意外なことに、こんなに早い時間なのに校門はすでに開かれており、昇降口も出入りができた。卒業式当日だからということもあるのかな。最終準備とかで先生たちが早く来ているのかもしれない。
いつもより一時間以上早いこの時間帯の教室には、当然の如く誰もいなかった。わずかに朝日が差し込む教室に入り、自分の席に座る。莉音も私の教室に入り込み、私の前の席を引いて足を組んで座った。もともと細くしなやかな美脚だけど、寒さ対策として穿かれた黒いタイツの引き締めもあって、莉音の美脚度合が増している。まるでその足を見せつけて誘惑しているかのように莉音は横向きに座っている。
「ところで、なんでここにいるの?」
「なんでって、告白の妨害」
莉音は悪びれる様子もなく平然と答える。
「……私は何が何でも小桜さんに告白するよ」
「別にアンちゃんは告白してもいいよ。わたしが妨害するのは、小桜さんの返事の方」
「何をするつもり?」
「特別なことはしないよ。ただ微妙な空気にするだけ」
そう答える莉音は屈託のない表情をしている。その表情から、莉音には悪意とかそういったものがないことが窺える。故に迷惑を自覚できていない。
「莉音はなぜそこまでやるの。何がそうさせているの?」
その歪んだ純粋さを目の当たりにして、私は尋ねずにはいられなかった。
「うーん。なんだろうね。動物的な本能かな」
「はい?」
「野生動物もさ、メスを取り合ってオス同士が戦い合うみたいな感じで、わたしはアンちゃんに好かれている小桜さんに嫉妬していて、それで本能的な感覚で抗っているだけだと思うよ。というか多分、嫉妬って感情は、そういう動物の本能の名残だと思うかな。頭がいい人間が、そんな動物的な本能を認めたくないから、嫉妬という言葉でごまかしているのだとわたしは思っている」
莉音は一度深く呼吸し、
「わたしは自分の本能に従っているだけ。わたしは、あくまでわたしに忠実に生きているだけなの」
と付け足した。
「自分に忠実、か」
私のことが好き過ぎて、私に関する感情を抑制することができない莉音の行動原理は、まさに本人が言っている通りなのかも。感情を抑制できないということは、すなわち自身の感情に対して誠実であるということでもある。むしろ感情を抑制している方が、自分自身に対する裏切り行為ですらあるのかもしれない。
だからといって、自分に誠実、忠実すぎるのは、とても褒められたものではない。それはただ単に、思い通りにならず駄々をこねる子供と同じである。
「そう。わたしはわたし。わたしはわたしに正直でありたいの。わたしがアンちゃんのことが好きだから、その気持ちに正直でありたい」
「でもその好きってさ、私が幼稚園のときにプロポーズしたのがきっかけでしょ。そんなごっこ遊び、真に受けてどうするの。それに私たち女同士、同性だよ」
莉音は私の発言の最後を聞いて「アンちゃんがそれを言うの?」と冷めた態度で言い返してきた。確かにその通り。女の子同士云々は、私が言えたことではない。現に私は同性である小桜さんに想いを寄せているのだから。
「きっかけなんてどうでもいいじゃん。好きになる理由を求めるのは、自分のことを頭のいい存在だって自惚れている人がするものだよ。そんなこと、なんの意味もない。好きは好き。それ以上でもそれ以下でもないじゃん。だったら、まさに動物みたいにさ、本能で恋したっていいじゃない。それがたとえ同性だったとしても、たまたま好きになった相手が自分と同じ性別だったって話でしかないじゃん」
そう語る莉音の顔は、輝きに満ちていた。まるで童話のお姫様が王子様に恋しているかのように、恋をするうえで複雑なことをそぎ落としてシンプルにしたかのよう。
「人を好きになると、余裕がなくなるの。それこそ、理由とか考える余裕がなくなるほどにね。だから、好きに理由を求める恋はまがい物。理由を、答えを求めた時点で、それは本当の好きじゃないし、本当の恋じゃないよ。好きという感情の前では、すべての要素が些細なことに成り果てる」
莉音が言っている本能で恋するという説を、私は否定できない。否定できるだけの意見を、私は持ち合わせていない。なぜなら私もそうだから。気がつけば小桜さんに惚れていた。出会った瞬間に一目惚れしていた。その理由は、きっと多すぎてまとめることができないし、言語化もできそうにない。故によくわからないけど好きになってしまったと答えるしかない。
そうすると、私も莉音も本質的な部分では同種の人間ということになる。
であるなら、私だって本能で恋をするだけだ。
「なら私だって、シンプルに小桜さんのことが好きだよ。だから告白する」
「うん。アンちゃんはそれでいいよ。告白したいからする。それだけだもん。だからわたしもわたしで、告白を妨害したいからするだけ」
莉音はそういうけど、私としてはその妨害行為が迷惑だったりする。けどそれは今ここで告げることはしなかった。その本能的である身勝手極まりない振る舞いが招く結果を、このあと身を持ってわからせてやる。
莉音と話し込んでいたせいか、私たちが教室に来てから随分と時間が経過していたみたい。
「稲垣さんおはよう。そちらは……隣のクラスの新田さん?」
そのことに、小桜さんが教室に入ってきたことによって気づかされた。
「お、おはよう。小桜さん」
「うん。それで早速だけど、話って何かな?」
小桜さんは莉音に向けていた視線を私に戻し、そして単刀直入に用件を尋ねてきた。
私は意識して心を落ち着かせる。
「ここじゃあれだから、場所移そうか。早く登校する人はもうそろそろ来そうだし」
私は適当なことを言って立ち上がり、小桜さんを促した。小桜さんも小さく頷いて、机に鞄だけ置き、コートを着たまま私と一緒に教室から出ていく。莉音も私たちの後ろを無言でついてきていた。
私が向かった先は校舎内の階段だった。この学校において私たちの学年の教室は、昇降口から中庭の渡り廊下を進み校舎外の非常階段を登った方が近道であり、昇降口から廊下を進み校舎内の階段を使う生徒は少数派である。そのためこの階段は人気がなく、人に聞かれたくない話をするには持って来いの場所だった。
私は階段を背にして小桜さんの方に振り向く。
「もう卒業だから言うけど、実はずっと小桜さんのことが好きでした。多分恋愛感情として。だから卒業して離れ離れになるけど、もしよろしければ高校生になってもよろしくお願いします」
四度目となる告白。最早情緒とかそういうものはない。時間を先に進ませるだけの告白に成り果てていた。
「えっと、あの――」
ただ作業と化した告白だとしても、私は自分の気持ちを正確に伝えた。その告白に、小桜さんは心底驚いた様子だった。目を見開き、両手で口を覆って固まっていた。小桜さんは続く言葉を出せないでいた。
今までのパターンなら、小桜さんはすぐに返事をせず保留する流れになる。
しかし今回は違う。今回は莉音がいる。女の子が幼馴染の女の子を同伴して好きな女の子に告白をするとか、冷静に考えればおかしいシチュエーションだけど、でもこの状態が今までにない新たな流れを生み出す。
「じゃあ、わたしも告白するけど――」
私の告白が終わったのを見計らって、莉音が口を開く。
「――小桜さん。わたしはアンちゃんのこと、稲垣杏のことが好きなの」
莉音は、小桜さんに向けて告白した。当の小桜さんとしては予想外の告白だったのか、心底驚いた様子であり、私の告白のときとは違う意味で目を見開いていた。
「えっと……どういうこと?」
小桜さんは困惑しながら当然の疑問を私たちに投げかけた。
「その、私は同性だけど小桜さんのことが恋愛感情として好きで、今日が最後だから思い切って告白しました。で、こっちは私の幼馴染なんだけど、幼馴染は同性である私のことが恋愛感情として好きみたいなの。だから……えっと――」
「つまり、小桜さん、アンちゃんの告白を断って」
この歪な状況を説明しようと善処する私を遮って、莉音はシンプルな要求を小桜さんに申し出た。
「えっと……え?」
小桜さんはいまいち状況を掴み切れていないのか、露骨に混乱している。いやまあ、それは無理もないけどね。
これまでの告白のときの反応をみるに、小桜さんはこれまでの人生で告白をされたことがないとのこと。つまりこれが人生初の告白である。しかしその人生初の告白は、まさかの同性からで、さらに三角関係による告白だった。こんなもの、最早トラウマレベルの惨事でしかない。
「私は小桜さんのことが好きだよ。ずっと好きでした。それは揺るぎない」
「わたしはアンちゃんのことが好きなの。だから絶対アンちゃんの告白を断って!」
私は再度気持ちを伝え、莉音はそれに被せるかのように要求した。その際莉音の語気は自然と強くなっていた。
「……私は、どうすればいいのかな?」
困った顔をしながら頬に手を当てる小桜さん。全ての決定権は小桜さんにあるけど、しかし当の本人は出すべき答えを決められないでいる。
「どうするって、わたしが言った通りにすればいいの! あなたはアンちゃんの告白を断ればそれでいいから!」
はっきりと答えを出さない小桜さんに苛立ちを覚えたのか、莉音は次第に感情的になっていき、ついには小桜さんの両肩を掴んだ。
「いッ」
その際莉音の握力が強かったのか、小桜さんは苦悶の表情となる。
これだ。この状況を待っていたし、こうなることはわかっていた。
小桜さんが死亡した並行時間の状況は、私の告白を受けた小桜さんは安西に相談し、そこから同じグループの三上に情報が洩れ、そして三上が口を滑らして莉音に伝わってしまい、感情的になった莉音は小桜さんに突撃していき、結果としてトラブルの末小桜さんは亡くなったのだ。これはあくまで私と薫の推測でしかないけど、最短で結びつけるとこういう過程がそこにはあったはず。
なら今はどうなる。今のこの状況は、私の告白を受けて莉音が小桜さんに詰め寄っている場面。言うなれば、安西と三上というプロセスを飛ばした状態になる。私が告白したから、莉音は感情的になって小桜さんに突撃している。私はこの時間で、途中式を簡略したのだ。
そして告白のことを知った莉音と当事者である小桜さんが対峙することで生まれる結果は、暴力的なトラブル。
しかしこれまでの時間とは違い、この場には私という存在がいる。
未来人のアスはこう言った。望まぬ結果に至るというのなら、途中式を紐解き、望む答えとなるよう数式を改竄すればいい、と。
だから私は時間という数式を改竄した。私が二人のトラブルに介入できるよう、告白の方法を根本から変えた。これは今朝莉音が家の前にいたことで思いついた即席の案だったけど、でも結果として私はチャンスを得ることとなった。
「やめて莉音!」
小桜さんに掴みかかる莉音の手を払うように、私は二人の間に割って入る。私は二人のトラブルに介入した。
「莉音落ち着いて! 私が好きなのは小桜さんなの。邪魔しないで!」
今度は私が莉音の両肩を掴み、力強く莉音に言い放った。それによって、莉音はより一層険しい表情となり、私のことを睨みつけてくる。
そう、それでいい。人は他人から強く迫られれば、それだけ反発したくなる。ましては愛が重たすぎて感情の抑制できない莉音のことである。私の挑発ともいえる態度に食いつかざるを得ない。
「なッ……。アンちゃんは、アンちゃんはあの女のどこかいいのよ!!」
莉音は私に肩を掴まれたまま、鬼の形相で私の胸倉を掴んできた。
「私は莉音じゃなく小桜さんのことが好きなの!!」
私は莉音の感情がより炎上するよう、油を注ぎこむ。それは功を奏し、莉音は激昂して喚きながら私を押してくる。それに合わせ、私は後退する。
そう、そのまま。
本来小桜さんへ向かうはずだった莉音の感情は、今私に向いている。そして二人のトラブルの結果は自明だ。
そのことを確認した瞬間、後ろに下がっていた私は突然の浮遊感に襲われた。
それと同時に、私は莉音を突き放す。それにより、莉音は尻餅をついて倒れこんだ。
視界が傾き、私の正面には階段の天井が見える。そう、私は莉音に押され、階段を踏み外した。
次の瞬間には、私は背中から階段に落ち、そしてそのまま階段を転げ落ちた。階段の踊り場まで転がり、壁にぶつかってようやく転落の勢いが収まった。
疼痛で気を失いそうになる。だが無理やり意識を保ち、自分の身体の状況を確認する。階段から落ちることがわかっていたので、危険な落ち方は避けたつもりだ。大丈夫、頭は打ってないし、足も怪我していない。痛いのは背中と腕だけ。これなら立てるし歩ける。
莉音と小桜さんのトラブルの結果、小桜さんは橋から転落した。だけど今回は、莉音の感情の標的を私にした。それにこの場所は池の橋ではなく学校の階段。小柄な小桜さんよりも丈夫にできているつもりの私が落ち、それがリノリウムの床であるのなら、人が死ぬこともないでしょう。
私は、私が犠牲になるかたちで、私の望む答えを導き出す。
「あ、アンちゃん!!」
「稲垣さん!!」
階段の上から莉音と小桜さんの悲鳴が聞こえ、二人は慌てて階段を下りてくる。私は二人が下りてくるのに合わせて上体を起こした。
「アンちゃん大丈夫!? どこか怪我してない?」
莉音は今にも泣き出しそうな表情をしながら、私の全身を触って怪我の有無を確認する。小桜さんは莉音の後ろでどう対処すべきか迷いオロオロとしている。
「莉音、これが莉音の招いた結果だよ」
私は莉音を凝視しながら告げる。莉音は私の言葉に反応し、恐る恐ると顔を上げて私を見つめる。
「莉音は言った。自分に忠実だって。本能だって。これが莉音の本能が招いた結果。自分の感情に従うのはいい。私のことが好きでもいい。いいけど、その結果が不幸になることも自覚して。他人に迷惑がかかることを自覚して、少しは感情を抑えて自重してよ」
私は冷徹に言い放つ。
莉音は私のことを大切にしている故に、私が傷つくことをなによりも嫌がる。そしてその傷ついた原因が莉音自身の感情の発露であるなら、莉音自身、自分を悔いてしまうはずだ。
「ごめんなさい……。ごめんね……アンちゃん……」
莉音はこの状況と、そして大好きな私に怒られたこともあり、ついに涙腺が決壊しとめどなく涙を流した。号泣しながら繰り返し謝り、懺悔する。
「私のことを好きでいてくれるのは嬉しいけど、なら、少しは私の気持ちも大事にしてほしいな」
私はそんな莉音を、痛む手で包み込んだ。莉音は私の温もりを感じ取ったのか、私の腕の中で激しく泣き続けた。
「そうだ小桜さん。告白の返事を聞いてもいいかな」
視線を上げ、私はオロオロしている小桜さんを見つめた。
「それを今言いますか? そんなことより、先生を呼んできた方がいいのか、それともすぐに救急車を呼んだ方がいいのか――」
「私は大丈夫だよ。あとで保健室に行く。それより返事を聞きたの」
私は動転する小桜さんに優しく語りかける。正直保健室に行く程度で済むのかは謎だけど、まあ痛いのは上半身だけだし大丈夫でしょう。それより小桜さんを安心させる方が大事である。
小桜さんはどう答えるべきか迷った末、
「えっと、その……」
たどたどしく返事しようとする。
「返事は、少し待ってもらえるかな?」
そのわかりきっていた告白の返事を聞いて、私は思わず吹き出してしまった。
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