翌朝、車で一晩を過ごしたメアリーは、外の空気を吸うために外に出た。
他の三人はまだ寝ている。
アミに至っては、メアリーに抱きついて寝ていたというのに、抱き上げられ、椅子に置かれてもまだ起きなかった。
「すうぅぅ……はぁ。空気が綺麗で気持ちいいですねぇ」
深呼吸一度だけで、頭が冴え渡る。
周囲にはほとんど建物がなく、あるのは森と怪しげな遺跡だけだ。
ここはミュンベー遺跡。
太古の建造物が形を崩さずに残っている貴重な遺産であり、王国の管理下にある。
一説によれば、ミゼルマ教のルーツとも言われており、王国の文化に少なくない影響を与えた文明の跡である。
メアリーは軽くガードレールを乗り越えて、遺跡に近づいてみた。
周囲が森に囲まれているからか、土の匂いが強い。
地面も柔らかく、油断すると足を取られてしまいそうだ。
「遺跡に興味があるのか?」
声が聞こえて振り返ると、カラリアが車から出てくるところだった。
「起こしちゃいましたか」
「近くで人が動くとつい、な。体に染み付いているんだ」
彼女はメアリーの隣までやってくる。
「そんなのが染み付いてしまうなんて。傭兵って、やっぱり危険な仕事なんですね」
「命を金に変える職業だからな」
「もし他に選択肢があったら、そっちの仕事に就きたいって思います?」
「当然だ。ヘンリーとの戦いが終わったら、メイドとして雇ってもらえる屋敷でも探してみるさ」
「だったら私のところに来てください、カラリアさんだったら大歓迎ですよ!」
無邪気に喜ぶメアリーを前に、カラリアは悲しげな表情を浮かべた。
メアリーは首をかしげる。
「……すまない、そう言われることを期待して話題を振った。卑しいな」
「そ、そう言われると、私のほうが恥ずかしいんですが……」
「ふふっ、いじわるだったな」
「そうでした、カラリアさんはいじわるなんでしたっ」
「はははっ、実は少し前にな、キューシーとそんな話をしたんだ。戦いが終わったらどうするのか、と」
「決めてるんですか?」
「メイドの件、割と本気だぞ」
「私も大歓迎と言ったのは本気です!」
「じゃあ決まりだな、就職先が確保できて私も一安心だ」
冗談っぽくカラリアは言ったが、メアリーは本気も本気である。
だが、戦いが終わったあと、自分がどうなっているのかが想像つかない。
王女のままなのだろうか。
それとも、指名手配犯として追われているのだろうか。
「最近、寂しいなって思います」
「何がだ?」
「カラリアさんやアミちゃん、キューシーさんと仲良くなれてるな、って思う一方で――少しずつ笑えるようになった自分がいて。お姉様は死んだあの場所で止まったまま。けれど私は、生きているから進んでいく……」
復讐心は、歩むメアリー自身の胸の中にある。
けれどフランシスの死は、時が過ぎ去るほどに、着実に離れていくのだ。
とっくにもう、手の届かない距離まで。
「そうだな……私も、ユーリィが死んだときは、もう二度と笑うものかと思っていたさ。だが、消えたわけじゃないんだろう? 姉の存在が、まだ同じ大きさでメアリーの中に残っているのなら、それでいいじゃないか。抱えるものが増えた分だけ強くなったと、そう思えばいい」
「強さ……なんですかね」
「少なくとも私はそう思っている。復讐のあとのことなんて、以前の私なら考えようともしなかった。だが今は――そこにある未来が、私の原動力になっている」
「そっか、そういう考え方もあるんですね」
「まあ、やられたばかりの私が言っても説得力は無いかもしれんがな」
「そんなことありませんよっ! 第一、『教皇』の攻撃を防げる人なんてどこにもいませんから!」
「――そうそう、あたしの攻撃も防げないのにさあ」
会話に割り込む、第三者の声。
メアリーとカラリアは相手の確認もせず、振り向きざまに砲撃と銃撃を二人同時に放つ。
一瞬だけ見えた仮面が消えた。
「ははっ、良い判断だね!」
ディジーはメアリーの背後に回る。
カラリアは素早くハンドガンの銃口を向けるが、相手はそれより早く“杖”でメアリーに触れた。
「でも遅い」
ディジーはそう言い残して、メアリーと共に消えた。
わずかに遅れて放たれた銃弾が、虚しく大地を削る。
「くっ、『魔術師』、貴様ぁッ!」
そう遠くまでは転移できないはず――しかしどこからもメアリーの声すらしない。
カラリアは歯を食いしばり、一旦車に戻った。
勢いよく扉を開くと、キューシーが眠そうに体を起こす。
「ふあぁ……おはよ。早いわねカラリア」
「寝ぼけている場合じゃない! アミもだ、起きろッ!」
「ふぇっ!?」
怒気を孕んだ荒々しい声に、アミはガバッと上体を起こす。
キューシーもただ事ではないと気づいたか、冴えた目で問いかけた。
「何かあったの?」
「お姉ちゃんがいないよ!?」
「『魔術師』がメアリーと一緒にどこかに消えた。まだ近くにいるはずだ、一緒に探すぞ!」
アミとキューシーはすぐさま車から飛び出す。
そして三人は、遺跡の周囲を囲む森へと足を踏み入れた。
◇◇◇
『魔術師』の持つ奇術師の杖は、触れた対象を範囲内の自由な位置へとワープさせる。
ディジーは短期間にそれを繰り返し、メアリーと仲間たちを引き離した。
「離れなさいッ!」
メアリーが腕から生やしたブレードを振り回すと、ようやくディジーは離れる。
だがそこは、すでに方角すらわからぬ森の中だった。
「何が目的ですか、『魔術師』!」
「あたしはディジーだよ。姉妹なんだし名前ぐらいは覚えておいてほしいなあ」
「やはりホムンクルス……ベータタイプですか」
「そう、あたしたちはわかりあえるはずだよね。だって血が繋がってるんだからぁ!」
メアリーは無言で、ディジーに向けて骨片を放つ。
彼女は転移してそれを回避した。
「うわっ、こわぁい」
「あなたはカラリアさんにとっても憎むべき相手です、生かしてはおけません!」
「事情も知らずに好き放題言ってくれるなあ」
「何か言い訳があるとでも?」
「逆に聞いていい? なんであたしがあの女を生かすと思うかなぁ。あたしたちを作った元凶じゃないか。そのくせ、怖くなってお気に入りだけ連れて逃げたクソッタレじゃないか。あたしたちがどんな目に合ってるか知ってたくせに、正義を名乗りながら何もしなかった腰抜けじゃあないか!」
言葉を発するたびに、ディジーはヒートアップしていく。
仮面越しにも、その憎しみが強く感じられる。
「死ぬ以外に何かある? 生きてていいことが? つーかさぁ、第一さぁ、あの女を一番殺したがったのはあたしじゃない! 当然のように憎んではいたけど、あたしだって命じられてやったんだよ!?」
「一体誰に!」
「そんなのはドーだっていい! 大事なのはさぁ、ホムンクルスですらない、別の関係者にすら、あの女は殺されようとしてたってこと! 仲間の身内だからって勝手にいい人設定にしちゃうのは構わないケド、どうあがいたって、あいつが逃げたことに変わりはないんだよォ!」
彼女は杖から断絶の剣に持ち帰ると、メアリーに放つ。
彼女は飛び退いてそれを回避。
だがすかさず二発目の斬撃を射出――メアリーはそれを、真正面から受けつつ突っ込んできた。
「仮にあなたたちに恨む理由があったとしても!」
肩が深く斬りつけられ、血が舞い散る。
だがメアリーは顔を歪めることもなく、鎌を抜いて減速することなくディジーに接近。
大ぶりの刃を振り下ろす。
「お姉様を殺す理由も!」
体を傾け避けるディジー。
メアリーはさらに斬撃を続けざまに繰り出した。
「無関係の人を虐殺する理由も! 何も無いはずでしょう!」
「あっはははは、オネーサマの死をあたしらのせいにするんだ! あいつはお前をかばって死んだ。お前の無力さが招いた出来事だ。それ以上でもそれ以下でもないねえ!」
「戯言をぉぉおおおおッ!」
さらに大ぶりの一撃。
ディジーは杖でメアリーの背後を取る。
「そう、全てはメアリー、君が悪いのさ。キミが。もしかして知ってるんじゃないかな? 姉だけじゃない、血の繋がった母親のことを。父親の苦悩を。自分が、どれだけ汚れた存在なのかを!」
剣を振るう。
肉が裂ける。
構わずメアリーはディジーに立ち向かい、刃を振るう。
「対話で逃げるのなら、せめて通じる言葉で話しなさいッ!」
「そぉおおじゃないんだよぉっ!」
ディジーはそれをくぐり抜けて、直接メアリーの腹に剣を突き刺した。
「わかんない? わかんないかなぁ!」
ぐちゅりと上下する剣。
メアリーはその手首を折るつもりで、強く掴んだ。
「ぐ……全部、ぜーんぶメアリーのせいじゃないか! その命が生まれてきたことが、全ての歪の始まりじゃないかッ!」
「ですからぁッ、そうやって屁理屈ばかりを重ねて! 身勝手に責任を押し付けないでください!」
さらに彼女はもう一方の手で、ディジーの首を締める。
その手から骨の爪が生え、頸動脈に食い込んだ。
「あたしは事実を言っているぅッ!」
転移――距離をとって仕切り直すディジー。
「はぁ……はあぁ……そうさ、すべては十六年前に終わったことなんだ。今さら言葉をぶつけ合ったって、何も変わらない。世界は一本道で破滅へと進んでいく」
彼女は肩を上下させながら呼吸する。
『魔術師』と『死神』の相性は最悪だった。
『魔術師』は逃げ回る分にはいいが、戦おうとすれば途端に勝ち目が消える。
硬い相手を突破するのは得意だが、再生されてしまってはどうしようもない。
巨大な建物で押しつぶそうにも、カラリアのときは人質がいたからこそ成立した戦法。
ここでは建物も、人質足りうる人間たちもいない。
「お父様は……本気で世界を滅ぼすつもりなんですか」
「さあ?」
「なぜ……何のために!」
「ディジーにはわかんなぁい」
「そんな風に薄っぺらなら!」
メアリーは両腕にガトリングを生成。
一斉射でディジーに弾幕を放つ。
「勝手に死ねばいいじゃないですか! 他人を巻き込む必要なんてッ――」
彼女は走ってそれを避けると、その合間合間で剣を振るった。
全てを断つ斬撃を前に、メアリーは軽く後ずさってそれを避ける。
すると、足元の地面が鋭利に断たれた。
そこはちょうど硬い石の板の上。
下には空洞があるのか――メアリーの体が傾いた。
「えっ、これは……」
すぐに体勢を立て直そうとするが、うまく体が動かない。
脚部から突き出した骨で姿勢の固定を試みたが、足場の崩れは拡大し、それどころではなくなった。
「引きずり込まれるっ!? きゃああぁぁあああっ!」
メアリーは落ちていく。
深い深い、謎の空洞の奥深くへと。
「……は? なにそれ」
ディジーは白けた様子で、メアリーが落ちていった穴の前に立った。
覗き込むと、そこには底の見えない深淵があった。
「自然出来た穴……って感じではないかなぁ。えぇ、遺跡に落ちたってこと?」
彼女がめんどくさそうに言うと、その目の前に半透明の女の姿が浮かび上がる。
『扉は開いた。よくたどり着いたね、『魔術師』』
彼女はディジーに向かって、なぜか嬉しそうにそう言った。
「何か出てきたんですけどー、誰?」
『私は……そう、ここにいる以上は『皇帝』と名乗るべきなのかな』
「……っ!」
『皇帝』という言葉に、明らかに動揺を見せるディジー。
彼女は苦虫を噛み潰したような顔で、その話に耳を傾ける。
『ずっと、貴女が来るのを待っていた――と言っても、きっと貴女は私を知らないから、戸惑ってるよね。けど知っていてほしい。あなたがここにたどり着く奇跡が起きたんだから、それぐらいは許されたっていいはずだよね』
会話が成立しているようにも思えたが、どうやらそれは自動再生されているだけらしい。
「これ、中に入んないとメアリーも見失うやつ? だるっ」
吐き捨てるように言うと、彼女は穴の中に飛び込んだ。
一人残された“女性の映像”は、その姿を見て寂しげにつぶやく。
『自己満足だと、笑われるかもしれないけれど』
そして開いた穴は、ひとりでに閉じていった。
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