――私は何者なのだろう。
カラリアは、何度もそう考えたことがある。
ユスティアに直接聞いてみたこともあった。
『なあユーリィ、どうして私はこんなに頑丈なんだ?』
『私が食事に気を遣っていたからだ』
『なあユーリィ、どうして私は魔力の放出量が極端に少ないのに、貯蔵量だけは多いんだ?』
『私がそういうふうに育てたからだ』
思えば、あまりに下手な誤魔化し方である。
しかし当時のカラリアには、それ以上追及することはできなかった。
ただ気になるだけで、別に人生に関わるような大きな謎ではないから。
しかし一度だけ――酒場でベロベロに酔ったユスティアからこんな話を聞いたことがある。
『昔なぁ、まだカラリアがそこらの新兵より小さかったとき、一度だけ悪人にさらわれたことがあるんだ。そいつは悪の親玉みたいなやつで、以前、依頼で部下を捕まえたことがあった。その恨みを買っちまったんだな』
『私は無事だったんだな』
『頑張ったんだ、私が』
『偉いな』
『うへへ……でもなぁ、そのあとからなんだよなぁ……』
『何がだ?』
『病弱だったカラリアが全然、病気にならなくなったのは』
その話が酔っ払いの口から出た与太話でなければ、おそらくカラリアが超人的な身体能力を手に入れたのも、そのときのことなのだろう。
それは、カラリアが特殊な能力を持ったホムンクルスだったからなのか。
それとも、さらった男たちに手術でも施されたのか。
謎は謎のまま、ユスティアが逝ってしまったものだから、明かされることはなかった。
仕方のないことだ、とカラリアも諦めていた。
しかしこうなると、そうもいかなくなってくる。
『……私はなぜ生きているんだ?』
確かに焼け焦げて、ユーリィに取り込まれたはずだった。
だが、『世界』の支配に抗っていたときのように、カラリアは他者の魔力に沈みながらも、溶けずに己を保っている。
『魔力の放出口が無い。つまり入り口もない……だから私は無事なのか? そんな理由で?』
そう理屈でも付けないと、状況が理解できなかった。
周囲は淡い紅色で、温度は程よく温かく、呼吸はできないが苦しく感じることはない。
喋ることはできるが、聞こえている“それ”が空気の振動による“声”なのかわからなかった。
『ユーリィの中なのは間違いなさそうだ。一体、何がどうなっているんだ』
困惑するカラリア。
彼女は立ち上がろうとしたが、手足に相当する器官が無いことに気づいた。
代わりに、意識だけで空間を自由に泳ぐことができる。
薄紅色の“壁”の近くまでやってきた。
そこから透けて、外の風景が見える。
そこではメアリーが戦っていた。
時に怒りに顔を歪ませ、時に狂気に呑まれ笑みを浮かべる。
常軌と逸脱の狭間を行き来する、危うい姿を。
『私のせいだな……私が、メアリーをここまで連れてきてしまった』
もはやこの世界は、正常な人間が、正気を保って生きられる場所ではないのだ。
おそらくここに来るまでの間に、キューシーやアミのことも殺してきたのだろう。
その嘆きを、殺意に変えて発散するしかない。
だがそれでも、失った空白を埋めることはできない。
空白は精神から安定性を奪い、彼女の心は積み木のように崩れていく。
『それが本当に正しかったのか、私にはわからない。だが、私なりに正しいと思えることをしたつもりだ。そして、これからも――』
視線を移す。
ユーリィの体は、ビル全体に血管のように広がっている。
その中を、粒子のように生命が飛び交っていた。
数が減ったら分裂し、それを繰り返して擬似的な不老不死を実現している。
カラリアは手を伸ばした。
手は存在しないが、そう認識すると、似た“何か”が伸びるのだ。
そして生命を掴んだ。
それはカラリアの手の中から逃げようともがくが、力は弱かった。
『私は、メアリーが進む道の先に、必ず光があると信じている』
彼女は同じ調子で粒子を集めていった。
“外”でメアリーがユーリィを切ると、粒子は喪失分を埋めようと、分裂を始めようとする。
だがカラリアが掴みさえすれば、止めることができた。
彼女は地道にそれを繰り返し、散らばった生命を一箇所に集めていく――
◇◇◇
「疲れるだけだよ、諦めて先に進みなよ」
挑発するユーリィ。
「いいえ、必ず殺す方法を見つけ出してみせます!」
それに乗らず、ひたすら彼女を殺し続けるメアリー。
今の彼女に疲労という概念は無いにも等しいのか――全力での戦闘を長時間続けているが、その動きが鈍ることはなかった。
対するユーリィも同様に、あたかも無尽蔵の魔力があるかのように振る舞う。
『審判』と『正義』を使っていたとしても、ここまでの魔力が得られるとは考えにくい。
ひょっとすると、彼女は『世界』の血も取り込んで、それを魔力の増幅に利用しているのかもしれない。
(このまま数ヶ月も戦っていれば、ユーリィは魔力切れを起こすでしょう。ですがそれでは間に合いません。他の方法で殺さない限りは――)
飽き飽きするほどに続けられる殺戮と再生。
その中で、ユーリィという存在は、やはり、確実に小さくなっている。
ここはビルの中。
メアリーの『塔』を使えば、違和感の答えは一目瞭然であった。
ユーリィも少し遅れてそれに気づいたのか、新たな体を生み出すと、首をかしげる。
「異物に干渉されている?」
「その反応、あなたにとっても想定外のことでしたか」
「おかしいな、メアリー王女に、私の体内に侵入するようなアルカナは宿っていなかったはずだけど」
「『節制』で再生を禁止しました」
「全ての命を同時に止めることはできない」
「『教皇』で生命を石化させました」
「同様の理由でそれも通らない」
「なかなか納得してもらえませんね。では――」
「誰かが、私の中で、私の命を拾い集めている。心臓を作り出そうとしている……?」
「誤魔化すまでもなく、わかってしまいましたか。そんなことができる“誰か”なんて、一人しかいないんじゃないですか」
それは明らかに、ユーリィに敵対する意志を持つ者。
メアリーは思わず笑みを浮かべた。
それは人を殺しているときに得られる愉楽によるものではない。
心からの、純粋な笑顔――
「彼女が、私と一緒に戦っているんですよ」
「ん、くっ……」
どくん、とユーリィの胸が跳ねた。
彼女は膝を付き、苦しげな表情を浮かべる。
「紛いなりにも神の力。姉さんは、それに抗えるだけの何かを、生み出していたとでもいうの? いや、違う。だってカラリアは、他のホムンクルスと製造過程は変わらないはず。私はそれを知っている」
「理屈なんて気にする人、もう誰も残ってませんよ。結果が全てです。ねえ、カラリアさん」
メアリーが呼ぶと、少し離れた場所で肉の蕾が生まれる。
そこから現れたのは、紛れもなく、メイド服に身を包んだカラリア本人だった。
「すまないな、メアリー。存外に時間がかかってしまったよ」
彼女の手のひらには、脈を打つ心臓が握られていた。
「それは、私の心臓……私の命! なぜ? なぜそんなことができるんだい? なぜ私の肉を使って自分の体を作ったりできるんだい!?」
「魔術を弾く体質だからな」
「取り込んだのに、支配しきれなかったとでも……?」
「たぶんそういうことだろう。あとは、袋に空気を閉じ込める要領だよ、それで一箇所にお前の命を集めたんだ」
「理由を教えてくれ。姉さんがそういう処置を施したとでも?」
「ユスティアは何も知らないさ。いや、知ろうとしなかったんだろうな」
「どういうことだい?」
カラリアは母であるユスティアのことが好きだ。
だが、それはそうとして、彼女が研究所から逃げたことも、また事実だと思う。
「逃げたんだよ。姉妹の血を混ぜ合わせて生まれた私が、特別な力を得たという現実から」
きっと、それがユスティアが度を越したお人好しだった理由なのだ。
罪の意識があるからこそ、必要以上に他人に優しくなれる。
自分を捨ててでも誰かを救うことが、自分の償いだと思いこんでいる。
そんな後ろ向きな彼女だから――カラリアが明らかに正常ではない肉体を得ても、詳しく調べようとはしなかった。
「どうして」
「少しでも普通の生活を送りたかったんじゃないか」
「無責任だ!」
「ああ、仮にそれが事実なら、ユスティアは無責任だ。だが、今はどうでもいいことじゃないか? 重要なのは、ユーリィの心臓がここにあるという現実を受け入れるってことだ」
「私が思うに、きっとユスティアさんは、カラリアさんが何者かなんてどうでもよかったんだと思いますよ。生まれがどうであれ、彼女にとってあなたは最愛の娘だったんですから」
メアリーは知っている。
たとえ罪悪感や逃避から始まった関係であっても、やがてそれが本物の愛情に変わることもあるのだと。
「ふ、そう言ってもらえると救われるな」
「勝手に救われないでくれるかな。もし姉さんが、自力で神に抗えるだけの力を生み出したのだとしたら、それこそ、私だけが残されて研究を続けたのが馬鹿みたいじゃないか! どうして戻ってきてくれなかったんだ、どうして、どうしてッ!」
「お前が殺さなければ、それも聞けたかもしれないな」
結局、全てはそこに立ち返る。
カラリアの出生がどうだろうが、能力が何だろうが、ユーリィがユスティアの仇であるという事実は変わらない。
彼女が手の中の心臓を少し強めに握ると、ユーリィは胸を押さえて苦しんだ。
「ぐっ、う……この体で、こんな苦痛を感じるなんて……!」
「見てのとおりだ、メアリー。この心臓を破壊すればユーリィは死ぬ」
「だけど……私が死ねばカラリアも死ぬよ。王女様はそれで一人ぼっちだ、いいのかな?」
「安心しろユーリィ。メアリーも今さら私が生き残れるとは思っていない。そうだろう?」
「……ええ、知っていましたよ。もう死んでるんだって。その体も、ユーリィの一部を間借りしてるだけなんでしょうから。カラリアさんを殺して初めて、完全にユーリィを殺すことになるんです」
「聞いての通りだ。彼女は覚悟している。ちゃんと私ごとお前を殺してくれる」
「そんなこと……せっかくここまで生き延びたのに。姉さんが私を拒んだこの世界が終わるところを、この目で見られないなんて! そんなことがあっていいはずが――」
不快な癇癪を、メアリーの砲弾が吹き飛ばした。
「あがっ……私、は……何の、ため、に……うひっ」
ユーリィの肉体は破壊され、他の命は全てカラリアの持つ心臓に集まっている。
ゆえに、二度と再生して出てくることはない。
メアリーとカラリアは、ようやく二人きりになった。
「……何だか、久しぶりな気がしますね」
「別れてからほんの少ししか経っていないのにな」
「それを言い出したら、出会ってから一ヶ月も経ってませんよ」
「一緒に過ごした時間が濃すぎたんだ」
「もっと、ゆっくり距離を縮めたかったですね」
「仕方ないさ、毎日のように命を懸けていたのだから。だから……距離が縮まるのも早かったんだろうな」
「ですが私、別の出会い方をしてても、みんなと仲良くなれたと思ってます」
「私だってそう思う。王城の求人に応募して、純粋にメイドとしてメアリーに仕えてみたかったよ」
「そこにはお姉さまも、アミも一緒にいて、キューシーさんも週末になると遊びにくるんです」
「騒がしそうだ」
「でも楽しいですよ、絶対に」
メアリーは目を細めると、微笑んだ。
カラリアもその暖かな想像に、口元が緩む。
「……なあメアリー、キューシーとアミはどうなったんだ?」
「二人ともちゃんとお別れしました。キューシーさんに背中を押してもらって、アミとは結婚しちゃいました」
そう言って、メアリーは指輪を見せつけた。
さすがにこれにはカラリアも驚いた様子で、軽く目を見開いている。
「さすがアミ、大胆だな。いかんな……私はこの手の話題に疎くてな、どうしても出遅れてしまう」
「いきなりキスしたじゃないですか」
「あれは……焦っていたからだ」
「今なら理由がわかります」
「だが、何もかも、私の勝手なお節介だ。本当にメアリーがここまで生き残ってよかったのかと――」
「よかったって思っててください。それが生き延びさせた人の責任だと思います」
「……厳しいな」
「これぐらいのわがままは許してください。私だって、今にも崩れ落ちそうなぐらい辛いんですから。最後まで立っているには、私一人の力だけじゃ無理なんです」
「まだ力が必要か?」
「ええ。キューシーさんからは呪いをもらいました、私が立ち止まらないために。そしてアミとは契りを交わしました。だからカラリアさんも、遠慮せずに私の背中を押してくれませんか」
「遠慮なんてしてないぞ。ただ、メアリーを地獄に突き落とすような真似はしたくないだけだ」
「責任、ですよ」
「本当にその言葉には敵わないな……わかった、それがお前の望みなら」
それは、優しさと呼べるものではない。
だがメアリーは知っている。
こうなった以上、今となってはもう、優しさなんてものは、ただの足かせにしかならないのだと。
だからカラリアが辛いと知った上で、そう望む。
今にも折れそうな自分の心を、底の見えない崖へと突き落としてくれ、と。
「私たちが奪われた全ての元凶は、元を正せば『世界』――ミティスのせいだ。私は、あいつを許せない」
「はい」
「だから、連れてってくれ。そして見せてくれ、メアリーが勝利するところを。今日まで戦ってきたことは、無駄なんかじゃなかったんだってことを!」
「はい――必ず」
その約束は、新たな呪縛となってメアリーを縛る。
そして彼女は鎌を握った。
振りかぶる。
刃が裂け、鋭い牙が並ぶ。
「さよなら、メアリー」
両手に力を込め、振り払う。
開いた口が、ユーリィの心臓ごと、カラリアを噛み潰す――
「はぁ……」
メアリーが吐息をつくと、もうそこには何も残っていなかった。
カラリアが立っていたという形跡さえ。
メアリーは鎌を消すと、壁に歩み寄る。
ひび割れた壁を貫通し、折れて先端が尖ったパイプがむき出しになっていた。
じっと彼女はそれを見る。
そして軽くのけぞると、勢いをつけてパイプに頭突きをした。
鋭利な鉄の棒が頭部を貫通する。
彼女はずるりとそれを引き抜き、そして再び頭を打ち付けた。
「ああぁぁ……」
言葉にならない声をあげながら、
「うあああぁあ……あう、ぅあ、あああぁっ!」
何度も何度も頭を貫き。
それで足りないと感じると、先端の尖った岩で頭を叩いて脳をぐりぐりとかき混ぜる。
「うあがあぁぁあああっ! がっ、がひゅっ、あがあぁああああっ!」
目がぐるんと上を向いて、口の端から涎を垂らす。
それが治癒すると、また同じことをして自分の頭を破壊した。
何度も、何度も、何度もやって――けれどメアリーは死なない。死ねない。
「あぁう……ひ、ははっ、んふふ、あはははははっ……」
ぺたんと床に座り込み、力なく笑う。
世界にはもう誰もいないから、笑うしかなかった。
けれど笑いも限界があって、それが切れると今度は真っ黒な虚無がやってきて、心を覆い尽くす。
無表情に虚空を見上げたまま、彼女は数分ほど固まっていた。
そして再び動き出す。
ゆっくりと立ち上がり、ゆらゆらと階段へ向かう。
「あと一人……そう、あと一人で終わる……だから、殺さないと……」
『わたくしたちの恨みを晴らして』
「ほら聞こえてきた」
『お姉ちゃんのこと、ずっと見てるよ』
「がんばれ、がんばれぇ、って」
『メアリーの勝利を見せてくれ』
「みんな応援してくれてるよぉ……ふふっ……」
もう、それだけだった。
小さく揺れる火種に、注ぐ油はもう無いから。
交わした約束を薪のかわりにくべて、殺意を燃やして前に進む。
「殺してやる……殺してやるううぅ……」
死人のようにふらふらと左右に揺れて、一歩ずつ階段を登る。
ミティスの待つ最上階へ。
戦いの終わりを求め、鮮血王女は決戦の地へ向かう――
『魔術師』、『正義』、『審判』、の捕食、完了。
現在のメアリーの所有アルカナ数20。
残りのアルカナ――1。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!