鮮血王女、皆殺す

~家族に裏切られ、処刑された少女は蘇り、『死神』となって復讐する~
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146 壊世人話Ⅰ『愛の証明』

公開日時: 2021年2月26日(金) 17:25
更新日時: 2023年3月1日(水) 00:22
文字数:8,775




 メアリーは自らの命を諦め、死に身を任せた。


 彼女を取り囲むカラリアも、キューシーも、そしてアミも、もはや正気を留めてはいない。


 ただただ冷たく、意志なきガラス玉のような瞳でメアリーを見ている。


 とうにわかっていたはずだ。


 この世界の創造主であるアルカナの力に、人の意志が抗えるはずもないのだと。


 放たれる殺意。


 メアリーの持つ再生能力が『世界ワールド』由来のものだと言うのなら、頭や心臓を同時に潰されればさすがに死ねる・・・だろう。


 どんなにみじめな末路でも、解放されることに変わりはない。


 すでに全てを諦めた彼女にとって、それは救いに等しく――


 アミの車輪が胴を両断する。


 浮き上がった上半身は、血が滴る切断面から腸をぶら下げながら舞い上がる。


 キューシーの獣が腕を噛みちぎった。


 軽くなったメアリーは、口元に笑みをたたえておもちゃのように宙を舞う。


 そしてカラリアの銃弾がその体を消し飛ばそうとしたとき――視界が遮られた。


 目の前に現れた何者かが棒状の物体でメアリーに触れると、次の瞬間、周囲の空気が変わる。


 流れる風が肌を撫でた。




「外……?」




 転移・・したとでもいうのだろうか。


 そしてメアリーはその誰かと二人で自由落下していく。




「あたし足が無いんだ。着地してもらえる?」




 聞き覚えのある声がして――メアリーは生理的な嫌悪を感じた。


 いっそこのまま重力に身を任せて死んでしまおうとも思った。


 だが、そうはできない。


 あの場から脱出してしまった以上、今の状況はもはや仕方ない・・・・の一言で命を捨てることが許される状況ではないから。


 自ら死を選ぶのと、諦め殺されることでは意味が違うのだ。


 メアリーの手足は、筋肉むき出しの状態ながら、辛うじて元の形を取り戻している。


 彼女はその両足で痛みと共に着地すると、一緒に落ちてきた女を抱えた。




「どうして……」




 失望に満ちた言葉で彼女は言う。




「よりによって、あなたなんか・・・が生きているんですか、ディジーッ!」




 ディジーは力なく笑う。


 体は軽いものだ。


 なぜなら両足がない。


 左腕も切り落とされている。


 さらに傷口には黄ばんだ包帯が雑に巻かれ、それすらも滲んだ血で汚れている有様であった。


 肌は青ざめ、表情も無理に生意気な笑みを作ってはいるものの、気を抜けば意識が飛びそうなほど目がうつろだ。




「立ち止まってる暇はないよ、逃げなよ」


「くっ……どこまでも貴女という人はッ!」




 言いたいことは死ぬほどあった。


 だが彼女の言う通り、すでにカラリアたちは窓ガラスを突き破って建物から飛び出し、メアリーを追ってきている。


 銃弾が、獣が、車輪が、一切のためらいなく、その命を奪うためだけに放たれる。


 メアリーは背中から骨の腕を生やすと、その爪を建物に引っ掛けて飛び出すように前方に加速した。


 続けて、爪を別の壁に突き立て、立体的な動きで迫りくる殺意を翻弄し、避ける。




「あのときのアミも、こんな気持ちだったんでしょうか」




 視界の端に仲間の姿が入り込むたび、強く胸が締め付けられる。


 感傷は動きを鈍らせる。


 見かねたディジーは、奇術師の杖ワンドでメアリーの逃走をアシストしはじめた。




「っ!? いきなり飛ばれてはッ!」




 突如として切り替わる景色に、バランスを崩しそうになるメアリー。




「慣れだよ慣れ」




 ディジーはか細い声で言った。




「連続使用の合間に隙が生じる。その間のフォローはお願いね」


「貴女のフォローなど私は……ッ!」




 共闘などしたくない。


 しかし憎らしいことに、メアリーが転移に慣れてくると、追跡者たちとの距離はみるみるうちに遠ざかっていった。


 小さくなっていく三人の姿。


 やがて追跡を諦めたのか、完全に見えなくなってしまう。




(嫌だ……こんなお別れなんて、嫌だ……!)




 現実は理解している。


 一度は全てを諦めもした。


 それでも、苦しいものは苦しい。


 辛いものは辛い。




「嘆いてる暇なんて無いよ」


「無理です」


「無理でも無茶でも構わないけど、が来る」


「次って――」




 前方に、大勢の人の姿が見えた。


 広い大通りを埋め尽くす“群れ”だ。


 彼らはまるでメアリーを呪うかのように、全員が同じような言葉を繰り返していた。




『お前のせいだ』


『お前が生まれてきたせいだ』


『お前が生き延びたせいだ』




 今更言われずともわかりきった正論・・を並べて、ザッ、ザッ、と同じ歩幅でこちらに近づいてくる。




『お前のせいでフランシスは死んだ』




 誰もが正気を失った顔をして。


 いや、『世界』の能力の発動条件からして、中には操られていない者もいたはずだ。


 だが、“言わせれば”いいだけのこと。


 それでも拒むのなら殺せばいい。


 現に一部の民は、その手を血で汚し、おそらくは親しい間柄であったはずの“誰かの一部”を持っている。




『お前のせいでカラリアは死んだ』


『お前のせいでアミは死んだ』


『お前のせいでキューシーは死んだ』




 気づけば呪いはあらゆる方向から、メアリーたちを囲むように聞こえてくるようになっていた。


 数万人の王都の民が、数千万人のこの大陸に暮らす人々が、全て『世界』の下僕となったのだ。




『お前のせいだ』


『お前のせいだ』


『お前のせいだ』




 王都を出ようと逃げ場などない。


 世界は全て、メアリーの敵である。


 いや――正確には、メアリーが世界の敵になったと言うべきだろう。




「さあどうする? あれ皆殺しにしないと逃げられないよ?」


「道ならいくらでもあるでしょう!」




 メアリーは大きく飛び上がり、大通りから外れた屋根の上を走った。


 すると、王都の住民たちが一斉に屋根の上によじ登ってくる。


 中には飛び上がり、メアリーの前に立ちはだかる者までいた。


 無論、ただの人間の肉体がそれに耐えられるはずもない。


 着地で――否、踏み切った時点で両足は折れており、ぐにゃりと曲がりうっ血している。


 だがそんな脚を引きずりながらも、口の端からよだれを垂らして彼らは迫ってくる。




「お前のせい……お前の、お、ごっ、があぁぁぁぁあああっ!」




 化物のように大きく開かれた口から発しているのは、もはや意味のある言葉ですらない。


 メアリーを責め立てる声と、怪物のうめき声が、あらゆる方角から『逃げ場などない』と告げるように響いていた。




「地獄だねェ。きっとここが、あたしが望んだ最低の地獄なんだ」


「どうして……? 私は、どうしたらよかったんですか……」


「みんながそう思って、足掻いた結果がこれなんだよ」




 メアリーの足が男の頭を踏み潰す。


 立ちはだかる女を蹴飛ばすと、建物から転げ落ちて地面に血の花を咲かせた。


 いや、メアリーが何もせずとも、もみくちゃになった群衆のなかで、とうに何人も死んでいる。


 当然、中には『世界』の支配を受けていない者もいたが、そういった人間は他の支配を受けた人間から引き裂かれ、殺されている。


 拒んだところで。


 何もしなかったところで。


 結果は、何も変わらない。




「どうしたらよかった、なんて考えるだけ無駄なのさ。どうしようもなかった。勝者は、割り切って諦めた奴だけだよ」


「そんなの勝者なんかじゃありません!」


「だったら、最後まで生き残れば都合よくご褒美が貰えるとでも? 復讐を成し遂げれば何かを得られるとでも?」




 王都の城壁が近づく。


 前方の“群れ”を越えればようやく外だ。


 出てしまえば、少なくとも、ここよりは人が少なくなるだろう。


 この嫌な声も、嫌な光景も、嫌な匂いも、かなりマシになるはずだ。


 あとは誰もいない洞窟や建物に身を潜めて――




「そうは思えないから、あたしはメアリーを助けたんだよ」




 ――身を潜めて、どうするというのか。


 未来なきこの世界で、あらゆる人間から憎まれながら、孤独に生きて。


 その末に、何があるというのか。




「クズらしく、本当の地獄にメアリーを引きずり込むためにさ。ふへっ、へへへっ」




 ディジーはわずかに体を震わせながら、笑い声をあげた。


 メアリーは強く歯を食いしばり、屋根の上から飛ぶ。


 足元では、正気を失った人間たちが、彼女に向かって一斉に手を伸ばしていた。


 転移が発動する。


 景色が変わる。


 分厚い壁を突き抜けて、人のいない王都の外に抜け出したメアリーは、その場で膝をついた。


 腕からディジーがこぼれ落ちる。


 地面に衝突した痛みに顔をしかめる彼女は、残った片手を器用に使ってメアリーのほうを見た。


 彼女は両手をだらんと垂らして、うつろな瞳で地面を見つめている。


 城壁の中からは、幾重にも絡まったうめき声が聞こえてくる。


 空はこんなに青いのに、世界の色彩は絶望的にモノクロで。


 そんな世界でもなお正気で居続ける自分に嫌気がさして、ディジーは強く唇を噛んだ。




 ◇◇◇




「そっか、逃げたんだ」




 ステラは王城の玉座に深く腰掛けると、嬉しそうに言った。




「まさかディジーが生きてるなんてね。魔力の繋がりが切れた時点でくたばったと思ったけど。あのカラリアとかいう女……普通じゃないなあ。まあ、支配はされてるみたいだから、監視を強めれば問題はないんだろうけど」




 そんなイレギュラーもまた、愛おしい。


 彼女にとって、メアリーが『死神デス』に目覚めてからの物語は、全てがウイニングランのようなものだった。


 決まった結末に向けて世界は進むだけ。


 喜びはある。


 なぜならこの世界が憎いからだ。


 けれど同時に、あっさり終わることへの失望感もあった。


 できるだけ足掻いてほしい。


 銛を突き刺した魚は、暴れれば暴れるほどに傷口を広げていくものだ。


 この世界が憎い。


 この世界に存在する全てが憎い。


 だから、できるだけ苦しんで死んでくれるよう、頑張ってほしい。


 ステラ――いや、ミティスは心からそう思うのだ。


 もう、それ以外に、彼女が叶えられる夢は存在しないから。




「メアリーはどんな苦しみを見せてくれるだろう。どんな悲劇を見せてくれるんだろう。早く見たいなあ。全てが無駄だって知ったときの、メアリーの絶望する顔が」




 ミティスは手を伸ばす。


 開いた手のひらの中に、世界を幻視する。


 するとぼやけた視界の向こうに、赤い人影が現れた。


 ピントをずらす。


 地面から生えた肉塊は、すぐに白衣姿の女性に変わった。




「ユーリィ、準備ができたの?」


「うん、最高の舞台が完成したよ」




 ユーリィは達成感に満ちた表情で言った。


 ミティスもにこりと微笑む。




「ミティスが最上階に設置してほしいって言うから、時間がギリギリになってしまったよ」


「ロケーションは大事でしょう?」


「こだわる気持ちはわかるよ。私もさ、姉さんにプロポーズされるならどこがいいだろう、次に首を吊るのはどこにしよう、ってよく考えるから」


「いつでも自由にどうぞ。真なるワールド・デストラクションが完成した今、いつ死のうがユーリィの自由よ」


「あはははっ、ミティスって意外といじわる言うよね。今は生きたい理由があるんだ。約束通り、カラリアは自由に使っていいんだよね」


「ええ、もちろん。世界が滅びるまでの間、好きにしたら」


「ふふっ、んふふふふっ、そうだねえ。好きにする。ああ、こんなに気持ちが楽になるのは初めてだ……破滅って、こんなに素敵だったんだね……」




 しみじみとそう言いながら、ユーリィの体はどろどろに溶けていった。


 彼女が消えると、ミティスは玉座から立ち上がる。




「私もそろそろ行かないと。この世界を滅ぼすために」




 そう言って、彼女は玉座の間から立ち去った。




 ◇◇◇




 王都から脱出したメアリーとディジーは、少し離れた山の麓までやってきた。


 そこで小さな洞穴を見つけると、身を潜める。


 メアリーは膝を抱え、少し離れた場所で横たわるディジーは、時折辛そうな声を出していた。


 まともに治療を受けていないその体は、刻一刻と衰弱しているようだ。




「カラリアさんがなぜあなたを見逃したのか、教えてもらえますか」




 彼女の体調など気にもとめないメアリーの問いに。


 ディジーは素直に答えた。




「あたしぐらいしか頼れる相手がいなかったからだよ。悔しかったろうね、メアリーを生かすためにあたしを逃がしたんだから」


「カラリアさんは……もうあの時点で、自分が操られていることに気づいていたんですね」




 ミーティスの村で、ステラはメアリーと会う前に、宿屋でカラリアたちと話をしたと言っていたはずだ。


 カラリアが操られるとしたら、おそらくそのとき。


 しかし彼女には、常人にはない魔術耐性があった。


 それゆえに、『世界ワールド』の支配を受けながらも、わずかに正気を保つことに成功したのだろう。




「『世界』は世界の全てを同時に見渡せるわけじゃない。あの戦いにおいても、よっぽどあたしの生死に興味がないのか、こっちを見てなかったらしくてさ――」




 そしてディジーは、王都決戦の日の出来事を話しはじめた。




 ◆◆◆




 ――カラリアは手にした刀を、ディジーに振り下ろした。


 鋭い刃は彼女の右脚を切り落とす。




「あぐ、うああぁぁぁあっ!」




 ディジーはその痛みに大きな声をあげた。


 しかし、切り落とした部位は急所ではない。


 血こそ流れているものの、カラリアの抱いていた殺意とは見合わない一刀だった。




「はぁ……う、あ……なんで……っ」


「『世界』の目はこちらを見ていない。今なら、奴の支配から逃れられるんじゃないか」


「何を、言って……」


「その能力、略奪者の杯カップと言ったか。私の感情を奪い取ることができるのなら、自らの体に染み込んだ『世界』の魔力を抜き取ることもできるはずだ」


「そ、そんなこと……」


「自分がどこまで『世界』に操られているのかわからない、だからこそ正気に戻るのが怖い。そうだろう? だったら、なおさら選ぶべきじゃないか。お前が自らの苦しみを望んでいるというのならば」




 『救いようのないあたしを最高の苦痛で罰してくれないと』、と――ディジーはついさっき、カラリアにそう告げたところだ。


 より効率よく・・・・、生きたまま苦しむ方法がそこにあるのなら、選ばないのはポリシーに反する。


 ディジーは恐る恐る、自らの体内から『世界』の血と魔力を抽出し、杯で流した。




「成功したんだな」




 彼女はうなずく。


 たぶんこれは、『世界』が油断をしているからこそ使える、たった一度の裏技だ。


 ミティスが気づけば、何らかの方法で妨害はできるはずだから。




「そうか、それは何よりだ――」




 ディジーが支配から脱したことを確認すると、カラリアはふっと微笑み――尖った刀の先端を、残った左脚に突き刺した。




「づっ、がっ、あああぁぁあっ! なっ、なんでっ、なんでえぇえっ!」


「何で? 当たり前だろう」




 カラリアは表情を変えずに、血まみれの刀を引き抜いて、再びディジーの足に突き刺す。




「いぎいいぃぃっ!」


「狂ったやつを殺しても報われない。復讐はやはり、正気の相手を殺さなければなあ!」




 再び刀を引き抜き、そして今度は地面もろとも引き裂く。


 切り離される左脚。


 痛みにのけぞり叫ぶディジー。




「ふふ……ふははははっ、あはははははははっ!」




 カラリアは笑う。


 ようやく成就できた復讐に歓喜する。




「なんだディジー、正気に戻れば許されると思ったのか! あぁ!?」




 さらに彼女は何度も何度もディジーの体を蹴りつけた。




「私は殺されたんだよ、お前に、大好きだったユスティアをぉ! 目の前で黒焦げになったその姿を見て、私がどれほど悲しんだか! どれほど苦しんだことかァッ! 今でも夢に見る。思い出すたびに吐き気がする! 大切な人との思い出がッ、あの黒焦げの死体に上書きされるこの苦しみがァッ! ちょっとやそっとの暴力で満たされるものかあぁぁッ!」


「う、あ……そ、っか……罰……これが、罰……っ」


「そうだ罰だ。お前は裁かれなければならない。お前が、お前のような人間があぁぁぁああッ!」




 カラリアの感情は限界を迎え、その激情が導くままに三度刀を振り下ろす。


 次に落とすのは腕だった。


 すでに貫かれ、血だらけになった右腕が地面に落ちる。




「はははっ……ははっ、はぁ……はぁ……」




 刃を地面に当てたまま、うつむき、肩を上下させるカラリア。


 ディジーは苦しげに頬の筋肉を引きつらせながら、彼女に言葉を向けた。




「あたし、しぶといから……ははっ、これぐらいだと、生き残っちゃうかもよ……?」


「……ああ、それでいい」


「殺したいんじゃないの?」




 カラリアはギリッ、と歯を鳴らした。




「殺したいさ。殺したくて、殺したくて、そればかりを考えてきたッ! だが――」




 顔を上げる。


 見開かれた瞳は、涙で潤んでいる。




「それと同じぐらい、私はメアリーに生き延びてほしい!」




 悲痛な願い。


 それは――必ずしも生き延びることが幸福ではないと知った上での言葉だった。




「好きなんだ、メアリーのことが。あいつらのことが。みんなひっくるめたら、復讐を諦めるなんて馬鹿げた選択肢が生まれるほどに!」




 当然、ユスティアを殺された恨みはある。


 だが、ディジーにしかできないこともあるのだ。




「ディジー、メアリーを救ってやってくれ。あいつを殺そうとする私たちから守ってやってくれ」


「何を言ってんの。なんで、あたしが……」


「それが最も辛く苦しい道だからだ」




 何だかんだ言って、死による解放は、ディジーを楽にするだけだ。


 ユスティアを殺された恨みを晴らすという意味では、生かすことが一番の罰。


 しかし理性でそう納得しようにも、やはり復讐心は殺さねば納得しない。


 それを飲み込んだ上で、カラリアは決断したのである。




「死んで楽になるのは嫌なんだろう? だったらお前はその体で、メアリーを生かすために生きろ。今の『世界』から逃れたお前なら、その生き方を選べるはずだ」




 一見して、ディジーは変わっていないように見える。


 クズとして行くところまで行ってしまったのだ、今さら元の自分には戻れないだろう。


 だが、クズはクズでも、『世界』に従うクズである必要はない。




「……頼む」




 震える声で、憎悪を噛み潰して、カラリアは告げた。


 それは彼女にとって最悪の譲歩だったに違いない。




 ◇◇◇




 ディジーの話を聞いて、メアリーは膝を抱えたまま、右手を握りしめる。




「カラリアさんが、そんなことを……」




 そして握りこぶし額に当てて、強く目をつぶった。




「最低の気分だったよ。あたしを殺すはずのカラリアが、『頼む』なんてさ」




 震える声で語るディジー。


 その結末は、カラリアにとって最悪のものだった。


 だが同時に、裁きを待ち望むディジーにとっても、望んでいないものだったのだ。




「あいつに殺されて終わりだと思ってたのにさ。頼まれたら、やるしかないじゃん。それがあたしの罰って言われたら、生き延びてやり遂げるしかないじゃんか……!」




 ディジーは地面に爪を突き立て、感情をぶつけるようにガリガリと削った。




「あははっ、でもこれもこれであたしらしいかもね。だってメアリー、生きてて苦しいでしょ? 死んで楽になりたかったんでしょ?」


「そうですね、あの場で死ねば一番楽でした」




 メアリーは即答する。


 そう思ったからこそ、彼女は死を受け入れたのだ。




「楽になれると思った瞬間に引き戻されるの、ホント最低の気分だよねェ。しかもさ、メアリーみたいな人間は、生き延びた以上、何かをせずにはいられない。きっとミティスはあの三人のこと化物に変えちゃうよ。ひょっとすると、半端に自我とか残してさあ、おもちゃみたいに扱うかもね? そしてメアリーの前にわざわざ連れてきて、きっと今までの思い出とかを全力で汚そうとするに違いない」




 そんな未来が、容易に想像できた。


 待っていても、逃げていても、まともな未来などない。


 だから、選べる道は、もうたった一つしか残っていないのだ。




「私が殺すしかない」




 愛しているから。




「ああ、でもこんなの……まるで、殺すために愛し合ったみたいじゃないですか」


「案外そうなのかもね」




 あまりに心無い言葉に、思わずディジーをにらみつけるメアリー。


 しかしディジーは嬉しそうだ。


 そう、その調子で憎しみを向けてくれ、とも言わんばかりの表情である。




「だってさ、あのキューシーってやつ、最初からステラの本を読んでたんだよ?」


「再会した時点で、操られていた……?」


「ノーテッドが操られたのもキューシーのせい。情報を漏らしてたのもノーテッドだけじゃない、キューシー自身がミティスに話してたんだよ。ずっと、ずっと」




 ノーテッドが死んだときのキューシーを思い出す。


 あの悲しみも、操られた結果だったとディジーは言う。


 ならば寄りかかって抱き合った夜も、作り物だったのだろうか。




「じゃあ好きって気持ちは? ああ、そういえば肉体関係まで持ったんだっけ? それもひょっとすると、『世界』がメアリーを苦しめるための演出かもねえ!」




 それがメアリーに突き刺さると知ったからか、ディジーは饒舌に語る。




「あはははははっ、惨めだねメアリー! 愛し合った相手の気持ちが偽りかもしれない。いざ正気に戻したら『誰?』って言われるかも! 悲しいよ、悲しすぎるよそんな結末! ねえ、ねえ!?」




 彼女のテンションは最高潮に達して――それと対照的に、メアリーは急速に落ち着いていった。


 そして冷たい声で言い放つ。




「クズを気取った人間の言葉ほど聞いていて辛いものはありませんね」




 ディジーもそれを受けて、心底冷めた表情を見せた。




「……何その反応。つまんないの」


「事実、つまらない質問ですから」


「作られた感情でも構わないっていうの? そんなの強がりでしかないよ」




 ディジーの言葉もまた正論かもしれない。


 しかしメアリーには確固たる“答え”があった。




「それでも――私の気持ちは偽りでありませんから」




 そう言って立ち上がる。


 ディジーのほうを見て、




「私は彼女たちを愛しています。そこに、疑う余地なんてありません」




 そう言い切ると、外に向かって歩きだした。




「もう行くんだ、頑張るなぁ」




 ディジーは横たわったまま、他人事のように言った。




「でもさ――『世界』の魔術評価は300万。どうやって戦うつもりなの?」




 その問いに、メアリーは立ち止まる。


 そして振り向かずに答えた。




「幸い、はいくらでもあります」




 彼女はそれだけ言い残すと、洞穴から出ていく。


 照りつける太陽に目を細めながら、骨の鎌を生み出す。


 それを握りしめ、人の気配に向かって走りだした。




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