戦いに一区切りが付き、安堵するメアリーとキューシー。
ほどなくして、遠くから聞こえる少女の声が響いた。
「おーい、おねえちゃーん! キューシーっ!」
「アミちゃん、と……」
「あのぐったりしてるの、カラリアじゃない!」
アミに抱えられ動かないカラリア。
彼女はメイド服をべったりと赤い血で汚していた。
薄っすらと目は開いているので、生きてはいるようだが。
目の前までやってきたアミは、カラリアの体をキューシーに押し付けようとしたが――彼女の怪我を見てためらう。
「変に気を遣ってないでよこしなさい、そいつ死にかけじゃない」
「う、うん、お願い!」
アミは戸惑いながらも、キューシーにカラリアを渡した。
キューシーは自分よりも大きな体を抱きしめる。
(体温が下がりだしてる……かなり危険な状態ね)
呼吸も浅く、意識も朦朧としているようで、胸を顔に押し付けられても、カラリアは反応しなかった。
暖かな魔力がカラリアを包む。
しかし彼女の体は魔力を拒む――傷が完全に塞がるまでは、もう少し時間がかかりそうだった。
するとメアリーはキューシーの近くでしゃがみこみ、彼女に心配そうに声をかける。
「キューシーさん、本当に大丈夫ですか? そちらの怪我も、かなりひどいようですが」
「アルカナ使いらしい裏技を覚えたから平気よ」
「裏技……?」
頭の上にハテナを浮かべながら、傷口に視線を移すメアリー。
確かにそこは、開いた傷があった。
だがじーっと見ていると、ぎょろりと瞳が開く。
「うわっ!?」
「傷口を動物に変えたのよ。どうもわたくしの能力、自分の体も動物に変えられるみたいだから。まあ、変えられるようになったのかもしれないけど。ああ、ちなみにそれはタコね」
「……痛くないんですか?」
「一時的には、どうにかなってるわ。解除したあとのことは考えたくない」
それは治療行為ではない。
むしろ自分の意思で勝手に動く分、傷は開いていくだろう。
背中の翼も込みで、解除するのなら回復魔術を使える人間の傍が望ましい。
「で、なんでカラリアはこんな深い傷を負ってんのよ」
「わかんない。たまたま通りがかった広い庭で倒れてたから」
「カラリアさんは誰と戦ってたんですか?」
「たぶんアルカナ使いだと思うんだけど。個人的に因縁がある様子だったわ」
カラリアとの個人的な因縁――そう聞いてメアリーが思い浮かべたのは、『魔術師』の名だった。
生半可なアルカナ使いでは、カラリアに傷を負わせることはできないはず。
彼女に膝をつかせるほどの強敵、それがまだ、街に潜んでいる。
その事実は、緩みかけていたメアリーの緊張感を再び高めた。
「ねえねえお姉ちゃん、私もね、天使と戦ってきたんだよ!」
「あの化物と!? それなのにほとんど無傷だなんて、アミちゃんは強いんですね」
そう言って、アミの頭を撫でるメアリー。
待ち望んだご褒美に、アミは気持ちよさそうに目を細めた。
「んへへ……結構強かったけど、私の『運命の輪』はもっと強かったのっ!」
「アミ、その天使が誰だったかわかる?」
「軍の偉い人、デファーレって言ってたよ」
「デファーレ将軍ですか……彼もやはり、敵の手に落ちていたんですね」
「どんな様子だった?」
「うーん、嬉しそうではなかったかな。こんな風に死ぬなんていやだー、みたいなこと言ってた」
「……そう。そりゃあそうでしょうね。昔っからドゥーガンと一緒に、同じ夢を追ってきた同志だもの」
「先頭を走るドゥーガンが破滅すれば、連鎖的に彼らも破滅していく……」
「デファーレとプラティがあの有様ってことは、ドゥーガンもおそらく、天使とやらになってるんでしょうね」
キューシーは深くため息をつく。
「今さら追ったって間に合わない、か。危険が迫ったらすぐに離脱するとは言ってたけど……」
「何のことです?」
「……お父様よ」
気まずそうに彼女が言うと、メアリーは目を見開いた。
「ノーテッドさんが突入に参加してるんですか!? そんな話、私は聞いてません!」
「どうしてもドゥーガンと話がしたいって聞かなくて。わたくし以外に言ったら止められると思って、言わなかったんでしょうね」
「当たり前です! 今から私が向かいます!」
メアリーは立ち上がり、突入口が隠されているという屋敷の方角を見つめた。
「お姉ちゃん、私も行く!」
アミはぴょんぴょんと飛びながら手を上げたが、メアリーはそんな彼女の頭を再び撫でて、優しく諭す。
「アミちゃんは残っててください。まだ敵のアルカナ使いが残っています、負傷した二人を放置するのは危険です」
「うぅ……わかった、じゃあ残る」
「いい子ですね。頼りにしてますよ、アミちゃん」
「うんっ、まっかせて!」
扱いに慣れてきた、というとあまり良くは聞こえないが――沈みかけたアミの感情は、一気に頂点に登った。
「ごめん、お願いするわメアリー」
「キューシーさんこそ、カラリアさんをお願いします」
「いってらっしゃい、お姉ちゃーんっ!」
元気なアミの声に見送られ、メアリーは三人から離れていく。
目指すは、隠れ家の突入予定地点。
骨で大地を叩きながら、時に建物より高く跳躍し、彼女は一直線に目的地へ向かった。
◇◇◇
ドゥーガンの潜む地下アジトには、複数の逃げ道が存在する。
そのどれもが巧妙に隠され、普通は見つけることすら困難だ。
仮に偶然にも扉を見つけたとしても、その先にあるのは行き止まり――そう簡単に隠れ家まで到達できないようになっている。
マジョラームの技術の粋を集めて作った、いかなる侵入者をも拒むその施設。
しかし当然、マジョラームの幹部の手にかかれば、セキュリティなど無いも当然。
ノーテッドが、纏う機械鎧の手のひらをかざせば、それだけで全ての扉は開いた。
無論、設置されている魔導銃も動作しない。
仮にドゥーガンが独自に迎撃システムを設置していたとしても、最新型の機械鎧を突破することはできないだろう。
護衛を引き連れたノーテッドは、とある貴族の屋敷――その地下倉庫から、隠し通路に侵入。
ほんの数分でアジトに到着した。
地下アジトは、キャプティスに建つ平均的な貴族の屋敷の1フロア分ほどの広さがある。
食料庫や武器庫もあり、様々な非常事態に対応できるよう作られていた。
ノーテッドの護衛たちが、各部屋を見て回る。
だが、どこにも人の気配はない。
唯一、寝室に並ぶベッドに、“同じ顔の男が何人も寝かされている”という異様な光景が発見されたが、叩いても、揺らしても、発砲しても動かず。
念の為、頭部の破壊は行ったが、特に動く様子もなくそのまま放置された。
そして最後に、ドゥーガンのために作られた書斎へと向かう。
この部屋はノーテッドのサプライズのようなものだった。
彼が隠れ家にいても、普段の屋敷と同じ感覚で過ごせるよう、できるだけ似せて作ったものだ。
無論、地下なので窓などの違いはあるが、初めて彼に部屋を見せたときは、かなり驚いていた。
(何年も前のことだが、昨日のことのように思い出せるよ)
機械鎧の手のひらを握る。
手の甲に付けられた魔導銃は鈍く光り、ドゥーガンの命を奪う瞬間を、今か今かと待っているようだった。
ノーテッドは深呼吸をして――手をかざし、扉を開く。
ドゥーガンは逃げも隠れもせず、本を片手に、部屋の中心にあるチェアに腰掛けていた。
「ドゥーガン。随分と長い間、会っていなかった気がするね」
「そうか? 私にとっては、まだ一日も経っていないような感覚だ」
意外なことに、彼はまっとうに返事をした。
てっきり、誰かに操られてまともに会話もできないと思っていたので、ノーテッドは驚いた。
「なぜこんなことをしたのか、聞いてもいいかい?」
「……さあな」
ドゥーガンはノーテッドの顔すら見ずに、虚空に視線をさまよわせる。
「はぐらかさないでくれ」
「そんなつもりはないよ。友であるお前に隠すことなど、何もない」
「だったら!」
「わからないんだ。私は何だ? 私はどうなっている? ヘンリーと話したところまでは覚えている。そこまでは私だった。だが、あの日――何かが、起きたんだ」
「やはり国王に操られて……」
「操られる?」
そこで、初めて彼はノーテッドを見た。
しかしその瞳からは光が失われ、到底正気には見えない。
「違うんだノーテッド。これはそういうものじゃない。私が持っているこの本、何だかわかるか?」
ドゥーガンここにいる間、ずっと読んでいた本を友人に見せつける。
「小説……?」
「そう、『この美しい世界のために』というベストセラー小説だ。ステラ・グラーントという作家が書いていてね、王国のみならず、海外でも出版された大人気作なんだ。私は普段、こういう架空の物語というものをあまり読まないから、試しに手にとってみたんだよ」
「ドゥーガン、その小説が一体何だって言うんだい?」
「文章がねぇ……繊細なんだ。細かくて、きめ細やかで、一つ一つの文字が、まるで脳の隙間に入り込んでくるようで。そう、隙間を埋めてくれた。人間というのは隙間のある生き物だからね、そこに線虫のようにするりと入り込んで埋めてくれるんだ。埋めて、埋めて、詰め込んで。そこで私はふと気づいた」
彼は長々と喋る間、まばたきを一度もしなかった。
瞳孔が開ききった瞳をノーテッドに向け、なおも言葉を続ける。
「隙間は、どちらだ? 私か、虚無か。気づけば、そう、私は隙間になっていた。やがて虚無になるだろう。いいや、虚無ですらない、空白は残らないのだからそれは『 』だ。仕方ない。仕方がないよ、私は16年前に過ちを犯したごめんなさい。ごめんなさい。私のせいだ、だから仕方のないこと? なかったのか? 本当に? だって私の息子は、そう、ロミ――ロ、ろ、ろ? 誰だ? わからない、隙間だから。そう、隙間は本来空白で黒塗りにされているから私はどこにいるのかわからない。教えてくれ、ノー……ノー? 誰だ? 誰……お前は誰だアァァああっ! なぜだ! なぜ私のパーソナルスペースに入ってきたァ! ここは私のお城だぞ、私だけの居場所だぞ! おかしいだろう! 帰れ! 帰れ! 帰れえぇぇぇえええええッ!」
饒舌になったかと思えば、急に取り乱し、頭をかきむしりながら叫ぶ。
重度の麻薬中毒者めいたその行動を前に、ノーテッドはただただ、嘆きの言葉を漏らすことしかできない。
「ドゥーガン……ああ、そうか、君はもう――」
そして全てを諦めると、護衛に指示を出した。
「撃て」
強化鎧を纏った男が前に出て、腕に付いたものとは別の銃を構え――発砲する。
「誰だアァァ嗚呼っ! お前たちは誰なんだあああああっ! お前はっ、私はっ――誰――ぅ」
麻酔銃が命中すると、ドゥーガンは白目をむいて、崩れるように床に倒れ込んだ。
男は彼に近づき、意識を失ったことを確認する。
「対象、沈黙。どうやら無事に眠ったようです」
「よし、とりあえず本社に運ぼう。自白剤を使うことになろうだろうけど……」
だが――
「ぅ……ぐうぅ……がっ、あ……」
一度は眠ったと思ったドゥーガンは、再び動き出す。
なおも白目を剥いたまま、彼の意思とは関係なく、体だけが勝手に蠢いているようだった。
内側からボコボコと何かが皮膚を叩き、少しずつ、膨張していく。
「まさか、例の天使か――全員退避しろ! これ以上は僕たちの手に負えないッ!」
「ですが社長、ドゥーガンを確保しなければ!」
「いいから早く逃げ――」
ドゥーガンの口が大きく開き、舌とは別の赤い肉の帯が伸びる。
それは護衛の男の足首に巻き付き、まずは力ずくで骨をへし折った。
「うっ、うわあぁぁあああっ!」
叫び、体から力が抜けたところで、舌は一気に男を引き寄せる。
「あ、ああぁぁああっ! 助けて! 助けてえぇぇええっ!」
ずるずると、肉の塊に取り込まれていく機械鎧。
ノーテッドたちはその死を悼みながらも、すでに背を向けて走りだしていた。
残る護衛は二人。
三人はアジトの出口に駆け込むと、背中のブースターを作動させる。
彼らの体はわずかに浮かび、直線に伸びる薄暗い通路を一気に疾走した。
少し離れたところで、壁が破壊される音が通路に響き渡る。
ノーテッドがちらりと後ろを見ると、もはやドゥーガンなのかもわからない肉の塊がこちらに迫っていた。
それは天井までぎっちりと詰まった状態で、すさまじいスピードで接近してくる。
最新型の強化鎧でも引き離せないほどの速度に、ノーテッドの表情に焦りが浮かぶ。
「まるで肉の洪水だ」
ぐじゅぐじゅと、ぶじゅぶじゅと――音の逃げ場が無い筒状の一本道であるがゆえに、肉の音は妙に近くから聞こえてくる気がする。
ふとそこで、並走していた護衛の一人が後ろを向いた。
そして両腕をドゥーガンに向かって伸ばし、魔導銃を一斉射した。
「止まれっ! 止まれえぇぇえっ!」
弾丸は肉を貫き、血をぶちまけ、わずかだかその進行スピードを遅らせる。
だが気休めにもならない程度だ。
これで稼げる数秒と、護衛の社員の命とでは、あまりに釣り合いが取れていない。
「無茶をするんじゃない、逃げることだけ考えるんだ!」
「いけます! 止めてみせますッ! うおおおぉおぉおおおッ――あ」
ノーテッドが呼びかけた直後、伸びた触手が機械鎧の胸部を貫いた。
そのまま彼は肉に飲み込まれ――そして死の間際、とある機能を作動させる。
「マジョラーム、万歳」
口元に笑みを浮かべながら、機械鎧ごと自爆する護衛の男。
炎が橙色に廊下を染めて、解き放たれた爆風はノーテッドたちを吹き飛ばした。
バランスは崩すが、幸いにもおかげで残った二人は加速する。
一時的とはいえ、肉塊の足止めには成功したのだ。
だがそれでもなお、ドゥーガンの膨張は止まらない。
ノーテッドたちの速度もやがて元に戻り、再び追跡者優位の鬼ごっこが再開する。
遠くに出口の光が見える。
間違いなくゴールは近づいているのだ、あとは追いつかれないことをただただ祈るばかり。
しかし――肉塊は再び機械鎧を射程圏内に捉えると、その触手を伸ばした。
「チッ、あたしもここまでか。かっこつけて、突入部隊に入りたいとか言うんじゃなかった!」
恐怖をごまかすように、彼女は大きな声でそう言った。
これまで幾度となく、メアリーたちに命を救われてきた、解放戦線の女性団員だ。
触手の先端が背中に触れる。
そのまま滑るように腕のほうへと移動して、二の腕に絡みつく――すると今度は前方から、白い何かが猛スピードで伸びてきた。
「骨――?」
ノーテッドがその正体に気づいた直後、鋭い爪が触手を裂いた。
そして大きな手のひらで、彼と女性団員を掴むと、一気に出口へ向かって引き寄せる。
「あたしまでっ!? うわあぁぁああっ!?」
引き寄せられた先に立っていたのは、メアリーだ。
「このまま脱出します、乗り心地は保証しませんので!」
彼女は二人の無事を確かめると、背中から伸ばした腕でその体を掴んだまま、出口に向かって走りだした。
白と黒のドレスをはためかせ疾駆する彼女は、機械鎧を纏った二人よりも遥かに早い。
肉塊の追跡は追いつかず、距離は離れていき――勢いを保ったまま、外に飛び出した。
十数メートル飛んで着地するメアリー。
「ありがとう、メアリー王女」
「さすがに死んだと思った……どうも、王女様」
「ノーテッドさん、無茶しすぎです。解放戦線の方、あなたとは何かと縁がありますね」
「面目ない」
「名乗りもしてねえってのにな」
数秒遅れて、背後の扉から赤い肉の塊が噴き出した。
メアリーたちが脱出してもなお、質量の増加は止まらない。
地面が隆起し、上に建つビルや屋敷をなぎ倒しながら、地下よりそれは産声をあげる。
「一応確認ですが――あれ、ドゥーガンなんですよね」
「……ああ」
確かめても、信じられないほどの原型のなさ。
メアリーは、山ほどの大きさに成長したドゥーガンだったものを見上げ、ごくりと唾を飲み込んだ。
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