=少女

杉浦 遊季
杉浦 遊季

ファイル4「死亡」

公開日時: 2020年9月3日(木) 15:10
文字数:5,546

 私が教室に戻ると、ちょうど帰りのホームルームが始まるところだった。教壇の担任が「稲垣、どこ行ってたんだ?」と聞いてきたので、私は保健室にいたことを適当に告げて自分の席についた。


 ホームルームだけど、卒業を明日に控えた生徒に対して特別な連絡事項とかはあまりなかった。精々遅刻しないように、とのこと。むしろ卒業生や担任にとっては、明日の式の後に行われる最後のホームルームの方が重要度は高いかもしれない。なにせ本当の意味で最後となるので、誰しもが感慨深くなることは当然なのだから。


 そんなわけで前日であるこのホームルームは実にあっけなく終わってしまった。終わるころには小桜さんも教室に戻ってきて、自分の席で帰る支度をしつつ、クラスメイトにホームルームの内容を伺っていた。


 小桜さんがこのクラスでよく話しをするのは、安西あんざい弥生やよいという女子生徒だった。安西は「全然、なんもなかったよ」と当たり障りのない内容で答えた。


 この安西というクラスメイトはいかにも今どきの女子中学生という印象で、このクラスのヒエラルキーの頂点とでもいうかの如く目立つ生徒だ。しかし嫉妬深い性格なのか、いろいろと評判が悪い一面もある。そのひとつが小桜さんとの関係だ。


 独特の雰囲気と愛らしい容姿から男子に人気がある小桜さんを、自分のグループに引き込んでいる。ただ安西自身は人気者の小桜さんのことを妬ましく思っているらしく、表面上は友人のふりをしつつ、裏では小桜さんのありもしない噂を、コミュニケーションアプリの裏グループを活用してまで流して評判を落とそうとしているらしい。安西が流した噂が妙にリアリティがあるのは、表の友情を利用して情報収集しているから。今の時代いじめもネットワーク化されている。


 そうやって小桜さんの株を密かに落とすことで、小桜さんに寄ってくる男子を自分の方に方向転換させている。小桜さんの人気を利用して自分の地位を固めているのだ。もしかしたら小桜さんがモテない理由は、安西の工作によって横取りされているからかもしれない。


 とにかく、安西が性格ブスであることは一部の人たちに知れ渡っている。私も薫からそのことを聞き、薫は自分を慕う女子から聞いたらしい。


 小桜さんが安西の本性を知らずにいるのか、はたまた知ったうえで持ち前の包容力をもって黙認しているのかはようとして事情が知れない。ただ小桜さんは安西だけではなく、その隣の生徒にも穏やかな表情のまま視線をやった。


 視線を向けられた派手な生徒、三上みかみ小百合さゆりという女子は「ああ、なんか遅刻するなだって」と小桜さんに答えた。三上は安西グループの実質ナンバーツーといえる立場だけど、もしかしたら安西よりは信用できる存在なのかもしれない。小桜さんが三上にも答えを求めたのは、その場の流れによる偶然かもしれないけど、でも信頼の差があるのかも。


 三上について私が知っていることは、どうやら幼い頃からダンススタジオで習い事をしているという程度。その経験からか、体育の創作ダンスの授業では一人だけ切れのいい動きをしていたのを覚えている。派手で近寄りがたい人だから、詳しい事情を知る仲ではないけど。


 いつの間にか帰る支度を済ませた小桜さんは、安西グループの面々と一緒に教室を出ていこうとする。私はそれを眺めつつ「小桜さん、告白したのに普段と変わらないな」と思った。いやあからさまに様子が変わって安西とかに悟られるのはごめんだけど、でも告白したのにいつも通りにしていると若干不安になってくる。私、告白したよね?


「アンちゃーん。帰るよ」


 私が勝手に不安に駆られていると、隣のクラスの莉音が私の教室まで来て声をかけてきた。その際、教室のドア付近で莉音と安西グループがすれ違い、集団の最後尾にいた三上が莉音を見つめながら小さく手を振っていた。莉音も三上に視線をやり、小さく手を振り返す。そういえば、莉音はなぜか三上と面識がある。……面識があるというよりは、知らない仲ではない、といったところだろうか。クラスも違うのに、どうして莉音は三上と接点があるのだろう。莉音は私の幼馴染だけど、その交友関係については謎が多い。


「おら、帰るぞ杏」


 私は薫にも催促され、薫と二人で教室を出て莉音と合流。そのまま家路につく。いつもと変わらない下校だけど、会話の流れが昨日の下校と全く同じことに気がついた私は、いつの間にかタイムリープしたことを意識しなくなっていた。普通ではあり得ない現象で、実際に卒業式の予行練習中に混乱していたのに、今ではそれを受け入れている自分がいる。


 さすがに昨日の何気ない会話の細部などいちいち覚えていられないので、私は二回目の下校の会話をその場の流れに任せて適当に受け答えした。そうしていると私の感覚では数時間前、実際の時間では明日にアスと遭遇した場所で二人と別れ、高速で自動車が駆け抜けていく横断歩道を一人信号待ちする。さすがに時間が違うのか、周りを見渡しても未来人アスの姿はどこにもなかった。


 帰宅して自室に籠ると、タイムリープした混乱と小桜さんに告白した事実がないまぜとなり、非常に悶々とした。相反する感情が互いに打ち消しあって心が落ち着かない。私はベッドに寝転がりながらのたうち回り、結局このまま一日を過ごした。


 翌日。私にとって運命の日。いつもなら私のことが大好きな莉音が家まで迎えに来るのだけど、しかし今日に限って迎えに来なかった。でも正直今はどうでもいい。もうここまでくるとタイムリープのことよりも小桜さんの告白の方が気になりだしたので、莉音のことまで気にかける余裕はなかった。私は小桜さんの返事のことだけを考えながら緊張し登校、自分の教室へと向かった。


 チャイムギリギリに教室へ入った私だけど、入った瞬間教室の空気がいつもと違うことに気がつく。それは卒業式当日だからという空気ではなく、もっと沈痛な空気であり、私は形容しがたい違和感に襲われた。前回の卒業式の朝はこんな空気じゃなかった。なんだろう、この違和感。


 私は恐る恐る教室を進み、教室の一角の人だかりを遠目から注視する。その集団からは「これ、なに……」とか「いじめ? 卒業式なのに?」といった困惑の言葉が漏れていた。私はそれを事前情報として捉えながら、人の隙間から集団の中心に目をやる。


 それは小桜さんの席だった。小桜さんの机の上には、花瓶に生けられた花が添えられていた。


「え?」


 私は予想外のものを目にして思考が停止した。花に詳しくないから何の花なのかはわからないけど、でもその白い花が机の真ん中に飾られているということが何を意味しているのかは、知識として知っていた。


 だが、私はそれを認めたくなかった。否定したかった。だって、小桜さんとその白い花が全然線で繋がらないから。なぜ小桜さんの机に飾られているのかが全くもってわからない。私は思考が停止したまま、ただ人と人との間から白い花を見つめることしかできなかった。


「皆さん、席についてください」


 ふと教室の入り口から覇気のない声がして、私の停止していた思考が動き出した。その声は先生だ。振り返り担任を見やる。いつもは人生にくたびれた感じの中年だけど、今日の雰囲気はそんなレベルの話ではなかった。人生にくたびれたというよりは、人生に絶望したかのような、今にも消えていなくなってしまいそうなくらい悲愴感が漂っていた。


「先生、あの……」


 小桜さんの机に一番近いところにいた安西が、動揺を隠しきれない様子で尋ねた。いつも小桜さんを妬んで株を落とそうと画策している安西だけど、さすがにこの状況を喜ぶほど人間として腐ってはいなかったみたい。表面上ではあったが友人だったことは確かなのだ。


 安西が何を聞きたいのかを、先生は当然察していた。


「それは私が置きました。早朝、近所の花屋さんに駆け込み、事情を話して花を売ってもらいました。そのことについて、皆さんにお話ししなければならないことがあります。大事な話です。席についてください」


 先生は自分が花を置いたことを認め、抑揚のない喋り方で着席を促した。その不穏な空気を敏感に感じ取ったクラスメイトは、いつもなら騒がしく着席するのに今回は物音を立てず、誰も無駄話をすることなく着席した。


「では、お話します」


 教壇に立って話を始める先生をじっと見つめながら、机の下ではギュッと制服のスカートを掴んでいた。


「昨夜のことです。そこの学校前の道路をまっすぐ進むと、すぐに大きな橋がありますよね」


 教室の窓から見える片側二車線の大きな通り。先生は教壇から窓の方を指差し、そしてその指を西側の方にスライドさせる。確かに道なりに進めば、この学校から徒歩で五分かからないくらいで橋に辿り着く。橋の向こうにもマンションがあるので、毎日橋を渡って登校する生徒もいるはずだ。


「昨夜、その橋から小桜さんが転落しました。誤って落ちたそうです。すぐに通報され救助が到着しましたが、夜間で正確な落下位置が特定できず発見が遅れ、そしてこの気温ですから水温が低く、救助されたときにはかなり体温を奪われていて意識がありませんでした。そのまま、意識が戻らないまま、搬送された病院で死亡が確認されました」


 先生は言葉を発するのが苦痛であるかのように、表情を歪めながら事の次第を話した。当然である。卒業式前日に自分が受け持つクラスの生徒が亡くなれば、どんな先生だって絶望するはず。そしてそれはクラスメイトも同様で、皆衝撃的な事実を知って心を痛めていた。中には涙を流す人もいた。


 私だってそう。小桜さんの机の花と今の話で、小桜さんが亡くなったことは紛れもない事実だけど、しかし何かの冗談だと思いたくてたまらなかった。卒業の日にサプライズとして仕掛けるが不謹慎過ぎて全く笑えないドッキリなのではと、そう逃避したかった。あまりの事態を受け止めることができず、私はただただ話をした先生を見つめることしかできなかった。


 その後話は続いたけど、正直全然頭に入ってこなかった。思考が完全にフリーズしていた。そして延長された長いホームルームが終わり、卒業式を執り行うから体育館へ向かうようにと指示されたものの、しかし私は席から立ち上がることができず呆然とし続けていた。心配した薫が私の席まで来て何か言ってきたが、私は薫の声に反応することさえできなかった。


「ちょっと、トイレ行ってくる」


 私は辛うじてそれだけを言うことができ、そのまま教室を出ていった。足元がおぼつかず、ふらふらになりながら歩く私を見ていられなかったのか、薫が肩を貸してくれて支えてくれた。


 教室から一番近いトイレに向かい、入り口で薫と別れ私は個室に籠った。便座に座り、そのまま手で顔を覆った。


「どうして……」


 何がなんだかわからない。どうして小桜さんが亡くならなければならないの。大体、こんなこと前回の卒業式にはなかった。


「そうだ、前回」


 予想外の出来事にフリーズしていた私だけど、そのことをようやく思い出した。前回、私がタイムリープする前の卒業式では、小桜さんはちゃんと出席していた。式中にチラチラ小桜さんを見ていたからそのことは確かなはず。それに式前のホームルームで小桜さんが亡くなった話などしなかった。机に花などなかった。小桜さんはあのとき確実に教室の席に座っていた。なのに今回は亡くなったことになっている。なぜ?


「何かが、前とは違うんだ」


 前回と今回で異なったことが起きるということは、それはタイムリープしたことによる影響としか考えられない。私がタイムリープしたことによって、小桜さんは亡くなったのだ。


 でも前回と今回で違う点といえば、それは私が小桜さんに告白したかどうかしかない。


 私の告白によって、小桜さんが亡くなった?


 そんな馬鹿な。


「わからない……もう、何がなんだかわからない」


 片想いの子の死が、もしかしたら私の行動によって引き起こされたのかもしれない。そんな可能性を認識すると、私は自分自身を呪い殺したくなってきた。私がタイムリープしなければ、小桜さんは死なずに済んだかもしれない。というより、事実前回の小桜さんは生きていたのだから。しかしなぜ小桜さんが亡くなったのかが皆目見当がつかない。


「杏、大丈夫か?」


 私がふさぎ込んでいると、個室の扉の向こうから薫の心配する声が聞こえてきた。


「薫、そこにいるの? 卒業式は?」


「出ているならここにいないだろ」


「なんで?」


「お前、今にも死にそうな顔していたから」


「……優しいね。そんな性格だったっけ?」


 薫はいつも男の子っぽくて、さばさばした性格。女の子にしては言動がストレート過ぎて、人が落ち込んでいると慰めるのではなく正論で追い打ちをかけてくるタイプである。


「いや、ただ今の杏は見ていてつまらんし、たとえ面白かったとしても、あたしが楽しめる状態でもないからな。杏ほどではないけど、あたしもさすがにクラスメイトが死んだことにだいぶやられてる。起きたことは仕方がないとは言わない。けど、お互いさっさと普段通りに戻ってやるのが、小桜さんによっていいことなんじゃないか。自分の死でいつまでも悲しんでもらいたいとは、生前の小桜さんを見てて思わないしな」


 なんだが、薫らしい。ふとそう思った。少し薫のことを誤解していたかもしれない。薫はただ、いつも自分の気持ちに正直であるだけだった。親友の私が落ち込んでいると、薫まで不安定な気分になるみたい。


「杏、早退するか?」


「早退?」


「お前そんな状態で卒業式を途中出席する気か? 中学の卒業式は諦めて帰った方がいいよ。あたしも付き合う」


 薫の気遣いになんだかホッとしている自分がいる。私は薫の提案に「じゃあ、そうする」と返した。

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