その人だかりの向こうから、赤い光が瞬いている。あれは……パトカーの回転灯だ。


 私はそれを認識した途端駆け出した。橋にもパトカーや野次馬がいるが、人数が多いのは橋の真下の池公園の方。私は公園の方に向かい、密集する野次馬を押しのけて一番前まで行く。


 公園内で事件が起きたことは確かのよう。でも現場はそれほど慌ただしくはなかった。目の前で作業している警察の人も、今は事後処理というか、現場検証をしているだけのように見受けられた。公園から橋を見上げてみると、橋の上の警察官が時折欄干から池の方を覗き込んでいた。


「あの!」


 私はたまらず近くにいた野次馬に声をかけた。薄毛の中年男性だった。


「ここで、何があったのですか?」


 私はこの状況について尋ねた。


「女の子が橋から池に落ちたらしいよ。でも救助に手間取って病院への搬送が遅くなったみたいで、さっき救急車が出発したよ」


 その薄毛中年男性は気さくに答えてくれたけど、しかし私はその答えに驚愕せざるを得なかった。


 タイムリープしている私だからわかる。その橋から落ちた女の子とは、小桜さん以外ありえない。しかし、なぜ?


 私はさっきまで小桜さんの自宅マンションに張り込んでいた。結果小桜さんは外出してこなかった。よって昼間は動きのある時間ではない。でも事実事件は発生している。もしかして小桜さんは、昼で学校が終わったのち家に帰宅していないのではなかろうか。小桜さんの発言と矛盾しているもののその可能性はなくはない。けど、ならば小桜さんは昼から夜までの間どこにいたというのだ?


 目の前の光景に驚いている私は、うまく思考が働かなかった。しかしそれでも私は必死に思案し続ける。だがそれでも明確な答えに辿り着くことはかなわなかった。


 わからない。このタイムリープで何かが発生していることは明白だけど、しかしそれが何なのかがまるでわからない。


 私は状況を教えてくれた男性にお礼を言ってから、今一度現場を見やる。しかしそこから得られる情報は何もなかった。ただ警察官が着実に現場検証していることしかわからない。


 私は視界に入ってくる回転灯の赤い光を意識しながら、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

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