そのエバンテは、ノートを出してなにかを書いていたところだ。マンモス達は寝ている。
「ずいぶん時間がかかったね」
「まだ日没じゃないよ」
上機嫌さを失わず、イワシラは地面に座ってリュックから大きめの石を出し始めた。
「かまどならあたしが作ったのを貸す」
「駄目だよ、れっきとした勝負なんだから」
生真面目なイワシラであった。正直なところ、アジカンはそこまで頭が回っていなかった。
「ふん、勝手にするがいい」
「うん、勝手にするね」
無邪気に反復したイワシラを、自然とアジカンは手伝い始めた。仲間達も彼に続いた。
大豆バーガー
一、練り大豆粉に塩、胡椒、油を適量いれて楕円形に成型する。成型の数と大きさは食べる人数に合わせる。
ニ、フライパンに油を引き、上記一を両面少しだけ焦げ目が出るまで焼く。
三、上記ニが焼けたら火を止めケチャップを適量かけ、食パンに挟む。
「何をどうしたのか知らないけど、平凡なハンバーガーなら凍るどころか燃えるように怒るからね」
香り高い食パンの中身を前に、エバンテは一言断った。いつの間にかアジカン達は、イワシラが新しく作ったかまどを中心に輪になるように座っていた。
「コメントは食べてから口にするものだろう?」
淡々とアジカンが真理を突き、エバンテはふんと鼻を鳴らして食事にかかった。アジカンと仲間達も同時に食べ始める。
その直後、再び洞窟の内外が凍りつき、虹色のガスが漂い令嬢の幽霊がさ迷い始めた。
「ただご飯を食べるだけなのに、どうしていつもこうなるの!?」
答えがないのを承知しつつ、天野はひたすら自分の割当を食べた。
香りに釣られてか、子供のマンモスが目を覚ました。鼻を伸ばしてアジカンからバーガーを取り上げようとする。
「これは私の分だ。というより君達は野外で好きなだけ他の植物を食べるだろう?」
通じない会話をしつつ、鼻からバーガーを遠ざけたアジカンだが相手は甘えるようにじゃれついてきた。子供とはいえ人間の大人に近い筋力がある。
「うわっ!」
ついに上半身を押し倒されたアジカンは、後頭部を地面にぶつけて気絶した。
気がつくと、口腹は防波堤から釣り糸を垂れて魚を狙っていた。
多少釣りをかじった経験のある人間なら、サビキ釣りと聞いてアジやイワシのような回遊魚の群れを防波堤で……釣れるのは精々が人間で言えば 青年になったかならぬかぐらいの大きさだが……狙うための、十個近い枝針をつけた仕かけを簡単に想像できるだろう。
実際それは素人にも手軽にできる釣りの一つで、問題は腐敗しやすいアミエビというエビの一種を撒き餌に使うことから悪臭が出やすい。
それはともかく、釣れいきは順調だ。自分が座っている、小さな折り畳み椅子の足元に置いたクーラーボックスには数十匹のアジが入っている。魚だけでなく、ビニール袋に入れた正方形の氷と海水で持ち帰るまで鮮度を保つようにしてありこれだけの量なら数日はおかずやつまみに事欠かないはずだった。
時刻は正午に近づきつつあり、魚の食いも鈍っている。食べられないほど釣っても仕方がないのでそろそろ帰り支度にしようかという頃合いだった。
「釣れますか」
背後から声をかけられ、振り返るとどこかで見たことのある高校生くらいの女の子がニコニコしながら立っていた。
少し下膨れ気味のぽっちゃりした体型で、緑色の髪をしている。今時は髪の毛を好みに染める人間は別に珍しくもないのでそれ自体は驚かなかった。彼女も竿袋や道具箱のベルトを肩にかけているので自分と同じ釣り人には間違いないだろう。これから始めるのかもう終わるのかはわからないが。
「まあ、悪くはないですよ」
当たり障りなく口腹は返事をした。
「サビキ釣りですか? アジかイワシかな」
少しばかり馴れ馴れしい口調で彼女は続けた。
「アジですよ」
面倒くささを漏らさないギリギリの礼儀正しさで口腹は教えた。
「うわー、アジっていいですよね。何しても美味しくって。僕って、本で読んだアジのなめろうってのが良く分からなくて。作って食べてみたいんですよね 」
一人称を僕と称する女の子は口腹の知り合いには一人しかいなかった。誰だったか。
「食いは落ちていますが、夕方にでもなればまた釣れ始めますよ」
「良かった! でも僕、今日はちょっとした大物狙いなんです」
「大物って?」
さっきまで帰り支度に水を差されたような気持ちでいたのについ釣り込まれてしまった。
「カレイです」
秋も深まったしシーズン入りではある。
「だからほら、頑丈な投げ竿持ってきたんです」
頼みもしないのに彼女はわざわざ自分から竿袋を肩から外し、チャックを開けて中身を披露した。
本人の言葉通り、百メートルは仕かけが飛びそうな釣竿が入っている。もっとも、相当粘り強く当たらないとホンボシには至らないだろう。
「うまく獲物に当たるといいですね」
堅実にまとめて、口腹はリールを巻き上げ海に投入していた仕かけを回収した。それなりの手応えがあり、手の平ほどのアジが一匹上がってきた。
「僕は砂虫を構えてきたけど、生きアジがあったらヒラメも狙えるなー」
口腹が帰る寸前なのを知ってか知らずか、馴れ馴れしさを通り越して図々しく彼女は暗に迫ってきた。そんな物言いにはムッときて当たり前だが、何故か腹は立たなかった。
「この時間帯は、どっちみち余り結果は期待できませんよ」
「うん。だから僕、支度はするけど夕方までは君のアジを料理してあげるよ」
「どうしてそんな成り行きになるんです?」
不快というよりも不思議を感じて口腹は 尋ねた。
「僕が君のために料理するのはいつものことじゃない」
さも当然に彼女は答えた。
「おっ、中々良さげな場所をとってるな」
女の子とはまた別の、豪快そうな声がかけられた。
背の高い、筋肉モリモリな男性が釣具を担いでいつの間にか朽原と女の子の背後にたっていた。彼の髪は青く、それだけでも彼女とは別の意味でどこか記憶に引っかかるものがある。歳は口腹より少しだけ年上に思え、それも間接的な手がかりの一つだろう。
「ウグイドンもカレイ狙いに来たの?」
相変わらず上機嫌に彼女は聞いた。
「ああ、本で読んだカレイの縁側とやらに 俄然興味が湧いてな」
「それは僕も同じだけど、アジのなめろうもいいよね」
「何だお前、アジ釣りに来たのか」
「違うよ、口腹が釣ってるんだ」
「何故私の名前を知っている」
さすがにこれは無視するわけにいかない。
「何故って僕達知り合いでしょ」
彼女の方こそ口腹の質問の意図を把握しかねているようだ。
「イワシラ、あんまりアジカン、じゃなかった、口腹を困らせるなよ」
青い髪の若者がたしなめつつ口腹やイワシラから少し離れた場所に自分の折り畳み椅子を広げた。
「ねえウグイドン、どうせ昼の間はたいして釣れないと思うし口腹のアジを調理してみんなで食べない?」
「釣り場で食う釣りたての魚は最高だな」
「私の釣果をどうするのかを勝手に決めないで貰えないかな。それから、何故我々が顔見知りなんだ?」
「あら、口腹君。それにイワシラさんとウグイドンさんも」
口腹にとって三人目が現れた。間違いなく顔見知りであった。
「天野先生」
そう、口腹が学んでいる大学で講師を勤める女性。天野だけが唯一、釣具を全くもっていない。ただし、背中にはリュックがあった。
「呼び捨てでいいよ」
「俺もだ」
気さくに二人は距離を縮めた。
「それは嬉しいわね。じゃあ、私のことも天野でいいから」
「先生は 二人と知り合いなんですか?」
「私だけじゃなくあなただって知り合いじゃない。忘れたの?」
「そう言われるとなんとなく思い出せそうでもあるんですが……」
「細かいことは後にして、なめろうなめろう!」
イワシラがはしゃぐように催促した。
「そうだったわね。お米は炊いてきたから。口腹君。食材はどう?」
「はい、大丈夫です。いや大丈夫じゃありません。私は記憶喪失か何かにかかっているのでしょうか?」
「あなたがそういう状況かどうか、逆に私には分からないのよ」
「僕も」
「俺も」
「ただ、食べれば何か思い出すかもしれないわ。この場で」
口腹としては、できれば天野と二人っきりで釣り場のロマンスを味わいたいところではあった。しかし、いくらなんでもそんなことを露骨には表せないので妥協する他はない。
「なめろうにしましょう」
「やったー!」
無邪気にはしゃぎながら、イワシラはリュックから調理器具を出した。
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