言われずとも、ここで焦って自分自身が行方不明になるのは愚の骨頂だ。
「呼びかけついでにどんな状況か確かめた方がいいわ」
最後の杭で共に待機することになった天野の助言に従うと、途切れ途切れにイワシラの説明が寄せられた。
どうやら彼女は洞窟の中にいるらしい。マンモスは二頭いて、彼女を拐ったのと最初から洞窟にいるのとに分かれている。そして、彼女とはまた別の人間も一人いる。
詳しい情報を知る前に、息を切らしたウグイドンが追加の杭を抱えて走ってきた。改めてイワシラがいるとおぼしき場所を探り続け、ついに洞窟に行き着いた。少なくとも出入口はかなり大きく、それこそマンモスさえ不自由なく入れそうだ。
「イワシラ!」
口腹は何度目か、彼女を呼んだ。いざ目にすると、意外なほど列車からは遠くなかった。それだけに余計にもどかしい。もっとも、それは結果論に過ぎないだろう。
「アジカン!」
洞窟からイワシラが顔を覗かせた。安堵の余り気が緩みかける。真の問題はこれからだ。
「イワシラ! マンモスはどうなった!」
「敵じゃないよ、ウグイドン! 皆で入ってきて!」
悪党にでも脅されている訳でもなし、差し当たり本人が無事ならいいだろう。
仲間達と共に洞窟に入ると、案に相違して足元がしっかり見えるくらいに明るかった。大して入り組んではおらず、すぐに奥までたどり着いた。
そこには、脚を投げ出して座るマンモスが二頭とイワシラ、そしてもう一人の女性がいた。漠然と性別の察しがつく以外はなにも分からない。なにしろ当人は氷漬けになっている。
二頭いるマンモスの内、一頭は明らかに子供だった。右前脚を負傷していて、人間が手当てしたのが一目で理解できる。
氷漬けの女性の正面には石で組んだ簡単なかまどと鍋があり、潰したブドウがかすかな湯気を放っている。
「イワシラが料理をしたのか?」
口腹が聞いた。
「違うよ、最初からあった」
「マンモスの手当ては?」
天野が二つ目の質問をした。
「それも最初から」
「こりゃ野ブドウのジャムだな。察するに、氷の中身が作っていたんだろうが……どうしてマンモスやイワシラは無事で、こいつだけこうなったんだ?」
「僕にも分からないよ。ただ、お腹が減った」
「今どうこうする話じゃないだろ」
さすがに口腹はたしなめた。
「だって、お腹が空いたら何も上手くいかないじゃない」
「こう言っちゃなんだが、氷はどうせ手のほどこしようがないんだし食える内に食うか」
「で、でも……この人、死んでるんでしょう?」
天野は洞窟の出入口へと小さく後ずさった。
「ああ。だから構わないだろ? 腐っちゃいないし」
ことも無げにウグイドンは片づけた。
「そ、そういう問題じゃ……」
「まー、食べたい人だけ食べようよ。丁度、荷物にパンがあるし」
「おっ、いいね。じゃあ俺は付け合わせにベーコンを出すぜ」
「うん」
「あー、先生……」
「私は出入口を見張っていますから」
天野は背中を向けた。
イワシラ達に相伴するかどうか、口腹はかなり深刻に悩んだ。しかし、ジャムの甘い香りとベーコンの旨味に満ちた香りには逆らえなかった。
「私も貰っていいか?」
「どうぞどうぞ。アジカンだって、僕の為にきてくれたんだし」
「ありがとう」
氷の女性を加えて四人で座り、渡されたパンとスプーンでジャムを塗って一口頬張った。疲れが吹き飛ぶ爽やかな甘酸っぱさだ。
「うわっ、氷が溶けてる!」
ベーコンパンをかじりかけたイワシラの手が止まった。天野もこちらに振り向いた。
「あたしのジャムを勝手に食べたな!」
「わーっ! 死体が喋った! というより生き返った!」
ウグイドンも腰を抜かした。
「失礼な! あたしがいつ死んだ?」
髪の毛先から溶けた氷を滴らせながら、女性は言った。それでようやく、団子状にまとめた灰色の髪と青い瞳を備えた若い人物だと知れる。
「だ、だって氷漬けに……」
「美味しい物を食べたら氷になる。わざわざ説明するまでもない!」
「いや、それは説明せねばならんだろう」
口腹は悠々とパンをかじった。ゾンビ映画や呪いが云々では無さそうだから、十分に対応できる。
「あんた達、そもそも『氷の調理人』ことこのエバンテ様を知らないの?」
「知らない」
口腹は三口目を始めた。
「俺は知っている!」
「僕も!」
「ふん、多少は世間が分かるようだ。特に、筋肉質の方は『食えば踊る』亭のウグイドンね」
「ど、どうしてそれを!」
「ウグイドンって、『食えば踊る』亭ってお店の人だったの?」
イワシラがわざわざ話をややこしくした。
「最近売り出し中の店として評判だからな。もっとも、私が氷りつくまでもなかったようだが」
「そもそも、何故氷にならねばならないんだ?」
尋ねながら、口腹は四口目に至った。
「あたしの料理は万人の舌を下僕にする! 下僕とは考えが凍りついた状態だ! だから凍る!」
「自分自身もか?」
至って冷静に口腹は指摘した。令嬢の幽霊になったり虹色のガスが出たりする人々と一緒にいると、氷になるくらいはむしろ可愛らしい。
「そうだ! やっと気づいたか!」
「じゃあマンモスの子供は?」
五口目になると、パンは半分以上減っていた。
「その辺でケガをしていたから手当てしてやった。すると、この洞窟まで案内してとっておきの野ブドウを振る舞ってくれた。それを調理して味見したらこうなった。先回りしておくが、普段は凍らない程度にほどほどの調理しかしない」
「この吹雪もあなたに影響を受けたのね」
いつの間にか天野も口腹の隣に座っていた。
「そうだ。これはあくまで精神的な物だから実際に凍るわけではない」
確かに、最初から少しも寒くなかった。
「マンモスは何とかお宅を助けたくてイワシラを連れてきただけのようだな」
口腹はパンを全て平らげた。
「列車に帰りましょう」
「待て! 待てーい! あたしのジャムをむしゃむしゃ頬張っておいて食い逃げは許さん!」
「なら金を出そうじゃねえか」
「それでは釣り合わない、ウグイドン! 料理には料理で償ってもらう! それであたしを納得させて見ろ!」
段々面倒な事態になりつつあった。とはいえ彼女の言い分も少しは理解できる。少しは。
「だが、食材らしい食材がない」
口腹の反論に、相手はふんと鼻を鳴らした。
「天気も回復したし、この辺は元々草原だ。その気になればいくらでも手に入る」
「皆、どうする? 私は乗り気だ」
「賛成! 面白そうだし」
「俺も、調理人が食い逃げするわけにはいかないな」
「はーやれやれ。あなた達を見張る役目が必要みたいね」
「決まったか。なら、今日の日没が期限だ。好きに始めろ」
「その前に、私は口腹……タラフクではアジカン。お宅は?」
「エバンテ。タラフクではというが、タラフク以外にどんな世界があるんだ?」
「じゃあ、ここはタラフクなのか?」
我ながら間抜けな質問だと自覚するアジカン。
「当たり前だ」
「ある意味安心したよ。とにかく始めよう」
こうして、アジカン達は外に出た。そして目を見張った。
色とりどりの花が咲き乱れ 清らかな川がさらさらと流れる一方、空には小鳥たちが飛んでいる。さながら 天国のようだ。
「私のいる世界では秋だけれども、タラフクでは春なのかな?」
「タラフクでも秋だよ」
イワシラが目を輝かせながら答えた。
「ひょっとしたら天使の影響かもしれないわよ」
「いずれにせよ食材を調達するのに苦労はしなさそうだな。問題は何を作るかだが」
天使は肉が食べたいと述べていたが、もちろんエバンテとは関係ない。あのマンモスの親子にしても、殺して食べるという気にはなれなかった。第一量が多すぎる。
「エバンテ……ちょっとお話しただけでも相当変なのだし、普通の料理じゃ手も出さないと思う」
そういうイワシラも大概だとアジカンは思った。しかし、さすがに言葉には出さなかった。
「見た目は肉そっくりだけれど肉じゃないっていう料理でもあればエバンテも納得するかもしれないな」
何気なくウグイドンが呟いた。
「それいいかもしれないわね。精進料理でそういうのがあったと思うけど」
「大豆がいりますね」
「それならタラフクにもあるよ」
イワシラが間髪を入れずに教えた。
「ここなら、どこかに野生の大豆があってもおかしくないな。正確には大豆の御先祖様か。手分けして探そう」
「でも……少なくとも私は野生の大豆なんて知らないわ」
「俺の本を貸してやるよ」
ウグイドンは、自分のリュックからボロボロになった一冊の本を出した。『タラフクにおける各種の食材』という題名がついている。
「えー、野生の豆……野生の豆と。あ、これだ。ツルマメ。名前の通り、つるで伸びる植物だよ。このページのイラストを参考にして探すといい」
「僕は食材に使ったことあるから本は無しでいいや」
「ありがとう。私と口腹君で使わせてもらうわね」
「関係ない奴を間違って選んでしまう可能性もあるから、一応つるごと取っておいて くれ。俺とイワシラで突き合わせをする」
「そのやり方なら間違わずに済みそうだな」
アジカンは、ウグイドンの細かい慎重さに学ぶべきものを感じ始めていた。
それからは、何時間かをかけて豆探しに勤しんだ。結果として数人分の食材になる ツルマメの実が得られた。
エバンテの待つ洞窟へ帰る前に、下ごしらえを終えておかねばならない。
まずはツルマメの実を剥いて中身を取り出す。次に、それをボウルに入れて水に浸す。本来は冷暗所で一晩寝かせるのが筋ではあるものの、時間がないのでイワシラの持つそれを使う。同じ条件が五分で完了した。膨らんだ豆を、水を換えて数十分煮込む。これは特別な道具を使わずに行った。豆が煮えたら、煮汁を別個にして小麦粉を加えながら潰す。練り大豆粉の完成である。
「もう黄昏時に近いな」
西の地平線を眩しそうに眺めるアジカン。草原が金色に染まって見事な光景だ。のんびり鑑賞する暇がないのは実に惜しい。
「調理の時間も考えると余裕がないぜ」
ウグイドンが促した。速やかに去らねばならない。
「ただいま~!」
洞窟の奥で、元気良くエバンテに挨拶しながらイワシラは軽く手を振った。
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