タコの墨が撒き散らされたように闇が広がり、夜になった。と同時に場面がまるっきり変わり、アジカン達はどこかの廃墟にいた。
かなり大きな建物で、上半身がなくなった何かの石像や崩れた円柱形の柱がいくつか青天井の下にさらされている。基礎はしっかりした石材で、苔やカビは生えていないのが不思議だった。
作ったばかりの料理はそのままで、自分達以外にイワシラ始め他の四人もいる。天使の姿はまだ見えないものの、各組ともに万端整っているようだ。
イワシラ達は、一抱えもある大きな平皿をウグイドンが両手で持ち、様々なスパイスの香りがかすかに漏れている。皿には幅の広い葉が被せてあり中身が見えない。
エバンテ達は、二人が別々に蓋つきの深皿を持っていた。こちらは取りたてて匂いはない。
二組とも、皿は手製だとすぐに分かった。材質が木なのは分かるものの、どう作ったのかは想像する他ない。調理に使う器具も同じように自作したのだろう。ハンデがなければまともな勝負師になるはずがなかった。
と、車輪の転がる軽い音がアジカン達の気を引いた。正面からだ。
「皆さんそろいましたね」
闇の中から現れた天使は、車輪つきの大きな長テーブルを手で押していた。木製らしいのは想像できるが、見るからに新品なのは間違いない。
天使自身は、何故かひだひだがあちこちについたメイド服を身につけていた。ご丁寧に白いカチューシャまでつけている。そういえば、天使のいる周りだけが昼間のように明るい。
「長テーブルをお持ちしました」
丁寧に伝えてから、天使は長テーブルを横にして止めた。オイシイ山に入る前と同じような状態だ。それから、天使はテーブルの脚の一つにある小さなレバーを倒した。軽く押したり引いたりして車輪が動かなくなったのを確かめる。
「これから審査を始めます。公平を期する為に、全ての料理はできたての状態を維持できるものとします。それから、椅子や食器の類は心配する必要がありません」
そう言いながら、アジカン達とテーブルを挟んだ向かい側に座った。椅子などどこにもなかったはずなのに、天使の動きに合わせて幾何学模様の飾り彫刻が背もたれについた豪華な椅子が現れた。
天使が椅子に座ると、メイド服が即座に変化してドレスになった。イワシラが霊体令嬢になったときのそれと少し似ている。
「なんて変わり身だ」
ウグイドンが呆れ返った。
「つまり、みんなの前でコスプレを自慢したかったんですね」
無意識に天使へ皮肉を飛ばすのがアジカンの癖になっていた。
「順番については、エバンテ・オヒョウド組、イワシラ・ウグイドン組、最後にアジカン・天野組で進めます。では、エバンテ・オヒョウド組から」
指名された二人は、黙って前に進み卓上に深皿を置いた。
「料理の名前をお願いします。特別な食べ方があればそれも」
「『イノシシ肉の冷熱スープ』です。天使様から見て左側が冷スープ、右側が熱スープです。スプーンでお召し上がり下さい」
エバンテが誇らしげに説明した。天使は一つうなずいてから左側の蓋を外した。途端にアジカンの肌までひんやりした。
天使がスプーンで中身をすくうと、猪肉とおぼしき焦茶色の細切れが現れた。
「美味です。隠し味に死人茸を使いましたね」
「はい、ご賢察です」
「今の相場だと一切れ金貨十枚で……」
いかなる場合にもゼニカネを忘れないオヒョウドが、エバンテに睨まれて首をすくめた。
「イノシシの冷スープとは珍しい。死人茸も見つけるのは大変だったでしょう。キノコのコクが芳醇な旨味をイノシシ肉から引きだして肉汁の質感を高めています」
「光栄です」
冷スープを飲み終えてから、今度は熱スープの蓋を天使は開けた。途端に皿からイノシシの鼻先が浮かび上がり、空中に飛び上がる寸前でスープに沈んだ。もうもうと湯気がたち、香りだけでもウグイドンの七色ガスに匹敵した。
「中々に凝った演出ですね」
「恐れ入ります」
エバンテは、自分のペースを掴んだ自信に溢れていた。
「つまり、イノシシの鼻が具なのですね」
「そうです。イノシシにとって、鼻は人間の手のような機能も兼ねています。もちろん、嗅覚も人間よりずっと優れています。つまりそれだけ繊細さと力強さを備えた部位です」
説明が終わり、天使は熱スープを一口飲んだ。それからスプーンでイノシシの鼻を削いで食べた。
「意外に柔らかい食感ですね。それに……イノシシの鼻はすりリンゴに胡椒を入れて作ったソースにあらかじめ漬けましたか」
「またもご賢察です」
「大変美味でした。ありがとうございます」
こうした勝負は大抵そうだが、他人の作った物がやたらに優れて見える。アジカンは我知らず歯を食い縛り、天野は自分の両手を胸の前で握り合わせた。
「次は、イワシラ・ウグイドン組ですね」
天使が言うや否やテーブルの上はまっさらになった。
「はい」
「はい」
ほぼ同時に答え、二人は進みでた。イワシラは、アジカンをほんのちらっとだけ見たもののすぐに視線を戻した。
「料理の名前をお願いします。特別な食べ方があればそれも」
「料理の名前は『山の幸おこわ』です。そのまま葉をどけて、お好きなようにお召し上がり下さいませ」
「分かりました」
エバンテ達の料理のあとで、おこわとは少々地味に思えた。
ポーカーフェイスを保ったまま、天使が葉をどけると、何かの蔓で丸く縛りつけられた鳥の胸肉が現れた。アジカンが仕留めたカラスだ。天使がナイフとフォークで蔓を切ると、肉がひとりでに開いて中身が出てきた。おこわなのは一目で理解できる。ウグイドンが加わっているにしては、それほど強い香りはしなかった。
そんなアジカンの印象を他所に、天使は両手を小刻みに動かした。
「美味しいです。焼き干しに近い川魚のダシで米を炊きましたね」
「はい。お米はどういう訳でか収穫したら勝手に干して脱穀された状態になりました」
「そういう類は私からの贈り物です。アジカン・天野組以外は丸腰ではありますが、極端にハンデをつけ過ぎてもバランスがまずいので」
単に、自分が食べられる料理の可能性に制限をつけたくなかっただけなのかも知れない。さすがに、アジカンとしてはそこまで口にするのは控えた。
「ああ、そうだったんですね。ありがとうございます」
「ともかく、カラスの肉に川魚のダシは想像以上に良く合います。おこわのモチモチ感と鳥肉の程よい硬さも立体的で巧みです」
「それだけではありませんよ」
イワシラがいたずらっぽく笑い、一瞬首を傾げた天使は目を見開いた。
「私の吐息に……スパイスの香りが……」
「はい。時間差でお口の中にスパイスが効くようにしました。その秘密は蓋代わりの葉にあります。これには、ごく弱い作用ながらわずかに鼻を痺れさせる成分が入っています。時間にすれば数十秒で消えますが、それから様々なスパイスが効いてくるのです」
ウグイドンがこれほど理路整然と説明をするのを初めて聞いた。
「非常に良く分かりました。ありがとうございます」
そこで、空になった食器が消えた。
「最後に、アジカン・天野組」
「はい」
異口同音に二人は答えた。
「料理の名前をお願いします。特別な食べ方があればそれも」
「料理の名前は『川魚入り鳥胸肉ロースト栗パセリソースがけ』です。お好きなようにお召し上がり下さいませ」
「分かりました」
天使の手が料理に伸びるのを見ながら、名前が長すぎたか、食べ方の説明に芸が無さすぎたかと後悔に似た気持ちがぎりぎりとアジカンの胸に迫った。
「他の二組にはない、ユニークな味です」
「あ、ありがとうございます!」
つい叫んでしまったアジカン。
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