避難民でごった返す王都の外。
そこに、必死で民を誘導するエドワードの姿があった。
「押さないでください! 落ち着いて、ゆっくりと前へ! 大丈夫です、みなさんには軍とこの僕、エドワードがついているのですから!」
はっきり言って役に立っているとは言えない仕事ぶりではあったが、しかし王子がそこにいるというだけで、民の不安はいくらか和らぐ。
王の乱心で王国の未来が危ういのだ。
その跡継ぎ足りうる人間がここに存在する――エドワードとしても、可能な限り多くの人間に、それを伝える必要があった。
王都の住民が川に流れる水のように避難場所へと向かう中、エドワードの視線は、その中のひとりを見てぴたりと止まった。
フードを被っているのでわかりにくいが――
「お母様……?」
それが誰よりも見慣れた家族であることは、明らかであった。
「お母様っ! お待ち下さい、お母様っ!」
エドワードは人混みをかき分け、その手を掴んだ。
人々はざわつく。
王子が母と呼ぶ人物――それがキャサリン王妃だというのだから。
すると、その状況がまずいと思ったのか、近くにいた兵士がエドワードの周囲から人を遠ざけた。
そして混乱が広がる前に、離れた場所へとキャサリン共々連れて行く。
そこは街道から離れた、背の低い草が生えた空間。
森の手前だからか、近くには切り株があった。
エドワードは母をそこに座らせ、肩に手を置いて事情を尋ねる。
ついてきた兵士も、まさかキャサリンが現れるとは思わず、困惑していた。
「なぜお母様がここにいるのですか!? お父様と一緒に王城に残ると……いえ、無事なら何だっていいのです。よかった、本当によかった……」
エドワードの目に涙が浮かぶ。
王都で繰り広げられた戦いは、彼の想像よりも遥かに凄惨だった。
犠牲になった一般人は数知れず。
王城からも煙があがり、何度も爆発音だって聞こえてきた。
もしそこにキャサリンが残っていたら――エドワードは母の死すら覚悟していたのだから。
「エドワード……心配してくれて嬉しいわ」
キャサリンは、いつも以上に老け込んで見えた。
よほど追い詰められた状況で逃げ出してきたのだと、エドワードはそう感じた。
「王都の戦いが落ち着くまで、まだしばらくかかるでしょう。副将軍に連絡して、休める場所を確保してもらいますから。少し待っていてください」
そう言って、彼は軍から貸与された携帯端末を取り出し耳に当てた。
呼び出し音と――それに重なるように、甲高いエンジン音めいた騒音が聞こえてくる。
その音がエドワードに接近すると、草むらからゴツゴツとした白いバイクと、それに乗ったメアリーが飛び出してきた。
彼は驚愕に目を見開く。
一方でメアリーは兄に視線すら向けず、速度はそのままでバイクを解除。
鎌を握る。
そして慣性を利用し、高速でキャサリンに斬りかかった。
危険を察知したエドワードは、とっさに母に覆いかぶさる。
彼にしては素早いその行動に、メアリーはつい「チッ」と舌打ちをした。
「お兄様、お母様から離れてくださいッ!」
「メアリー、その武器を下ろすんだ! なぜお母様を殺そうとしたッ!」
「お父様を操っていたのは、キャサリンお母様です! 『世界』のアルカナはお母様に宿っているんです!」
「馬鹿なことを。お母様は魔術師じゃないんだぞ? そんなことができるはずないだろうッ!」
「アルカナを得るのに魔術師である必要はありません。それに何より、『世界』を宿したお母様は、すでにアルカナに乗っ取られているはずです!」
「お母様が……乗っ取られている? そんなはずないだろう。僕はずっと傍にいたんだ!」
聞く耳を持たないエドワード。
メアリーは説得を諦め、彼を力ずくで引き剥がすことを決める。
それを察したか、キャサリンは懐からナイフを取り出すと、それをエドワードの首筋に当てた。
「お母様っ!? な、なぜっ、どうして僕にそんなものを!」
「ミティス……一体あなたは、どれだけの命を巻き込めば気が済むんですか!」
「ふふふ……あはははははっ!」
キャサリンは、絵に書いたような悪役の笑い声をあげた。
「私はアルカナ。命なんてただの数字の変動に過ぎない。何より、私の目的はこの世界を滅ぼすことなんだから。当然、ゼロになるまで巻き込み続けるわ」
「ふざけたことをッ!」
「ふざけてない。大真面目に言ってんの」
明らかに普段のキャサリンとは異なる――彼女自身と、別の誰かが混ざったような口調に、エドワードもそれが別人だと認めるしかなかった。
「でもさ、メアリーも無駄に頑張るよね。父親を殺した直後に、母親を殺して食べようとしてるんだから」
「あなたを『死神』に封印すれば、ようやくこの馬鹿げた戦いを終わらせられるんです!」
「できるのかな。『世界』のアルカナは他のアルカナと違い、あまりに強大。すでに複数のアルカナを取り込んだ『死神』に――それを取り込む余裕があると思う?」
メアリーの心臓がどくんと強く脈を打つ。
それは、彼女自身、あまり考えていなかった観点だからだ。
「『死神』だって、無限にアルカナを取り込めるわけじゃない。今まで、私が何のために、あなたにアルカナ使いを差し向けてきたと思ってるの?」
何度か考えたことはある。
なぜ、『死神』に力を与えるとわかった上で、アルカナを小出しにしてきたのか。
結局は“複数のアルカナを使っても相性が悪いことがあるから”という説に落ち着いた記憶があるが――確かに、『死神』の容量を埋めるためと考えれば辻褄は合う。
「まさか……わざとだって言うんですか!?」
「ふふふふっ」
キャサリンはただただ笑う。
否定も肯定もせずに、うろたえるメアリーを嘲る。
「武器を下ろしなさい、メアリー。それ以上動いたら、エドワードを殺すわ」
ナイフに力がこもる。
刃がエドワードの首に食い込み、うっすらと肌に血が浮かんだ。
彼の体は震え、かすかにカチカチと歯が鳴る音が聞こえた。
この間合い、距離――その気になれば、エドワードを傷つけずにナイフを奪うことは可能だ。
だが相手は『世界』のアルカナ使い、それだけで終わるとは思えない。
それに他にも疑問はある。
(キャサリンお母様が本当に『世界』のアルカナ使いだというのなら、こんな陳腐な手を使う必要などないはずなのに)
見たところ、キャサリンの魔術評価は200にも満たない。
偽装できる数字だ、信じるには値しないが――ならばなぜ“ナイフ”なのか。
魔術ですらない。
アルカナの片鱗すら見えない。
「お、お母様……おやめください。そんな、実の息子を殺すなんてことっ! ようやく僕が王になれるんです! お母様の夢が叶うんですよ!?」
「そうね。だったらここであなたを殺して私が死んだら、みんな困るでしょうね。特にメアリーが」
「お母様あぁぁあっ!?」
情けない声をあげるエドワード。
ナイフを握る手にさらに力がこもる。
あまり時間はなさそうだ。
「やだぁ……死にたくないっ、死にたくないいぃ……っ!」
「どうすればお兄様を解放してくれるんですか」
「自殺なさい、メアリー」
「それでお兄様が解放される確証は?」
「私の言葉が信用できないのかしら?」
「これっぽっちも」
「でしょうね。ふふふふっ」
そう、まず交渉が成立するとは思えない。
つまりメアリーの選択肢はただ一つ。
この場でエドワードを助けること。
それが嫌なのだ。
選ぶ余地がないということは――イコール、それは敵が描いたシナリオなのだから。
「そう、メアリーの言う通り。どうせ殺す。自殺しようが何だろうがこの場で殺す。できるだけメアリーが傷つくように、できるだけメアリーが苦しむように、ただそれだけを考えているの」
ミティスの動機は一貫している。
メアリーが苦しむこと。
ただただ、それだけを彼女は願っている。
それならやはり、メアリーがエドワードを助けたところで、何らかの“苦しめるための手”が用意されているのだろう。
「メアリーったら優柔不断ね。ママの言う通りに自殺してくれないんなら――」
「う、ひっ……」
「このままエドワードを殺しちゃうわね」
メアリーは諦めるように、目を閉じて息を吐いた。
エドワードは絶望に失禁し、表情筋を限界まで引きつらせる。
そしてキャサリンはナイフをぐっと押し込み――彼女の肩を通り抜けた銃弾が、ごっそりと肉と骨をえぐっていく。
胴体との接続を断たれ、腕が草むらに落ちた。
「あら、腕が」
まるでかすり傷かのようにキャサリンは言った。
すかさずメアリーは骨の腕を伸ばし、エドワードの身柄を奪い取る。
「うひいぃいっ!」
「あらあら、エドワードまで持っていかれちゃったわ。仲間が狙っていただなんて、全然わからなかったなぁ」
「形勢逆転ですね」
「そうみたい。まあ、別にどうでもいいけど」
キャサリンが見せる余裕に、メアリーは歯ぎしりをした。
いつだってそうだ、全てを失ったミティスは、勝とうが負けようが悔しがることすらない。
「だって、私はメアリーから家族を奪うことに成功したんだから。もちろん、本当はメアリーを殺してしまいたかったし、王国だって滅ぼしたかったけれど……ドゥーガンも死んだ、ヘンリーも死んだ。キャサリンももう助からないわ。今回の戦果としては十分よね」
まったくもって彼女の言うとおりだ。
唯一果たせなかったのは、メアリーを殺すという目的だけ。
しかし、本当に今の『死神』では『世界』を喰らうことができないというのなら、ここでミティスを封じる手段はない。
「その傷が癒えて、メアリーに家族と同じぐらい大切な人ができたら――またそれを壊しにくるから。楽しみにしておいてね」
再会を誓う。
苦難は続く。
鎌を握るメアリーの呼吸は荒く、冷や汗が額に浮かぶ。
「じゃあ最後に、母親を殺して終わりにしましょうか」
キャサリンは両手を広げ、死を受け入れようとしている。
果たしてそれは勝利か。
否。
断じて否。
メアリーはずっと――そうだ、最初から、フランシスを失ったあのときからずっと敗北を続けている。
ミティスの中に渦巻く数億年分の怨念。
十六年分の計画。
徹底的にメアリーたちを苦しめるために作られたその数式は、付け焼き刃のアルカナで断ち切ることはできなかった。
だが――次は違う。
メアリーはすでに『世界』の存在を知っている。
彼女自身も多くのアルカナを手にしている。
「ミティス……私はあなたを絶対に許しません。たとえ地の果てであろうとも必ず見つけ出して、次こそ『死神』で噛み砕いてみせます!」
「自分から殺されにくるのなら、喜んで相手をしてあげる」
これはきっと、戦いの序曲なのだと、メアリーはそう感じた。
ここから火蓋が切って落とされるのだ。
(本当に、そうなのでしょうか)
死神の鎌を手に、メアリーは想う。
(お父様やお母様を殺した。戦いは一つの終わりを迎えた。本当に? 本当に終わったのでしょうか? 私にはわからない。『世界』が全てを操れるというのなら、お父様やお母様が本体である必要すらないのですから)
笑う母を斬殺する。
(もし、これが終わりでないというのなら。ただの始まりだというのなら。ひょっとすると、私は――)
エドワードが絶叫し、死体に駆け寄る。
(――もっと早く、死んだほうがよかったのかもしれない)
母と子の悲劇的な末路を、うつろな目で見つめる。
ふいに、ブレアを殺したフランシスのことを思い出した。
彼女もこんな罪悪感を抱いたのだろうか。
愛するお姉様と似た感情を共有できたのなら、嬉しい。
この決着に見いだせる喜びなど、それぐらいのものだった。
◇◇◇
“手遅れ”という言葉がある。
このどうしようもない世界にぴったりだと思った。
メアリーは必死に努力した。
苦しみながら足掻き、フランシスの無念と自分の憎しみを晴らそうと戦い続けた。
だが、その可能性に気づいたとき、こう思ったのだ。
ひょっとすると、最初から、この世界はどうしようもなく詰んでいて。
何もかもが無駄で。
足掻けば足掻くほど、傷口が広がるだけなのではないか、と。
戦えば戦うほどに悲劇が暴かれていく。
報われない死が増えていく。
それは、何もメアリーが引き起こしたわけではない。
最初から起きていた。
そう、死者の腹を、死神の鎌が開いただけのこと。
すでに起きた悲劇が、表に出てきただけのこと。
ならば、メアリーがこの戦いの“黒幕”を切り開いたら――一体、何が出てくるのだろう。
――エドワードの戴冠式まで、あと5日。
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