キューシーの体は両断された。
地面に落ちた上半身、その切断面はメアリーの傷口のようにうごめく。
その肉体が天使化しているのなら、すぐに再生するはずだ。
メアリーは鎌を振り上げ次の斬撃を放とうとした。
するとキューシーが口を開く。
「痛い」
一瞬、メアリーの動きが止まった。
「痛いよぉ、メアリー……」
こちらに手を伸ばしながらそう訴えるキューシー。
フラッシュバックする思い出。
こみ上げる罪悪感と嫌悪感。
メアリーは歯を食いしばり、構えた鎌を振り下ろす。
その射線上に――巨大な狼が割り込んだ。
「邪魔をしないでッ!」
もろとも斬り落とす――そう意気込んで放った斬撃は、しかしキューシーまで届かなかった。
(硬い……以前までの獣とは違う!)
明らかな魔力の向上。
真っ二つになった獣の間にわずかに見えたキューシーに向かってアナライズを発動。
魔術評価が数値化して視界に映し出される。
(キューシーさんの魔術評価が50万を超えている……『世界』の血を大量に使えばここまで強化が可能だとでも!?)
今までの天使は到達しても十万程度。
しかも、それは時間をかけて準備したヘンリーだからこそ到達できた境地。
キューシーの場合は他にカラクリがあるのではないか――すぐにでもそれを探りたいメアリー。
「待ってくれるなんて優しいね、メアリーは」
だが相手がそれを許してくれない。
キューシーの傷口から肉が触手のように伸び、結び、上半身と下半身を繋ぐ。
そして彼女が手を天にかざすと、王都中の瓦礫や死体が一斉に姿を変えた。
広げた翼が10メートルを超える巨大な猛禽類が空を覆う。
鋭い牙と爪を兼ね備えた、見上げるほど大きな狼がメアリーを囲む。
そして無数の死体たちは、1メートルサイズの昆虫となって、キチキチと不快な鳴き声をあげながら飛びかかった。
「私はキューシーさんが有利な場所にまんまと飛び込んだ――ということでしょうか」
ここには素材が充実している。
そしてメアリーがこの街を残していた以上、最後に戻ってくるだろうことも予測できただろう。
これはキューシーとメアリーの戦いというよりは、もはや王都とメアリーの戦いと呼んだほうが相応しい。
鎌を払う。
虫たちは生じた風圧で消し飛ぶ。
時間差で遅い来る狼に向けて、メアリーは鎌を投擲。
刃は高速回転しながら弧を描き、斬撃と生じる風で無数の敵を切り刻んでいく。
さらに頭上からは、巨鳥が鋭いくちばしでこちらを狙っていた。
メアリーの両腕が弾け、中から異形の腕が現れる。
彼女はその拳でくちばしを叩き潰した。
続けて二体目、三体目と拳で迎撃するメアリー。
同時に地上より迫る狼や虫たちは、背中の腕で迎撃する。
しかし数の有利は相手側にあった。
するとメアリーは軽く腰を落とし、高く空に飛び上がる。
そして右腕をさらに巨大化させる。
鋭い爪が、陽の光を反射し輝く――
「死者百万人分の――葬爪撃ッ!」
大きな揺れと地鳴りが王都を襲った。
王都の北城壁から南城壁までを縦断する、深い深い爪痕が数本刻まれる。
巻き込まれた、あるいは近くにいた獣たちは跡形もなく消滅する。
メアリーが着地すると、頭上からパラパラと獣の成れの果て――粉塵が落ちてきた。
どうやらキューシーはどこかに逃げたようで、爪撃には巻き込まれてはいないようだ。
しかし警戒しているのか、残る下僕たちはメアリーに襲いかかってこない。
(『力』のアルカナを一旦解除――持続時間が短く、連続使用できないのはやはり大きな弱点ですね)
オックスが使っていた時も、それがネックとなっていた。
一時的とはいえ魔術評価をおよそ3倍にまで引き上げるのはかなり優秀だが、慣れるまで使い所には悩みそうだ。
少なくとも、今のように戦況が滞っている状況下では切っておくべきだろう。
(内側に隠れられるような建物はほぼ破壊されました。隠れられるとすれば瓦礫の影。今の私なら、王都程度の広さなら全体を同時に監視することも可能です)
地面に骨で作られた根を張り巡らせ、その先端に死体より拝借した眼球を生やす。
現在位置から見えない全ての影を視界に入れると、現在位置からそう離れていない場所に、しゃがむキューシーの姿が見えた。
そちらに手のひらを向ける。
『隠者』により姿を消した埋葬砲を発射。
瞬間、“何か”が飛んできていることを察したキューシーは物陰から飛び出した。
追撃をかけようとするメアリーだが、そこで自らの体の異変に気づく。
(動きが鈍い、何かに阻害されているような……)
その直後――
「げほっ、ごほっ……う、ぷっ……」
メアリーは大量の血を吐き出した。
「こ、これは……『女帝』の攻撃……!?」
そこで彼女は、あたりを覆う砂埃――時間が経てば地面に落ちるはずだが、それがいつまでも一定位置に漂っていることにも気づいた。
「消し飛ばした獣の残骸。目に見えないほど微小な粒子――」
キューシーはメアリーに歩み寄りながら言った。
同時に、獣や虫たちもジリジリと距離を詰める。
「始末した獣の粒子を虫に変えて……ごふっ……私の、体を……ッ!」
「そう、内側から破壊しましたわ」
姿を現したキューシーは得意げに語る。
「虫たちはメアリーの血管に乗って全身をめぐり、脳や心臓、筋肉に至るまでを破壊しつくすの」
「再生は排除じゃない……傷が癒えても、虫は残る……ぐうぅぅ……ッ!」
苦しさというよりは、血の気が引くような“気持ち悪さ”。
ぞわぞわとした、強烈なくすぐったささが内側から全身に広がっていく。
「裏切り者のわたくしの前で躊躇なんて見せるからこうなるのよ」
キューシーはそう言って、手を前にかざした。
獣たちが殺到する。
メアリーは歯を食いしばり、地面に手をついた。
「私の肉体が動かないのなら、こちらも僕で応戦を――虚葬骸!」
まるで埋まった死体が動き出すように、地面が何箇所かぼこっと盛り上がる。
そこから白い骨の腕が突き出し、巨人どもが這い出してきた。
彼らは主たるメアリーに襲いかかろうとする獣や虫を踏みつけ、殴り潰す。
その間に彼女はキューシーから距離を取ろうと後退した。
「逃しませんわ!」
すると今度はキューシー自身がメアリーに飛びかかろうと動き出す。
元から肉体の変質も可能だったが、今の彼女は人ではなく天使だ。
それゆえに無茶がきく。
両脚を赤い筋肉むき出しの姿に変えて地面を蹴ると、二人の距離は一瞬で近づいた。
キューシーはさらに腕も変化させ、鋭い獣の爪でメアリーの体を刺し貫く。
「あ、ぐっ……!」
「お命いただきますわ」
背中から胸部まで貫通した爪。
キューシーはその手を握り、心臓を引きずり出した。
「メアリー……愛してるわよ」
その血まみれの臓器にキスをすると、ぶちゅりと握りつぶす。
生命の源たる心臓を奪われたメアリーは――静かに振り返ると、口を開いた。
「残念ですが……今の私、もう心臓を潰された程度では死ねないんですよ」
本当に、心底残念そうにそう言うと、手刀をキューシーの胸に突き刺した。
そこには彼女の心臓がある。
握りつぶす。
ぐちゃりとした感触を手のひらに感じる。
「なら、わたくしとおそろいね」
キューシーもまた、悲しげにそう言った。
そして自らの手でメアリーの腹部を突き刺す。
二人は見つめ合いながら、その手で互いの体内のぬくもりを味わっていた。
「こうして貴女の中に入るのは二度目ね」
「ええ、キューシーさんの体内を感じるのは二度目です」
「包み込まれるような温もりと愛を感じますわ」
「大切な人の一部が自分の中にある感覚って……ああ、たとえ痛みだとしても、こんなに幸せなんですね」
メアリーはキューシーの肺を撫でながら。
キューシーはメアリーの大腸を愛でながら。
もう殺し合うしか無い二人だからこそ、そんなふれあいにすら幸せを感じるのだ。
「わたくし……とても怖いわ。今のわたくしは、限りなく以前の自分に近い人格なのに、けど、こんな交わりを受け入れている時点でわたくしじゃない」
「キューシーさんはキューシーさんですよ」
「違うわ。だって……あはっ、ははっ……あー……うん、だって――たまに気まぐれにノイズが走って、思い出させるの……の、の……の? ふふっ、ああ、そうノイズが。こうして、きっとそれはわたくしが『世界』に支配されている証明なんだわ」
メアリーの目の前で、キューシーの表情がコロコロと変わる。
それは百面相なんて可愛いものではなく、人格の消失と再生を繰り返したり、別の人格に入れ替わったり、今の自分を微妙に書き換えられたりするものだ。
いわば、よりメアリーを苦しめたい『世界』の戯れである。
「でも、わたくしって、いつからわたくしだったのかしら。わたくしはお父様を殺した。わたくしはアミやカラリアも殺した。だったら、メアリーを愛したわたくしも、もしかしたら――」
「変わりませんよ。どんな貴女でも、私はキューシーさんのことが好きですから」
「メアリー……」
「愛しています。あなたにはじめてを捧げたことは、私の永遠の誇りです」
「メアリー……メアリーいぃぃぃ……っ!」
キューシーは感極まって、メアリーの腸を握り、ずるぅっと引きずり出した。
「嬉しいわ、嬉しいのよ心から! でもわたくしっ、今はこんな風にしか喜べないのよぉッ!」
さらにもう一方の手を胸に突き出すと、その肉を引きちぎって口に運んだ。
「おいちいぃ……好きな人のお肉っ、おいしいよぉお……」
「キューシーさん……キューシーさあぁあんっ!」
メアリーは感極まって、キューシーの頭を握りつぶす。
脳が弾ける。
顔のうち、顎から下だけが残る。
だがキューシーの活動は止まらない。
その手が伸びて、今度は腕を引きちぎる。
「えあいいぃぃぃいい……っ!」
再生途中の口が、不気味な声を響かせた。
「キューシーさんっ、愛してます! 私も、あなたのことをぉっ!」
メアリーも負けじと腕をちぎった。
もう二人は止まらなかった。
刺して、斬って、食らって、千切って、潰して。
折って、ねじって、砕いて、開いて、浴びて。
“好き”の気持ちが止まらない。
“好き”の嘆きが終わらない。
どうせもう愛し合えないのだから、殺し合うしかないのだから、だったら殺戮の中で愛を探そうと、互いの体の奥へ奥へと目指し突き進む。
限りなく恋人同士の性交に近く、しかし限りなく遠いその行為を、周囲の巨人と獣の闘争が彩る。
永遠に続く悪夢のように思えた。
事実、二人の素の魔術評価は変わらない。
メアリーが何もしなければ、何日でもその愛し合いは続いたかもしれない。
だが彼女には『吊られた男』のアルカナがあった。
傷つけば傷つくほど消耗するキューシーと異なり、傷つくほどに向上していく魔力。
戦いが進むほどに残酷な実力差が生じ、明らかにキューシーの欠損部位が増えていく。
それを補うべく、無数の小さく細い腕が彼女の体を抱きしめ、治癒能力を発動させる。
だがそんなものは時間稼ぎに過ぎない。
“終わり”が見えてくる。
(ううん――これでいいんです。そう、終わらせるために私は戦っているんですから)
名残惜しいなどと思ってはいけない。
わかってはいたのだ、いざその時が来れば名残惜しくなるだろう、と。
たとえ殺し合いでもいいから、そこに愛があるのなら永遠に続けたくなるだろう、と。
しかしそれは許されないことだ。
もし死後の世界が存在するのなら、この世に留め続けることは、キューシーに不幸を押し付けるも同じ。
「うがあぁぁぁあああああッ!」
キューシーの頭部は欠け、両腕は千切れ、脚も片方しか残っていない。
体は穴だらけで、異様な形をした心臓が体内で脈打っているのが見える。
そんな状態でケダモノのように叫びながら、頬まで裂けた口でメアリーに食らいつこうとする。
メアリーはそんな彼女に差し出すように腕を前に突き出した。
尖った歯が肉を貫き骨を削る。
「こんな弔いしかできなくて、ごめんなさい」
メアリーはそのまま、埋葬砲を放った。
反動で腕そのものが吹き飛ぶほどの威力だ。
それをゼロ距離で受ければ、人体が原型など留めるはずもない。
ドォンッ! とキューシーの体が内側から爆ぜ、周囲の瓦礫も衝撃で吹き飛ぶ。
彼女の残骸は、頬に僅かな返り血が付着する程度。
ここまで徹底して消滅すると、『死神』で喰らうことすらできない。
最後まで一緒に戦いたい。
そんなささやかすぎる願望すら叶わない、どこまでも都合の悪い現実に、メアリーは目を閉じる。
まぶたが視界を閉ざしたのなら、世界は黒に染まるはずだ。
しかしその瞬間、メアリーが見たものは、光に包まれた“真っ白”な世界だった――
本日より更新速度が戻ります。
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