二人でかかり始めてからは相当に能率が上がっていて、残り三割といったところではあった。
「アジカンって、変なとこで分かり易いよね」
「うるさい。まだ何も返事をしてないだろう」
「でも動揺してるし」
「してない」
「僕はどう?」
唐突に、ドがつくほど直球な質問がきた。最早アジカンはスコップを動かすことさえできない。
「イワシラはタイプじゃない。悪いけど」
「うん、僕も」
一際大きな波が二人と甲羅を包んだ。
「わあっ!」
ズボンが濡れそぼり、思わずアジカンは叫んだ。
「うふふふっ、アジカンびしょびしょ!」
「イワシラも同じだろうが!」
塩水につかり、べったりとまとわりつく衣服がうっとおしい。それはイワシラも同じはずなのに、上着やシャツを通してうっすらと下着が見えた。
「ちょ、ちょっと待て。服が……」
「早く掘り返さないとまた埋まっちゃうよ」
髪の先から滴を弾いて、イワシラは再びスコップを砂に刺した。随分傾いた西日にうなじが光る。
「お、おう」
もたもたする余裕はない。ある意味で雑念を消すのにも役だつ。
「良し、引っ張りだそう」
「うん」
大方は甲羅の姿が現れ、二人は発掘を止めて縁に手をかけた。
「うんしょ、うんしょ」
「うーっ、むむむ……」
甲羅にかかった砂はほとんど取り除いてある。それでも難物だった。甲羅そのものも中々の重さだが、じわじわと動き始める。
「うわっ!」
完全に抜けた甲羅を手にしたまま、急に軽くなった反動で二人はひっくり返った。イワシラにアジカンがのしかかる形で。
「す、すまん」
「ううん、いいから」
ただでさえ衣服が肌に密着しているというのに、イワシラの柔らかく満ち足りた胸の感触が強く伝わってきた。
その上、たとうとして両膝を曲げたイワシラは、図らずもアジカンのそれを挟んで包む姿になった。
「アジカン……」
「な、なんだよ」
「僕、なんか変な気持ち……」
「こんな場面で言うなよ。俺から離れるから」
「う、うん」
「これくらいでいいかしら?」
大量の流木がアジカンの後頭部に落下した。
「いてっ! いてっ!」
手で木を払いながら身体を起こすと、天野が不機嫌そうに腕を組んでいる。
「勝負の途中でしょう? なにやってるの」
「い、いえこれは誤解で……」
「甲羅をひっくり返った時に転んだだけだよ」
イワシラがシャツやズボンから砂をはたき落としてたち上がった。
「ならいいけど、あなた達……」
「あっ、ウグイドン!」
イワシラが嬉しそうに腕を伸ばした先に、海面から頭をだして軽く左手を振るウグイドンがいた。脇にある防波堤ではエバンテ達が釣りをしている。
ウグイドンは抜き手も鮮やかにクロールで海岸に近づいた。少し待つ内に、背が届くくらいまで浅い箇所に至りたくましい胸板が目に入るようになる。上半身が完全に海からでるようになって初めて、右手にロープの端が握られているのが見て取れた。
「無事で良かったわ、ウグイドン」
アジカンとイワシラを置いて、天野はくるぶしを潮に浸しながら出迎えた。
「ああ、だが本当の力仕事はこれからだ」
ウグイドンはロープの端を自分の胸元まで掲げた。モリはウミガメに打ち込んだのだから、全員で綱引きよろしく引っ張り上げねばならない。
アジカンは、ウグイドンはもちろん他の仲間全てを伴いすぐに取りかかった。最初はロープのたるみをなくしていくだけだったが、やがて一直線になると本当に運動会さながらになった。とにかく力が強い。
「ウ……ウグイドン、どれだけ大きな奴なんだ?」
いつまでたってもロープはびくともしない。せめて相手の大きさくらい、アジカンは知りたかった。
「大した……もんじゃない。だが……俺だって……初めてなんだ」
ウグイドンも予想外の苦戦ぶりだ。
「爬虫類って……力が強くて当たり前よ」
天野のかかとは砂にめり込んでいる。
「ウミガメのスープ……ソテー……もつ煮……お刺身……」
イワシラはぶつぶつ呟きながらロープを引っ張っていた。
どれくらい膠着しただろうか。わずかずつだがロープが陸地側に寄り始めた。一度そうなると、じわじわと手応えが実感されていく。
ついに、波打ち際にウミガメが姿を現した。左後ろヒレの付け根にがっちりとモリが刺さっている。まだ死んではいないようだが、ぐったりしているのは間違いない。
アジカン達を手で軽く制し、ウグイドンはウミガメを踏みつけながらモリの柄を両手で持って引っ張った。細長い傷口を残してモリが抜けると、今度はウミガメのうなじに突き刺した。ウミガメは甲羅に首を引き入れることができないので、これが最も確実なとどめになる。
「解体はウグイドンに任せて、我々は掘りだした甲羅を洗って流木に火をつけよう」
「うん」
「そうしましょう。それと、流木を集めているときに小さな川を見つけたわ。真水が流れてるからバケツに汲んできておいたから」
「すごーい! 足りなくなったら僕も汲みにいく!」
「私もです」
非力だが観察力と機転は鋭い天野だった。
ウミガメの命を無駄にしないためにも、グダグダは許されない。
全ての準備が終わったとき、夕陽が水平線にさしかかっていた。ウミガメを仕留めた主役はウグイドンであるから調理も自然に彼が音頭を取った。
ウミガメのスープ
一、ウミガメは首を落として血抜きし、背甲と腹甲の継目にナイフを入れて切り離す。
二、内臓と筋肉を別々に分け、胃と腸は切り開いて良く洗う。肝臓は胆嚢を外してから切らずに良く洗う。心臓も切らずに良く洗う。筋肉も洗う。胃、腸、肝臓、心臓以外は無理に食べなくとも構わない。
三、上記二の内、筋肉を食べやすい薄さに切る。
四、適切な容器で湯を沸かし小魚などでダシを取る。
五、上記二、三を四に入れて煮込む。
今回は容器がないのでアジカン達が掘り起こした甲羅を臨時に使った。
「煮えたな」
日焼けした右腕を、同じように日焼けした左腕でさすりながらウグイドンは言った。
「そう言えば……どうやって持っていくの?」
調理現場から防波堤までかなりの距離があるのは、イワシラでなくとも把握しているはずだった。
「ウグイドンが捕獲した方の甲羅に、鍋代わりに使っている甲羅を乗せよう。そうすれば手を火傷せずに運べる」
「少し持ちにくいが、そうしよう」
アジカンの発案にウグイドンがうなずき、かくて四人はこの上なく慎重を期して甲羅に甲羅を重ねた。それから各自で縁を持ち、出発した。
「時間ぎりぎりだな」
釣具をしまい、手まで洗っていたエバンテはアジカン達と甲羅をかわるがわる眺めた。
「間に合ったものは間に合った。下に置くから好きなように食べろ」
アジカンが言い返し、甲羅は防波堤に置かれた。
「ふん。問題は味だ」
エバンテは甲羅の前に座り、オヒョウドも彼女に続いた。皿や箸は二人とも自前のを持っていた。対照的に、アジカン達はなんとなくたっていた。
「うっ……」
一口食べたオヒョウドは絶句した。彼が持つ皿にはスープとウミガメの肉が入っていたはずだが、それらはミニチュアの平原になっている。
「う、旨さが……平原を駆け抜けている……」
オヒョウドの憎たらしい態度を知っているだけに、本人の口をついてでた詩的な表現と皿に展開した平原には……幻なのだろうが……仰天せざるを得なかった。
「み、認めたくない! またしても! またしても雪嵐が……」
オヒョウドの隣で、エバンテの身体が凍り始めた。
「じゃあ文句なく満足だな?」
アジカンからのとどめの一言で、エバンテ達は絶句しながらうなずいた。
「手近な村までいくための物資を分けて貰おうか」
ウグイドンが促した。
「それは約束する。だが、エバンテをどうやって元に戻すか……」
「戻しても構いませんが、私達を対等な仲間として認めなさい。それから、釣餌程度でとやかく言わない度量を身につけること」
いかにも経済学の講師らしく、天野はエバンテに迫った。
「い、いいだろう……ああ、爽やかな一陣の風が緑豊かな草原を駆け抜けて我が舌に至り……」
「ほっといて僕達も食べよう」
イワシラは、ポケットから折り畳み式のフォーク付スプーンをだした。
「そうだな」
ウグイドンも似たような道具を持っていた。
「あー……我々は……」
アジカンと天野は釣具以外は本当に手ぶらだ。
「アジカンには僕のを貸すよ。一緒に使お」
「ええっ?」
「いいじゃん、僕気にしないし」
「俺は天野に貸すか」
「そうね」
そんな要領で二人ずつペアになった。雪嵐を起こしつつあるエバンテと、平原になった皿を眺めてポエムをぶつぶつ呟くオヒョウドとを鍋越しに面しながらウミガメスープをつつく。
「うんまーい!」
忘れかけていたが、ウグイドンの全身から虹色のガスが放出された。
「最高ですわ!」
イワシラの身体から令嬢の霊体が抜け出た。
「またあたしの食べ物を勝手に食べたな!」
エバンテが急激に復活(?)し、雪嵐は止んだ。
「おおっ、確かに元通りになった!」
喜ぶオヒョウドの皿も料理が乗っている。
「ご満足頂けて光栄ですわ」
イワシラの霊体が優雅に礼を述べた。
「うるさい! せっかく凍りついていたのに!」
「早く食べないとスープが冷めるぞ」
イワシラの肉体が止まっているのをいいことに、アジカンはひたすら食べ続けた。
「ウグイドン……いちいち食器をぬぐうのは面倒ね。アジカン達みたいにそのまま貸し借りしない?」
「そっちが良けりゃいいぜ」
天野のいささか大胆な提案を、ウグイドンは遠慮なく受けた。
肉を一切れすくったアジカンの背後で、なにかがかすかに動く音がした。一羽の鳶がアジカンの頭に着地し、甲羅に嘴を突っ込んで一番大きな肉をくわえてからまた飛び去った。
頭を発着場にされたアジカンは、イワシラのフォーク付スプーンを持ったまま気絶した。
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