気絶するほど異世界グルメ

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一口目 夢中に美食 一

公開日時: 2020年10月6日(火) 18:10
文字数:4,104

 こんな美人と差し向かいで食事になりつつあるとは。今更ながらに、口腹はしみじみと幸せな気分に浸った。


 二十歳前の男子大学生として……中堅私立の文系だが……、平均より少し背が高いくらいな他は目だった外見をしていない、と自分では思っている。


 そんな彼を前にして、モデル並みの体型に少しウエーブのかかった金髪とほっそりした顎の持ち主がナイフとフォークを優雅に操ってステーキを食べる様子はいかにもちぐはぐに思えた。共通しているのは見た目の年代くらいだ。


 そういえば、ここはどこかのレストランだろうか。個室風のブースで、窓越しに色づきかけた銀杏の並木が見える。通りには人の気配がない。


「あのう」


 折角の雰囲気を壊すのも気が引けるが、ついに口腹は自分から言葉をだした。


「なにかしら」


 口元をナプキンで拭ってから、女性は応じた。


「二つほど質問して構いませんでしょうか」

「どうぞ」

「一点目、何故私には料理がこないのでしょうか。二点目、あなたはどなたでしょうか」


 やろうと思えばいくらでもかしこまった敬語が使える口腹だが、相手は彼でなくとも堅苦しい表現になってしまいそうな美貌の持ち主だ。


「まず一点目。あなたには食事が必要ありません。食べたければ食べられるようにはなりますが、少しあとになります」


 謎めいた言い回しをして、彼女はコップの水を一口飲んだ。


「二点目。私は天使です」


 真顔で断言した直後、彼女の頭上に髪と同じ金色の輪が浮かんだ。そして、肩越しに翼の一部が現れた。


「ありがとうございます。それでは何故、私は天使の食事に直面しているのでしょうか」


 しかも、自分はただ座っているだけとは。


「死んだからです」


 答えながら、天使はフォークをステーキの残りに突き刺した。


「あなたが?」

「あなたが」


 おうむ返しのように否定しながら、次を味わい始める天使。


「私が死んだという根拠はなんでしょう」


 当然至極の疑問に触れて、天使はさっき噛んでいた肉を飲み込んでからまた口元をきれいにした。


「首に手を当ててみなさい」


 言われた通りにすると、なにか固いものが木の枝のように突きでていた。そういえば、まっすぐ座っているはずなのにどこか斜めに物が見える。


「折れた脛椎が首の皮膚を破ったんですね」

「それと、脊椎も折れたし肋骨も内臓もぐしゃぐしゃです。血は消しました」

「それとあなたの食事とどのような関係があるのですか?」

「あなたの方から突然ここにきたのです」

「ええっ!?」

「正確には、路上でトラックに轢かれてそのまま天国への出入り口に近いここまで魂が吹き飛ばされてきました」

「ええっ!?」


 芸のない驚きが二回も続いたが、これで冷静な方がおかしいだろう。


「もっとも、天国は満員に近いです。それに、あなたの場合はまだ肉体的にはどうにか生きている状態でもあります」


 天使と名乗った割には他人事めいた説明だった。


「じゃあどうすれば良いのでしょうか」

「あなた、食べることは好きですか」


 ナイフとフォークを両手に持ったまま、天使がじっとこちらを見つめている。


「は、はい」


 実のところ、食べ歩きが唯一の趣味と言っていい。


「なら、これから私が紹介する世界で色々な食べ物を味わって土産話を私にしてください。そのうち天国にも空きがくるでしょう」

「やっぱり私は死ぬんですね」


 すっかり天使の話に引き込まれている。


「あなたが望むのなら、時間を少々を戻してトラックに跳ねられなくても良いようにしてあげます。ただ、少なくとも一回は土産話を聞かせて欲しいです」

「どうしてそう土産話にこだわるのでしょうか」


 自分の立場を考えると大胆な質問かもしれないが、最後まで納得しないと決断できない。


「退屈だからです」

「退屈?」

「たまに、天国にいけそうにない人間がなにかの間違いで現れます。それを確認するのが私の役目です」

「神様が間違いをするんですか?」

「天使が間違いをするのです。天使ごとに様々な役割を与えられている中で、変に人間に感化されたり同情したりで」


 なにやら人間臭い天使事情だった。とにかく即死は免れそうだ。


「それで決心はつきましたか」

「引き換えに私を生き返らせてもらえるというのなら応じますが、行った先で何か特別な危険などはあるのでしょうか」

「ないとは言いませんが、もし命を落とすようなことがあればそれはそれで元通りの生活に戻しましょう。ただし、記憶は抜いておきます」

「分かりました。ご提案に応じます」

「結構。これからあなたがいく場所は、現地の人々から『タラフク』と呼ばれています。なお、心身共に至って健康な状態に戻しておきます」

「安……安心しました」


 安直な名前ですねと言いかけて、さすがに慎んだ。 


「あなたにとっての地球のような感覚です。チートもハーレムもありませんが、会話や読み書きを始めとする基礎知識はあらかじめあなたの頭の中に刷り込んでおきます。ではご機嫌よう」

「え? まだ知っておきたいことが……」


 返事はなかった。


 一秒とたたずに、口腹はまるで違う場所にいた。


 青白い月光の下、苔むした四角い墓石や薮に覆われかけた細い道が見える。


 次の行動を決める前に、肩をぽんと叩かれた。


「わぁっ!」

「きゃあっ!」


 異口同音とはまさにこれか。背後から響いた悲鳴は若い女性のようだが。


 振り向きたくはない。しかし、真相を知る機会があるのにそれをむざむざ逃すのは 主義に反する。


 振り向いた先には、丸っこく白い右手で自分の良く膨らんだ胸元を押さえつつ左手を自分の口に当てた女性だった。悲鳴から得た印象通りに若く、顎の下に少しだけ肉がついている。ファンタジー映画にでてくる貴族のドレスのような服装をしていて、緑色の髪を頭のうしろで結っていた。


 それら全ては口腹にとって単に外見の細かいデータに過ぎない。問題は、彼女の体は半透明で向こう側が透けて見えることだ。


「ば、化け物ーっ!」


 叫んだ口腹は、回れ右して無我夢中に走り始めた。


 勝手の全くわからない場所をどれだけ走り回ったことだろうか。いい加減息が切れた時、なにかにつまずいて転んでしまった。


「痛ててて……」


 歯を食いしばりながらたちかけた彼の両目に、焚き火とそれにかけられた湯気をたてる鍋が映った。その傍らには、地面に直接横たわっている誰かの姿がある。


「あ、あの……う……」


 どこの誰かは分からないが、少なくとも化け物よりはマシだろう。おずおずと声をかけたが反応はない。


 さっき転んだこともあり、息も切れかかっているせいで再び走りだすにはどうしても時間が必要だった。


 数秒ためらってから、横たわったままの何者かに近寄り用心しつつ軽く揺すった。されるがままにぐらぐら動くだけだ。


 意を決して横たわったままの体を仰向けにすると、先ほど出会った女性の顔そのものが露わになった。特に怪我はしていないようだが、ここまでしても何の反応もない。


「ああ、やっと見つかりました」


 背後からかけられた、安堵しきった声で自分が追いつかれたと悟った。


「私を鍋にして食べるつもりだな?」


 振り向くのは怖いので、口腹は女性の肉体を前にしたまま聞いた。


「え? 私、ゾンビではございませんわ」


 ベタなお嬢様口調で答えつつ、彼女は音もなく口腹の正面に回り込んだ。足元には本人の肉体がある。


「じゃ、じゃ……あ……何の用だ」


 まだ息が切れているのと、苦手な存在であるのとが混じって言葉がもつれた。


「私の身体をどこかでお目にしなかったかと、お尋ねしたかったのですわ。驚かせたのはごめん遊ばせ」

「そこに、あるだろ」


 もっとも、口腹も意識して発見したのではない。ただ、事実を仲立ちにして会話をする内に化け物を怖がるよりこの状況そのものへの好奇心が強まってきた。


「はい。ありがとうございます。あの、私、イワシラと申します。初めまして。よろしければお名前を伺いたいです」

「口……」


 口腹と本名を述べかけて、はたと思い返した。


 ややこしい説明は非生産だ。


「アジカン」


 それは、この世界『タラフク』で食材というくらいな意味を示した。


「まあ。ウフフフフフフ」

「な、なにがおかしい?」

「失礼致しました。少し、その、ユニークなお名前なので」

「とにかく、用は終わったんだろう?」

「はい」

「なら、そもそもどうして化け物になったんだ」

「あら、化け物とはご無礼な。れっきとした幽霊ですわ」

「同じじゃないか!」

「私はゾンビやキメラの類ではございません。そもそも死んではおりません」

「なにーっ!?」


 いきなり矛盾を突きたてられた。


「良く驚かれる殿方でいらっしゃるのね。もう少し落ち着きをたしなまれてはいかが?」

「ゆ、幽体離脱か?」

「違います。理想の霊体にまだ肉体が追いつけないだけなのです。つまり、美食のもたらす快楽と興奮の刺激が私の魂を昇華せしめる一方で未だに卑俗さの抜けない肉体はむしろ余計な重しになって私を束縛する以上必然的に美食に相応しい……」

「あー、結構。それで、元に戻れるのか?」


 この種の早口に付き合わない主義の口腹、ではないアジカンは急激に冷静さを回復した。


「今回は、いささか離れ過ぎて身体の場所が分からなくなっただけですわ。今から戻ります」


 イワシラの霊体がすーっと本人の肉体に溶け込んだ。そして、ぱちっと目を覚ました。


「ふわぁ~あ」


 上半身を起こして両腕を伸ばしながら欠伸したイワシラは、貴族のドレスよりずっと質素で地味な格好をしていた。アジカンのいた世界で表現すると作業服に近い。若干ふくよかな体型だけは変わっていないので、胸が持て余し気味に揺れている。


「あー、アジカンだっけ。お腹減ってない?」

「さっきと随分キャラが違うな」

「幽体離脱すると貴族バージョンになっちゃうんだ。自分でも良く分からないけどまあいいよね。とにかく、君ってパッと見悪い奴じゃなさそうだし。鍋の中身が余ってるし」


 イワシラの右人差し指が導く鍋からは、相変わらず熱気が溢れている。


 なるほど旨そうな香りがした。


「キノコ鍋か」

「分かるの?」

「この香り……椎茸か?」

「そうかな? まあ、焦げる前にどうぞ。食器はまだ使ってないのを貸して上げるよ」


 余り親切過ぎるのもかえって用心したくなるが、天使に会って以来初めて空腹を感じた。

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