空を見上げるメアリーを、三人はじっと見つめている。
特にキューシーは、少し顔色を悪くして何やら不安そうである。
メアリーはその視線に気づき、目が合った。
「あ……」
キューシーは気まずそうに頬を掻いて、彼女に尋ねる。
「メアリー、本当に魂を封じる力なんてあるの?」
「ありませんよ、ただのブラフです」
メアリーはふっと笑うと、あっさりとそう言いきる。
そしてドゥーガンの生首と、ぐずぐずになった肉を右腕からぺっと吐き出した。
「あ、出てきた」
「嫌ですよこんなもの、食べたくもない。それに、死体は残っていたほうが都合がいいでしょうから」
「ひどい顔だな」
「……そうね」
恐怖に歪むその顔を見て、キューシーは二の腕を掴み、ぎゅっと力を入れる。
しかしはっとなにかに気づくと、慌てて言い訳をした。
「ああ、違うのよ、別にかわいそうと思っているわけじゃ……」
「気にしないでください、私は私で勝手に復讐心を抱いているだけです。大義とか、正義とか、そんなもののためじゃありません。幼い頃から可愛がられてきたキューシーさんが嘆くのは当然のことです」
「……ありがと」
「やめてください、本当は私が謝るべきなのに。ですが、私は私で正しいことをしたつもりです。その言葉を口にすることはできません」
「そこまで言ったら同じことでしょうに」
「それもそうですね……」
「ふふっ、変なの」
キューシーは頬をほころばせる。
一緒に、胸に渦巻くもやもやも消えたようで、夜空に向かって吐いたため息とともに、体からも力が抜けた。
彼女のそんな様子にカラリアも安心したようで、穏やかな声で言った。
「ノーテッドも娘の心配してるだろう。帰るか」
「お腹空いたーっ!」
「私もぺこぺこです」
「たくさん食べようねっ!」
「ええ、たくさん食べて、たくさん休みましょう」
「わたくしは今から背中の治療が憂鬱だわ……」
「安心しろ。お前が自分で自分を抱きしめる姿を、三人でしっかり観察してやる」
「それが嫌だっつってんのよ!」
四人は並んで、ビルへと帰っていく。
遠くから車の音が聞こえてくる。
一度は撤退した軍が戻ってきたようだ。
本格的に惨劇の実情がわかるのは、明日以降だろう。
だから今だけは、勝利を――否、戦いの終わりを素直に喜ぶことにした。
◇◇◇
マジョラーム本社に戻ったメアリーたちは、たらふく食べて、難しい話は後回しにして、死んだように眠った。
あれだけの連戦だったのだ、体力おばけのカラリアだって疲れは出る。
そして翌日、昼前に目覚めた面々は、社長室前に集まった。
部屋の中でないのは、広がる景色を見るためだろう。
「メアリー王女、ありがとう。心からお礼を言わせてくれ」
顔を合わせるなり、ノーテッドは深々と頭を下げる。
「無理しないでくださいノーテッドさん、私はあなたの親友を殺したんです」
「だからこそだよ。あいつを殺してくれた。止められるのは、メアリー王女だけだった」
メアリーはどう返していいかわからなかった。
少なくとも、彼女がドゥーガンに向けた感情は、ネガティブなもので染まっていたから。
「二人とも、その話はこれぐらいにしておきましょう。それよりお父様、わたくしたちをここに呼んだのは何の用なの?」
「ああ――昨日、簡単に話は聞かせてもらったが、今度は王都に向かうんだろう?」
「ええ、たとえお父様であろうとも、お姉様を殺したのなら許すことはできません。いや、むしろお父様だからこそ――」
「もちろん私もついていくよ。私の命は、いつだってお姉ちゃんのためにあるんだから!」
「私も、まだユーリィについて知るべきことがある。『魔術師』のこともあるからな、付いていかない理由がない」
「キューシーは……」
「……ついていくわよ。だって、放っておけば世界が滅びるっていうんでしょう? わたくしたちも無関係じゃいられないわよ」
「そう……だね。それに、ここに残ったとしても、戦いに巻き込まれないわけじゃない」
ノーテッドは、自分に言い聞かせるようにそう語った。
本当ならキューシーには行ってほしくないはずだ。
だが、一度関わった以上、ここで離脱する性格ではない。
何より、領主となったノーテッドには、キャプティスを破壊し、多くの人間を犠牲にしたヘンリー国王と敵対する義務がある。
そうしなければ、民は誰も付いてこないだろう。
「マジョラーム・テクノロジーは、君たちの旅を全力でサポートするよ」
「私たちは尖兵のようなものか。補給が途切れたりはしないだろうな?」
「マジョラームの関連企業は王国各地に点在しているからね、その心配はない」
「私たちが王様を狙ってることは、向こうわかってるんだよね? 指名手配されたりしない?」
「下手に動けば、民の疑いの目がお父様に向く。そこまで雑な動きはできない、と考えたいところですが――」
「情報戦は僕たちの領分だ、任せてほしい」
「じゃあやっぱりあの新聞、お父様が書かせた記事だったのね? わたくしたちを英雄扱いだなんて、持ち上げ過ぎですわ」
キューシーが言っているのは、つい数時間前に発行された新聞のことだ。
だが、キャプティスの印刷工場は破壊されており、スラヴァー領に配られたのは本社内にある数十部のみ。
しかし最初から狙いは身内じゃない。
ノーテッドは系列会社を使い、王国中にその新聞をばらまいた。
また、他の新聞社にも写真や情報を流している。
早ければ今日の夕方ごろには、各社がメアリーたちの戦いっぷりを報じることだろう。
「事実だから仕方ない。ヘンリー国王への疑いも、過剰なほどに主張しておいた。あちらがどう反応するか、お手並み拝見と行こうじゃないか」
「仮に情報戦で勝利できても、向こうには『世界』のアルカナがある。そこへの対処は私たちの課題だな」
「21番目のアルカナ、だったよね」
「ノーテッドさんは、その存在を知らなかったんですか?」
「まったく知らなかったよ。“アルカナそのもの”が生きていたという話ですら、当たってて驚いてるぐらいなんだから」
「『死神』さんって、何万年ぐらい生きてたんだろうね。世界が生まれたときからずっといたんでしょ?」
想像するだけで途方も無い時間だ。
メアリーは、ここ数日の時間の流れすら、長く感じているほどだというのに。
「他のアルカナと違い、『世界』を封印した死神は実体を維持する必要があったんだろうね。だけどこれで、他のアルカナの役目や、アルカナ継承の間隔が早まっている理由もわかってきた」
「『世界』の存在がそうさせているということですか?」
「そう――アルカナは、『世界』の脅威に対抗するために存在するんだ。だから危険性が高まると、継承も早まる。あるいは、人の肉体を変異させる強引な手段も使う」
ノーテッドはアミを見て言った。
彼女に『運命の輪』が継承されたとき、アルカナは話しかけてきたと言っていた。
今までそんな記録が一切残っていないということは――それだけ彼が焦っている、という証明なのだろう。
「だが、だったらなぜ他のアルカナはホムンクルスに宿ったんだ? 『世界』の味方をしたんじゃ本末転倒だ」
「ここから先は、推察に推察を重ねることになるから、確実性ががくんと落ちるんだけど……」
「今さらじゃない、話してよお父様」
「それもそうだね。アルカナの継承は、自動的なのかもしれない。アミちゃんが言った通り、普通は何万年も生き続けて平気がはずはない。だから、“継承システム”とでも呼ぶべき機能が次の対象を勝手に選ぶんだ。だからこそ、『世界』が封印される地である王国の周辺にアルカナは集まるという偏りが発生したんだ。仮に封印が解かれ、『世界』との距離が近づくたびに、さらに継承が早まるとしたら――」
「……あー、もしかして」
嫌な想像をして、キューシーの頬がひきつる。
カラリアとメアリーも眉をひそめ、アミだけがきょとんとする中、ノーテッドは娘の言葉に軽くうなずいた。
「封印の解かれた『世界』自身が、アルカナの器になるホムンクルスを連れて“現在の使い手”を殺して回れば――」
「理論上は、最速最短で継承が行われることになるわね」
「それって、あまりに大きな欠陥じゃありませんか?」
「数万年動いてなかった上に、適用されるのはこれが初めてだ。それに、この世界の人間が人為的にホムンクルスなんてものを生み出すとは、当時の彼らも想像してなかったんだろうね……僕も技術者のはしくれだから、気持ちはわかるよ」
それは何万年も改修されない、時代遅れのシステムが動いた結果である。
一概にアルカナを責めることもできないが、神様だというのなら、それぐらいは予見しておいてほしいものだ。
「じゃあ、『運命の輪』さんはそれに気づいて、慌てて手動に切り替えたんだ。そっか、だから私に謝ってたんだね!」
もちろん、謝った理由はアミの命を使ってしまったことが大部分だろう。
しかし、その根本にあるのは『自分たちの不手際で』という想いがあったに違いない。
そして同時に、一つの謎が解決する。
(私に『死神』のアルカナが宿ったのも、『世界』が目の前にあったから。十六年前からずっと、私の中にはアルカナがあったんですね……)
それはそれで、なぜ魔術評価が0だったのか、という疑問も生まれるが――
(……そして『世界』も、現場に居合わせたお父様に宿った)
しかしヘンリーの魔術評価は、せいぜい4000程度。
そこにアルカナが宿っているとは到底思えない。
つまり、メアリーと同じような現象が起きていたのかもしれない。
何らかの理由でアルカナは休眠状態になり、つい最近まで眠っていた。
だがそれが目覚めたことで、精神にも変化が発生し、事態は大きく動き出した。
「アルカナの意図はわかった。しかし、一貫してヘンリーの目的はわからないままだな」
カラリアが腕を組み、疑問を呈する。
「ドゥーガン曰く、十六年前は世界を滅ぼそうとしていたらしいが、だったら今の目的は何だ? いや、そもそもなぜ世界を滅ぼす?」
「世界を滅ぼして、そのあとで自分の理想の世界を作り出す! とかじゃないかしら。世界滅亡なんて突拍子もない発想、そういう奴じゃないと思いつかないわ」
キューシーは馬鹿にするように言った。
確かに、たった一人の人間が、真面目に世界を滅ぼそうとしているのなら、その理由なんてろくでもないものに決まっている。
「今の目的は、お姉ちゃんを殺すこと、なのかな。『世界』を封印できるのって、『死神』だけなんでしょ?」
「だったらもっと早くに始末するはずだ」
ヘンリーがメアリーを狙う理由はある。
問題は、なぜ“今”なのか。
メアリーは現状で、もっともしっくり来る説を口にした。
「アルカナが目覚めたのが、つい最近のことだったんでしょう。私と同じように」
少なくとも幼い頃、ヘンリーは何度もメアリーに父親らしい顔を見せたことがある。
まったく、これっぽっちも、愛されていなかったわけではない。
距離は感じても、一応は娘として扱ってくれていた――まさかあの頃から殺意を抱いていたとは、思いたくはなかった。
「……そうか、ヘンリーは自分の中の『世界』に気づいていなかったかもしれないのか」
「その力が手に入って、また悪巧みできるようになったから……邪魔になるお姉ちゃんを狙った?」
「それが一番納得できる仮説です。実の娘であるお姉様を殺してでも成さなければならない夢――世界を滅ぼすぐらいでなければ、釣り合いません」
ホムンクルスであるメアリーと違って、フランシスは血のつながった――しかも前妻であるブレアの娘だ。
目に入れても痛くないほどかわいがり、王家の誇りと言わんばかりに自慢していた。
……だからこそ、兄のエドワードは『王位を奪われるのではないか』と危惧したのだが。
それはさておき、少なくともフランシスの死は、ヘンリーにとって重いはずなのだ。
だというのに、彼は何の動きも見せていない。
行方知れずのまま、完全に放置している。
そうまでしても、叶えなければならない夢などあるのか――徐々に明らかになる現実を目の当たりにしても、メアリーには理解できない。
感情が置き去りのまま、理屈のパズルだけがはまっていく。
途切れる会話。
きっと誰もが、明確な答えなんて見つけられていなかった。
考えても、世界を滅ぼそうとする男の気持ちなんて、わかるはずがない。
人として扱われず、苦痛を味わってきたホムンクルスたちならともかく――
沈黙が続く中、エレベーターが止まる音がした。
そこから女性社員が現れると、ノーテッドの前で足を止める。
「社長、エドワード王子から通信が入っております」
「王子から!?」
意外な人物の名に驚くノーテッドは、そう言ってメアリーのほうを見た。
「私宛てかもしれませんね」
「社長室に転送してくれ……それでいいかい、メアリー王女」
「構いません」
キャプティスでの戦いは、すでにエドワードの耳にまで届いているだろう。
ヘンリーの駒として動いたのか。
それとも、個人的な考えで連絡を取ったのか。
元々、味方と呼べる立場の人間でもない。
メアリーは敵と相まみえる気持ちで、ノーテッドとともに社長室に入った。
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