『私のせいだ』
人の本性が最もわかりやすく発露するのは、不運に直面したときなのかもしれない。
『私のせいで、みんな傷ついた』
誰かのせいにする。
復讐を企てる。
自分で自分を罰する。
他者からの罰を期待する。
“逃避”は様々な形で表れる。
『私がリュノと出会う前に、大人しく死を選んでさえいれば――』
ステラは、こうしてミティスに乗っ取られている現状こそが罰なのだと自分に言い聞かせて、精神の安定を計った。
だが一方で、彼女を内包するミティスは思う。
「別にステラは悪くないのに。素直に私を憎めばいいのに。この件に関して言えば、理不尽なのは疑いようもない事実なんだから」
ピューパ本社の社長室にて、デスクに頬杖をついてそうつぶやく。
そして彼女はふいに右手で左の肩を掴むと、そのままブチブチッと腕を引きちぎった。
大量の血が滴り、絨毯を汚す。
ミティスはその腕を、デスクの向こうに放り投げた。
ほどなくして傷が再生し、腕は元通りになる。
投げられたミティスの切れ端は、ボコボコと泡立つように変形し、やがて彼女と同じ姿かたちになった。
そしてステラが目を開く。
体を起こし、自分と同じ顔をしたミティスと向かい合う。
「こ、これは……私を切り離したの?」
「人格の残滓からステラという人間を再現しただけかもよ」
「いや、わかるよ、これは私だ。二度と外に出すつもりなんて無いと思ってた。どういう気まぐれなのかな、ミティス」
「二度と……ああ、メアリーと接触したときのことを言ってるの?」
「あのときは、私にまともな発言すら許可しなかったじゃないか」
ステラが言っているのは、ミーティスの村で、メアリーとオックスが戦った後に起きた出来事の話だ。
ステラとリュノが暮らしたあの場所で、その思い出を守るように、ステラは天使の――化物の姿でメアリーの前に現れた。
しかし、ミティスに発言を遮られ、まともに会話ができなかったのだ。
「だってあれ、まだネタバラシする前の話じゃない。困るのよ、ステラの中身が私だって気づかれたら」
「つまり今は……もう、何もかも手遅れだから、私を縛る必要もないってわけか」
「そういうこと。私の中でずっとうじうじされてても邪魔なだけだもの」
「……どうして、消さなかったのかな」
「何が?」
「その気になれば、私の人格なんて簡単に消せたはずだよ。君は、リュノ姉ぇとあんな関係になった私を憎んでいたはずじゃないか。だって、ずっとリュノ姉ぇの中で見ていたんだから。殺したくてしょうがなかったはずだ!」
ステラの言葉に、ミティスは思わず失笑した。
「どうでもいいわ。あなたとリュノがどうなろうが」
意外な答えに、ステラは目を見開く。
「そんなはずはっ!」
「いや――厳密は嘘になるかな。確かにどうでもよくはない。憎いといえば憎いし、どうして初めてあの子の体に触れるのが自分じゃないのかって、そう思っていたのかも。けれど、遠いわ……あまりに遠くて、そんな怒りは私に響かない」
「響かない? 何が?」
「リュノが人間らしい幸せを掴むことに比べたら、些細なことだから」
それは、いまだミティスを理解できないステラから見ても“本心”だと言い切れる、確かな言葉だった。
「孤独を嘆くリュノの姿を、何億年も見てきたの。彼女が死を選んだとき、私は納得したわ。そうだろうな、って。どれだけ人間が他者を愛せると言っても、何億年も生きてきた人間が願う“死”に比べれば、愛なんてちっぽけなものでしょう? だからね、相手が誰であろうと、リュノが幸せに死ねるならそれでいいと思ったの。そう、私はステラに感謝してる」
「だったら……どうしてこんなことを!」
「それは乗っ取ったことに関して? それとも、ホムンクルスの件? はたまた世界を滅ぼす話について?」
「全部だよ! 納得できない!」
憎悪が無いのなら、この復讐は一体なんのためのものなのか。
そんなステラの疑問はもっともだが――彼女は大きな勘違いをしていた。
「まずひとつ。私がステラを乗っ取ったのは自分の意志じゃない。『世界』のアルカナは、多少の才能がある程度では制御できないの。安定させるにはメアリー並の器が必要なのよ。だからイレギュラーに私を宿した時点で、自動的に人格は蝕まれていくし、肉体だって変質していくわ」
「それでも、あんなことをする必要は――」
「乗っ取ったまま、不老不死の肉体で普通に人らしく生きろって言うの? リュノが死んだこの世界で?」
リュノと過ごした時間は、ステラにとってかけがえない日々だった。
しかしミティスからすれば、それは一瞬にも等しい短い時間だろう。
そしてその一瞬を失ったステラですら、長い間、失意のどん底に沈んだのだ。
「十六年前、私は消えていいと思った。これ以上無いぐらい、納得して消えられる最後の機会だった。でも、自由を得てしまった以上、話は変わってしまうのよ」
ミティスがリュノを失ったことで抱いた闇は、きっと比べ物にならない。
リュノの中で煮えたぎり、膨張し、もはや原型を残していない。
「だって、この世界ってただのゴミじゃない」
ゆえに“無価値”だと言い切れる。
一切の迷いなく。
「ゴミを捨てるのに理由なんて必要? ゴミだらけの部屋に生きていたら不快でしょうがないでしょう? つまりむしろ、積極的に捨てなければならないの。私にとってこの世界は、そういうものだから、こういうことをしているの」
「そんな世界で必死に生きてる人だっているんだッ!」
「余計に不愉快ね。ゴミにまとわりつく生物を私は愛せない。あなたもそうじゃない? 気持ちの悪い、得体のしれない害虫を放置して、同じ部屋で暮らせる? 体中にウジが湧いているのに『これも命だから』って耐えられる?」
そして、ミティスにとってこの世界の命に価値はない。
ただ、リュノを奪っただけの存在なのだ。
「ステラが頑張って私と対話しようとしてるのはわかるんだけど、私の気持ちが変わることはないから。誰が何を言おうが私はこの世界を破壊するし、滅ぼしたあとも憎むことを止めない。奪われたものは二度と戻ってこないし、変質した心は二度と元には戻らないの」
穏やかに、諭すように彼女は言った。
どうやら本当に、ステラに対して悪意はないようだ。
「……なら、何で私を切り離したりしたの。変わるつもりがないなら、何のために」
「今ね、ちょうどメアリーが戦ってるのよ。相手はシャイティ」
「違う。あの子は悪魔じゃない、天使だよ!」
「ああ、そんな名前だったっけ。とにかく王都でその子と殺し合ってるの」
「私にどうしろって?」
「ちょっとした彩りと……そうね、心残りの解消ってところかな。私は、この世界の命に対して一切の愛着を持っていない。けどねステラ、あなたに関しては思うところがあるから。リュノを救ってくれた相手が、無念を無念のままにして朽ち果てていくのを見るのは、ほんの少しだけれど心が痛むのよ」
「アンジェをあんなふうに変えたくせに……名前も、体も、人格すら別人に変えておいてッ!」
「そこに関して私が罪悪感を覚える必要はないから。ただ、あなたが嫌なんでしょう? だったらせめて、アンジュとして見送ってあげたらどうかなと思って」
「あの子の名前はアンジェだ!」
「あはは、そうだったわね」
ステラは、明確に――価値観が違うのだと、そう感じた。
壊れた結果か。
はたまた最初からそうだったのか、きっとそれは、ミティス自身にももうわかるまい。
「まあ、精算が近いから。ちょっとした感傷よ」
そう半笑いで話す彼女に見切りを付けて、ステラは部屋から飛び出した。
ここは手遅れの世界。
今さら走り出したところで、結果は変わらないだろう。
それでも――
「もう幸せになんてなりようがない。だけど、少しでもマシな終わり方ができるのなら……私も、あの子も……!」
誰もがそれを目指している。
『世界』はそれを欲している。
終わりゆく世界で、いかに美しく終われるのかを。
◇◇◇
メアリーとシャイティの戦いはなおも続いていた。
いや、もはやそれは戦いというよりは、一方的な暴力と呼ぶべき有様ではあったが――
「ちょこまかと逃げたところでェッ!」
メアリーの両腕はもはや原型を留めていない。
そこから伸びる無数の肉のケーブルには、ガトリングガンが繋がっていた。
背中からも同様に数十門の機関砲が浮かび、秒間一万発を超える銃弾の嵐をシャイティに浴びせている。
「かひゅ……あひぅ、ひ、まだ……まだ私は、耐えられる――」
対するシャイティは、逃げるので精一杯だ。
もう体は原型を留めていないし、天使の力で再生しても、すぐにまた新たな穴が空けられる。
掠るだけで瓦礫が消し飛ぶような威力だ。
並の人体ならば、近くを通っただけで絶命しているだろう。
それを数百、あるいは数千発受けて原型を留めている時点で、相当なしぶとさではあるが――
「まだ死なないのなら、手数を増やすまでのこと!」
何がそこまで、シャイティを執着させているのか。
苛立つメアリーが声をあげると、大地を割って地中から何体もの骨の巨人が現れた。
キューシーと戦っていたときも使っていたものだ。
「死にませんわ、まだまだこんなものでは!」
頭上から降り注ぐ拳を、飛んで避けるシャイティ。
空振った拳は地面を砕き、飛び散る岩が彼女の腹に大穴を空ける。
さらに、機関銃は容赦なく彼女の体を貫き続けた。
「何のためにそんな無様な姿を晒してまで生きるんですか」
「ですから、編集者としての心情だと……」
「世界の終わり、その全てがミティスの作った物語というのなら、あなたに大した役目などありません! こんなつまらない戦い、長引いたって何の意味も無いんですよ!」
「それ、は――」
シャイティは答えに詰まった。
何のために戦うのか。
事実、そう動かなければいけないとインプットされているだけで、彼女に動機など無いからだ。
物語を彩るには力不足だということは、現在進行系で身を持って理解している。
駒として配置された理由も、せいぜい、メアリーを驚かせるためだけ。
その出番はもう終わった。
言ってしまえば、用無し。
だから殺される。
ミティスも彼女を手助けする必要はない。
シャイティはただの『悪魔』の使役者として、メアリーに食われて、能力を奪われて死ぬだけなのだ。
特に葛藤もなく、見せ場もなく、一方的に蹂躙されて。
そんな現実に対して、彼女が抱いた気持ちは一つ――
「……意味もなく、死ぬのが、嫌だから」
それは根源的な、人としての欲求。
見つけたのは、“シャイティ”の心の中ではない。
仮面を貫いた先にある、“アンジェ”の本能から湧き出た言葉だった。
そして同時に、それは普遍的な――誰もが持ちうる欲でもあった。
しかし、シャイティのつぶやきは銃弾が肉を弾き骨を砕く音にかき消される。
一瞬の気の緩みが命取りだ。
頭上より迫る巨人の拳に潰されれば、いくら天使であろうとも、反理現象を発動させることすらできずに死んでしまうかもしれない。
そんな、何も残せないつまらない結末はもっと嫌だった。
だから体が避け続ける。
一つでいい、この世界に意味を刻める好機を探して。
「誰だってそうです。ですが、こんな場所で時間を使っている場合じゃないんです、私は!」
メアリーの苛立ちも膨らんでいく。
もはや攻撃の意志すら見せずに、ただただ避け続けるシャイティ。
だが巨人の振り下ろす拳を回避するたびに、彼女の体には異変が起こっていた。
(体が重い? 足が思うように動きませんわ……!)
すでにシャイティの足は石化を始めていた。
この場には、『教皇』の戒律が敷かれている。
石化の条件は『巨人の拳を回避すること』。
そのたびに彼女の体は少しずつ石へと変わっていく。
そして、ついに飛んで避けることすらできなくなり――
「今度こそ、粉々に砕け散りなさい!」
大量の銃弾が一斉にシャイティを撃ち抜き、降り注ぐ拳がぐちゃっと彼女をミンチに変える。
巨人は入念に拳を地面にこすりつけ、再生の可能性ごとすり潰した。
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