メアリーに抱きしめられたカラリア。
死を覚悟した彼女は、恐る恐る問いかける。
「なぜ……視覚は、戻っていないはずでは」
「戻って、いますよ」
「そんなはずがあるか! あの距離でまともに食らえば、失明する光量だぞ!?」
「はい……だから、自分で潰して、再生させました」
肺を貫かれた痛みに、苦しげに呻きながらも、至近距離で笑いながらそう語るメアリー。
目を潰すとは、言葉通り両手の指で、自ら眼球を潰すことを意味する。
カラリアは理解する。
確かに彼女は素人だ。
だが、その覚悟は――否、心は、とっくに壊れてしまっているのだ、と。
しかしそれを理解できたところで、この窮地を脱することはできない。
「目を、自ら――素人だからと、甘く見すぎたか……」
メアリーの背中から、無数の“獣”が現れる。
骨をむき出しにした彼らは口を開くと、その肉を生きたまま食らうべく、カラリアに近づいた。
もはやこの体勢から逃げられるはずもなく、彼女はふっと体から力を抜く。
「抵抗、しないんですね」
「好きにすればいい。後悔はあの世でするさ」
「そんな服を着ているのにかっこつけるんですか、変な人ですね」
「メイド服は私の趣味じゃない」
「だったら、ますます変な人です」
だがスラヴァーの手下である以上、加減する必要はない。
メアリーは今度こそ、背中から伸ばしたその牙を、カラリアの肌に突き立て――そこで、ぴたりと止まった。
「どうして……」
「……何をしている、早く殺せ。それともなぶり殺しがお望みか?」
カラリアがそう言っても反応はない。
メアリーは、二階に続く階段のほうをじっと見つめて固まっている。
「おね……さま……」
「おい、急に何をぼーっとして……うわっ!?」
するとカラリアの体は、投げ捨てるように乱暴に解放された。
地面に座り込んだ彼女を放って、メアリーはなぜか階段に駆け寄っていく。
そして、“なにもない”場所に向かって、叫んだ。
「お姉様あぁぁぁっ!」
そう、メアリーの瞳には確かに――そこに姉が、死んだはずのフランシス・プルシェリマが座っているのが見えたのだ。
生前と変わらぬ姿で、優しく、まるで母のように微笑んでいる。
勢いよく駆け寄って、その勢いのまま抱きつこうとしたメアリーは、しかし姉に触れることはできず、思いっきり階段に顔をぶつけた。
「あぶっ! あいたたたぁ……!」
「何をしているんだあいつは……」
カラリアは怪訝そうな表情でその様子を見ながら、床に落ちた刀を手に取る。
今なら殺せる。
だが不思議と、そうするべきではない――誰かが、そんな風に囁いているような気がして、柄を握りかけた手から力を抜いた。
「お姉様、お姉様、お姉様っ! 生きてたんですね! 生きているんですよね、お姉様ぁっ!」
『メアリー、久しぶり』
「お姉様あぁぁっ!」
愛おしい声を聞いて、ボロボロと涙をこぼすメアリー。
しかし、そのフランシスは透けているし、触れることもできない。
幽霊なのか。
それとも、メアリーの見る幻覚なのか。
『ねえメアリー、落ち着いて聞いて』
「落ち着けません、お姉様がここにいるのに!」
『気持ちはよくわかるけど、落ち着かないと話してあげない』
「う……わ、わかりました」
しょんぼりと肩を落とすメアリー。
(何をしている……? 一体、何が起きてるんだ?)
その様子を見たカラリアは、先ほどまでとのギャップに戦慄せずにはいられない。
『よし、良い子だねメアリー。あのね、彼女――カラリアって言ったかな、たぶん殺さないほうがいいと思うよ』
「お姉様……でもあいつは、ドゥーガンの手下でっ! お姉様を殺したのと同じやつなんですよ!?」
『とりあえず、事情を聞くところから始めたらどうかな。きっと、メアリーの助けになると思う』
「そう、なんですか……?」
『信じられないなら、一度、外に出てみるといい。そうすればすぐにわかるよ』
「あ……ご、ごめんなさい、疑ったりして。お姉様はいつだって、正しい言葉で私を導いてくれたのに!」
『んー、それは大げさすぎる気がするけどね。進むなら自分の信じた道を進んだほうがいい。でも今は、私の言葉を聞いて、彼女と話してみてほしいな』
「わかりました、お姉様がそう言うなら」
『ありがとう、メアリーは良い子だね』
フランシスは手を伸ばし、メアリーを撫でるような仕草を見せる。
もちろん触れられないが、メアリーはかつての記憶を思い出し、目を細めた。
『それじゃあ、私はそろそろ行くよ』
「待ってください、私はお姉様とずっと一緒にいたいんです! どこにも行かないでください!」
『心配する必要はないよ。私はいつだってメアリーと一緒にいる。メアリーの傍で、ずっと見守っているし――メアリーが生きてさえいれば、またこうして会えるよ』
「お姉様……待って、お姉様! お姉様あぁぁぁああっ!」
必死で抱き寄せようとしても、やるだけ無駄だ。
その姿は次第に薄れ、やがて消えてしまった。
「お姉様……」
呆然と、その場に座り込むメアリー。
しばし放心状態で、まったく動こうともせず、カラリアはそんな彼女の様子を、刀を手にじっと見つめていた。
しばらくして、メアリーはドレスの袖でごしごしと目を拭き、立ち上がると、カラリアのほうを振り向く。
「カラリアさん」
「ま、まだやるのか?」
「いえ、あなたとお話がしたいんです」
「心変わりか? 願い下げだ、お前のような情緒不安定な化物と何を話せと!」
「私だってドゥーガンの手下となんて話したくありませんけど、お姉様が言うから……」
「お姉様? 幻覚でも見ていたんじゃないか」
「幻なんかじゃありません! お姉様は今、確かにここにいました! 見えなかったんですか?」
「見えていない。私にはお前が独り言を言っているようにしか見えなかった」
「そ、そんな……」
実際、メアリーの心の中にもその不安はあったのだろう。
彼女自身、無理をしているのはわかっているし、心の不安定さを復讐心で補っているような状況なのだから。
(それでも……あれが幻だなんて。私にはそうは思えません)
確かに触れられなかった。
だが、そこで動いていたのは、メアリーの記憶から生み出された幻にしては、生々しすぎるヴィジョンだ。
頭ごなしに、ただ幻として片付けたくはなかった。
「今度は不覚を取るつもりはない、かかってこい」
「待ってください! そうだ、お姉様は外に出たらわかると言っていました!」
「そのまま逃げるつもりか?」
「負けたあなたがそれを言うんですか?」
「く……」
「でしたら、カラリアさんが外の様子を見てください」
「……釈然としないが、わかった。そうしよう」
刀を手に、後ずさりながら扉に近づくカラリア。
そして彼女は、足で蹴って玄関を開いた。
ギイィ――と蝶番が音を立て、開いた隙間のその先には――本来あるべきはずの屋外ではなく、ただただ黒い、闇があった。
「なっ……!?」
「カラリアさん、それ、どうなってるんですか?」
「馬鹿な、そんなことが……」
カラリアは、手にした刀を落とすと、膝をついて崩れ落ちた。
メアリーが駆け寄っても、戦闘態勢を取る様子もない。
彼女は不思議そうにカラリアを見ながらも、両手で扉を開く。
やはり、その先にあるのは、どこまでも続く暗い暗い闇だ。
「カラリアさん、これが何なのか知ってるんですか?」
「……」
「カラリアさんっ!」
「あ……す、すまない。これは、魔術師だ。あいつがやったんだ」
「こんな規模の魔術を、いつの間に」
「違う、その魔術師じゃない!」
「どういうことです?」
カラリアは目を見開き、必死の形相でメアリーに訴えかけた。
「アルカナ使いの――『魔術師』、だ」
その声に込められた絶望も相まって、思わずメアリーは息を呑む。
言葉が事実なら、つまり、カラリアの存在は囮ということになる。
彼女はメアリーもろとも罠にはめるため、この屋敷に連れてこられたのだ。
だが同時に疑問も湧いてくる。
なぜそれを見た瞬間、カラリアは『魔術師』の能力だと判別できたのか――
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