=少女

杉浦 遊季
杉浦 遊季

ファイル16「変更」

公開日時: 2020年9月15日(火) 17:05
文字数:4,904

 八周目に突入した。変わらず卒業式前日の午前中に戻ってきたけど、薫の提案通り、アスにお願いして、いつも遡っている時間から数分程度遅い時間に戻してもらった。これなら薫が記憶しているタイムリープに関する知識もリセットされないはず。万が一のときに協力を仰ぐことにしよう。


 卒業式の予行練習ののち、私は保健室へ向かった。この時刻であれば、保健室にいるのは小桜さん一人だけである。


「先生?」


 これまでのループと同じく、私という入室者に気がついた小桜さんは、ベッドを囲うカーテンを中途半端に開けて誰何した。


「ごめん。先生ではない」


 私は流暢に返事をする。


「こっちこそ間違えてごめんなさい」


「体調は大丈夫?」


「うん。大分よくなった。稲垣さんも具合悪いの?」


「具合悪いってわけじゃないけど、なんか疲れちゃって、ちょっと静かなところで休みたいなって思ったんだ」


 最早小桜さんと会話することに緊張を覚えなくなった。今は無事解決に向かうかどうかという別の緊張が私を支配している。片想いしているはずの私としては少し残念な気分になる。


「そうなんだ。じゃあ、先生が来るまで話でもしてようか」


 そう言って小桜さんは私の隣の椅子を引いて座った。


「明日卒業式だね」


「そうだね」


「せっかくの卒業式だから、明日は貧血にならないように気をつけなきゃ」


「そうだね。今日は家帰ったらしっかり休んだ方がいいよ」


 一瞬ここで、私が告白しても誰かに相談せず一人で返事を決めてほしいとお願いしてみようかと思ったけど、すぐ却下した。思いつきで行動して計画を自ら破綻させるのは得策ではない。余計なことをしてややこしくしない方が無難である。


「うん。気をつける」


 次に何を話したらいいのかと迷っているかのように、私たちの間に沈黙が訪れた。


「あのさ、小桜さん。ちょっと話がある」


 私はその沈黙を破るように声をかけた。


「明日の卒業式だけど、伝えたいことがあるから、式が終わったら少し残ってくれないかな?」


 私は小桜さんへの告白を先延ばしにする。告白さえしなければ小桜さんは安西に相談することもないし、最終的に莉音の耳に入ることもない。ここで時間を作ることで、今日中に莉音と折り合いをつけることができるはずだ。


「ごめんなさい。明日卒業式が終わった後予定があるの。なんか卒業でパパが張り切っちゃって、親戚集めて盛大にお祝いするんだって聞かないの。本当に困った親バカだけど、でも断るのも悪いから、早めに帰ってあげないと」


 なるほど、卒業式が終わってすぐに帰った理由がそれか。家族や親戚のことが理由であるならば、所詮他人でしかない私がどうこう言っても無駄でしょう。


 ならば。


「なら朝とかどうかな? ちょっと二人で話したいことがあるから、いつもより早く学校に来てもらわなきゃならないけど」


 だが別に卒業式後にこだわる必要もない。今この保健室というタイミングと、明日の昼頃の未来人アスとの遭遇というタイミングと被らなければそれでいい。なら朝でもかまわないでしょう。


「朝か……大丈夫だけど、何分くらい早く来ればいいかな?」


「じゃあ三十分前くらい」


 前に保健室で告白したときは大体数分程度だったはず。そこから教室に人気がない時間帯のことを考え、さらにもし人がいた場合に人気のない場所に移動し、朝のホームルーム前に教室へ戻ってくることを加味した結果、三十分くらいが妥当ではないかと思った。三十分あれば不測の事態が発生してもリカバリーはできるでしょう。


「三十分か……。なら朝早く起きなきゃね。寝坊したらごめんなさい」


 三十分早く起きる自信がないのか、小桜さんは控えめな笑みを浮かべていた。それは今までの時間の中で一度も見せたことのない表情だった。ちょっと負い目を感じている様子がまた可愛らしくて、私もつられて微笑んでしまった。


「じゃあ明日。教室でね」


 告白の約束を取り付けることに成功した。私は明日の朝までに莉音と向き合わなきゃならない。問題はそっちをどうするかだけど、莉音相手であればあれこれ考えてもしょうがない。愛が重すぎて私に関する感情の抑制が効かない幼馴染の行動は、私ですら予測不能である。だから出た所勝負しかない。そもそも一回のループで成功させようとも思っていないから、試行錯誤をして解決策を導き出すしかない。今はベストルートを模索することに集中する。


 以前と違って保健室で告白をしていないため、お互い気まずくなることはなかった。ただこれまでの学校生活で頻繁に話す間柄でもなかったので、私の要件が済んだ後は沈黙を挟みつつもとりとめのない会話をして過ごした。何回もループを繰り返した結果小桜さんと会話する際に緊張しなくなった私は、初めてといえる小桜さんとの雑談を純粋に楽しんだ。今までつらいことばかりだったけど、このときは素直に喜ぶことができたような気がする。


 結局私たちは養護教諭が戻ってくるまで話し込んでいた。そして養護教諭が戻ってきたことで教室へ帰る口実を得た私は、そのまま小桜さんと一緒に教室に向かった。ホームルームが終わるどさくさに紛れて教室へ戻った私たちは、そのまま自分の席に行き帰る支度をする。小桜さんはこれまで通り、安西グループと一緒に教室から出て行った。三上と小さな挨拶をしていた莉音は私を呼び、薫も合流して下校することにした。


「ねえ莉音。ちょっと話があるけど、いい?」


 私たちがいつも別れている自宅近所の横断歩道に着いたとき、私は莉音を呼び止めた。タイムリープについての記憶を持っている薫は察したのか、薫も立ち止まり一歩引いて私の出方を見守る。


「どうしたの? アンちゃん」


 莉音は振り返り、小首をかしげた。


「いや、なんていうか、明日で卒業でしょ。だから私は、小桜さんに告白しようと思う」


 私は莉音が取り乱すのを警戒しながら、恐る恐る自分の意志を伝えた。今までは、私が小桜さんに告白したことを知った莉音は、そのまま小桜さんに突撃していった。その結果あの痛ましい結末に至ったのなら、最初から告白することを宣言していれば違った結果になるのではと思ってのことだ。


 私の思惑は、果たしてどう転ぶか。


「あっそ。好きにすれば」


「え?」


 しかし莉音の反応はそっけなく、私は拍子抜けしてしまい思わず声が漏れてしまった。


「えっと……いいの?」


「いいも何も、それはアンちゃんの好きにすればいいじゃない。わたしがアンちゃんにどうこういうことじゃないでしょ」


 そういって莉音は落ち着きなく髪をかき上げている。


 なんだろう。意外な反応で私は困惑している。てっきり修羅場になるかと思って身構えていたのに、すんなり受け入れられてしまった。


「アンちゃんはアンちゃんのしたいようにすればいいよ。わたしはアンちゃんを一番に想っているから」


「そ、そうですか……」


 でもそう言っている莉音の表情は、目元が全然笑ってなくてある意味怖い顔になっている。これはどう捉えるべきだろうか。


「もう話は終わった? ならわたし帰るね」


 莉音はそう言い残し、そのまますたすたと足早に帰ってしまった。


「なあ薫。莉音のあの態度、どう思う?」


「明らかにおかしいな」


 私と薫は遠ざかっていく莉音の後ろ姿を見つめながら訝しむ。莉音はこちらを振り向くことなく、いつもよりもかなり速いペースで歩いている。


「あの様子じゃあ、表ではそっけなく平静さを装っているが、気持ちとしてはかなり煮えくり返っているぜ」


「……何が莉音をあそこまでさせているんだろう?」


「そりゃあ、お前のことが好きだからだろ。好きな相手が、自分ではない別の誰かに告白するなんて堂々と宣言されれば、誰だって頭にくるに決まっている」


「それは……そうかもしれないけど……」


 正直その感覚はよくわからない。でもわからないなりに想像してみる。たとえば、小桜さんが私ではない別の誰か、薫とかわかりやすいイケメン女子に告白しようとしていることを知ったとしよう。そのとき、私はどう思うか。当然冷静ではいられないだろう。私だったら気落ちしてふさぎ込んでしまうだろう。


 そこまで想像して、私はようやく莉音の気持ちの一端に近づけたような気がした。莉音も好きな人が自分ではない人物に告白しようとしていることを知って、気が気ではないのだ。


 しかしこれでいいのだろうか。小桜さんに想いを伝えつつ莉音とは平和的な関係を維持したいのだけど、これでは成立していないのではなかろうか。


 私は今難しいことをしている。そのことをここにきてようやく自覚した。


「どのみちもう宣言しちまったんだ。もうなるようにしかならん」


 薫の言う通りである。もう言ってしまったのだから、このあとは最善となるように行動するしかない。


「莉音は大丈夫かな……」


「心配なのはわかる。けど失恋って、自分自身で何かしらの折り合いをつけなきゃいけないんじゃねえの。結局は勝手に片想いして勝手に振られた、それだけの話。それに異性ではなく女同士だしな。他人がどうこうして癒してやるのは筋違いだろ」


「そうかも……。まあ莉音のことは、注意深く気にすることにするよ」


 失恋の傷は時間が癒すとしたら、今の私にはどうすることもできない。見守るしか方法はない。


 私と薫は適当に話を打ち切り、各々の家へ帰る。私は帰ってから寝るまでいろいろなことを考えてみたけど、気持ちのモヤモヤが晴れることはなかった。ないまま、私は告白の朝を迎えた。


 小桜さんに三十分早く来るよう伝えたけど、しかし私の場合三十分では駄目なのだ。なぜなら朝私の部屋に莉音が来てしまうから。迎えと称して毎朝私の制服の匂いを嗅ぎに来てしまう。そのため私は莉音が部屋に来る前に家を出なければならない。


 というわけで私はいつもより一時間早く起床。空が明るくなったばかりの時間帯に支度を済ませ、さっさと学校へ向かうことにした。早すぎて校門が開いていないかもしれないけど、その場合は校門前でスマホでもいじって時間を潰すしかない。


 そんなこんなで私は勢いよく玄関の扉を開けたけど、


「あ、アンちゃんおはよう。今日は随分と早いね」


 開けた瞬間戦慄した。扉の向こうには、莉音がいた。


「……何してんの?」


 私は思わず尋ねてしまった。


「何って、毎朝来ているでしょ」


 莉音は真顔のまま小首をかしげて不思議そうにした。いや表情も怖いけど、でも今は莉音の存在そのものが恐怖である。


「もう学校に行くの? だったら一緒に行こう」


「いや……でも、ちょっと用事があって……」


 私は苦し紛れに濁すことでなんとか莉音から逃れようとするものの、


「……小桜さんに告白しに行くんでしょ」


 しかし莉音に見抜かれていた。


「朝早くからご苦労様。でもこんなに朝早くに告白なんて、相手に迷惑だからやめた方がいいよ」


 いや今まさに莉音の方が迷惑だよ。


「でももう約束しちゃったし。それに小桜さんはこんなに早く来ないよ。私が勝手に早く家を出ただけ」


「ふーん。じゃあ、わたしも一緒に学校行っても問題ないね。だって、わたしだっていずれ学校に登校しなきゃいけないから、早く行っても支障はないはずよね」


 莉音は少し微笑んだけど、しかしその表情はどことなく恍惚としている感じがして不気味だった。


「……そう、だね」


 全く、本当に莉音の行動は迷惑だ。莉音は私のことを一番に想っているとか言っているけど、その感情そのものが私にとって不利益なものである。これは一度痛い目見ないと自覚しそうにない。


「あ……」


 と、そんなことを思っていたら、ふとひらめいた。


「アンちゃんどうしたの?」


「いやなんでもない」


 私は適当に返事する。しかしその間も私はひらめいたことをじっくり検討する。


 莉音の行動が私に迷惑をかけている。そのことを本人に自覚させる。行動が本末転倒であることに気がつけば、少しは自粛するのではないか。


 そして私はこれから小桜さんに会いに行く。その場に莉音を連れていくと、どういう結果が得られるだろうか。


 私は思案し、そして不安定ではあるものの一筋の道を見つけることができた。


「わかった莉音。一緒に学校に行こう」


 やってみよう。あえて莉音と小桜さんを引き合わせることで得られる結果に期待して。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート