車は分厚い壁に衝突する。
本来なら前面がひしゃげ、メアリーたちも押しつぶされているほどの衝撃。
だが『戦車』により強化された車体は壁を貫き、敷地外にある道路の手前に飛び出した。
「づっ、ぐうぅぅぅっ!」
とはいえ衝撃は凄まじく、車内はシェイカーの中のように激しく揺れた。
ハンドルを握るメアリーは歯を食いしばりながら耐える。
他の面々も、座席にしがみつきながら、どうにかやり過ごした。
「あうぅ……ぐわんぐわんするぅ……」
「うふふ……さすがにマジョラームの車だわ……」
「ふぅ……メアリー、頭は打ってないか?」
「問題ありませんっ、このまま突っ走ります!」
再びアクセルを全開にして走りだす。
道路に乗ると、一気に揺れは小さくなった。
カラリアはサイドミラーに目を向け、顔をしかめる。
「天使は――まだ追ってきているか。しつこいな」
メアリーたちが開けた穴から、我先にと化物たちが外に溢れ出ている。
「でもかなり距離は離れてるよ。この調子なら逃げ切れそう!」
座席の上に膝立ちで、リアガラス越しに後方を確認するアミ。
一方で、キューシーは運転席にしがみつきながら、前方を睨みつけた。
「前からも来てるわね……」
「先回り……いや、待ち伏せでしょうか。さすがにあの数の天使の群れに突っ込むのは――」
「そのまま行っちゃおう、お姉ちゃん!」
「アミ!?」
「『運命の輪』の力でお手伝いするから! てえぇぇいいっ!」
アミはそう言うと窓を開き、体から生みだした車輪を上に放り投げた。
空中で巨大な輪っかに形を変えたそれは、車を囲むように浮かび、高速回転を始める。
「これなら車体に触れる前に引き裂けるな」
「はぁ、うちの車が血だらけになるわね」
「では、突入します!」
ブオォン、エンジンがうなる。
白煙を巻き上げながらメアリーの感情に呼応するように加速すると、道路を塞ぐ肉人形の群れに真正面から特攻した。
「ギャアァァァアアアッ!」
「グギャッ、グギエエェェェェエエッ!」
一周回って爽快感すら覚えるほどの、肉が裂き割かれ咲き、引きちぎられ、潰れる音。
喉から絞り出したような低い叫び声と混ざり合い、狂的なサウンドを生み出す。
飛び散る肉片は花火のように。
舞い散る血液は噴水のように。
欠損した手足が、弾け飛んだ腸が、ぼどっ、とフロントガラスに乗っては、ブラシのように血の線を描いては落ちていく。
「いいぞー、いっけぇぇぇええーっ!」
アミは場違いに明るい声をあげた。
そのコントラストの差が、さらに正常な感覚を麻痺させていく。
すると、わずかに車のスピードが落ちた。
カラリアは、車体の側面に、上半身だけになった天使がしがみついているのに気づく。
「亡者が邪魔をするなッ!」
彼女はわずかにドアを開くと、ハンドガンでその腕を撃ち抜いた。
天使は「ウアァァ……」と声をあげながら車体から離れ、回転する輪っかに巻き込まれてぐちゃぐちゃの細切れになった。
なおも天使の妨害は続く。
すでに数十体は切り刻んだはずだというのに、まだ数が減る様子はない。
中には直接攻撃せずに、車に向かって体の一部や、血液を固めた刃を投げつける者もおり、ハンドルを動かさずとも進路はぶれ、まともに真っ直ぐ進むのは難しい状態だった。
「どんだけ天使を作ってんのよ。『世界』のやつ、血液の大盤振る舞いじゃない!」
「でも出口は見えてきたよ、あとちょっと――ってうわあぁっ、仲間を放り投げた!?」
手足を投げるだけでは威力不足だと思ったのか、天使は別の天使をぶん投げ、砲弾のように放った。
「メアリー、わたくしの魔力を通す余裕はある?」
「いつでもどうぞ!」
キューシーは目を閉じて、己の魔力を車に注ぐ。
異なるアルカナの能力で“上書き”する場合は、大量の魔力が必要になる。
だが、それは敵同士の場合だ。
一方がもう一方の魔力を許容するのならば、共存とて可能――
「行儀がいいわね、お口に直接入ってくるなんて」
ボンネットが大きく口を開く。
そして飛び込んできた天使を、その内側に生えた“鋭い牙”で噛み砕いた。
全員の能力を総動員して、天使の群れを蹂躙していく――しかし数の暴力は、なおも往生際悪くメアリーたちに食らいつく。
「何でぇっ、また増えてるよぉ!」
「別の群れが合流しているのか!? クソッ、数が多すぎる!」
「メアリー、スピードが落ちてきてるわよ!」
「お姉ちゃん、がんばれーっ!」
車輪に付着する肉片や、しがみつく天使の一部が増えるたびに、速度は落ちていく。
だが、まだメアリーにはやれることがある。
「キューシーさん、車内も血まみれになりますが怒らないでくださいね」
「この有様じゃ今さらよ」
許可も出たところで、メアリーは自分自身の意思で、己の体を破壊した。
「秘神武装『吊られた男』ッ! ぐ、があぁぁぁああっ!」
元あった両腕は弾け飛び、『死神』で作られた骨へと変わる。
さらに全身を尖った骨で刺し貫けば、痛みを代償にメアリーの魔力は跳ね上がった。
「このままァ――突っ切れえぇぇぇぇえええっ!」
◇◇◇
「はぁ……はぁ……はあぁ……」
周囲に敵がいないことを確かめると、メアリーは道の傍らに停車し、ハンドルに体を預けた。
だらんと両手を垂らし、肩で呼吸を繰り返す。
隣に座るカラリアも額に汗を浮かべながら、そんなメアリーの頭を軽くぽんぽんと撫でた。
「ここまで来ればもう大丈夫だ」
「しつこかったぁー!」
「あんな大量の天使を相手にしたのは初めてよ。無事で切り抜けられただけで十分だわ」
アミとキューシーの顔にも疲れがにじみ出ている。
しかしキューシーはその状態でもなお、車体の汚れ具合が気になるようで――
「はぁ、ひっどい有様だわ。我が社の可愛らしい車が血でドッロドロ」
「さっきは構わないって言ってただろう」
「今さらって言ったのよ、諦めただけ。まったく、次で何台目なんだか」
「毎回高い車を用意してもらってるのに、使い捨てみたいになってて申し訳ないです……」
「……いや、別に謝ってほしいわけじゃないんだけどぉ。専務としての気持ちというか」
「次の車はどんなのだろうね!」
「アミはもうちょっと遠慮しなさい」
魔導車というだけで高級なのに、使っているのは全てマジョラームのハイエンドモデル。
今まで使ってきた車の総額は、軽くキャプティスに屋敷が建つぐらいにはなっているのではないだろうか。
「さすがにこの車じゃ移動はできんな」
「連絡するわ、代わりを持ってきてって」
「だったら私、今のうちにフィリアスさんに連絡してもいいですか?」
「お姉ちゃん、何であの人に?」
「そうね……クライヴと直接繋がりのあるユーリィとやりあっちゃったわけだしね。あっちから怒られる前に言ったほうがいいかもしれないわ」
メアリーは自らの端末で、フィリアスに連絡を取る。
するといつもより早く彼女は通話に出て、メアリーが『もしもし』と言う前に声をあげた。
『メアリー王女、あなた何てことしてくれてんのよっ!』
あまりにわかりやすい、感情をむき出しにした怒鳴り声。
メアリーは思わず端末を耳から離し、渋い顔をした。
「待ってください、フィリアスさん。聞いてください!」
『まだニュースにはなってないけど、ピューパの研究所襲撃なんて洒落になんないわよ!?』
「早すぎませんか、情報が。ほんの数分前の出来事ですよ?」
『ピューパからダイレクトに王城まで連絡が来たのよ』
「そうですか……こちらとしても仕方なかったんです。ユーリィ・テュルクワーズですが、彼女は王国と繋がりがあるどころか、『世界』の直接的な仲間だったんですから」
『は? どういうこと? どうしてそんなやつがテロリストに加担してるのよぉ』
すると、隣で通話を聞いていたカラリアが言った。
「テロリストと言っても、元々大した影響力なんて無い連中だ。協力しても、どうせ王政撤廃などできないと見下していたんだろう」
データ収集のために利用していただけ。
それ以上でもそれ以下でもないし、仮に彼らが行動を起こしたとしても、国家転覆ができるはずもない。
ユーリィはそう確信していたのだ。
「とにかく、彼女は信用できないどころか、まさに私たちが戦うべき敵そのものだったんです」
『そういうことなら理解するけど……クライヴにどう説明したものやら』
「マジョラームからの支援を増やすわ。彼にはそう伝えておいて」
『伝えてってことは……やっぱり私が直接言うのね。気が滅入るわ。メアリー王女たちはこれからどうするつもり?』
「研究所から、ユーリィのものと思しき記憶装置を奪取しました。マジョラームの関連施設でその解析を行うつもりです」
カラリアが引きずり出した記憶装置は、彼女の足元に置かれている。
『わかったわ。研究所の件を受けて軍もざわつくだろうから、警備は厳しくなるわよ。私も少し忙しくなりそう。王都に入れない、なんてことにならないよう気をつけなさぁい』
疲れた声でそう言うと、通話を切るフィリアス。
すると後部座席からアミがひょっこりと顔を出す。
「前は信用できないと思ってたけど、意外といい人だね、フィリアスさん」
「利害が一致してるからだろう」
「戦いのあと、恩を返すのは私でしょうから。今は思う存分頼りましょう」
フィリアス自身、『これを乗り越えればさらなる権力が手に入る』と自分に言い聞かせているに違いない。
だったら今は、お互いに使えるだけ利用するまでのことだ。
◇◇◇
メアリーたちが新しい車に乗って向かったのは、最も近いマジョラームの工場だった。
工場という時点でトラウマが蘇りそうだったが、今回はアルカナ使いの襲撃も無い。
社員に記憶装置を渡すと、解析が終わるまでの間、施設内の宿直室を借りられることになった。
下手に動いて連戦することになると厳しい。
今日はここで泊まることになりそうだ。
「ふぅ……シャワーまで浴びれるとはありがたいな」
「お菓子ももらっちゃったー! おっやつ、おっやつ」
「おいしそうですね」
「お姉ちゃんも一緒に食べよ!」
「私ももらっていいんですか?」
「もちろんっ! お姉ちゃんと一緒に食べるのが一番おいしいんだーっ」
当たり前のように、メアリーの膝の上に座るアミ。
そんな彼女をメアリーは優しく抱きしめる。
「はい、あーん」
「自分で食べられますが……」
「食べさせたいの! あーん!」
「ふっ、尻に敷かれているな」
「カラリアもクッキーどーぞ」
「いいのか?」
「最近は私がお姉ちゃんを独り占めしてるから、寂しそうな顔してた」
「そ、そんなことはないはずだが……」
「ええ、嫉妬してたわよ、こいつ」
相当疲れたのか、一足先にベッドで横になったキューシーが言った。
「おいキューシーっ、なんてことを言うんだ!」
「してたんですか、カラリアさん」
「い、いや、それはだな……」
「お姉ちゃんにキスされたのも意外と嬉しそうだったもんね」
「う……ぐ……」
否定できない。図星である。
「大丈夫だよ、カラリア。別に私はお姉ちゃんを自分だけのものにするつもりはないから。みんなで分け合わないとねー」
「私、分けられるんですか……?」
「だからカラリアがまたキスしたくなったら、いつでもしていいよ」
「心が広い彼女でよかったわね」
「か、彼女って……あはは……」
「にひひー」
「どう反応したらいいんだ私は……」
緊張感のある時間が続いた反動か、リラックスした様子で会話を交わす四人。
ユーリィが敵であった以上、彼女から聞かされた話の信憑性だって怪しいのだ。
悩み、苦しむのは、その真偽がわかってからでも遅くない。
その日、彼女たちは早めに眠りについた。
明日の困難に備えて。
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