=少女

杉浦 遊季
杉浦 遊季

ファイル15「決意」

公開日時: 2020年9月14日(月) 18:03
文字数:6,255

 私と莉音の関係を語るには、幼稚園まで遡らなければならない。といっても語れることは限られているけど。


 私は当時莉音にプロポーズしたみたい。みたいというのは、私はその出来事の記憶を忘れてしまっていて、私自身だけではそれが事実なのか判別つかないから。ただ莉音がそう言っているのだから事実だったのだろう。


 幼稚園児が認識する世界などたかが知れている。精々自宅近所の範囲だし、なにより大人よりも認識能力がない。このころの記憶が曖昧なのは単純に忘れてしまっているということもあるのだろうけど、本質としては、成長した本人が幼い頃の価値観を理解できないため確信を持てないのだと思う。なんのために泥団子を作っていたのか、なんのためにお遊戯をしたのか、その意味はまるでわからない。ただ楽しかったという思い出だけが脳の片隅にこびりついている。


 だからこそ今の私としては、当時の私が何を考えて莉音にプロポーズしたのか理解できない。おそらく何も考えておらず近くにいた親しい子だからという理由かもしれない。ただの、女の子の憧れからくるごっこ遊び。そもそも莉音と遊ぶようになったきっかけさえ今となってはわからない。


 そしてそれは莉音も同じでしょう。未成熟な意識状態のときに、唐突に結婚しようといわれて反射的に好きになった、その程度。ただ他の記憶と決定的に違ったのは、莉音はその記憶を瞬間的なものではなく継続的にしてしまったことにある。よほど私にプロポーズごっこされたのが嬉しかったのか、莉音は毎日のように花嫁気どりをして私を想い続けていた。


 そして小学校に入学し、学年が上がるにつれて好きの認識と表現は洗練され変化していったと思うけど、莉音は変わらず私を想い続けていた。そこに最早幼稚園でプロポーズされたというきっかけはどうでもよくなっている。好きという気持ちとともに成長したのだから、好きが継続されているだけの話。一年前も好きだったから、今も好き。私のことを想う以外のことを知らないから想い続けている。出所のわからない好きという感情が残っているだけ。


 一方私は莉音ほど熱心に想い続けてはいない。あくまで幼馴染の関係で、それ以上でもそれ以下でもない。故に莉音の気持ちを受け止めきれず、逃げるように目を背けてきた。きっとその逃げた結果が巡りに巡って今私の前に立ちはだかっているのでしょう。


 だからといってこのまま逃げ続けるわけにはいかない。


 昨夜の出来事のこともあり、卒業式当日となる今日、私は薫を連れて莉音の家の前まで来ていた。いつもなら莉音が私の部屋まで迎えに来るのだけど、今日この日は立場が逆転していた。


「ごめんなさいね。莉音ちゃん部屋から出てこないの」


 玄関で対応する莉音の母親は困った表情をしていた。莉音のお母さんも莉音と同様とてもスタイルがよく、こうしてみるとやっぱり莉音と血の繋がった家族なんだと実感する。詳しくは知らないけど、昔女優としてどこかの劇団にいたというのを小耳に挟んだことがある。


「すみません。昨日莉音と……その、喧嘩っぽいことになっちゃったんで、ちょっと様子を見に」


「まぁ! そうなの? 喧嘩するほど仲がいいというから、アンちゃんと順調に仲を育んでいるのね」


 保護者として早めに準備しているのか、なんかおしゃれな感じのスーツをもう着ている莉音の母親は、私が苦し紛れに言ったごまかしを聞いてうっとりとした表情をした。うんやっぱり莉音の母親だ。娘と同じく気持ちが重たい。というか言い方に語弊がある。


「でも喧嘩しちゃったのならちゃんと仲直りしなきゃね。もう一回莉音ちゃん呼んでくる?」


「いや、いいですよ。今は杏と距離をとりたいだろうし、そっとしましょう」


 薫は莉音の母親の申し出を丁寧に断った。


「そうね。せっかくの卒業式だから仲良くしてほしいとは思うけど、でも本人の気持ち次第だから仕方がないね。あとで学校には行かせるから、よかったら学校で莉音ちゃんを待っててくれないかな」


「わかりました。では」


 朝早くから長居するのも迷惑だと思うので、私は適当に話を打ち切り莉音の家を後にする。そのまま薫と一緒に学校へ向かう。


「どうだ?」


 通学路を歩きながら薫が尋ねてきた。


「どうって?」


「莉音の様子だよ。他の時間と比べて様子に変化はあるかどうかだよ」


 ああ、そういうことか。私はこれまでの時間がどうだったか記憶を探る。すぐに出てきたのは、朝に莉音が私の制服の匂いを嗅いでいるという衝撃的な光景だったけど、実はずっと前から嗅いでいたらしいのでタイムリープ云々とは関係ないと思う。それ以外のことだと……。


「……莉音は、小桜さんが亡くなった時間では、卒業式当日私の部屋に来ていない」


 それは二周目と三周目のときだった。いつも迎えに来る莉音は、その時間では私の部屋に来なかった。そしてその時間では小桜さんが死亡している。


「普通に考えるなら、小桜を突き落として死なせてしまったから、精神的にヤバくなって引きこもったって感じか」


 薫の言う通りだと私は思う。今回は私たちが阻止したから小桜さんの死亡は回避され、莉音も私たちとの関係が拗れたために引きこもったのだと思われる。言ってしまえば、今回は比較的に軽度な理由である。しかしこれが人を殺めてしまったということなら、冷静ではいられないのだろう。他に理由を考えるなら転落事故に関して警察に行っていたとかかな。そのあたりのことはよくわからないけど、でもどのみち事件を起こした莉音は、精神的にも物理的にも私の部屋へ行くことはできない。


「莉音の言い分をどう思う?」


「私が知る莉音の性格なら、納得できる」


 昨夜小桜さんに掴みかかった莉音を止めて拘束したときに、その理由を白状させた。莉音は泣きじゃくって支離滅裂なことを言っていたけど、要約することは可能だった。


 転落事件の概要はこうである。


 もともと莉音は、私が小桜さんに片想いしていることは知っていた。というより莉音がいる場で薫が普通に話している。卒業式後に薫が「そんなところに突っ立ってても小桜さんは現れないぞ」といったことを発言してもいる。


 それを踏まえて莉音は、私が自分の想いを封じ込めていたことに感づいていた。そのため告白とかそういうことはできないだろうとたかをくくっていたみたい。しかし実際に私が小桜さんに告白したということを知って、知人を介して小桜さんを呼び出した。橋で待ち合わせをしたのは、住宅街に住む莉音と駅前マンションに住む小桜さんのちょうど中間が、あの池の橋だったということ。


 莉音は小桜さんを呼び出して、告白を断るよう詰め寄った。しかし小桜さんはそれを受け入れなかった。小桜さん曰く、誰かに決められたくなかったとのこと。他者にアドバイスをもらったうえで自ら判断するのはいいが、他者に強要されて決めるのはおかしい、ということのようだ。最終的な返事はどのようなものにするにしても、自分で決めなければという思いがあったのかもしれない。


 莉音の申し出を聞かなかったことにした小桜さんだが、しかしそれは莉音の怒りを買う結果となってしまった。私に対する愛が重い莉音は、私にまつわる感情の抑制ができず、最悪なことに言うことを聞かない小桜さんに手を上げてしまった。


 歯止めが利かなくなった莉音は小桜さんに掴みかかり、そして莉音を止める存在がいなかった別の時間では、勢いそのまま欄干を乗り上げ小桜さんを突き落としてしまった、ということだろう。中学生にしては小柄な小桜さんなら、軽いから勢いに負けて欄干を乗り越えてしまったのにも一応納得ができる。


 莉音も小桜さんも平静ではなかったので、ちゃんと事情を聞くことができず私と薫の想像で補完したかたちになっているけど、まとめるならこういう事実があのときにはあったと解釈するべきだろう。突き落としたのは間違いなく莉音だけど、それは突発的な不慮の事故といえなくもない。


 ずっと想いを抱いていた相手が勝手に自分のもとから離れていく。莉音はそのことに焦り、そして憤った。だからこそ彼女は、その感情を元凶である小桜さんに向け、排除しようとしただけ。ただ状況が悪かった。結果、その行動は最悪な結末に至ってしまったのだ。


「莉音がもう少しまともな人間だったなら防げた事故だ。あたしらが何回もループしてまで止める必要はどこにある。諸悪の根源はあいつだ」


「それは私もわかる。今回のことに限らず、普段からもっと良識をもった言動をしてほしいとは思っている。……でもそれが私たちの関係だよ。私のことで莉音は感情的になり、それに対して私が辟易とする。ずっと変わらない関係」


 その歪な関係性が招いた最悪の出来事であるのは認めざるを得ないけど、でも私としては莉音を責める気にはなれない。莉音がここまで感情を拗らせているのは、まず間違いなく私に原因があるからだ。幼馴染の気持ちに応えるわけでもなく逃げ続けた私に責任がある。未来人アスは時間とは数式と言ったけど、そういうことならば、莉音の性格という解を導いたのは、私という数式に他ならない。全ては私が招いた結果である。


「意外だったのは、莉音と三上の関係だったな」


 薫はため息のような独り言を吐いた。


 莉音が私の告白のことを知ったのは、何も莉音自身が、安西が管理するSNSもしくはコミュニケーションアプリでの学校裏グループの書き込みを閲覧できたからではない。莉音と安西の間に三上がいたからだ。


 三上小百合。クラスカースト上位である安西グループの実質ナンバーツーの立場にいる派手な女子。三上なら安西から直接聞くにせよ裏グループにアクセスするにせよ、小桜さんの噂を容易に聞ける立場にある。そして三上には安西グループ以外にも交友関係があった。


 それは莉音との関わり。卒業式前日、教室から出ていこうとする安西グループと莉音がすれ違ったときに、集団最後尾にいた三上が莉音に対して小さく手を振って挨拶したことが何よりの証左である。私はこの目ではっきりと、莉音と三上の繋がりを見ていた。


 その関係についても、莉音は白状した。曰く、莉音は三上の弟子だった。


 莉音は昔からアイドルに傾倒していて、そのきっかけはおそらく私が幼稚園時代に莉音のことをアイドルのようだと言って褒めたからだと思う。アイドルが好きだった私に好かれるために、莉音はアイドルになりきり、事実現在では比喩的ではない学園のアイドルとして周囲から認知されている。そしてアイドルにはダンスが不可欠。


 一方三上は、幼い頃からダンススタジオで習い事をしており、ダンス経験者。体育の創作ダンスの授業では一人だけ切れのいい動きをしていた。このあたりのことは、私が知っている数少ない三上情報である。その経歴と実力の噂を聞きつけた莉音が、スキルアップとして三上に師事したことが、二人の関係の始まりだった。


「学校生活で莉音と三上が話しているところを見た覚えがない。けど学校での関係がそのまま人間関係とは限らない。というかダンスのレッスンとか、どう考えても放課後しかできないしね。どのくらいの期間レッスンしていたのかはわからないけど、そういう関係なら連絡先とか把握していてもおかしくない。交流はスマホだけ、というのもあり得る」


「ああ。実際莉音と三上が練習やスマホでどういう交流をしているのかは知らん。だけど普通に世間話をする仲ではあるだろう。卒業式の前日でも、何かの拍子に『そういえば』という流れで小桜さんの話を持ち出したのかもしれない。何にせよ、安西と親しい三上が莉音と交流を持っているのなら、安西が流した噂が莉音の耳に届いても不思議じゃない」


 薫は最後に「これで線は繋がったな」と呟いた。


 私が小桜さんに告白したことにより、小桜さんは安西に相談を持ち掛けた。しかし安西はこれをいいネタと思い、小桜さんが告白されたことを暴露してしまった。その暴露は同じグループの三上の耳に入り、その後莉音と交流した際にそのことを話してしまった。しかしその暴露には告白してきた相手の情報がない。でも莉音だけは事情が異なる。莉音は私が小桜さんに好意を抱いていることを知っている。そこから、小桜さんに告白してきたのは私だと察したということ。


 莉音は知人を介して小桜さんを呼び出したが、この知人こそが三上だった。小桜さんも安西グループに属しているから、三上も小桜さんの連絡先を知っているはず。三上によって呼び出された小桜さんは例の池の橋へ向かい、そこで莉音と会うことに。その場で莉音は小桜さんに告白を断るよう強要したけど、小桜さんはそれを断った。その態度によって感情的になった莉音が掴みかかり、そしてそのまま橋から落としてしまったのだ。


 私から小桜さんへ。小桜さんから安西に。安西から三上へ。三上から莉音。莉音から三上。三上から小桜さん。こうして莉音と小桜さんが接触した。


 これが私の告白から小桜さんの死亡までの過程だ。当然妄想の部分もあるけど、でも私の告白と小桜さんの死亡を最短で結びつけるのならこうなる。


 ふたを開けてみればどうということはない。人が一人死んでいるけど、一連の出来事の原因は所詮中学生の人間関係のもつれだ。最初と最後しか見えてなかったからややこしかっただけなのである。


 しかしこれを引き起こしたのは私だ。これまで幼馴染の想いを知っていながら見て見ぬふりをして、向き合おうとはしなかった。そのつけが今、まとめて来たに過ぎない。ならば今こそそのつけを清算するべきでは。


「なあ薫。私はまたタイムリープするよ」


「は? なんで。小桜さんは助かっただろ」


「確かに小桜さんを助ける方法は見つけた。でもそれは完全な方法ではない。それに小桜さんだけじゃあダメなの。莉音のこともなんとかしなきゃ。お互い突然のことでまともに話し合っていないから拗れて、莉音との間に致命的な溝ができてしまった。それも解消したい。結果的に莉音を振ることになるけど、それでもお互いが前向きに踏み出せるよう、亀裂ではなく綺麗な溝で済ませたい」


 小桜さんを助けるだけではなく、莉音もフォローする。私が言っていることは綺麗事なのかもしれない。それでも拗れたまま時を進めるわけにはいかない。せっかくタイムリープできるのだから、望む形で明日へ踏み出したい。


 それにアスが語る時間の秘密が事実ならば、ただ正解ルートをなぞるだけでは真の意味での解決とは言えない。時間の量子化。並行時間解釈。小桜さんの並行時間には死亡している時間があって、今後それが観測される可能性が残っている。そのあたりの仕上げをしなければ完全な解決とはいかない。そしてその方法は、私がアスから話を聞き終わったときに思いついた考えがもとになる。


「私が好きなのは小桜さんだ。その事実を莉音にちゃんと突きつける。一見酷かもしれないけど、でも優しさで甘やかしても解決しない。私は最善を尽くしたい」


「そうかよ。なら頑張れ。協力が必要なら言ってくれ。一緒にタイムリープしなくても、遡る時間を少し遅らせれば、あたしのタイムリープについての記憶もリセットされることもないだろう。なら多分事情話せば、過去のあたしもお前に協力すると思うぞ」


 私の決意に薫はそっけなく反応した。薫の申し出はありがたいけど、でもこれは私自身がやらなければならないことなので、多分協力を求めない。精々失敗したときのための保険とするくらいだろう。


 私は、私にまつわるすべてに決着をつけるつもりだ。

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