私の目の前を横切る人物がいた。その人物は速度超過した車が頻繁に行き交う道路を、信号無視をして横断しようとしていた。
未来人アス。
私はアスの襟を後ろから掴むことで、横断を阻止し、危うく車に轢かれるところを助ける。
「ア、助けてくれてありがとう。私の名前はアスと言います。まだこの時代に――」
アスは自覚あるのかないのか、五度目となる礼を言う。しかし私としてはもう聞き飽きていた言葉だったので、大部分を聞き流した。
「アナタはワタシの命の恩人です。何かお礼をさせてください」「そうだ、お礼としてタイムリープで過去に送ってあげますよ」「なにか、やり直したい過去とかありませんか?」
アスが立て続けに言った言葉は、これまでと全く同じものだった。私はこれに同意さえすれば、タイムリープして六周目に突入することができる。
「……ねえ、少し話でもしない?」
私はそう切り出した。私がアスを待っていたのはタイムリープするためではなく、話をするため。
「ほう……」
アスは基本的にロボットのような無表情を貫いているけど、でもこのときだけは目を細めて私を注視した。おそらく、これまでとは違う行動をした私を訝しんでいるのかもしれない。
「そうですか、なるほど」
アスは独り言を口にしたけど、私としては、何がなるほどなのかさっぱりわからなかった。未来人は未来人で何か思うところでもあるのかしら。
「アナタ、タイムリープしていますね」
私はなんて返答すればいいのか見当もつかなかった。タイムリープで私を過去に送っているのはアスである。そのアスがタイムリープをしていることを確認してきた。そのことに言い知れない違和感を覚える。
「ねえ、あなたはこれまでの記憶がないの? その、タイムリープで繰り返している記憶が」
「半分正解で、半分間違いですね」
それはどういう意味なのかと、私は尋ねようとしたけど、
「いや、待ってください。……なるほど、そういうことになっているのですね」
アスは変わらず無表情のまま、一人で勝手に納得した。
「わかりました。アナタは今四回によるタイムリープで、同じ時間は五回目ですね。その過程において疑問を抱かれた。それ故話がしたいと言ったのですね。何について知りたいですか?」
よくはわからないけど、どうやらアスは事情を話してくれるみたい。
「時間について。タイムリープすることでおかしなことが起こっている。単純に時間を遡るものではないと確信した。だから時間について、タイムリープについて知りたい」
「いいでしょう。では、まず時間についてお話しましょう。長い話になりますので、予めご了承を」
「ならそこのベンチに座らない? 歩道で立ち話は他の通行人の邪魔になる」
私がそう提案すると、アスはすんなり首肯してついてきた。ちょうどこの横断歩道が見える位置に公園とは言えない広さの広場があり、そこにたった一つベンチがある。バス停でもないので過行く車をただ眺める以外に何の用途があるスペースなのかは謎だけど、待ち合わせには最適な場所。二人して、何のためにあるのかが全くもってわからない横断歩道近くの広場のベンチに並んで腰かけた。正面には、変わらず速度を超過した自動車が行き交っている。
「そもそも、時間とは何ですか?」
アスはそう切り出したけど、私としてはなんと答えるべきか窮した。そんな哲学的なことを問われても、中学校を卒業したばかりの子供がそんな概念的なものを説明できるわけがない。時間はただ過去から未来に流れていくだけである。
私が回答に困り果てているのを悟ったのかはわからないけど、アスは表情を変えずに先を話し始める。
「時間とは、すなわち数式です」
「え?」
しかしその意外過ぎる言葉に意表を突かれ、私は反射的に聞き返してしまった。
「時間とは数式です」
アスは律義にもう一回言ってくれたものの、でもその意味を私は理解できなかった。時間は数式だと言われても、なぜそうなのかという疑問しかわかない。
「アナタにとっては以前、ワタシにとっては別の時間に、タイムリープする方法をご説明しましたね」
「え、ええ」
確か身体と時間を情報化して転送するんだっけ? で、他人をタイムリープするにはスペックが足りないから、私は意識しかタイムリープできないとかなんとか。そのことは正直よくわからなかったけど、でもタイムリープができることは実体験として把握できている。
「ワタシの時代では情報主義社会が形成されています。情報主義では時間や空間という概念も含め、あらゆるものを情報化することが可能です。情報化、つまりデータ化するということは、すなわち数値に置き換えるということ。すべての事象を情報化できる情報主義が成立したワタシの時代では、言うなればすべてを数値にすることができ、数値になるなら数式を組むことができます。だからワタシにとって、情報化できる時間は数式と同義であります」
IT関連のことに造詣がないからよくわからないけど、プログラミング的なことなのかな。いやでもプログラミングって数式なの? よくわからない。もうこの段階で躓いている。
「ピンとこないですかね? 難しく考える必要はないです。あらゆる事象は数字に置き換えて理解することができる、ということだけをわかってもらえれば十分です。そのことに気がついた人類は、すべてを理解するために高度な情報処理能力を欲した。そしてその処理能力を実現させ、すべてを理解できたことにより情報主義社会は誕生したのです。数学とは万能言語なのです」
数学は万能言語。そのことを理解できるかできないかの差が、つまりアスと私の違いということだと思う。
「すべてのことを数式で解析できるというのは、意外な作用をもたらしました」
いまいち理解できていないまま、アスは話を続ける。
「それは、運や偶然といった不確定要素の完全否定。すべての事象は自明であり、偶然など存在しません。出来事にはそれが発生する理由が確かにあるのです。考えてみてください。数学の問題で、運や偶然で答えを導き出すものはないはずです。答えは数式で求めることができ、数式はそれぞれ明確な値がなければ成立しません。事象を数学的に解釈しているワタシの時代では、そういった不確定要素は残らず駆逐されたのです」
「ああ。そういわれると、なんとなくわかったような気がする」
実際数学のテストで運の要素が必要な問題にあたったことはない。偶然で問題が解けたとしても、それは私自身の発想次第であり、問題自身の要素ではない。なるほど、すべてが数学となる世界なら、確かに運とか偶然は存在しない。
「数式で解析できる時間も同じです。一見なんてことないようなことでもそこに別の事象が作用され、そしてそれが積み重なって結果が出る。その結果も、全く別のものに作用され、一連の現象を形作り、また新たな結果が生み出される。時間とは、ひいては世界とは、幾多の値と式による解で構成されているのです。要は巡り合わせです」
「それは……バタフライエフェクトとかいうやつ?」
私も創作物で耳にした程度でよく知らないけど、確か蝶の羽ばたきが遠いところで竜巻に発展するとかなんとかってやつ。小さいことでも様々な要因を巻き込んで大きな現象を生み出すってことだね。
「ええ、そのようなものです。別の言い方をすれば、ドミノ理論や、風が吹けば桶屋が儲かるというものですね」
「風が吹けば桶屋が儲かるって……未来人のくせによく知ってるね」
日本語のことわざが未来まで残っていることに驚きだった。
「『風が吹けば桶屋が儲かる』ということわざは、ワタシの時代では重要な意味を持っていまして、ワタシとしては知識として知っています」
「そうなの?」
「ハイ。『風が吹けば桶屋が儲かる』がどういった由来かご存知ですか?」
私は黙って首を振り知らないことを伝えた。
「風で砂ぼこりが立ち、それが目に入って視力が悪くなる。目が悪い人は芸で生計を立てるしかないので三味線を購入する。すると三味線に使われる猫の皮の需要が増え、猫が捕まります。猫の数が減少すると天敵がいなくなったことで鼠が繁殖し、増えた鼠が桶をかじって駄目にしてしまう。それにより桶の需要が増え桶屋が儲かる、ということです。ワタシのアーカイブではそうなっています」
「なんかそれ、こじつけじゃん」
「アナタにとっても大昔のことですので、未来の人間が理解に苦しむのも仕方のないことです。ただこのことわざは時間の仕組みを言い表すのに最適なのです。数値が集まって式を作り、解を導き出し、その解も新たな数値として式に組み込まれる。風も視力低下も三味線も猫も鼠も桶も、全部数値です。それらが繋がって式となり、桶屋という解が導き出される。それだけのことです。『風が吹く』のと『桶屋が儲かる』という情報しか開示されていないから、違和感があるのです」
数値が集まって式になり、解が導き出される。1+2+3=6となるが、これが間の数字が隠れて1=6と見えるからわけがわからなくなるのだ。それは私が陥っている状況も同じ。私が告白したという数値から、小桜さんが死亡したという数値までの途中式が見えてないから、どうしようもなくなっている。最初と最後だけではだめなのである。過程も知る必要もある。
「あッ、そういうことね」
私はそこまで考えて、ようやくそのことに気がついた。
「ハイ。タイムリープして結果を変えたいのなら、途中に新しい事象を加えるのです。逆に、事象を変えたのなら、当然結果も変わります。自身の行動によって望まぬ結果に至るというのなら、途中式を紐解き、望む答えとなるよう数式を改竄すればいい。数学において見直しは大事ですよ」
「過程を……途中式を把握して、それを改変すれば、小桜さんの死はなかったことになるの?」
「正直、情報主義に生きるワタシとしましては、この時代の恋慕についてよくわかりません。かつてデータとして記された内容を知識として知っているだけです。それに、すべてが情報化される情報主義社会では、人の生死などあってないようなもの。記憶も肉体も情報化によるコピーをしてストレージしていれば、いくらでも融通ができます。だからこそアナタの行動原理に共感することはできません」
アスは一拍の間を開けて続きを話し始める。
「ただ、アナタがどうしても過去を改変したいというなら、どうぞお好きに。なんの巡り合わせなのかはわかりかねますが、アナタの式にワタシという数値が加えられているのは確かです。ワタシという数値をどう計算していくかはアナタ次第。そこからうまく四則演算すればアナタの望む答えも得られるでしょうね」
そしてアスは一度区切り、私を見つめながら、
「ワタシはアナタに問います。アナタにとっての時間とは何ですか? 自分自身の時間を、どのように定義付けますか?」
このような難題を私に投げつけてきた。それに対して私は、こう答えるしかない。
「ええ、わかったよ。私は小桜さんを救う答えを見つけるために、数式全体を見直すよ」
私の時間は、小桜さんの命を救うことである。
数学の問題は答えだけあっていてもだめなのだ。ちゃんと途中式を書かないと意味がない。これまでの私は不意の問題と望まぬ答えを突きつけられ、がむしゃらに足掻いていただけ。なぜそのような答えになるのか証明もせず、無理やり答えを捻じ曲げようとしていた。
そこまでわかったのなら、やることは明確。
無理やり答えを捻じ曲げるのではなく、しっかり式を証明して答えを否定し、そのうえで新たな式を考え、正しい答えに導くだけ。
まずは、私の告白がどのような過程を経て小桜さんの死に結びついているのかを解き明かさなければ。そのあとに、莉音が突如出現した件や小桜さんの生死が数十分で覆った件について解明しなければならない。
「ああ、ただし、あまり派手なことはしないでくださいね。ただでさえ五回もタイムリープしていますから、そろそろ時空公安……まあ安直な名前ではありますが、時空間を取り締まる警察組織です。彼らがタイムパラドックスを時空犯罪として取り締まりに来てしまいますからね。改変は穏便にお願いします」
「なに……それ」
無機質な表情で忠告するアスだけど、私は思いのほかアスが語ることにおののいた。そんな不穏なことを聞かされたら、どう行動していいのかわからなくなってしまう。
「……そうですね。まだタイムパラドックスについて説明していませんでしたね。加えてタイムパラドックスが引き起こした、ワタシの時代の話を」
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