※本作品で描かれている人物、場所、出来事は全て架空のものであり、歴史上、または現存するものとは一切関係ございません。
※本作品の特性上、歴史的な描写が含まれておりますが、全てフィクションとしてご一読いただければ幸いです。
※資料等閲覧した上で描いておりますが、フィクション作品のため、史実的な描写において実際の史実、人名とは異なる場合がございますのでご理解、ご了承ください。
「少年よ、大志を抱け!」
胸に残っているこの言葉を最後に聞いたのは小学生の頃だったか、校長先生が廊下に立つ俺を見て叱らずに言った言葉だ。
何をしたのか、なぜ立たされているのかを聞かず笑いながらそれだけを言ってきた。
なぜこんなことを思い出しているのか分からない。なぜ、こんな時にこんな言葉を。
俺は自分の部屋で、寝ているはずだった。
いつもと同じように母ちゃんに叩き起こされ、牛乳をコップ一杯飲み干し、大急ぎで寝癖を直し顔を洗い、歯を磨く。
そうして家から飛び出してほんの少し埃と制汗剤の匂いが鼻につく30人の仲間が集う教室'''場所'''へ向かうはずだったのだ。
妙な肌寒さ、土と草木の匂い、そしてーー。
「ここ、どこだよ……」
異様な感覚に目が覚め、起き上がり目の前に広がっていたのは、背丈のある枯れ草に沈んだおびただしいほどの死体、死体、死体。
口の中を噛んで滲んだ鉄の匂いなんてものじゃない。
鼻腔を通り抜けるのは生臭く、嗅覚が狂ってしまいそうなほどの腐敗した鉄の匂いだ。
「夢なら早く覚めてくれよ……毛布毛布……」
もう一度その場に寝転がり、肌寒さで身を丸くし目を閉じる。
夢に違いない、たまにこんなリアルな夢を見ることがあるが、夢の中でも夢だと分かり安心し、気がついたらいつも通り自分の部屋で目が覚める。今回も漏れなくそのパターンであることは疑いようがないのだ。
「……毛布」
ない。
「……あれおかしいな、落ちちゃったかな」
ない。
「……っかしいなあ」
ない。
ない、ない、ない。
手に残る固くザラザラとした感触、恐る恐る目を開けると見えるのは土と草。そして、漂う腐敗した鉄の匂い。
身体がガタガタと震え出す。
寒さだけのせいではない、これは夢ではないかもしれないと底知れぬ恐怖が心の内から湧き上がり脳が理解できず、ただひたすら丸めた身体の震えが止まらないのだ。
一体自分の身に何が起きたのか、なぜここにいるのか、周囲にある死体はーーなんなのか。
考えれば考えるほど恐怖がふつふつと煮え滾る。
反社会勢力に拉致されたのか?それとも夢遊病で来ては行けないところに来てしまったのか?
ダメだ、納得できる考えは何も浮かばず浮かんでくるのは
「……生きなきゃ」
それだけだった。
どうすればいいのか、考え込んでいるとガサガサと物音がすると思いきや、う''っ!という野太く短い呻き声が時より聞こえてくるようになった。
何か話し声も耳に入ってくる、距離が近い。人だ。
「……お前さん、まだ若いの……はよ逃げ……故郷のおかあとおっとうも心配しとるじゃろ……」
すぐ近くに息のある人がいたらしい、声を掛けてきたがその存在に俺は気が付いていなかった。
「……逃げるって、一体どこへ」
投げやりに聞いてみる。そう、どうせこれはきっと長い長い夢なのだから。
「……京じゃ、京へ行けば何とかなろう、京から堺へ……」
ゔっ!という呻き声を最後に言葉が途絶えた。
「おい、こいつ誰かと話しているようではなかったか?」
間違いない、今の一瞬で殺されたのだ。
じんわりと下半身が熱くなるのが分かった、命の危機だと脳が理解した瞬間、溢れ出るものが止まらなくなったのだ。
やはりこれはーー。
「あ、おい。あいつじゃないか?」
分かる、息遣いまで伝わってきた。いる、すぐそばに2人。息を潜め両手で口を覆う。
土から伝わる振動と、ガサガサと揺れる草の音がどんどん大きくなる。まるで、死刑囚が絞首台へ歩みを進めているような心地だ。
土の振動と草をかき分ける音が止まる。
ここで殺されて目が覚めてくれればいいのに。
「あれ?こいつ……妙な服着てんぞ」
「なんだ、見物人の百姓が巻き込まれたんか?」
「まあ、関係ないやろ、俺がやるわ」
声が出ない、目を瞑り体を丸め、そこにいる人の姿を確認もできないままガタガタと身体の震えが止まらない。
このまま終わっていいのか、俺は。
「少年よ、大志を抱け」
ふと、あの日の言葉と光景が脳裏に浮かぶ。
俺だって、男なのだ。男子高校生といえば、有り余る力で青春を謳歌しバカをやる、そんな年頃なのだ。
それにまだ俺は、死ねない。どうしても死ねない。その理由が確かに存在している。
ーー未だ、童貞だ。
刹那、身体の震えは止まり不思議と肝が据わったような感覚を覚え、土を身体が跳ね返していた。
「んぐぬわぁあああああああ!!!!」
腹の底から絶叫しながら目を開けると、視界に飛び込んできたのはこちらに背を向けた男2人組であった。
あっ、と思ったのは束の間、こちらを目の端で確認すると同時に身を翻しこちらへ向かってくる。
「な、なんだあいつぁ!へんちくりんな服着てんぞ!」
「知るか!どうせアホだ!やっちまうぞ!」
こっちには全く気が付いていなかったようで、とんだちょんぼ、そして手には長槍。
「……大河ドラマとかで見るやつやんかあ!」
走馬灯、それは脳が死ぬ寸前に過去の経験や記憶から生き残る術を探そうと記憶を辿っているために見ると言われている。
そして、この世界がスローモーションで再生されるのが分かる。こんな下らないことを思い出すのも、生きる術を探しているからだろうか。
不思議だ、こちらに長槍を構えられた時にはすくんで動かなかった足が、脳の伝令が足の先までしっかりと行き届いて動いているのが分かる。
夢中に駆けようと、必死で生きようとしているのだ。
「そこまで!」
野太くずっしりと重い声が、静寂に沈むように響き渡った。
そして俺はその声が頭の中に届いた瞬間、足の動きを止めその場にヘナヘナと座り込んでしまったのである。
「そなた、名をなんと申す」
座り込み項垂れる俺に、今度は重くも温かみのある声がかけられた。
「……ええと、こうみょうじ ともひで、です」
自分の名を、少し赤黒く感じる土を見つめながらボソッと呟く。
ああ、首を斬られてしまうのだろうか。
お母さん、お父さん、妹……。ごめんなあ、多分骨は届かないだろうから葬式は棺桶空っぽのままだ……。もう死を覚悟し、目に溜まった雫がポツリポツリと零れ落ちはじめた。
「珍妙な名前じゃの、どれどんな字を書くのか教えてたもれ」
殺す前に面白がられているのだろうか、どこにいるのかどこに来てしまったのか、俺はなんなのか、もう考えることを忘れ、唯一俺がいた場所と接点を持つこの名前を、どことも知らぬ大地に記したのだ。
'''光明寺 智秀'''
「なんじゃお主、名字があるのか。とういうことはどこぞの家臣かの?あー、よいよい、続きは御所で聞くことにしよう」
は?御所?
呆気に取られていると、先ほどまで俺を長槍で追い回していた男二人組と、これまたガタイの良い鬼のような男に抱えられあっという間に自由が奪われてしまった。しかし、そろそろ夢ならば覚めてほしい頃合いで、そうでなくとも俺はなんだかこの状況に慣れてきてしまっている。人間の適応能力というものは、恐ろしくもあり、頼もしい。
恐ろしいついでに一つ、尋ねてみた。
「あの、すみません。ここはその、どこですか?」
「余計な口叩くなよ、命があっただけでも感謝しろ」
「……すみません」
ふんっ、と鼻でわざとらしく息を吐き、がっしりと抱える腕に一層力を込められる。
首を取れず憤っているのだろうか。
ーーなんて日だ。
ふと顔を上げて前を見やるとそこには、陽の光を浴び煌びやかに大地に映え、正に天から遣わされたと言われても疑わぬほど、高貴な毛並みの美しい白馬に跨る、これまた凛々しくスッと背筋を伸ばしただ前のみを見据える大きく気品のある背が見えたのだ。
どう生きてきたらこんなオーラのある人になるのだろうか。
「かっけぇ……」
思わず口から溢れてしまうほど、その姿は俺を魅了した。
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