その上でビニールシートを消してロープを掴む。
「待たせたな。生きてるか?」
「もう死にそう……」
横倒しの姿勢で伸びている、松の大木の幹でイワシラはぐったりしていた。
「鳥肉食って元気だせ」
「トリニク!? 痛いっ!」
がばっと跳ね起きかけて、顔をしかめてまた背中を幹に預ける。
「まずはここをでないと。命綱をつけるからじっとしてろよ」
「うん」
岩棚から垂らしたままのロープを二本、イワシラの腰に回さねばならない。しかし、本人が寝たままだとやりにくい。
「上半身だけ起きてくれ」
「分かった」
すると、しゃがんで作業するアジカンの上半身にイワシラのそれが向かい合って密着した。
「ねえ、アジカン」
「なんだ」
「この前、浜辺で僕のこと興味ないって言ったよね」
「お互いにな」
「僕、本当は違うんだ」
「こんなときに言う台詞じゃないだろ」
ロープがなかなかうまく回せない。
「僕、やっぱり……君が好き」
「……」
「君が天野さんのこと好きなままでもいいから……」
「俺も好きだ。というより好きになった」
「えっ?」
「何度も言わせるな! 好きだ!」
「アジカン……」
身体を離して両手でアジカンの両腕を緩く掴んだイワシラは、目を潤ませた。
「『私』じゃなくて『俺』になったんだね」
「そっちかよ!」
そして二人は抱き合った。キスするのに時間はかからなかった。
「乙女のファーストキスだよ」
「うまかった」
「ええっ!?」
「すまん、冗談だ」
「もうっ、可愛らしいとか素敵とか色々あるでしょ?」
「じゃあ素敵だ」
「じゃあって何だよ!」
「い、いや……」
「えへへ。冗談だよ。さっきのお返し」
「こいつ……さっさと上がるぞ」
ロープをつけ終わり、アジカンはイワシラを先に歩かせた。自分はすぐ後ろでいつでも支えられるようにしておく。
幸いにも、イワシラは手足に深刻な打撃を受けていないようだ。まだ見ぬ鳥肉への執着もあるだろう。アジカンへの想いがどれくらい作用しているかは不明瞭にせよ。
それやこれやでどうにか松から岩棚を経て山道に復帰できた。
「アジカン、ありがとう」
「あ、ああ」
改めて言われると恥ずかしい。
「鳥肉食べよっ」
「そうしよう」
アジカンは調理台を用意した。水道に繋がってはいないが、水を入れたポリタンクがあれば済んだ。火元は携帯ガスコンロで足りる。
カラスの胸肉ソテー
一、胸肉から皮をむ……。
「腕が痛くて思うようにナイフが使えないなあ」
「俺が手伝うよ」
「お願いしていい? じゃあ、ナイフの刃を寝かせて……そうそう、滑らせるようにして。筋がいいね」
「釣った魚を自分でおろしたりしているからかな」
一、胸肉から皮をむく。皮はまずくて食べられないので捨てる。
ニ、肉は薄めに……。
「欲張りすぎだよ。カラスは肉が堅いから、薄くしないと食べ辛いよ」
「そ、そうか」
「ほら、こうだよ」
イワシラは、右手をナイフになぞらえアジカンが真似するのを期待して肉を切る真似をした。
ニ、肉は薄めに切り、表面に切れ目を入れる。
三、上記ニと別個に酢、砂糖、醤油、赤ワインを……。
「どばどば入れちゃ駄目だよ。味見しながら少しずつ」
「分かった」
三、上記ニと別個に酢、砂糖、醤油、赤ワインを適量まぜ、肉は入れないまま軽く煮込む。
四、上記三と並行して、上記ニに塩コショウをほどこしたあと……。
「バターと一緒くたに炒めるんじゃなくて、まずバターを溶かしてから肉を炒めるの」
「良し」
四、上記三と並行して、上記ニに塩コショウをほどこしたあとバターで炒める。
五、上記四に上記三をかける。
料理が仕上がると、アジカンは再びビニールシートを広げた。ちゃぶ台に食器を並べ、できたての料理をそれぞれよそった。
「頂きまーす」
唱和してからナイフとフォークを手にする。
「ちょ、ちょっと堅いけど美味しいよ」
「イワシラの口ももう少し堅くなるといいな」
「失礼ね!」
そう言いつつも満更ではなさそうだ。
「ご馳走さまでした」
皿も空になり、余計な品をまとめて消すと山道に二人が残った。
「アジカン……元気もでてきたけど、これからどうしよう」
返事をする前に、スマホで時刻を調べた。午後二時を回っている。
陽の高さからして、日没まで五時間足らずだろう。
「お互いのパートナーを見つけて合流しよう。勝負は勝負として決まり通りにすればいい」
「時間までに見つからなかったら?」
「まだ肉は余ってるし、別な料理を考えよう」
「いいね、それ!」
実のところ、あてもなく探し回るのは愚の骨頂だ。何でもいいから手がかりがいる。
「おお~い、イワシラーっ!」
「口腹くーん!」
手近な木にでも登ろうかと思っていたら、一度に手間が省けた。
「先生、こっちです!」
「口腹君? どこなの?」
声が届くからには大した距離ではないはずだが、木の枝や葉が邪魔ではっきりした特定ができない。
「アジカン、雑草を燃やして狼煙を上げるんだ」
「良し」
軍手をはめ、適当にむしった草を手鍋に入れて火をつけると結構派手に煙が昇った。
「煙のところにいるのかー!?」
「そうだよ、ウグイドーン!」
「天野とそっちに行く!」
十数分後、ようやく四人は合流した。ウグイドンと天野は衣服がところどころ破れ、髪もボサボサになっている。
「イワシラ、どうしたんだ」
「ごめんよ、ウグイドン」
イワシラがいきさつを説明した。さすがに、アジカンとの関係については触れずに済ませた。
「そうだったのか……。俺は、イワシラを探す内に谷川に落ちてな。アジカンを探していた天野に助けられた。ついでに川魚をとってきたよ」
「じゃあ、お互いにちょっとずつお魚とお肉を分け合わない? そうすれば面白い勝負になるよ」
「おっ、なかなかいいアイデアだな」
イワシラの提案に、ウグイドンは目を輝かせた。
「口腹君はどう?」
「はい、異存ないです」
「私も」
全員の意見が一致し、かくて本来のチームが再成立した上で食材は公平になった。
「僕達はこの場で料理の試作に入るよ。アジカン達は?」
「もう少し食材を探したい。先生、構いませんか?」
「いいわよ」
「しばらくお別れだね。頑張って」
イワシラが手を振った。
「そっちも」
アジカンも手を振り、アジカンと天野は改めて探索に入った。
「口腹君、なにか当てはあるの?」
二、三分してイワシラ達の姿が完全に見えなくなってから天野は聞いた。
「少なくとも焼き鳥や焼き魚よりは独創的な物を作らないと勝ち目はないです」
分かりきった回答しかだせないのが我ながらもどかしい。
イワシラはガケノバラに手をだして転落した。もう少しさかのぼると天使はチョコレートムースを食べていた。タラフクで口にしてきた食事を振り返ると『旨い』は当然として判別すれば『辛い』か『塩辛い』がほとんとだ。
その一方で、『甘い』は文字通りデザートやお菓子でないと使いにくい。煮物で砂糖を使うのはどこの家庭でもやるが、その反面好みが別れ易いことくらいはアジカンにも分かっていた。『苦い』も魚介類の内臓……例えばサンマ……やサラダや酒のツマミならともかくそれ自体を主菜にするのはなかなか考えられなかった。強いて挙げるならゴーヤくらいか。
さりとてありきたりな品をだしてもイワシラ達にかなう道理がない。
「そうね……歩き回ってばかりだから、甘い物が欲しいわ」
「菓子パンでもあれば助かりますね」
「そこまでじゃないけれど、ジュースくらいは飲みたいな」
その一言が、アジカンの着想に火花を飛ばした。
「時間はかかるかも知れませんが、パセリと栗を探しましょう」
それらは素人でも比較的簡単に見つけられるし採集も大して難しくない。実際、二時間ほどで両方ともそれなりの量を確保できた。
彼としては、大学の文化祭でガソリンを使う小型発電機をつついた経験が幸いした。コンセントつきのコードリールとセットにすれば家電製品が使える。
川魚入り鳥胸肉ロースト栗パセリソースがけ
一、鳥胸肉はカラス肉を使用。あらかじめ皮をはぎ、薄くそぐように切ってロール状にし、つま楊枝を刺して形が崩れないようにする。
二、川魚は大きい物なら三枚におろし、小さければウロコをはいで内臓を取り除いて頭を落とす。
三、上記一に塩コショウし、オーブンレンジを二百度に設定して焼き始める。二十分ほどしたら一度だして滲みでた脂を鳥肉にかける。
四、栗、パセリ、お湯をフードプロセッサーでペースト状にする。
五、上記三から更に十五分後、上記二を加え改めて脂をかけた上で再度十五分焼く。
六、上記五で最後の十五分がたつ間に、上記四を加熱しておく。そのまま飲める程度の温度に保つこと。
七、上記五が焼き上がったら、上記六をかけて完成。
この料理は、パセリの苦味と栗の甘味が深みのあるコクをだせるかどうかで決まる。単なる鳥肉料理が通用しない以上、ソースのバランスが死命を制するのは自明だろう。
用心を重ねたアジカンは、まず少量の食材だけで試作を行った。天野と共に試食し、加熱時間からフードプロセッサーに入れる食材の順番まで検討する。ただし、日没までの時間から逆算すると数十分で結論をださねばならなかった。
何もかもぶっつけ本番な料理だが、とにかく天使の分はもちろんライバルまで含めた全員に提供するだけの量を作った。と同時に太陽が完全に山の稜線に隠れ、辺りが真っ暗になった。
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