アミは地面を蹴って飛び出した。
目指すはメアリーの真横。
まずはスピードで圧倒し、突破を狙う。
(エラスティスがいるのは、たぶんあのテントの中――そこまで突っ込めば!)
メアリーからは、アミの姿は消えたように見えたはずだ。
しかし彼女は反応する。
自ら右腕を破壊し、その内側から生やした巨大な骨の腕で、アミの進路を遮る。
「いくらお姉ちゃんでも、この程度の壁なんてぇっ!」
現在のアミの魔術評価は50000相当。
元の数値のおよそ倍だ。
対するメアリーは25000――いや、『吊られた男』がすでに発動しているのなら、今の傷なら35000程度には到達しているかもしれない。
それでも差は大きい。
アミの魔力がメアリーの骨を引きちぎり、強引に突き抜ける。
「おおぉぉぉおおおおおッ!」
あらゆる意味で、アミに時間は残されていない。
彼女はそのままテントに突っ込むと、その外装もろともエラスティスを吹き飛ばした。
そしてブレーキ。
地面を削りながら、数十メートル滑って停止。
アミはぐしゃぐしゃになったテントを見て、目を見開く。
「手応えがない――」
テントの中には、誰もいない。
「どういうことっ!? どこに行ったの!?」
公園の真ん中から周囲を見渡しても、彼女の姿はなかった。
焦るアミに、メアリーは静かに告げる。
「もうここにはいませんよ」
「それって……」
「あなたがエラスティスを狙っているのはみんな知っています。この場に残すはずが無いじゃないですか」
「そんな……逃したってこと……?」
考えてみれば、当たり前のことだ。
なぜ狙われていると知って、アミの近くにエラスティスを置いておくというのか。
(お姉ちゃんたちはここに残ってる。逃がすとしたら――マジョラームの社員。魔導車を使ってるんだ!)
アミは唇を噛む。
一方でカラリアやキューシーたちも、森から公園に戻ってきていた。
ここで戦ったって無意味だ。
探さなければ。
地道に足を使っていてもキリが無い。
最も簡単に見つける方法は――
「だったら、空を飛んでやるぅっ!」
アミは両足の車輪をフル回転させた。
ギュアアァァァッ、と『戦車』も慄くほどの甲高い音が鳴り響き、暴風が彼女の体をふわりと浮かべる。
「行ける――今の私なら、これぐらいの無茶ぐらい簡単にっ!」
舞い上がる砂埃に視界を塞がれたメアリーは、片手で顔を守りながら、悔しげに歯を食いしばった。
「メアリー、このままじゃ逃げられるわよ、どうするのよっ!」
「追跡を――しかし空を飛ばれては!」
「逃げられる……逃してはいけない……この他人から与えられたような欲求は……」
「メアリー、あなたなら追跡できないの!? 『死神』で車だって作れたんでしょう? あれを逃せば、わたくしたちの今までの戦いは全て台無しになるのよ!?」
「わ、わかっています! 逃がすなんて――そんなこと、許すはずがありませんッ!」
すでにアミは空高くまで飛んでいた。
「この高さからなら見える――道路を走るマジョラームの魔導車、あれだっ!」
彼女はエラスティスを載せていると思われる車を発見。
慣れない足に多少ふらつきながらも、徐々に加速しながら追跡を開始した。
「すごく綺麗な景色なのに……私だけで独り占めするの、やだな」
青い空はどこまでも続く。
北には海、東には王都、西には懐かしいスラヴァー領の山が薄っすらと見える。
遥か彼方の地平線は曲線を描いていて、この星が丸いという事実を認識できた。
空気は澄んで、少し寒いけど風が気持ちよくて。
こんな時でなければ、メアリーと二人で空中散歩も悪くない――そんな夢を見る。
そうこうしているうちに、彼女は車の真上にまで到達していた。
能力を解除、重力に任せて、車の進路上に落下する。
そんなアミを狙って――
「死者万人分の・機葬銃!」
地表より、無数の骨の銃弾が放たれた。
「わー、お姉ちゃんかっこいい……」
思わずアミはそう呟いた。
だが見とれている場合ではない。
すぐさま脚部の車輪の能力で力場を作り、銃弾を防ぐ準備をする。
直線で移動したアミと、公園から地上を移動するしかないメアリー。
その差を埋めることが出来たのは、メアリーが骨で作った“バイク”にまたがっているからだ。
人骨まみれの悪趣味なボディに、今回はアミの力も借りられないため、車輪も骨で作られている。
そのせいで道路には優しくない作りになっており、走るだけで瓦礫を撒き散らす荒々しい走りを見せていた。
だがそのスピードは本物だ。
そして――わざわざバイクの両側に取り付けた、ガトリングガンの威力だって。
「づぅっ……『運命の輪』の力場を貫通してきた!?」
メアリーの放つ銃弾の前には、防御が防御としての意味をなさない。
アミは慌てて回避に作戦を変更。
脚部の車輪により空中を飛び回りながら、徐々に地上へと近づいていく。
その戦いに気づいたマジョラームの車は停止。
メアリーはその横を通り抜け、壁になるようにアミと車の間に割って入った。
滑るように、アスファルトを削りながら停車。
なおも機関銃は火を噴き続けている。
それを避けながら、どうにか離れた場所に着地したアミは、すぐさま車輪を四個、手の指に挟んで放り投げた。
回転しながら迫る車輪を、銃弾が空中で撃ち落としていく。
「どうなってるの、あの力。魔術評価では私のほうが上のはずなのに!」
「アルカナ同士の戦いは、単純な魔術評価だけで実力は測れませんよ」
「アルカナ……バイク……まさかそれ、『戦車』なの!?」
「なぜ知っているのかはわかりませんが――正解です」
メアリーはすでに、先ほど食らったばかりのアルカナを使いこなしている。
仮に『戦車』が、クルスが持っていた能力とほぼ同等なら、アミも車両で対抗する必要がある。
だが彼女にはボディを作る手段が無い。
自分自身が車になれないか――とも考えたが、それが通用するのなら、とっくに『戦車』との戦いでそうしているはずだ。
「近くにエラスティスがいることはわかってる……あいつさえ殺せれば……殺しさえできればぁっ!」
アミは体内から車輪を生成し、自分の周囲に浮かべた。
十個――まだ足りない。
二十個、三十個、四十個と増やしていき、まるで虫を操るキューシーのような状態になった。
「行けえぇぇぇっ、私の車輪たちっ!」
手を前に突き出すと、車輪たちは同時にエラスティスのいる車に襲いかかる。
「機葬銃、全て撃ち落としなさいッ!」
バイクの機関銃がそれらを撃ち落とす。
さらにメアリー自身も、背中と両腕と腹部からガトリングを作り出し、計7門――『運命の輪』と『死神』の魔力が空中でぶつかっては弾け、ぶつかっては爆ぜ、さながら戦場のように炎で周囲を照らす。
「まだまだぁぁぁあああああっ!」
「おおぉぉぉおおおおおおおッ!」
互いに魔力の限りを尽くし、撃ち落とされても次の車輪を、また次の車輪を生み出すアミ。
対するメアリーも、機葬銃の銃口が砕け散るほどの連射――だが壊れてもすぐに次の銃が生み出され、それが車輪を撃ち落とす。
どちらの魔力が切れるのが先か。
そういう勝負だと、お互いに思っていた。
だが――
(体から力が抜ける……『運命の輪』の限界? いや――違う……脚が、消えてる……!?)
『恋人』の毒はせっかちだ。
アミの体を蝕むそれは、制限時間までまだわずかに時間が残っているにもかかわらず、彼女から存在を奪いはじめた。
今までのように、体の一部が薄まるだけではない。
片足が消えた。
同時に、『運命の輪』が引き出した力も半分失われる。
「そんなっ、そんなのって無いよ! いくら反理現象だからって、ずるいよぉっ!」
反理現象は、術者の命と引き換えに発動する、既存のアルカナの力を超越した能力。
防げるものではない。
何より、アミがどれだけ嘆いても、術者の心は死んでいる。届かない。
「どうやらっ、私の粘り勝ちのようですね!」
メアリーの銃弾が全ての車輪を撃ち落とし――そしてアミは、ついに弾切れを起こした。
というより、心が折れたのだ。
攻撃の手を緩め、残った腕をだらんと垂らし、肩を落とす。
「意外でした。あなたのような絶対悪が、諦めよく負けを認めるなんて」
メアリーはバイクから降りると、アミに歩み寄る。
その手からずるりと棒を引き抜き、両手で握ると、それは鎌へと姿を変える。
「ですが認めようが認めまいが、あなたが許されることはありません。殺さなければ。そう、お姉様を傷つけたあなたは、私の手で殺されなければならない――」
アミの目の前で、鎌を振りかぶるメアリー。
「お姉ちゃん……」
アミはか細く、愛おしい人を呼び、きゅっと目を閉じる。
平原の風が草を揺らし、葉が擦れ合う心地よい音を奏で、頬を撫でる。
まるで天国に逝ったのかと思うぐらい、静かで平和な場所だ。
あるいは――メアリーは優しいから、痛みもなく首を落として逝かせてくれたのかもしれない。
そう思って、瞳を開いた。
「……っ、殺さなくては……殺さなくては……ッ!」
振り上げた刃は、震えながらも、まだその場に留まっている。
握る両手は爪が食い込み血が流れ――そこまで抗っても止まらないからなのか、メアリーの体から生えた骨の手が、手首や肘を握り潰すように強く掴み、殺意を抑止している。
ミシ……と骨が潰れる音がした。
「殺す……殺す……大事な人を奪われたのだから、大事な人を、ころ、して……殺して……でも、どうして――」
すぐに再生すると言っても、相当な痛みがあるだろう。
それだけじゃあない。
“憎もう”とする感情を強引に捻じ曲げれば、心だって傷つくはずだ。
「殺したく……ない……! この子のことを……いや、殺さなきゃ、殺さなきゃ、殺さなきゃっ! だって殺さなければお姉様が浮かばれないっ!」
強く歯を食いしばり、口の端からも血を流し、そして瞳には涙を浮かべ――
(ああ、私……)
アミは、戦場には不釣り合いな胸の高鳴りを感じつつ、そんなメアリーの姿を見上げて思うのだ。
(生きなくちゃ。お姉ちゃんたちに背負わせちゃいけない、私なんかの死を)
一ヶ月の命は、アミが自分自身で選んだものだ。
だから彼女自身は後悔なんてしないつもりだった。
だけど、メアリーは違う。
いや、カラリアやキューシーだってそうだ。
勝手に押し付けた“残り一ヶ月”という言葉を背負って、優しくしてくれて。
命令されたわけでも、頼まれたわけでもなく、アミが選んだことなのに――それでも報いようとしてくれて。
こうして、神様にだって抗おうとしていて。
その力を、誰よりも直接的な方法で体に宿したアミだからわかる。
本当は無茶なことだ。
義務感だけじゃ、絶対に不可能なことだ。
だから想う。
何があっても――残り17日の命を、余すこと無く使い尽くさなければならないと。
誰のせいにもしない。
誰にも背負わせない。
この世のどこにも、後悔を残さぬよう――
「ありがとう、お姉ちゃん」
その抵抗に、心からの感謝を告げる。
残る一本の脚も、すでに半透明。
けれどまだ動く。
車輪が回り、アミは加速し、殺意に耐えるメアリーの脇を通り抜けて魔導車に迫る。
フロントガラスの向こう、運転席には怯えた様子の社員が一人。
後部座席には女性が二人。
左側――虚ろな瞳で天を仰ぐエラスティスに向けて、アミは車輪を投擲した。
ガラスを砕き、キラキラと輝く破片を浴びながら、女の首が飛んだ。
最後の一瞬、彼女はアミのほうを見て、口の動きだけでこう告げた。
『ごめんなさい』
アミは理解する。
おそらく今回の反理現象は、エラスティスが望んだものではないのだと。
あのとき、通信端末に耳を当てて、何かを聞かされた彼女の絶望――それが引き金だったのだろう。
首が落ちる。
切断面から血が噴き上がる。
車内が赤く染まり、社員たちは叫び、ドアを開いて転がるように外に出る。
手の甲を見れば、そこに数字は残っておらず、消えかけていた体も元通りになっている。
加えて、『運命の輪』に変えられた脚部も人のものに戻った。
アミの体からふっと力が抜ける。
ガクッと崩れ落ち、膝をついた彼女は、顔を真っ青にしてこちらに駆けてくるメアリーを安心させるように、にへらと笑った。
もっとも、その弱々しい笑みは、安心させるどころか逆効果になったようだが。
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