突如として飛び出したメアリー。
驚いたキューシーやカラリア、アミはとっさに足を止めた。
たまたま通りがかった民衆は、恐怖に叫び声をあげながら二人から距離を取る。
「メアリー、あんた何をっ!?」
「鎌の刃が見えない何かと衝突している……」
「えっと、アナライズ……あのハデな人、魔術評価8000もあるよ! たぶんアルカナ使いだ!」
再びメアリーの前に現れた、死んだはずのマグラート。
しかし彼の体は無傷で、魔力もあの日と同じまま。
つまり、真正面から打ち合ったところで、メアリーの鎌は止められない。
「今さら『隠者』程度の力では!」
「……ですよねェ」
透明の球体は切り裂かれ、マグラートに刃が襲いかかる。
軽く後ろに飛んでそれを避けると、
「うまく釣られてくれたんだ。こっからは俺のペースで行くぜぇ?」
己の体に透明の球体を貼り付け、姿を消した。
光も音も気配も消える、完全なる隠蔽――また、あのときと違い、彼にフランシスの一部が付着していることもない。
感覚による追尾は不可能である。
「逃しませんッ!」
「逃げねえよ、ここは俺の袋小路だ! ヒャハハァッ!」
声だけが聞こえてくる。
その音を頼りに斬りかかるメアリーだが、空振り――もうマグラートはそこにいない。
メアリーは背中から腕を生やし、それを振り回して彼を探す。
「メアリー、そいつどうすんのよ!」
「放置するわけにはいきません。マグラートの相手は私がします、みなさんは進んでください!」
メアリーはそう告げながら、咄嗟に体をひねって攻撃を回避した。
見えないが、間違いなくそこにマグラートが放った球体は存在したのだ。
彼は近くにいて、それを操っている。
だがどう探しても姿は見えず、その手がかりすらない。
「ならわたくしたちも加勢を!」
「キューシー、待て」
「何よカラリア!」
「……血の匂い。向こうから流れて来ている」
「まだ何かが起きて――」
キューシーがそこまで言いかけたところで、遠く離れた場所で爆炎があがった。
少し遅れて、爆音が空気をビリビリと震わせる。
アミは言った。
「この嫌ぁな感じ、天使と似てるね!」
「またあの化物が出てきたっていうの?」
「ドゥーガンに付き従う人間は残り二人、だったな」
「まさか――」
人間を“天使”に変えるという、謎の血液――量産は難しいと言っていたが、二個ぐらいなら、十分にありえる数だ。
それに化物が残ってしまえば、たとえドゥーガンを殺せても戦いは終わらない。
加えて、スラヴァー領の維持のため、キューシーとしては被害は最小限に抑えたいわけで――どのみち、“倒す”以外の選択肢は無いのだ。
「あっちのほう、私が行ってくるね。今度は一人で倒してみせるからっ! リベンジだぁーっ!」
返事も聞かずに、アミは足の裏から車輪を生やし、猛スピードで爆心地へ向かっていった。
「あっ!? アミ、ちょっとは考える時間を!」
「おいキューシー、こっちも来たぞ!」
「だあああっ! わかったわよ、わたくしたちがあいつらの相手をしたらいいのね!」
逃げ惑う民衆を、銃を持った兵士たちが追い立てる。
いつの間にか兵士は隊列を組んでおり、まるで民を押しつぶす壁のようにぞろぞろと――大隊クラスの人数が、死体を踏み歩く。
「って多いわね、どんだけ裏切ってんのよ!」
「操られている。別のアルカナ使いか、それとも」
「人は貴重な資源だけれど、放置したら余計に死者は増える。仕方ないわね――」
キューシーは目を閉じると、息を吐き出した。
兵士たちは一斉に足を止め、敵であるキューシーたちに銃を向ける。
カラリアは背負っていたライフルを手に取ると、形状を変化、両腕に装着するガントレットへと変え、キューシーの前に立った。
「シールド展開ッ!」
「支配者は生きた盾をご所望」
数十人の兵士が、ほぼ同時に引き金を引いた。
放たれた弾丸は、しかしカラリアのシールドに弾かれ、二人を傷つけることはできない。
一方、キューシーの魔力は、足裏を通して、地面へと伝わった。
そこに転がっているのは、微細な――本当に小さな石ころや砂粒。
その一つ一つに足が生え、生物のように動き出す。
「女帝が命ず。働き蟻さん、わたくしの敵を全て殺しなさい」
地面が――まるで波打つように動いた。
数千の蟻たちが、兵士へ向かって行進する。
それは顎門で肉を食いちぎり、体内に侵入、内臓を食い散らす、恐るべき小さな殺人鬼である。
兵士たちは標的を蟻に変えるが、小さすぎて銃では排除しきれない。
やがて足元にまで到達した虫たちは、軍服を突き破り、内側へと侵入した。
兵士は服を上からかきむしり、もがき苦しむ。
苦痛はまるで伝染するように、部隊を先頭から順番に冒していった。
「うぇ……」
想像はしていたが、それ以上の惨状に、キューシーは思わずえづく。
カラリアはそんな彼女をフォローするように褒め称えた。
「大したものだ、この人数は私では手こずっただろう」
「ありがと。どうもわたくし、多人数相手のほうが得意らしいですわ」
「無理はするなよ」
「誰に言ってるのかしら?」
顔色が悪いキューシーは頬を引きつらせて無理に笑う。
次々と倒れていく兵士たちは、もはや銃を撃つこともできない。
カラリアはシールドを解除する。
いつの間にか、メアリーの姿はなくなっていた。
彼女とマグラートの戦いは場所を変えたようだ。
「前座、ね」
キューシーがぼそりと呟いた。
倒れていく兵士は、さしずめ舞台の幕といったところだろうか。
全て開いたとき――そこに立っているのは、赤い人型の化物だった。
身長はキューシーたちとさほど変わらない。
その形状から女性と思われるが性別は不明。
背中からは天使の翼に見えなくもない、赤い肉の管を束ねた器官が伸び、脈打つ。
しかし、身にまとう服装で、キューシーはすぐにそれが誰なのか理解した。
そして軽く唇を噛んで、小さく首を左右に振ってから、呼びかける。
「プラティ、少し見ないうちに垢抜けたわね」
「私は――キューシーがアルカナ使いになったと報告を受けたとき、心の底から嫉妬しました」
天使となったプラティは、生前と変わらぬ声で返事をした。
それに二人とも驚く。
メアリーによれば、血を注がれた人間は、原形もなく人格も別物に変わっていた。
しかし今回は違う。
“血”を与えた者の裁量によるということなのか。
少し間をおいて、キューシーはポーカーフェイスに、変わらぬトーンで会話を続ける。
「それ、今しないといけない話?」
「最後ですから。この肉体は長くは保ちません、せいぜい数日が限界です」
「そう……勝っても負けてもってわけ。でも、ドゥーガンおじさんに命を捧げられるなら本望って顔をしてるわ」
「せめてそれぐらい望んだっていいでしょう。力の無い私と、力を得たあなた。娘になれない私と、娘になれたあなた。届かぬ夢だと、諦めて来たんですから」
対峙するキューシーと、“天使”となったプラティ。
二人は人生において、そう深い接点があったわけではない。
マジョラームの娘と、ドゥーガンの執事――近いようで遠い人生だった。
だが同時に、彼女たちの人生は紙一重の違いでもある。
「公爵殿下は、どうあっても私を娘とは認めてくれませんした」
「ロミオがいたからでしょうね」
「死んでも同じです」
「タイミングが悪かったわ」
「望まずにはいられない。もしあの戦場で拾われたのが、あなたでなく私だったら――」
「女々しい妄想よ」
「ですが、どうしても考えてしまうんです」
せっかくだから、最期ならば――と、本来は交わす必要ない本音を吐露しあう二人。
一方でキューシーの隣に立つカラリアの視線は、そう遠くない位置にある屋敷、その屋根の上を睨みつけていた。
何者かが立っている。
風にローブをはためかせ、夕日の茜色で仮面を染めながら、小柄な誰かがカラリアをじっと見つめている。
(『魔術師』……!)
彼女は直感的にそう思った。
しかしキューシーの目の前にいるのは天使。
アナライズを使ってみれば、魔術評価は30000――ビルでメアリーが遭遇したあの化物よりはマシとはいえ、あまりにその差は大きい。
「カラリア」
するとキューシーはカラリアに視線を向け、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「屋外なら時間稼ぎぐらいはできますわ。その表情、あなたも敵と因縁があるのでしょう?」
「いいのか?」
「ただし、倒すのは無理よ」
キューシーは断言した。
これだけの力の差を、不遜に笑えるほど無貌にはなれない。
「ま、誰かしら合流してくれるでしょう。それまでは粘ってみせるわ」
「すまない。こちらも終わったら戻ってくる」
「期待せずに待ってるわ」
カラリアは地面を蹴り、屋敷へ向かって走り出した。
移動しながら、ガントレットを再びライフルへと変形――屋根の上に立つディジーに向ける。
「あははっ、来た来たぁ!」
彼女は嬉しそうに笑うと、弾丸を避けて、カラリアをいざなうように屋敷の向こうへ消えた。
離れていくカラリアを視界の端に収めながら、キューシーはプラティとの会話に戻る。
「待っててくれてありがと」
「不意打ちに意味のある戦いではありませんから。それで、どうだったんです、そちらの人生は」
「わたくしも似たようなものよ。いっそ娘じゃなかった方が楽だったのかもって、たまに思うの」
「そんなものですか」
「だって、プラティも幸せだったでしょう? 執事として、おじさんに仕えられて」
「はい、きっとキューシーと同じぐらい幸せでした」
「ゆえに、幸せだからこそ――」
「――苦悩してしまう」
「そういうこと」
「よかった、そこに優劣がないのなら――」
プラティの両手から、プシュッと血が噴き出し、鋭い針のような赤い肉が生まれる。
彼女はそれを指の間に挟んだ。
いわゆる投げナイフ――執事はボディガードも兼ねている、プラティがそれなりの戦闘術を身に着けているのは当然であった。
「“殿下の道具”として、心置きなく戦えます!」
もはやプラティに思い残すことなどない。
運命の分岐の先にあるものが、幸福の優劣ではなく、ただの“形の違い”だというのなら――苦悩など無意味。
ただ幸せな道具として、使い潰され終わることに幸福を覚え、赤き命の断片をキューシーに向かって投げ放った。
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