キューシーとプラティ、遭遇よりおよそ五分。
なおも、両者ともに無傷であった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
肩を上下させ、荒い呼吸をするキューシー。
「よくもったほうだ、と思いますよ。この体に湧いた力は尋常ではありませんから」
対するプラティは、まったくの余裕であった。
彼女はただただ、両手に生み出した肉のナイフをキューシーに投げつけるばかり。
だがその威力は絶大だ。
「そろそろ終わりにしましょう――ふッ!」
息を吐き出すと同時に、プラティは指に挟んだ四本のナイフを同時に投げつける。
その圧倒的弾速ゆえに、視認は難しく、その腕の動きから角度を予測することでしか着弾点を探ることはできない。
キューシーは息を吐き出し――横に飛び込むと同時に、足元にあった小石に魔力を送り込んだ。
蝶に変わった石は急上昇すると、彼女を守るように羽ばたく。
しかし、プラティの肉のナイフは蝶に触れることすらなく、その体を無残に引き裂いた。
(あー、やだやだ。軌道を変えることすらできないなんて)
すでに幾度か試したが、小型だろうが中型だろうが、それは同じことだった。
それが、圧倒的な魔術評価の差の結果である。
顔をしかめながら、キューシーは地面に転がるようにナイフを回避。
ナイフは彼女の背後にある地面に当たると、バゴンッと石畳を弾けさせ、小さなクレーターを作り出した。
そして、キューシー自身の二の腕も引き裂き、服が破れ、血がにじむ――
「づぅっ……」
「いよいよ余裕が無くなってきましたね」
「直撃は避けたはずなんだけど?」
「私のナイフは、近くにいるだけで全てを切り裂く、それだけのこと」
別に、そういう魔術を使ったとか――小細工の話ではない。
単純に、スピードが速すぎて、近くを通るだけで衝撃で肉が弾けるのだ。
「この調子なら、決着は近そうですね!」
プラティはさらに、怒涛の勢いでキューシーにナイフを投げつけた。
自らの肉体から生み出されるその刃は、どれだけ投げても尽きることはない。
キューシーは道路を必死に駆け回り、時に自らの能力を使って攻撃の阻止を企てるも、どれも不発に終わった。
大きめの石を昆虫に変えようと、近くにあった車を盾にしようと、それをワニに変えて攻撃しようと――すべて、あの赤いナイフに引き裂かれて消える。
小細工はない。
圧倒的な範囲でもない。
ただただ強く――このまま続けても、いつか敗北するだけだという、動かしようのない現実だけが目の前にあった。
周囲の建物や道路が穴だらけになり、キューシーの体にも傷が増えていく。
「仮に……仮にですよ。誰かが戦闘を終えてあなたを助けにきたとして。私の魔術評価は30000程度。消耗したアルカナ使いで、それを倒せると思いますか?」
「倒せると思わないとッ! やってらんないじゃない!」
「前向きですね」
「そう生きろって、お父様から教わったのよ!」
「羨ましい」
「あなたも何か教わったんじゃない!?」
「いついかなるときでも、主に従え、と。ですから――私は全力で、それを成さなければならないのです」
プラティは例のごとく、ナイフを指に挟む。
しかし今回はそれだけで終わりではなかった。
手の甲に、手のひらに、腕全体に――そして胴体や脚にいたるまで、全身から刃が突き出す。
「気持ち悪ぅっ」
「さあ――避けられますか、キューシー」
「うーん、無理かも」
バチュッ――とわずかに血を弾けさせ、プラティの体から無数の刃が射出された。
その数、三桁に到達するほど。
先ほどまでのナイフ投擲と違い、広範囲に、かつ威力も速度も減衰せずに放たれる。
少なくとも着弾までの間に、キューシーが移動できる範囲内で、回避や防御が可能なポイントは無い。
つまり、彼女は何らかの形で、その直撃を受けなければならないのだ。
犠牲にするのは腕か、脚か、それとも迷いの末に回避しきれず、頭部に被弾するか。
試すように見つめるプラティ。
しかしキューシーの行動は、その想像を上回る――
「はあぁッ!」
――高度という意味で。
キューシーは、彼女の身体能力を遥かに超えた速度で、そして高度まで飛び上がると、背中の翼をはためかせ、その場に留まった。
バサァッ、と羽ばたく天使のように白い羽を、プラティは眩しそうに目を細めて見つめた。
「生命体は動物に変えられないと思っていましたが」
「自分の体だとね、色々と無理がきくらしいのよ、アルカナって」
キューシーは自らの背中を鳥へと変えて、その翼を生やしたのだ。
しかし、基本的に『女帝』の能力は非生命体に対してしか扱えない。
それを強引に自分の体に使えばどうなるのか――
(解除したら、絶対に背中ズタズタだわ。あー、想像したくなーい)
戦闘後を想像して、一人憂鬱になるキューシー。
しかし、この状態なら、先ほどまでより遥かに素早く動ける。
「さあプラティ、わたくしはまだ逃げ回れるわよ。いつになったら捕まえてくれるのかしら?」
「ふ、趣旨が変わっている気もしますが――なかなかどうして、鬼ごっこも童心に戻れて楽しいじゃないですか。付き合いましょう、どちらかが死ぬまで!」
さらにギアを上げるプラティ。
彼女はもはやナイフ投げではなく、自らの肉体からの刃の射出をメインとして、さらなる猛攻でキューシーを追い詰めた。
対するキューシーは、背中の翼を使って、キャプティスを縦横無尽に飛び回った。
◇◇◇
「いつまで出てくるんですか、鬱陶しいッ!」
メアリーは苛立たしげに鎌を振る――
「はははっ、さよーうならぁー! また来世――つってもすぐだけどなぁ!」
マグラートは彼女の目の前で、笑いながら、直後の再会を誓って絶命した。
そこには確かに、彼の死体があった。
真っ二つで、舌をでろんと出したまま笑い、両手でピースをした状態の。
メアリーは顔をしかめながら、その死体を喰らう。
そしてすぐに、周囲を警戒した。
(どうせまた出てくるんです。一体、どうすればあの男を殺せるっていうんですか……!)
死んでも死んでも蘇るマグラート。
それが『隠者』の能力なのかは、微妙なところだ。
なぜなら彼自身、それを嘆くような言動をしているからである。
もっとも、だとしてもマグラートを殺しても殺してもまた出てくるという現状は変わらない。
どうやったら殺しきれるのか。
どういう条件で蘇っているのか。
ここまで数回斬り殺すうちに、いくつかその手がかりは掴めてきた。
(落ち着いて考えましょう。まず、マグラートは乗っ取る相手を自分では選べないようです。自動的に、最も近い対象へと彼の命は移動する))
それが任意のタイミングで発動できるのなら、わざわざ目の前で変異する必要はない。
“見せつける”をという目的を果たすのは、最初の一家だけで十分なのだから。
(次に、全ての人間を乗っ取れるわけではない。無事に逃げる人もいましたし、乗っ取られる人間には、一定の共通点があるようです)
それは身体的な特徴ではなく、“行動”である。
(先ほどから、マグラートは殺されたあと、“同じ方向”から再び姿を現します。そして、どうやらそちらには……“避難所”があるようです)
最初に乗っ取られた親子もそうだった。
彼らは『避難所から来た』と会話をしていたはずだ。
しかし満員だったので入れなかった――つまりそこには、数百人の人間がいる。
殺したがりのマグラートが、彼らを放置して、外にいるメアリーに集中しているというのも、不自然といえば不自然だ。
「――ッ!」
メアリーは無言で、左腕を骨で覆って、後方からの“不可視の攻撃”を受け止めた。
そして握りつぶすと、続けて前方から接近するマグラートに向けて、右の拳を突き出す。
相手は隠れているつもりだろうが、『星』のナビゲートで位置は丸わかりだった。
クリーンヒット――した感触。
音もなく、景色も変わらないが、おそらくは頬に直撃したはず。
彼女は続けて、ボディと下顎に連続してパンチを入れると、とどめに股間へ膝蹴りを入れる。
「お……おっごぉぉぉ……ねーわ……それ、マジでねーわ……!」
姿を現したマグラートは、局部を抑えてよろめくと、建物の壁に背中をぶつけた。
「かぁーっ! いくら他人の持ち物だからって痛えもんは痛えんだよ。殺せないからって、そういうのはナシにしね?」
馴れ馴れしく話しかけてくる彼に向かって、メアリーは手のひらから骨の針を飛ばした。
「ってまた無言で殺――ぐっ、がっ、があぁっ!」
あえて急所は狙わず、腕と脚に突き刺して身動きを封じる。
彼は苦しみ、額に汗を浮かべながらも、マゾヒスティックに笑った。
「メ、メアリーちゃぁーん、ちょっと見ないうちに拷問に目覚めちゃったワケ? わかる、わかるよぉ。やっぱ楽しいよなぁ、人を傷つけて殺すのって! それがわかった時点で、王女様も俺と同類――」
なおもメアリーは反応しない。
少し考えた素振りを見せると、その前から立ち去る。
「っておい、無視してんじゃねえよ。放置プレイってやつですかぁー? 俺、そっちはあんま好きじゃないんだけどさー! もっと一緒に楽しもうぜぇ!」
背後から不満げな声が聞こえてくるが、それはただのノイズだ。
もはやメアリーは、意味のある言葉としてそれを認識していなかった。
そして彼女は、避難所の入り口までやってくる。
扉付近に人の気配はなかった。
「……見張りの兵士ぐらい、いそうなものですけど」
人っ子一人いないのは、逆に不自然。
嫌な予感がしながらも、中に入る。
元は主に運動のために使われるアリーナなのだろう、内部にはロッカールームやシャワールームが併設されている。
そのどこにも兵士の気配はなかったが、とある扉を抜けた地点で、彼らは急に姿を現した。
とっさに銃を向ける兵士。
「うわっ、誰だ――って、まさか王女様ですか? も、申し訳ありませんっ!」
だが彼らはメアリーだということに気づき、慌てて銃をおろした。
「この奥がアリーナですか」
「はいっ! 現在、300人程度の市民が避難しています!」
「表に見張りの兵士がいなかったようですが」
「いえ、そんなはずは。少なくともここまでに四名は配置されているはずです!」
彼女はわずかに目を伏せ、ため息をつく。
「……アリーナの入り口で配布しているものはなんですか?」
「マジョラームから提供された薬品です。何でも、敵が毒ガス兵器を使用する可能性があるそうで、それを予防する薬だとか」
「そんなもの、聞いたことはありませんが……」
メアリーは薬を配布するデスクに歩み寄る。
ちょうど、外からやってきた市民数名――おそらく家族だろう――に、兵士が薬を渡しているところだった。
ここのアリーナは満員なので、薬だけ渡して他の避難所に向かってもらうらしい。
メアリーはふいに背中から腕を伸ばし、その市民から錠剤を奪った。
「王女様、何をっ!」
そして鼻に近づけると、匂いを嗅ぐ。
するとほんのわずかに――嗅ぎ慣れているメアリーだから気付ける程度ではあるが、血の匂いがすることに気づいた。
メアリーは大きくため息をつくと、首を左右に振り、薬を奪われ呆然としている市民に声をかける。
「今すぐにここから出てください。ここは危険です」
「で、ですが……」
「いいから早くッ!」
珍しくすごい剣幕で、強く怒鳴りつけるメアリー。
その迫力に一家は怯え、小走りで出口に向かった。
様子を見ていた兵士は、ぽかんとした様子で口を半開きにしている。
そんな彼らに、メアリーは尋ねた。
「あなたも薬を飲みましたか?」
「はい、飲みました」
「あなたも?」
「ええ、一番最初に」
「避難している方々も、例外なく?」
「今のところは薬も切れてませんから、全員だと思いますが」
メアリーは入り口の窓越しに、アリーナを覗き込んだ。
広い空間に大勢の人々が集まり、みな不安そうな表情を浮かべている。
(天使を生み出すのは、何者かの血液。そして、この錠剤にはわずかな量の血液が含まれている)
民の顔を見ながら、メアリーは答えを導き出す。
できれば、知りたくはなかったが――
(“天使”を生み出す敵アルカナの能力は――“血液を摂取した相手の肉体を自由に変化させる”こと。この錠剤を飲ませることで、対象者をマグラートへと変えるのでしょう。もちろん、それだけで全てが説明できるわけではありませんが――)
細かな理屈などは問題ではない。
重要なのは、マグラートを殺すのに必要な行動を導き出すこと。
(少なくとも、このアリーナにいる人たち全員がマグラートのスペアであることは間違いありません)
メアリーは入り口の扉に手を当て、ガラス越しに見える内部を睨みつけた。
およそ300人の罪のない命。
しかし彼らは、すでにマグラートの贄であり、そして――仮に彼がいなかったとしても、異形の怪物へと変わる可能性を孕んでいるのだ。
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