外の空気を吸おうと、メアリーは工場内の医務室から出た。
廊下の窓際には、解放戦線の面々が集まっている。
彼らはメアリーに気づくと、揃って頭を下げた。
するとメアリーは団員たちに近づき、声をかける。
「今日はありがとうございました。勝つことができたのは、みなさんのご助力のおかげです」
「王女様――いやいや、そっちまで頭なんて下げないでくれ。大して役にも立ってないんだ!」
「素直に受け取っとけばいいだろ」
相変わらず、悪態をつく女団員。
そんな彼女をジェイサムがいさめる。
「そういうわけにもいかんだろうが! いいか王女様、俺たちは相互利用の関係にあるんだ。命を救われたから、命を賭けただけなんだよ」
「『運命の輪』との戦いは、救ったうちに入るのでしょうか」
「入るだろそりゃ、あんたらがいなかったら、あたしら全滅してたんだからさ」
「そういうことだ。そして今回も、俺らは王女様に救われた。だから次も、死なない程度に命を賭けて手伝わせてもらうさ」
「いい心がけね、さすがマジョラームの社員だわ」
メアリーの背後から近づく女の声が、会話に割り込んでくる。
先ほどまで横になっていたキューシーだった。
「キューシーさん、もう大丈夫なんですか?」
「うちの医療技術を舐めないでよね。見ての通り、ピンピンして――うわっとと!?」
調子に乗って飛び跳ねた途端、転びそうになるキューシー。
メアリーは慌ててその体を支えた。
「ほらもうっ、危ないですって!」
「あはは……ごめんねメアリー、まだ本調子ではないみたい」
「ったりめえだろ、内臓がいくつか潰れてたって聞いたぞ」
「その程度じゃへたってられないのよ、社員さん。夕方前には仕掛けるって言うんだから」
「ドゥーガンの隠れ家に、ですか?」
もちろん、と微笑むキューシー。
解放戦線の面々は湧き立つ。
「いよいよドゥーガンの野郎を殺せるのか、腕が鳴るねえ!」
「当然、作戦には俺たち解放戦線も参加していいんだな?」
「参加させるわよ。もっとも、その他大勢のうちの一員になるでしょうけど」
「そんなに沢山の戦力を確保できたんですか?」
「スラヴァー軍はほぼ全て、お父様の指示に従うわ」
「ヒュウ、さすがはマジョラームの社長さん」
「こら、あんまり茶化すなよ。デファーレ将軍はどうなったんだ? 圧倒的カリスマを持つ彼がいる限り、寝返りのリスクが残るはずだが」
ジェイサムがそう尋ねると、キューシーは顎に手を当てて不安げな表情を浮かべた。
「……行方不明よ。執事のプラティと一緒に、取り押さえようとした多数の兵士を殺して逃走したわ」
「意外だな、あの将軍が兵士を殺すとは」
「そこ、なのよね。陰謀の匂いがするわ。そのあたりの対処を含めて話し合うみたいだから、あなたたちは会議室に行って。お父様が先に待ってるわ」
「社長直々かよ、出世したなあたしらも」
「浮かれるな。行くぞ、みんな!」
ジェイサムに引き連れられ、ぞろぞろと会議室に向かう解放戦線の面々。
その場には、メアリーとキューシーだけが残された。
「さて、と……今回の戦い、大変だったわね。お疲れ様、メアリー」
先ほどより表情を緩めて、キューシーはそう言った。
思わずメアリーの頬もほころぶ。
「キューシーさんこそお疲れ様でした。本当に体は大丈夫なんですか?」
「実を言うと、全然ダメ。本調子には程遠い」
「やっぱり……休んでてください」
「体はそのうち治るわ。大事なのは心のケアよ」
「つまり、私と話すと癒やされるということですか?」
からかっているのかと思いきや、メアリーはいたって素の表情。
それだけに、キューシーは無性に恥ずかしくなった。
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど……退屈は心の大敵って言いたいの!」
「私はキューシーさんと話すの楽しいですよ」
「だーかーらー!」
「ふふふっ」
「ったく……あんた、こんな時によく笑えるわね。自分がホムンクルスだったとか、ショックじゃなかったの?」
窓に背中を預け、不満げに、しかし心配するように尋ねるキューシー。
「傷つきましたよ。でもお姉様が死んだ傷に比べたら、かすり傷ですから」
「比べるもんじゃないでしょう。辛いときは辛いって言いなさい」
「そうですねぇ……辛いです」
「ほらね」
「でも、今はそういうのを通り越して、よくわからないです。自分が普通の人間じゃなかったり、天使を名乗る化物が出てきたり、アルカナ使いを食べるとその力を使えるようになったり……そのせいで、お姉様がアルカナ使いだったことがわかったり」
「……は? そうだったの!?」
「そうなんですよ。私、たまにお姉様の声が聞こえたり、幽霊みたいな姿が見えたりしてたんです。きっとお姉様の遺志だろう、とか勝手に期待していたのに――私を導いていたのは、お姉様の姿をした『星』のアルカナだったんですから」
「導く能力……未来予知めいた判断力って言われてたけど、本当に未来が見えてたってこと? だからわたくしのあれこれも、ぜーんぶお見通しだったってわけね」
無論、フランシス自身の頭の良さだってある。
だがその能力がある以上、キューシーは彼女に逆立ちしたって敵わなかっただろう。
「にしても、よく隠し通せたわね」
「お姉様は水の魔術を使っていました」
「アルカナは魔力の貯蔵域を占有するはずでしょ?」
「例外もある、ということでしょう。戦闘能力には直結しないアルカナのようですから」
「ふぅん……彼女がアルカナ使いってわかったら、父親は大喜びでしょうに」
「だから、隠したんでしょうね。お姉様は王位継承を拒んでいましたから」
「あー、わかる気がするわ。めんどくさいとか言って拒否しそう」
「まさにその通りです」
フランシスは基本的に優秀だし、行動力もあったが、本当に嫌なことはきっぱりと断る主義だった。
王位継承もそのうちの一つだったということだ。
あるいは、『星』がそう判断したのかもしれないが。
「やっぱりフランシスを女王にするって話もあったの?」
「はい、お父様が再婚するまでは、血を引くのは私とお姉様だけでしたから」
「エドワード王子は妾の子だったわよね。コンプレックスは相当なものだったでしょう……」
ふいに、遠い目をして窓の外を見つめるキューシー。
「キューシーさん……?」
急な感情の変動に、メアリーは首をかしげる。
するとキューシーは、寂しげな表情で口を開いた。
「実はわたくしね、マジョラーム家の子供じゃないのよ」
「え? でも――」
「戦災孤児。物心つくまえに、国境地帯の戦いで両親を失って……それで、お父様が引き取ってくれたの」
「そう、だったんですか……」
要するに、メアリーが感じた『この親子は似ていない』という感覚は間違いではなかったのだ。
「お父様もね、私を引き取る直前に奥さんを亡くしてて。しかも妊娠中だったらしいのよねー……だからわたくしは、それはもう可愛がられて育ってきた」
「だから、というわけでは無いと思います。ノーテッドさんは優しい父親ですから」
「まーね。でも、そう思っちゃうのよ、張本人はね」
キューシーとて、ノーテッドの愛情の深さは知っている。
それでも、どれだけ自分に言い聞かせようと、変わらず“それ”は居座り続けた。
「わたくしは失った家族の代わり。本当の娘にはなれない。違うってわかってても、頭のどっかに、常にそういう考えが張り付いてる」
「……もしかして、無茶な手術を受けたりしたのは」
「わたくしは魔術師ですらない。せめてアルカナ使いになれれば、マジョラームの役に立てる……そう思ったんだけど」
そこまで言って、突然、キューシーは自虐っぽく笑って肩を震わせた。
「ふふっ……当時、それを知ったお父様に、こっぴどく怒られましたわ。あんな顔をしたお父様を見たのは初めてってぐらいに」
「当たり前です!」
命に関わる手術を、親に内緒で勝手に受けたのだ
しかも、手がかりは盗んだ情報だけ、手術を行ったのはそのノウハウもないマジョラームの社員である。
何を馬鹿げたことを――と、ノーテッドが激怒する姿が頭に浮かぶようだ。
だがそんな父親の姿を想像して――
「親は――親は、それぐらい……子供の、心配、を……」
メアリーは言葉に詰まる。
その“当たり前”は、彼女の家族にとっては、当たり前ではなかったから。
「ごめんなさい、お互いに得しない話だったわね」
「……キューシーさんとノーテッドさんは、とても父娘らしいと思います。たとえ、血が繋がっていなくとも」
「義理だからこそ、そうあろうとするのかもしれないわね――」
実の父娘は冷めていて、義理の父娘は暖かく。
前者は殺し合いを、後者はより家族に近づく方法を探している。
こんな虚しい対比、考えるだけ苦しくなるだけだった。
「ごめんね脱線しちゃって」
繰り返し謝るキューシー。
メアリーはそれを否定するように笑みを浮かべるも、表情には力がない。
「いえ、キューシーさんのことが知れてよかったです」
「知って嬉しい間柄?」
「当然です。私の中ではもうお友達ですから」
「判定が軽いわねー、あくまでギブアンドテイクの関係よ? 王女様とお友達ってのは商売の目線からも悪くないけど」
「素直じゃないですねえ」
「そこはせめて意地悪って言いなさいよ」
キューシーがメアリーの額をつつくと、二人は声を出して笑った。
「……で、また脱線しちゃったけど、何の話をしてたんだっけ」
「お姉様がアルカナ使いだってことを隠していた話です」
「ああ、そうそう。王位継承権がどうこうって」
重い空気もリセットされたところで、話題は元に戻る。
「ええ、正式な王位継承権はお兄様にあるにせよ、お姉様のほうが人気が高いのは事実です。大臣たちの中には、お姉様を担ぎ上げたい人たちもいます。そんなタイミングでアルカナ使いだと判明したら――」
「こじれるでしょうね。下手すれば内戦まっしぐらだわ」
王位継承をめぐる内戦は、歴史の中で見てもそう珍しくはない。
だが、漁夫の利を狙う第三勢力が明確に存在する今は、タイミングとして最悪である。
「でもそれって、うちにしてみれば美味しい話よね」
「む……」
「フランシスが死んだ今となっては、遅すぎるけど。でもそうね、彼女を殺害したのがエドワード王子の派閥だって情報を流してみようかしら。そしてメアリー王女は死んだ姉の代わりに女王を目指して立ち上がる。きっと国民の人気は一気に集中するわ」
「むー……!」
フランシスの死を利用するようなキューシーの発想に、メアリーの頬は風船のように膨らんだ。
「ふふっ。冗談よ、膨れないの。ただ、似たようなことを考えるやつはいるでしょうね。フランシスの死を知るものはまだ少ない。行方不明扱いとして取り上げる新聞が何社かある程度。誰かに利用される前に、先手は打ちたいところだわ」
「政争に首を突っ込むつもりはありません」
「利用するぐらいの気概はあっていいと思うわよ。メアリーがそういうのに向いてないってのはわかるけど」
「お姉様も嫌っていました。ですがお姉様の場合、実際に直面したら、誰よりもうまく立ち回るんでしょうね」
「そういう知性こそが、フランシス人気の秘訣よね」
「人気があるのは美人だからじゃないですか?」
「知的だからでしょう」
「お姉様には、万人を魅了する魔性があると思います」
「あんたがシスコンだからよ。美人だけど、普通の美人の範疇だわ」
「キューシーさんは魅了されなかったんですか?」
「されるか!」
「私はばっちりされてます、骨の髄まで!」
「何で自慢げなのよ……」
姉の話をするとき、メアリーは無駄に誇らしげになる。
それほどまでに、フランシスはメアリーにとっての理想であり、夢であり、尊敬の対象だったのだ。
「これはきっと、永遠に解けない魔法です」
「まるで呪いじゃない」
キューシーがそう言っても、なおメアリーは嬉しそうだ。
「呪いでもいいんです。それがお姉様の遺したものなら、喜んで私は受け入れます」
「……まあ、生きてる子をないがしろにしないなら、それでも構わないと思うわ」
「生きてる子?」
「ほら、来たわよ」
猛スピードで駆ける足音。
メアリーの視線がそちらを向いた瞬間、アミはジャンプして、その胸に飛び込んだ。
「おねーちゃーんっ! どすーんっ! ばふーんっ! ぐりぐりーっ!」
「うわわ、アミちゃんっ! どうしたんですか急に」
「甘えたいざかり!」
「それは大変ですね。ぎゅーってしてあげます」
「やったー! お姉ちゃん大好きー!」
メアリーは突然現れたアミに驚きながらも、彼女の温かい体を抱きしめた。
そしてぐりぐりと頭を撫で回して、甘やかし、愛でる。
残された時間で、少しでも彼女に幸せを与えるために。
じゃれあう二人の様子を、キューシーは呆れた様子で眺めていた。
「元気になったらなったで騒がしいわね……」
「キューシーもメアリーに抱きつきたかったの?」
「違うわよ! というか呼び捨て!」
「ふふん、私は王女様の妹だから」
「調子に乗るな平民」
「王族に無礼だぞー!」
「まあまあ、二人とも落ち着いてください」
犬猿の仲――というよりは、二人もまた違う形でじゃれあっているだけなのだろう。
戦いを目前に控え、平和なひとときを過ごす。
体を癒やし、心を満たし、ドゥーガンとの最後の戦いに備えて。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!