研究室にあつまるようになってから何日か経ってのことだった。
ある日俺とフォッシャが来ると、ラトリーが小難しそうな顔をして、カードを手にハイロと机を挟んで向かい合っていた。
「あれ、ラトリーもカードはじめたワヌか!」
しかし盤面をみるとまだ序盤も序盤、2ターン目くらいのところで、ラトリーの手は止まっていた。
ラトリーは手札を両手でもち、困り顔をして言った。
「うう……やっぱり戦うのは苦手です……」
「フォッシャもちょっとやってみようぜ」
「うーん……フォッシャの一族はあんまりカードにさわっちゃいけないって言われてるんだけど……まあちょっとならいいワヌかね」
最初は渋っていたが、フォッシャは席に座るなり身体を揺らして、手札からカードを繰り出してきた。
椅子の上に箱を置いてそこに腰掛け、器用に前足をつかって手札をもっている。
不思議といえば、なんだかこいつも不思議なんだよな。 まあ、あまり気にすることでもないか。こいつはこいつの、俺は俺の目的を果たせばいい。
「ま、やるからにはエイト倒しちゃうワヌよ!」
「言ったな? ちょっとは手加減してやろうと思ったのに」
「3分で片をつけてやるワヌ!」
「そうきたか。なら俺はこうだ!」
フォッシャの出したカードに対応して、俺もカードを出す。
カードを集めている間に、デッキにはいらないカードも溜まってきた。それらを使って構成したデッキのことをいわゆる2軍デッキと呼ぶのだが、フォッシャには今回それを使ってもらっている。
「ムムム……じゃあこれなら!」
「……なっ!?」
なぜか俺の知らないウォリアーカードをフォッシャは繰り出してきた。『ゲルト・フィッシュ』という、攻撃力は低いが他のカードと組み合わせると強力なカードだ。
フォッシャのやつ、いつのまにそんな面白そうなカード手に入れたんだ!? ていうか持ってるなら一応相棒なんだから貸してくれよ!
「ま……まずいな……」
「油断するからワヌ」
フォッシャは勝ち誇った笑みを浮かべたのだが、俺もそれに釣られて笑ってしまった。
さっき抱いた感情が、また心の中に沸いてきて、俺は本心から言葉を洩らした。
「フォッシャ……ありがとな」
「え? なにが?」
唐突な俺のつぶやきに、フォッシャはすこしとまどっているようにおもえる。
「……なんていうかさ……お前のおかげで、カードの楽しさってやつを、なんか思い出してきたよ」
「あ、そのカードの効果知りたいから、ちょっと見せてくれないワヌか?」
「きいてねえ!? わかったけどさ……ほら」
「氷の妖精……かわいいワヌよねえ」
フォッシャに渡したカードは、正確には『氷の魔女』という名前なのだが、虹色がかった透明な羽が描かれており妖精のように見える外見をしている。
「……子供のころ、このカードのなかにいるモンスターがさ、ポンッっていつでも出てきたら面白いのになーって、思ってた」
俺は何気なく思ったこと口にする。感傷的になっているのか、試合に集中できていない。
「ヴァーサスの試合以外ではムリワヌ。オドの制限があるワヌからね。それにスポットって言って、オドが決めた場所だけでしかエンシェントはできないワヌ。エンシェントで出てきてもカードは、喋りもしないし、戦うだけで……」
隣で休んでいたハイロが、興味深そうにフォッシャの話に耳を傾けている。
「だからと言って粗末にあつかったりカードにへんなことしようとしたら、オドの祟りにあうワヌよ、エイト」
「……へんなことってなんだよ」
「それにこういう可愛い子ならいいけど、おっかないモンスターが出てきたら大変なことになるワヌよ。ラトリーなんか、パクッと一のみで食べられちゃうワヌ……!」
フォッシャが不気味に笑いながらポーズをとって、ラトリーに迫る。ラトリーは「ひっ」と本気で怖がって、すこし泣きそうになっていた。
「おどすな」
俺はフォッシャの頭をつかみ、席にもどす。
「カードが、カードの世界から出てきたら、ですか……私もおもしろそうだとは思います」
「だろ? やっぱハイロは話がわかるな」
「す、すみません。でも、やっぱりもしそうなったら大変なことになっちゃうと思います。もし、ですけど」
ハイロの言葉に、ラトリーもうんうんと頷く。
「……私も同じ意見です」
「ま、そりゃそうか」
この世界は多くのことがカードで成り立っている。が、もしこのカードのなかの戦士たちが生き物のように動き始めたら、大変なことになる。
おもしろそうではあるが、フォッシャやハイロの言うとおり大変なことにもなるだろう。
気を取り直して、盤面に集中しようとしたそのときだった。
フォッシャの持っていた氷の魔女のカードが赤く光り、部屋の空気が急激に冷たくなりはじめたのである。
コップの水は凍り、吐く息も白い。
場にいる全員が混乱し顔を見合わせる。そうているとやがて空中の小さな氷の粒がひとつの場所にあつまりはじめ、だんだんと人の身体をかたどっていった。
「久しい空気」
氷を纏った少女が、静かに目を開ける。
「……氷の妖魔。カードの召喚に応じて馳せ参じた」
自分の口から何度も、白い息が出ているのがわかる。だがあの氷の少女の吐息は、透明だった。
時が止まったか、氷漬けにされたかのように、俺たちは身動き一つとれない。
長い沈黙を破り、研究室にノックの音がひびいた。
コンコン、という乾いた音。
来訪者だ。たまたま扉から近い席にいた俺は、思考停止したまま、あわててドア穴をのぞきこむ。
「保安庁監察の者よ。スオウザカエイト。聞きたいことがあるから出てきなさい」
壮麗な衣装、美しい髪、黒の日傘がよく似合う佇まい。
彼女はローグ・マールシュ。なにかとつっかかってくる、あの女だった。
仲間の存在のおかげもあって俺は心のどこかで、この世界に慣れはじめて楽しさを覚えるようになっていた。
だけど俺は、自分がまだなにもわかっていなかったことに気づいたんだ。
この時を境に知ることになる。
本当のカードの世界を。
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