私は混乱により思考がまとまらないまま帰宅した。親に小言を言われたのちお風呂とご飯を済ませ自室の寝床に入ったわけだけど、当然すんなり眠ることはできなかった。でもいつの間にか寝入っており、気がつけば朝だった。寝つきが悪かったからいつもより早く起きてしまったけど、いつも通りの朝だ。
いつもなら私のことが大好きな幼馴染が家まで迎えに来て、そのまま一緒に登校している。しかし今日に限って莉音は私の家には来なかった。そういえば二周目でも莉音は朝姿を見せなかった。朝に莉音が訪ねてくるかこないか。この違いもタイムリープによる差異でもあった。
用意された朝食を食べながら、逆に莉音を迎えに行った方がいいのだろうかと考えたけど、でもそこまでの気力が湧かなかった。タイムリープによって目まぐるしく変化する事象に、私は精神的に疲弊していた。未だに心が追いついてきていない。そういった事情もあり、私は莉音のことを放っておいてそのまま一人で登校した。
教室の扉の前で一度深呼吸する。
今回も、この三周目でも、小桜さんの机の花瓶を見なければならない。好きな子が死亡したという事実を突きつけられるのは、どれだけ覚悟をしていても耐えられるものではない。今更になって、昨日学校が終わったと同時に小桜さんをストーキングして危ないタイミングを突き止めればよかったと後悔するも、しかしもう過ぎてしまったことはどうしようもない。今回は不可解で理不尽な現実を受け止めるしかない。
最悪アスにさえ出会えればいくらでもタイムリープできるのだ。今回はダメでも次回頑張ればそれでいい。
私は意を決して教室の扉を開けた。
しかし、私は教室の中を見渡して違和感を抱いた。
「え?」
私は困惑し、教室の入り口で立ち尽くす。
教室の中は、いつも通りの朝だった。前回感じた沈痛な空気など全くなく、普段と変わらない朝の喧騒がそこにはあった。クラスメイトの表情を見ていくと、卒業式前で気持ちが高ぶっているのか、誰もが笑い合ったり寂しがったりしていて、誰かが亡くなって心を痛めている様子は皆無だった。
私は頼りない足取りで教室を進み、遠くから小桜さんの席を見つめるも、しかしその机の上に花瓶など置かれていなかった。前回見た名前もわからない白い花などどこにも見当たらない。席は空席で、私は辺りを見渡して小桜さんの姿を探し、そして見つけた。小桜さんは安西の席の傍らにいて、安西グループの会話を一歩引いた感じで相槌を打っていた。
「小桜……さん」
私は思わず呟いてしまったけど、誰の耳にも届かなかったのか、私の近くにいる人物で呟きに反応した人はいなかった。
今日は体調がいいのか何事もないかのような表情をしている。当たり前だが幽霊とかではなく、実体として確かにその場に存在している。一度死んだ人間とはとても思えなかった。
小桜さんが生きている。その事実は大変喜ばしいことなのだけれど、しかしそれがあまりにも衝撃的過ぎて私の心はフリーズして動かなくなった。なぜ? どうして? そんな疑問だけが先行する。
衝撃のあまり教室の一角で佇立していると、突如チャイムが鳴り響き、私はそれによって我に返った。誰も不審に思わなかったところを見ると、私がフリーズしていたのはものの数秒間だったみたい。
チャイムにより、クラスメイトは慌ただしく自分の席につく。私もそれに倣い自分の席に座る。そして自然と視線は小桜さんの席に向いた。小桜さんも周囲の生徒と同じく自分の席に座った。前回白い花が飾られていた、あの席に。
何がなんだかわからない……。
私は自分の机に肘を乗せ、頭を抱えた。昨夜橋から転落したはずの小桜さんが何事もなく生きているということは、何かしらの要因で小桜さんの死が回避されたということなのだけど、それが何なのかが全くもって不明だ。それにそんなことを言ったら、前回何の要因で小桜さんが亡くなったのかもわからない。前回小桜さんが亡くなったのは、もしかしたら偶然の出来事というか、ただの不慮の事故だっただけなのだろうか。
なら、もしかしたら私がタイムリープしようがしまいが関係なく、ただ確率の問題で小桜さんは橋から転落して亡くなったのではないだろうか。タイムリープしたことで前々回と前回、そして今回と差異は確かにあるけど、しかしその差異が小桜さんの生死に直結するものだとは到底思えない。なら、本当にタイムリープは関係ないのか?
教室に、いつもは人生にくたびれた感じの担任が、今日はビシッと着こなした姿で入室してきた。しかし身に纏うくたびれ感がそう簡単に拭えるわけではないので、今日はなんだかうさん臭さが加味された変な雰囲気だった。そんな担任が最後の朝のホームルームを始めるも、私は話を聞かずずっと小桜さんの生死の謎について考えていた。
当然その後の卒業式本番も上の空で、周りに合わせて立ったり座ったりを繰り返しながら、頭では小桜さんのことを思案していた。
式中小桜さんの様子を窺ってみる。……が、
「ん? え?」
小桜さんが座っているはずの席が、今は空席になっていた。瞬時に辺りを見渡す。けど、卒業式を執り行っている体育館の中に小桜さんの姿はなかった。
いや、おかしい。これはおかしいぞ。
だって一番始め、一周目の時間では、小桜さんは途中退席することなく卒業式に出席していた。式中チラチラと小桜さんの方を見ていたからそのことには確証がある。次の二周目の保健室にて、小桜さんは当日貧血で体調不良にならないか心配していたけど、でもそのことを私は否定した。一周目で卒業式を体験しているからこそ、小桜さんの心配を否定できた。
だからこそ、小桜さんが卒業式に出席していて途中退席するパターンは、これが初めてだった。
またしてもタイムリープによって事象が変化している。
三周目のこの時間、一体何が起こっているの?
幸い私の席は列の端っこで、抜け出すのは容易だった。私は腰を低くして席を離れ、体育館の壁際に設けられている教員席へ向かい、くたびれた感じの担任のもとへ。小桜さんがどこへ行ったのか聞き出すために。
「先生。あの……」
抜け出してきた卒業生に反応した担任は、何事かと心配すると同時に面倒事が起こったのかと訝しんでいる。
「小桜さんのことで……」
私は小声でそう切り出すも、その途端担任の表情が歪んだ。人生にくたびれた感じの担任から、人生に絶望したかのような、今にも消えていなくなってしまいそうなくらい悲愴感が漂ってきた。そしてその雰囲気を私は見たことがある。そう、前回に。
「小桜さんのことは……本当に残念だったよ」
それは前回の時間で、朝のホームルームにて小桜さんが亡くなったことを告げたときの雰囲気と全く同じだった。
転瞬、私は悪寒が走ると同時に察した。
「あの、すみません。私貧血っぽいので保健室に行きます」
私はそう告げ、担任が何か反応する前に出口へと向かっていた。卒業式を執り行っている体育館から抜け出した私は数歩廊下を歩いたのち、脱兎の如く駆け出していた。向かうは自分の教室。
教室の扉を勢いそのまま開け放つ。バンッと何か破裂したかのような音が響いた。
私は扉の傍から小桜さんの机を注視する。そしてゆっくりと教室の中に入っていき、小桜さんの机の前に立ち尽くす。
私は、どう反応すればいいのか皆目見当もつかなかった。あまりにも予想外過ぎて、あまりにも衝撃的過ぎて、私の思考と感情が追いついてこない。
小桜さんの机の上には、花瓶が置かれている。花も生けられている。あの名前もわからない白い花が。
どうして? 何がどうなっているの?
小桜さんの机の上に花瓶がある理由は、小桜さん本人が亡くなってしまったからでしょう。前回の、二周目と同様に。それに小桜さんが亡くなったであろう橋からの転落事故も、私は知っている。事後処理している現場をこの目で見た。
しかし今朝のホームルームでは小桜さんは生きていた。確かな実体としてそこにいたはず。なのに、精々三十分程度卒業式に出席していた間に、小桜さんは亡くなったことにされている。
死亡事故が起きても小桜さんは生きていて、僅かの合間にやっぱり死亡していた。
これは明らかにおかしい。というより現実的にあり得ない。
「もう……滅茶苦茶じゃん」
二回のタイムリープにより、現在三周目。これまでの時間との差は多々あったものの、ここまででたらめな変化はなかった。
もうなにも理解できない。私はタイムリープによって攪拌された事象に翻弄されていて、そこからどう打開すればいいのか考えることすらできなかった。
これは最早、小桜さんの生死云々の話ではなくなってきている。
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