気絶するほど異世界グルメ

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五口目 防波堤で美食 ニ

公開日時: 2020年10月17日(土) 12:25
文字数:3,130

 目立ちはしないかと密かに恐れたものの、防波堤には自分達以外の人影はない。


「アジを洗うのとさばくのは俺がやろう」

「私もおろすのを手伝うわ」

「刻むのは僕ー!」


 なめろうは、いってみれば魚肉の生ミンチのような物であるから最後の仕上げに包丁で叩くように細かく刻まねばならない。


 さておき、ウグイドンは大きな革袋とボウルとザルを出した。彼がボウルへザルを乗せると、口腹がクーラーボックスから中身を海水ごとボウルへ注いだ。


 ボウルに溜まった海水を海に捨て、ウグイドンはザルに溜まったアジをボウルに入れてから革袋の栓を開けた。中身は水で、アジの身体についたぬめりや血を落とす。ただし、水に漬かり過ぎると味が落ちるので大雑把で構わない。


 それから、イワシラが予備のナイフとまな板を出して天野に貸した。天野は自分の折り畳み椅子と組立机を出してウグイドンからアジを半分分けて貰い、慣れた手つきでおろし始める。内臓やエラなどはビニール袋に入れ、あとで中身だけ海に捨てる。無論、ビニール袋は洗って持ち帰る。


 ウグイドンもまた、アジを洗い終えたあとの水を海に捨ててから自分の調理台を仮設した。天野と並んで下ごしらえを始める。


 おろした身はイワシラが受け取り、彼女もまた鼻歌混じりに自分の仮設調理台で包丁を振るい始めた。


 アジのなめろう


 一、アジの身(皮は剥くこと)を細かく切る(ザク切りという)。


 ニ、上記一に刻みネギ、生姜、味噌、醤油を混ぜたものを乗せる。


 三、上記ニを包丁で切り刻みながら叩くように混ぜる。


 四、白飯の上に乗せる。


「今回は、食器が足りないのでお結びにしました」


 一通りの調理が終わり、天野が宣言した。一同には一人三個のなめろうお結びがアルミホイルに包まれて渡されていた。


「では……」

「待て、口腹。引いているぞ」


 ウグイドンが、海に投げたままの口腹のウキを示した。沈みかけたり急に浮いたりしている。


「おっと」


 慌ててお結びをウグイドンに預け、竿に飛びついてリールを巻き上げる口腹。アジが一匹だけかかっている。


「ねえ、どうせならそれ頂戴。食べてる間生き餌にして投げるから」

「賛成だ」

「私もそう思うわ」

「調理もしてくれたことだし、いいだろう」

「わーいありがとう!」


 イワシラは、自分の調理台にお結びを置いてから手早く竿を出した。仕かけはあらかじめ何種類かを自作してきているのでワンタッチでセットできる。その間、口腹は海水を入れたバケツにアジを入れて弱らないようにしておいた。


 イワシラはアジの口から鼻へと親針を刺した。次に、背中に孫針を刺した。つまり、一つの仕かけに枝糸を一本つけて二本針にしてアジをかけた。このやり方は生き餌が弱り易くなる反面獲物を逃がしにくくなる。


 投げ竿での遠投はある程度の練習が必要だ。イワシラは良く周囲を見回して安全を確かめてから、腰を据えて肘と肩を滑らかに連動させた。風を切る音と共にアジは生きたまま百メートル先の海面に着水した。


「これで良しっと」


 竿受け用の台に竿を据え、イワシラは改めてお結びを手にした。口腹もウグイドンからお結びを引き取った。


「頂きます」


 海に向かって横一列に並んで座り、唱和してからめいめいお結びを頬張り始める。


「おいっしーい!」


 イワシラが飯粒を口の端につけながらはしゃいだ。


「おかしい……」


 口の中のお結びを飲み下してから、口腹は疑念に眉を歪ませた。


「おかしい? 何が」


 ウグイドンは、誰よりも早く最初の一個を平らげている。


「何かが……足りない」


 特別な現象が起こるはずなのに。いや、特別な現象とは。それさえはっきりすれば記憶が全て明らかになるのは自信があった。


「あっ、引いてる!?」


 イワシラが、テーブル代わりにしていた自分の仮設調理台に食べかけのお結びを置いて竿に近づいた。最初に軽くしなった穂先が大きく曲がり、激しく震えている。


「よいしょっ!」


 竿を両手で握り、彼女は素早く鋭く立てた。途端に満月のように竿はしなった。


「ううう~っ!」


 仮にヒラメがかかったのなら、平べったい形のせいで水圧がかかるから余計な力がいる。


「イワシラ!」


 黙って見ていられなくなり、口腹もイワシラの隣で一緒に竿を握った。操縦桿のように竿を立てるが、ともすれば海面に引き込まれそうになる。竿はしなることで魚の力を吸収して疲労させるように出来ているので、竿と糸が水平に近づけば近づくほど糸が切れたりリールが壊れたりし易くなる。


 普通は、いくら大物でも地続きの防波堤でそこまでの魚がかかることは滅多にない。イワシラ一人ならともかく、二人がかりでもまだ足りない。


「何やってる!」


 焦れったくなったウグイドンが、口腹とは反対側にきてイワシラの竿を支えた。


「うおっ!」


 魚は観念するどころかますます強い力で抵抗した。


「ひ、引きずりこまれる!」

「みんな!」


 イワシラの悲鳴にたまらず天野も加わった。丁度、口腹とイワシラの間に割り込む形だ。


「うう~っ!」


 食い縛った口腹の歯から呻きが流れ出た。


「くそーっ!」


 ウグイドンも懸命に腕の筋肉を盛り上げている。


「わーっ!」


 釣竿ごと引きずられ、口腹達はまとめて海に落ちた。


 バシャアッ! 一同は海面から防波堤に上がった。ずぶ濡れのまま手をつき呼吸を整えるので精一杯だ。


「これはこれは皆さん。ご趣味のいい現れ方だこと」


 鼻にかかる気取った言い種には、口腹も露骨に思い起こされた。相変わらず灰色の髪で、細身の身体に良く似合っている。


「エバンテ!」


 イワシラが親しみを込めて呼びかけた。しかし、エバンテは返事をしないまま横を向いた。


「食材の代わりに変な魚が釣れたようだけど」

「餌代が銅貨二十分の一枚分損になった」


 冷ややかに計算高いコメントを口にしたその男性は、口腹ことアジカンより更に若いようだ。背はアジカンとほぼ変わらないものの、赤い髪は短く刈り揃えてあり茶色い瞳を備えた両目は細く長くアジカン達に注がれていた。


「著しく細かい人間だな」


 服の裾を絞りながら、アジカンは立ち上がった。


「誰だか知らんが他人の計算に干渉するな」

「エバンテ……あんた、俺達と大豆バーガー食ってたんじゃないのか?」


 ウグイドンが聞いた。


「いつの話だ」


 彼女の不機嫌そうな顔には、嘘や冗談は欠片も見当たらなかった。


「ねーねー、食材って何か作るの?」


 イワシラが割り込んだ。


「あんたの知ったことじゃない」


 素っ気なくあしらうエバンテの背後で、細かい計算を述べた若者は新しい餌を釣針につけた。各種の釣道具は、口腹の世界で使われているものと少なくとも変わらない見た目をしている。


 そう言えば、アジカンにせよ仲間達にせよ着のみ着のままだ。


「さて」


 と、新しい餌のついた仕かけを軽く海に投げ入れてから若者は改まった。釣竿は右手に持ったままだ。

「銅貨一枚。端数切り上げに基づく。迷惑料と手数料を含む」


 自分より更に若そうな人間から、そんな要求と右手の平を同時に突き出された。


「はぁ?」


 素でアジカンは機嫌を損ねた。


「ひょっとして……さっき無駄にしたと言っていた餌代について私達に請求しているのかしら?」


 困ったような呆れたような、判別しにくい表情を天野は浮かべていた。


「分かりきった話だ。貴公らがどんな形で現れようと関係ない。単に私に損失を負わせたことが問題なのだ」

「それは考えが間違っていますね」


 滑らかに天野は指摘した。


「根拠は?」

「まず、釣餌は消耗品です。未使用ならともかく、使用した瞬間、どのような理由であれ消耗され価値はなくなります。次に、私達と釣餌の消耗その物に明確な因果関係が証明されていません」

「貴公らが私の釣糸に捕まって海中から出てきたのだが。証人もいる」


 エバンテはかすかに胸を反らせ、まっすぐな身体の線が体操選手のようにしなった。

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