射出された車輪が天使に近づくと、空間がぐにゃりと歪む。
肉が弾ける。
それは天使にまとわりつくように周囲を飛び回り、ただそれだけで、気味の悪い赤い体を傷だらけにしていく。
「ため息が出るほど目障りだな」
だが天使が両手を握ると、体から光が放たれ、車輪を焼き尽くした。
距離を取っていたメアリーは、骨の盾でそれを防ぐ。
だが表面は一瞬で焼け焦げ、開いた穴から貫通した光が、彼女の体をわずかに焼いた。
ボロボロと盾が崩れ落ちる。
視線の先にいるアミとメアリーの目が合う。
少女は白い歯を見せて、前と変わらぬ笑顔を浮かべ、元気な声でこう言った。
「ここは私に任せてっ! メアリー様、作戦があるんでしょっ?」
「この敵は危険です!」
「大丈夫だよっ、今の私、すっごく強いから! 足止めどころか、この化物を倒せちゃうかもね?」
「……舐められたものだな」
天使が手をかざし、アミの頭部を光線が狙う。
しかし、彼女の周囲を飛ぶ車輪が自動迎撃し、弾いた。
天使の表情が不快そうに歪む。
「見てのとおりだよっ」
「……っ、お願いします、アミちゃん!」
「ふふ、任されたっ! メアリー様に頼りにされるなんて夢みたい!」
説明を聞くのは後回しだ。
メアリーは、アミが生きていたことへの喜びをエンジンに、天使に背を向け走りだす。
「逃さんよ」
天使はメアリーに向かって手をかざすも、
「俺たちのことも――」
「忘れられちゃあ困るんだよなあ!」
解放戦線の放った魔導銃に邪魔をされる。
それしき大したダメージではないが――先ほども言ったように、蚊が飛び回る程度には鬱陶しいのだ。
加えて、いつの間にか接近していたアミの存在――
「速い――!」
「だって私は車輪だもん!」
地面を蹴って、サマーソルトキック。
足裏には、彼女を高速移動させた、動攻一体の車輪が張り付いている。
天使の体は、まるで斬撃でも受けたように、深く大きく傷つく。
後退し、再生する傷口を手で押さえながら、天使は言った。
「25000程度で調子に乗るなよ、しょせんはただのアルカナに過ぎん!」
光を纏った拳がアミに襲いかかる。
対するアミも、腕の周囲に車輪を浮かべ、真正面から握り拳をぶつけた。
「てやぁぁぁあああっ!」
車輪は運命を歪め、攻撃するだけではない。
アミの車輪は、力を加速させる――
「止めるか、この力をぉッ!」
「止めるよ! メアリー様への気持ちが、私をどこまでも強くするから!」
魔力同士が衝突し、弾ける。
フロアは光で真っ白に染まり、吹き荒れる風に、解放戦線の面々は思わず顔を両腕でかばった。
◇◇◇
戦線を離脱したメアリーは、隔壁で閉ざされた階段の前へ。
それを破壊すべく、背中から腕を生やして叩きつけようとすると――
「開いた……?」
まるでメアリーを迎え入れるように、隔壁は開かれる。
訝しみながらも、上り階段に足を置くと、近くにあったスピーカーから声が聞こえた。
『王女様、聞こえるかい?』
「ノーテッドさんですか?」
『うん、解放戦線の人たちが協力したおかげで、そのあたりのコントロールを奪取できた。サポートするから、王女様は行きたい場所に行ってくれ』
「助かります!」
『それと、敵のアルカナについてだけど』
ノーテッドがいいかけたところで、天井からアオイが頭を出す。
「私は運がいい」
メアリーの道を塞ぐように、目の前の壁がせり出した。
「あなたを、この手で殺せるなんて」
後退すれば回避は容易。
だが彼女はリスクを負ってでも、前に進むことを選んだ。
押しつぶされそうになりながら、ギリギリで間をすり抜ける。
『王女様、『塔』だ! そいつのアルカ――』
端末から響くノーテッドの声が途切れる。
再度、コントロールを奪われたのだろう。
「塔のアルカナ……ありがたい情報です!」
「あの男、余計なことを」
アオイは少し苛立たしげだ。
そんな感情を反映してか、次々と壁を動かし、メアリーを攻撃する。
「でも、アルカナが判明しても、関係ないわ。あなたは逃げられない。イレギュラーが起きたおかげで、結果として、こうして、殺すチャンスをもらった。仕留めないと。必ず、必ず……」
執念を感じさせる声で、上層階を目指すメアリーを追い詰めていく。
彼女はそれを、壁に爪を引っ掛けて、立体的な動きですり抜けていく。
普通の人間なら避けられない――その程度の攻撃では、メアリーを捉えることはできないのだ。
「どこへ行くの、メアリー。どこへ行ったって、私はどこにでもいる。この空間全てが、私の味方」
メアリーは目的の階層に到着。
それに合わせて、カメラから様子を見ていたノーテッドが、隔壁を開く。
もちろんアオイはそれを許さない、すぐさまコントロールを奪取し閉ざす。
だがメアリーは、わずかな隙間から体を滑り込ませ、廊下に出ることに成功した。
(塔……やはりそういうことですか。セキュリティに優れたビルは、逆に敵にとっては格好の餌だった――都合の悪い偶然です。こういう“裏目”ばかり続いている!)
そして今度は、直線に伸びる廊下を走った。
(『星』のアルカナも、もうちょっと私を導いてくれていいと思うんですが――あるいは、この状況が最善ということなんでしょうか。でしたら最悪ですね)
星は答えない。
マジョラーム本社に逃げなければ、アオイは攻め込んで来なかっただろう。
だが、それはメアリーが知り得る情報ではない。
不運にも、運が敵に味方してしまっただけのことである。
「心傷風景」
廊下に出ても、アオイの攻撃は続く。
メアリーの行く手を遮るように、フランシスの姿をした幻影が立ちはだかった。
「メアリー、私と一緒に――」
「邪魔です」
メアリーは腕から伸ばしたブレードを無感情に振り下ろす。
幻影はご丁寧にグロテスクな臓物をぶちまけながら、恨めしそうに手を伸ばしながら倒れた。
すると、与えた傷がメアリーに跳ね返り、体から血が噴き出す。
常人ならば致命傷。
だがそれは、彼女が動じるほどの痛みではない。
「んくっ……今さら、お姉様の偽物で止められるとでも思ったんですか?」
「カラリアといい、つまらない。普通なら死ぬのに」
「普通を想定している時点で甘いんですッ!」
メアリーの行く手を遮るように、床からフランシスが生えて、掴みかかってくる。
幸い、それ自体の力は大したものではない。
だがほんの少しでも足を止めれば、数に押しつぶされて、同時に複数体の幻影を破壊する羽目になる。
そうなった場合、メアリーに反射するダメージは、決して無視できるものではないだろう。
ゆえに、足止めを食わぬよう、最低限は幻影を撃破しながら進む必要があった。
「そう、バルコニーを目指すの……ふふ、単純な考え。建物から出ればいいと、そう思っている」
アオイはメアリーの目的地に気づく。
廊下の端に設置された扉、その向こうにある広いバルコニー――普段は社員の憩いの場として利用されるスペースだ。
そこにたどり着けば、メアリーは勝機があると考えているらしい。
しかし、それでもなお、アオイは冗長にも心傷風景を使い同じ攻撃を繰り返す。
まるで、ここで殺す必要はないとでも言うように。
「でも……ほら、見てよ」
その余裕の理由を見せつけるように――アオイは壁から体を出して、窓の外を指差した。
メアリーはちらりとそちらに視線を向けた。
ぬうっと、まるで夜に覆われたように廊下が暗くなったかと思うと、闇の中央にぎょろりと巨大な目が開く。
金色の眼が、駆けるメアリーを凝視した。
「無貌虚人。触れたら終わりの、塔の番人。私が能力を解除しない限り、自動的に、例外なく、塔から出ようとする、全ての人間を消滅させる」
アオイは自慢げに語る。
「つまり、『塔』に囚われた者は、二度と外に出られない、ということ」
そう、このビルにメアリーたちが入った時点で、アオイの勝利は確定していたのだ。
対象が“塔”であると限られているからこその、理不尽な力。
今でこそビルのような建物も存在するが、昔は塔などわずかしか存在しなかったのだから、対価としては相応と言えよう。
「バルコニーに出て、どうする? 作戦、台無しでしょう? ほら、巨人がじっと、こっちを見てる。きっと、あなたを食べたいのね」
なおもメアリーはがむしゃらに走った。
アオイの言葉に耳を貸すつもりはない、と言わんばかりに。
そして扉を蹴飛ばし、バルコニーへ出た。
それは空中庭園とも呼ぶべき、マジョラームご自慢の広い空間。
だがそこには、期待したような青空はない。
見上げれば、大きな眼を開いた巨人が、こちらを見下ろしていた。
「さあ、終着点よ、メアリー。私ね、成長したあなたを見られて、幸せだったわ」
メアリーは無言で、腕から長い骨を引き抜き、それを両手で握る。
装飾加工、刃の展開、埋葬鎌は死者の怨嗟と魔力を纏う。
まだ諦めるつもりはない――彼女のそういう意思表示だった。
そしてメアリーは、棒立ちでこちらを見るアオイに斬りかかる。
しかしその体は刃が触れる直前に、床の中に溶けて消えた。
「確かに、壁も天井もない場所じゃ、私の動きは制限される……けれどそれだけ。塔という空間にいる限り、私に、攻撃は当たらない」
「ふっ! はあぁぁああっ!」
すぐさま床を斬りつけるメアリーだが、それでダメージを与えられないことは、すでに確認済みだ。
「ふふふ、がむしゃらに、攻撃するだけ? 建物をボロボロにしては、マジョラームに怒られるわよ」
「このっ! てぇいっ! せええぇぇえいっ!」
「必死で可愛らしいわね。でも、私には届かない。むしろ、逆効果」
アオイは自分の身代わりにするように、フランシスの幻影を生み出す。
鎌を振り回すメアリーは刃を止めれず、それを断ち切り――逆に自らが傷を負った。
「づっ、ぐ……がああぁぁあああっ!」
メアリーは、血を流しながら、なおも執拗にアオイを狙う。
「ああ、そういえば、カラリアと戦ったときも、同じように暴れていたわね」
彼女は懐かしむように目を細め、場違いに穏やかな声で言った。
「まるで、子供が駄々をこねているよう」
だがすぐに、声色は元の冷たいものに戻る。
反撃の手段を失い、ただただ無差別に鎌を振り回すメアリーを憐れむように。
斬りかかっては避けられ――それを何度も繰り返しながら、徐々にメアリーは体力を消耗していく。
「留まっても死ぬ。離れても死ぬ。戻っても、あれがあなたを待っている。終わりよ、メアリー。これで、何もかも」
もはや見苦しいほどの悪あがき。
アオイは巨人をバックに、両手を広げて、笑うほどの余裕を見せた。
一方のメアリーは、この期に及んで、さらなる魔力を鎌に注ぐ。
「死者千人分埋葬鎌――はあぁぁぁぁああああッ!」
空回りする闘志と共に、巨大化した刃を振るう――
「だから、無駄……あら?」
すぐさま床に沈み、逃げようとしたアオイだが、力が発動しない。
いつの間にか巨人は消え、空も晴れていた。
「どうして――」
「ふぅ、頑丈でした。さすがマジョラームのビルです」
メアリーがそう言うと、ズズズ――と地鳴りが響き、アオイの足元がぐらりと傾く。
「塔の中では無敵だというのなら、塔から切り離せばいいだけのことです」
「まさか、今の攻撃で?」
メアリーは、何も考えずに、がむしゃらに床を斬りつけていたわけではない。
このバルコニーならば、建物ごと切断も可能だと判断した上での行動だった。
無論、それで『塔』の能力が解除されるかはわからないので、賭けではあったが――
「いけない、戻らな――はぶっ!?」
とっさに駆け出すアオイだが、能力がなければただの女。
一瞬で接近したメアリーは、背中から生やした腕でその体を掴む。
そして崩れるバルコニーを助走し、アオイと共に高く飛び上がった。
「い、いやあぁっ! 離して、離してええぇぇっ!」
初めて大きな声をあげるアオイ。
だがメアリーが耳を貸すはずもなく、その体はビル上層階から、地面へ向けて落下していく。
風に吹かれ、前髪が舞い上がると、初めてアオイは素顔を晒した。
そこには――顔が無かった。
皮は剥がれ、鼻も削がれた、無惨な有様だった。
かつてはフランシスに似た可愛らしい顔をしていただろうに。
メアリーは驚いた。
しかし、それが手を止める理由には成り得ない。
「離せえぇっ! どうして、私がメアリーに殺されないといけないのっ!? 私がっ、私たちは、あなたが生まれたから、こんな目にぃっ! 私だって、望んで生まれたわけじゃない! 生まれたくなかった! こんな人生ならぁっ!」
メアリーの作戦が成立したのには、いくつか理由がある。
まずひとつ、アオイは隠れたまま攻撃ができないということ。
絶潰封域や心傷風景の発動時、彼女は必ず姿を現す。
ゆえに、位置の特定や誘導も難しくはなかった。
次に、彼女の戦闘経験が乏しいこと。
使用条件が縛られている都合上、仕方ないのかもしれないが、アオイはメアリーに負けず劣らずの“人殺しの素人”だ。
だから、塔の中にいる限りは無敵なのに、攻撃を受けると焦る。驚く。誘導される。
そして最後に、アオイがメアリーに執着しているということ。
どうあっても、自分の手で殺したい――そんな、憎しみにも似た感情を、メアリーに向けていた。
だから、視野が狭まり、建物の切断という単純な作戦に気づけなかったのだ。
「待って、嫌よ。私、死にたくないの! 違う、こんなの――私が望んだわけじゃ――」
じたばたと暴れていたアオイ。
だが、急に動きが止まる。
虚空を見つめ、まるで何かに思いを馳せるような表情を見せた。
そして、諦めたように体から力を抜き――
「――ねえメアリー、助けて」
そう言って、ひとしずくの涙がこぼれる。
直後、アオイの体は地面に叩きつけられ、弾けた。
メアリーの腕には、衝撃と、肉が潰れる感触が残る。
確かめるまでもなく、即死――彼女は手に付いた涙を振り払うと、背中から口を伸ばして、飛び散った血の花の中央に横たわる、アオイの死体を喰らった。
牙がぐちゅ、ぐちゅ、と死体を咀嚼し、隙間から血がだらりと落ちる。
「これで、『塔』の能力が得られるは……ず……っ!?」
最初の一口――ごくりと飲み込んだ瞬間、メアリーは頭を押さえた。
破裂しそうなほどの何かが、頭に流れてくる。
「が、あ、ひっ……ぶ、ぐ……っ」
こみ上げてくる吐き気に耐えながら、よろめく。
すると、ただの“奔流”だったそれが、脳の中で整理され、再生された。
『いい拾い物だった。王女と同じ顔のおもちゃなど、そうそう手に入るものではないからな』
『反応が悪いな。おもちゃなら、遊んでもらったら“ありがとう”じゃないのか? おい!』
『そんなに自分の顔が嫌いか? 私に遊ばれるから嫌い? はは、理由なんてどうでもいい。嫌いなら無くしてやろう』
『美しいものを壊す……背徳感だな。いい表情だぞ、アオイ。その絶望した顔、もっと私に見せてくれ!』
思い出したくない。
けれど忘れられない、地獄の思い出。
そして――
『ヘムロックおねーちゃん、カリンガおにーちゃん。あそぼ?』
『ねえディジー、いっしょに行こうよ』
『この子もわたしたちのいもうと?』
『メアリーっていうの?』
『メアリー。メアリー。おねえちゃんだよー、よしよし』
アオイの人生において貴重な、幸せだった頃の記憶。
まだ幼いから、思い出そうとしても思い出せなかった。
死を目前にした走馬灯だからこそ、頭に思い浮かんだ風景である。
つまり、彼女の最期の言葉は、それを思い出して――
「う、ぷっ……! うぇ……けほっ、げほっ!」
記憶と一緒に感情まで流れ込んでくる。
メアリーは思わず壁に手を当て、嘔吐した。
そんな彼女に、フランシスの姿をした『星』が語りかける。
『アルカナは術者の魂と強く結びつく。ゆえに、術者が死ぬと、その人間が持っていた“強烈な記憶”――いわゆる走馬灯というやつが、一時的に焼き付くんだ。本来、継承には時間がかかるから、それが他者に影響を及ぼすことはないけれど――『死神』の場合は例外さ』
「どうして……最初に、お姉様を食べたときは……」
『アルカナが体に馴染み、秘神武装が覚醒したからだよ。だから、フランシスの記憶は、夢という形で遅れて見ることになった』
「じゃあ、やっぱり……あの夢は、現実に起きた出来事……」
メアリーは膝をついて、うなだれる。
そして肩を震わせ、力なく笑った。
「アオイ……カリンガ……ヘムロック……私も含めて、みな家族、だったとでも? ははは、ふざけないでくださいよ……今さらそんなことを言われたって、後味が悪くなるだけじゃないですかッ! 私に関係ないことを、身勝手に押し付けて!」
彼女は血が出るほど強く、目の前の壁に額を叩きつけた。
「……最悪、です」
それでも戦いは続く。
メアリーは目的を達したのだ、ならば次にやるべきことがある。
彼女はよろよろと立ち上がると、本社ビルに近づく。
そして壁に手を当て、沈んだ声で言った。
「でも、やることは変わらない。お姉様の仇は皆殺しにする。それだけです。秘神武装――『塔』」
すると、メアリーの体は溶けるようにビルに沈んで消えた。
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