アミの話を続ける限り、メアリーは落ち込み続けるだろう。
まだ戦いを終えて、体力だって完全には戻っていないだろうに――彼女を気遣ってか、カラリアは話題を変えた。
と言っても、メアリーが関わっていない話など、ほぼ存在しないのだが。
「しかし、さすがにこうも色々起きると、頭まで疲れてくるな。メアリーとアミが戦っていたという化物、あれは何だったんだ?」
「んー、それは私もわかんない。自分で天使って言ってたけど」
そう言って、アミはメアリーの腕に抱きつく。
メアリーは当時のことを思い出しながら、カラリアの疑問に答えた。
「医務室の社員さんに、『塔』のアルカナ使い――アオイは何かを注射していました。それがきっかけで、人間があんな姿になったんです」
すると、キューシーの様子を見ていた女医が、椅子に座ったままくるりと周り、少し離れた場所から会話に参加する。
「あれの中身、血液だったそうよ」
「調べてくださったんですね」
この短期間で四人の治療を終え、アミの体や天使の血の解析まで済ませたのだ。
さすがに女医の顔には疲れが見えた。
「血を注いだだけで化物に変わったのか?」
「ただの血じゃなくて、魔術師……おそらくはアルカナ使いの血ね。魔力の濃度が高くなるように調整はされてたみたいだけど――」
「何か気になることがあるんですか?」
「本当にあれが人の血なら、魔術評価は10万を超えるわ」
「10万、だと?」
馬鹿げた数字に、思わずカラリアは聞き返す。
「私四人分だね!」
一方でアミは、能天気にそう言った。
カラリアはがくっと崩れ、良くも悪くも、一気に空気が緩む。
「もちろん、血液にどういう細工をしてあるかわからないわ。正しい値ではないはずよ」
「ですが……それを使うだけで、魔術評価3万以上の化物が生まれたのは事実です」
「たまったもんじゃないな」
「唯一の救いは、あれ一個作るのに大量の血が必要になるってことかしらね。量産は無理でしょう」
本当に、気休めにしかならない話だ。
一体だけでも、アルカナ使いを上回る力を振るっていたというのに。
「保持しているだけで国の権威が保たれる……アルカナ使いの地位が危ういな」
「ですがそれもまた、アルカナ使いの力なんです。ひょっとすると、『塔』のように発動条件があるのかもしれませんし」
「私たちが力を合わせたら倒せるよっ」
「呑気だな。だが実際、それ以外の対処方法はなさそうだ」
結局は、力押し。
メアリーたちから攻め込むとなれば、罠も張れるのだが――
「そういえばあのむき出しの天使さん、私じゃなくて、ずーっと中にいる車輪の神様に話しかけてたよ。きっと知り合いなんだね」
「アルカナと知り合い、ですか。ノーテッドさんが言ってましたね、神様が生きてたかもしれない、と」
「ならば、あの天使を動かしていたのは、アルカナそのものだと? 好き放題に暴れた上、厄介な連中に力を与えて――本当に彼らは世界の秩序を守るつもりがあるのか?」
「秩序が目的というのは、あくまで人間の想像さ。それにしては王国に集まりすぎている、とは前から思っていたよ」
そんなカラリアの疑問に答えたのは、ノーテッドだった。
彼は何時間も握っていたキューシーの手を離すと、メアリーたちの近くまで歩み寄る。
「一応、大陸全土には散らばってはいるし、海の向こうにもわずかながら逸話は残っているようだけれどね。基本的に、アルカナの歴史はこの王国を中心に分布している。本来は他の目的があって、まさに今、その時が近づいている――そう考えると、『運命の輪』が、類を見ない強引な方法で継承を行った理由もわかる」
「アルカナが焦ってるってこと?」
「あの天使という化物の存在は、明らかに異質だったからね」
「天使は、『死神』が他のアルカナを取り込む能力を持っていると、前から知っていたようです。その上で、この力を“アルカナの檻”と呼んでいました」
「メアリーは歴史上最初の『死神』の使い手、だったな。それを知ってるってことは――」
「『死神』を管理していた集団の関係者、かもしれないねぇ」
それは同時に、歴史を捏造した張本人でもある。
いつものノーテッドなら、飛び跳ねて喜びそうな事実だが、さすがに今は真剣な表情を崩さなかった。
「あと、十六年前のことも言ってました。そのときに、私は死ぬべきだった、と」
「十六年前、ドゥーガン絡みだね。カリンガが語った話を示し合わせると、彼らがスラヴァー領に興味を示す理由も納得できる」
「あの男から何を聞いたんだ?」
「ホムンクルスの歴史だよ。彼によると、その研究が始まったのは二十年以上前のことらしい――」
ノーテッドは、カリンガの語った話をメアリーたちに伝えた。
長い話ではあるが、メアリーとカラリアは、断片的に得た情報をそれで埋めていく。
「やはり、私の母親はユーリィだったのか……」
定義上、ホムンクルスの血液提供者を親と呼べるのか――それは天使がメアリーに投げかけた言葉だ。
だが実感として、たとえ試験管の中で育った身だとしても、血の持ち主こそが親なのだと、メアリーもカラリアもそう認識している。
メアリーにとっては、ヘンリー国王と故ブレア王妃が親なのはわかっていたことだ。
しかしカラリアにとって、ユーリィが親だったという事実は初めて知られること。
自分の体に、親と慕った相手の血が流れている。
それは、“名前”というつながりを失った彼女にとっては、相当嬉しかったに違いない。
「しかも、ホムンクルス研究を始めた張本人か。ピューパとの繋がりも強いはずだ」
「メアリー様も、ほむんくるす? だったんだね」
「ええ、そして私が誕生したことで、研究は終わり、ホムンクルスたちは散り散りになった……」
「それは遠因だよ。ヘンリー国王が目指す“何か”にメアリー王女が必要だった。だけど、その“何か”は、ドゥーガンの介入によって失敗に終わったんだ」
「結果として、ホムンクルスたちは適当な扱いで捨てられた、というわけか。だったら、恨むべきはドゥーガンじゃないのか? メアリーに矛先を向けるのはお門違いだろう」
「だから、こうなったのかもしれないね」
ドゥーガンは操られている――メアリーたちもその可能性を論じていた。
その説の信憑性は、ますます高まる。
「スラヴァー領を滅茶苦茶にすることで、ホムンクルスたちは復讐を遂げていた、ということですか」
「メアリーが勝とうが負けようが、連中の復讐は成立するということか。不快なやつらだ」
「うーん、私にはわかんないな。ドゥーガンは嫌われてとーぜんだけど、どうしてカラリアやメアリーが、そこで狙われるんだろ?」
「五体満足で生きている私たちへの嫉妬だろう」
「全員が?」
「それは……」
「ホムンクルスさんたちは、“誰か”に助けられて、再会できたとき、みんな『また会えてよかったー』って思ってたんでしょ? だから今日みたいに、一緒になって、命を賭けてまで戦ったりしたんでしょ? なのに、カラリアが無事だったことは喜ばないの? お姉ちゃんが王女様だったら、『私たちの兄妹はすごいんだぞー』って喜んだりしないの?」
「人次第としか言えないな。いや、人次第だからこそ、不自然なのか?」
「みんなひねくれすぎだよね。もっと素直になったほうがいいと思うなっ」
そう言って、メアリーの胸に顔を埋めるアミ。
さらに頭を撫でられると、「うえへへ……」とアミはとろけるように表情を緩ませた。
「彼らの事情は、戦っていればわかりますよ。どうやら話したがりのようですから」
「確かに、私たちに罪悪感を抱えて死んでもらいたいんだろうな。知らない人間の悲劇など聞かされても、何とも思わないが」
冷めた意見ではあるが、少なくともカラリアにとっては、同じアルファタイプだろうと他人は他人だ。
むしろ、ユーリィを殺されたという恨みすらある。
だがメアリーはそうはいかなかった。
(寝て起きたら消えてくれる、と思っていのたですが……罪悪感も記憶も、しっかり残っていますね)
アルカナ使いを取り込めば、その記憶の一部が流れ込んでくる。
彼らがどんな想いで地獄を生き抜き、そしてどんな想いでメアリーたちを殺しに来たのかと。
死んでもいいと、命を投げ出すつもりで戦いに身を投じた。
しかし死を間近にすると、急に恐ろしくなって――人間なんてそんなものだ。
そう、たまたまアルカナを得ただけで、心まで強くなるわけじゃない。
同じ人間なのだと、そして過去には家族として自分をかわいがったことすらあるのだと、知りたくなくても知らされる。
無感情であれ、と切り捨てたかった。
だがカラリアと違い、メアリーはそこまで器用になれなかった。
「……ああ、そういえば」
下手な話題替えだと自嘲する。
しかし、まだまだ話すべきことは多い。
メアリーが自分で思うほど、それは不自然ではない。
「私が最上階に来たとき、カリンガから膨大な魔力を感じました。あれは何だったんです?」
「そうだ、それも聞きたかったんだ。いくら話してもキリがない。ノーテッド、確か反理現象とか言ってたな」
「あー、それは僕が勝手に名付けたものなんだけどね。歴史書を漁っていたら、アルカナ使いと思しき人物が死ぬ直前、不可思議な現象が起きるという記述がいくつかあったんだ」
前提として、アルカナそのものが不可思議な現象を引き起こすものだ。
つまり、そこで発生したのは、それ以上に規模が大きなもの、ということになる。
「元々、アルカナにはそれぞれ、司る“属性”とでも呼ぶべきものがある。力がどういう形で発現するかは、継承者によって微妙に変わるんだけど、大筋の――例えば『死神』が死体を操るとか、『女帝』が無機物を操るとか、そういう部分は一致してるらしい」
ノーテッドが“らしい”と言葉を濁したのには理由がある。
彼も古い文献を読み漁り、アルカナについて調べてきたが、いちいち○○のアルカナは××という能力を持って――と解説してあるわけではない。
今も昔も、アルカナは存在自体が他国への牽制になると同時に、その力の全てを、詳細に明かすことは、弱点をさらけ出すことに繋がるからだ。
だからこそ『死神』の詳細な記述は不自然だったのだ。
ノーテッド自身、キューシーが『女帝』の能力を得たのを見たとき、はじめて『ああ、あの文章はそういう意味だったのか』と理解した。
まあ、『塔』こそ早めに気づけたものの、例えば『吊られた男』が自分の能力やアルカナの名前を隠して攻めてきた場合、気づくことはできないだろう。
「カリンガって人のはどんな属性なの?」
「今回の彼の戦いと、過去の『吊られた男』の術者らしき記述を示し合わせると――逆境や、苦境における強さ、かな」
「ぎゃっきょー? くきょー?」
「我慢すればするほど強くなるってことさ」
「ほえー、なるほど」
アミは、わかっているようで、何もわかっていなさそうな声でそう反応した。
「物語だと主人公に向いた力かもしれませんね」
皮肉っぽくメアリーは言う。
「それでも痛みや苦しみはあるだろうから、彼が自分に“主人公”と言い聞かせていたのは、一種の自己暗示だったのかもしれない」
「ただの変人だろう」
「あはは、その可能性も捨てきれないけどね」
「ですが最後のあれだけは、らしくありません。自暴自棄で自爆ですから」
「そう、逆境に耐えるという能力とは、ある意味で真逆とも取れる」
「それで反理と呼んだのか」
「反理現象は、アルカナ使いが命を代償とすることで、本来のアルカナとは真逆の特性を持つ強力な魔術を発動する現象のこと――僕はそう考える。他のアルカナ使いが使ってないってことは、発動のための条件もあるんだろうね」
発動条件が不明なのが、一番不穏だった。
仮に『塔』がそれを使っていたら、ビルごと壊れたりしていたのだろうか。
「殺すのも一苦労ですね。ドゥーガンがアルカナ使いではなくて助かりました」
「そうだね。ちゃんと苦しんで死んでくれないと困るもんねっ」
デリカシーの無い――いや、あえてそう言っているのか。
表情こそ朗らかなものの、メアリーとアミからは憎悪が感じられる。
二人に増えた復讐者を前に、ノーテッドは困り顔で頭をかいた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!