メアリーは間髪をいれず、マグラートに急接近した。
彼は慌てて『隠者』の球体で迎撃するが、圧倒的魔力差ゆえ、シャボン玉のように両断されてしまう。
「夢も希望もねえなぁ、同じアルカナ使いだってのに!」
「はあぁぁああっ!」
左腕のブレードで袈裟懸けに斬りつけるメアリー。
後退して避けるマグラート。
しかし鎌よりも遥かに軽いブレードならば、彼の離脱より早く二撃目を繰り出せる。
回転しながらの薙ぎ払いを、マグラートは球体により迎撃。
無論、それは攻撃を止められるものではないが、わずかに――ほんのコンマ数秒程度の隙を産み、即死を避ける。
「づうぅっ!」
マグラートの胸部が深く切り裂かれる。
「しぶといッ!」
そう言うとメアリーは切っ先をマグラートに向け、腕部のブレードを射出した。
迫る刃は心臓めがけて一直線、彼はギリギリのところで体を傾け、鋭い先端は右胸に突き刺さる。
「がはっ……げほっ……ぐ、う……っ」
マグラートは血を吐き出しながら、よろよろと後ろに下がった。
「はぁ……はぁ……ひっでえなぁ……だから、サクッと殺しちまえば……俺だって苦しまずに、次に移れるってのに……」
「避けるからです。死にたくない証拠でしょう。もう後がないから」
「ちげー、よ。こえーんだよ、死ぬの。本能的なもんなんだよなぁ。できれば、俺だって死にたくねえんだって……」
「あれだけ他人の体を乗っ取っておいて、今さら何をッ!」
「知らなかったんだ。死神の谷でお前に殺されるまで……俺は、自分の正体を……」
狂気の間に垣間見える虚無。
それは、彼が初めて見せる人間らしさだった。
当然、メアリーはそんなものに興味はないが、その正体に心当たりがある気がして、ほんの少しだけ話に耳を傾けた。
「かひゅ……ふぅ……目が覚めたら、ずらっと並んでんのよ……俺が。けふっ……悪い夢だと思ったら、ディジーのやつが笑うんだ、『これが現実だ』、ってさ。俺は、ホムンクルスってやつで……二年前に生まれたばかり。それ以前の、記憶も全部、埋め込まれたもので……偽物だった、って。どーりで、ヘムロックに、弟扱いで、同情される、わけだ。どーりで、アルカナのことも、何も、知らされねえわけだ……」
「二年前……ピューパはまだそんなものを作って」
「あれぇ? 驚かねえのな、あんま。げほっ、ごふっ……もしかして、よく、あることだったか? おめーも、フツーじゃなかった、か?」
「ですが、あなたのように醜いホムンクルスを見るのは初めてです」
「あっは……は、ぐ……そりゃ、光栄だわ……でも、どーすんだよ、お前……」
「何がですか」
「聞いた通りだ。地下の、隠れ家には……俺の、スペアが……眠ってる。ここで、殺そうが、そっちが動き出す、だけだ。ひっへへへっ、ぶふっ……う……皆殺しだけでも、十分、イカれてるが……俺を殺すには、もうちょい、狂わなきゃ、無理だぜぇ?」
どんどん青ざめていくマグラート。
このまま放っておいても、じきに出血多量で彼は死ぬだろう。
そんな状況でもなお、彼は挑発的な笑顔を忘れない。
自分がホムンクルスで、しかも道具として使い潰される大量生産品だと知っても、前向きに今を楽しもうとしている。
その前向きさが人殺しに向いていなければ、まともな人生も送れただろうに。
こんな体に宿るしかなかった、かつて無垢だった魂になら、メアリーは同情しないこともない。
しかし、成長し、淀みきったこの男に、同情の余地はない。
「この右腕には、最後の生き残りが入っています。あなたが移るのは地下のスペアではなく、私の腕の中です」
つまり、マグラートの死後、彼が転移するのは隠れ家のスペアではない。
メアリーの腕の中だ。
マグラートはそれを聞いて、嬉しそうに笑った。
「はっは――オーケー、ナイスクレイジー。てめえの腕の中で逝ってやる」
白い歯を見せた彼を、頭上からメアリーの腕が押しつぶす。
竜の頭部に変形したそれは、槌として十分な威力。
彼の体は骨が砕ける音と、肉が潰れる音のユニゾンと共に、原型を留めぬ轢死体となった。
そして、腕の中で男性のうめき声が聞こえはじめる。
変形が始まる――その瞬間、メアリーは彼を噛み砕いた。
ぶじゅるっ、と歯と歯の隙間からわずかな血が溢れ出す。
そのまま咀嚼し飲み込むと、体の中に新たな力が宿るのがわかった。
「『隠者』、いただきました。力を得たことより……もう二度をあの顔を見なくていいことに安堵してしまいます」
これでまた一人、姉の命を奪った汚物がこの世から消えた。
「お姉さま、この調子でドゥーガンも殺してみせます。見ていてくださいね」
胸に手を当て、メアリーは必ずどこかで見ているはずの、姉に報告する。
そしてアリーナの出口へ向かう。
外に出る直前、彼女は一度だけ振り向いて、無人となった空間を見つめる、
メアリーは唇をきゅっと結んで、わずかに目を伏せると、今度こそ背を向け外を目指した。
◇◇◇
一方、通りではなおもキューシーとプラティの攻防が続いていた。
天使と化したプラティが、徐々に自分の体の使い方を習得していくのに対して、キューシーも負けじと背中に生やした翼の扱いを覚えていく。
しかし、肉体の全てを人外へと変えたプラティのほうが、引き出せる“可能性”は大きく――
「づ、ぐぅっ……では、これならどうですかッ!」
彼女は自ら左腕を引きちぎると、キューシーに向かってそれを放り投げた。
「プラティ、あんたそこまでッ! くうぅぅぅっ!」
腕は空中で弾け、無数のナイフとなって拡散する。
プラティ自身が放つナイフよりも拡散点が近いため、キューシーに襲いかかる刃の密度が高い。
必死に範囲外へと逃げようと急ぐキューシーだが間に合わず、やむなく両手を交差させ、服を動物に変えて防御する。
視認できないほどの速度なのだ、回避などできるはずもなかった。
「ぐっ、ううぅ……!」
幸い、頭部や心臓などの急所には当たらなかったが、肩やふくらはぎの肉がえぐり取られる。
走る激痛に、キューシーは必死で歯を食いしばって耐えた。
「人の常識に囚われているから、あなたを捉えられない。そう、私はもう人ではないんです。相応の戦い方を身に付けなければ」
「ちょっとぉ、ますます勝ち目なくなっちゃうじゃない」
今度は、体全体から刃を生やし、放つプラティ。
キューシーは苦しげに、額に汗を浮かべながらも、翼を使って回避する
「まあ、最初から勝つつもりなんてないけど! わたくしの役目は時間稼ぎよ!」
戦法としては後退したようにも思えるその攻撃――しかし射出されたナイフは、直線ではなく曲線を描いた。
「く――追ってくる!?」
「人の命を奪う意思。化生の本能をむき出しにしただけです」
代償としてわずかに速度は落ちているものの、それでもキューシーよりはるかに早い。
迫るナイフを前に彼女は唇を噛む。
(追尾は完全じゃない。直前で避ければッ!)
キューシーはあえて空中で止まり、ナイフを待受け――衝突の直前、急上昇した。
半数以上のナイフが、それについて行けずに直進し、そのまま標的を見失う。
だが残ったナイフはなおも彼女を付け狙い、肌を切り裂いた。
身を捩って致命傷を回避するキューシー。
速度も威力も、直進する刃よりは落ちているようだが、それでも掠めて通過するだけで肉は引き裂かれる。
地表のプラティは、すでに次の攻撃の準備に入っていた。
それを視界の端に収めたキューシーは、さらに高度をあげようとしたが、
「しまった、翼がッ!?」
先ほどのナイフに引き裂かれた翼では、もはや飛行は不可能。
キューシーの体は落下していく。
「きゃああぁぁぁぁぁああああっ!」
彼女は地上数十メートルの高さから落下し、思わず叫んだ。
「うぐっ!」
衝突の直前、服をクッションに変えることで叩きつけられずには済んだ。
だがプラティの次の攻撃に対応できない。
「さよならです、キューシー」
両手にナイフを握り、今にも投げようとする彼女を前に、キューシーは地面に這いつくばったまま悟った。
(万事休す。やっぱりわたくしには、戦いなんて向いてなかったのよ)
時には諦めも肝心。
そんな父の教えを思い出しながら、彼女は諦める。
そしてプラティの腕が動き――彼女の体は、真っ二つに、上下に両断された。
「は……?」
「なっ――!?」
唖然とするキューシー。
愕然とするプラティ。
斬撃を繰り出した後、天使の背後に鎌を握った死神の姿が浮かび上がる。
「ふふ……どうやら、わたくしの粘り勝ちみたいね」
「メアリー・プルシェリマ!? こんなタイミングで――ですが、ここは私の間合いですッ!」
驚くプラティだったが、すぐさま攻勢に転ずる。
切り離された下半身が膨らみ、パァンッと風船のように、メアリーに向かって爆ぜた。
彼女は大きく避けようとはせず、体を傾け、骨の壁を作り、心臓と頭部という致命的な急所のみを守るのみ。
それ以外の部分はずたずたに引き裂かれる。
「秘神武装、『吊られた男』」
結果として、メアリーの魔力は飛躍的に向上し、一時的に4万近くまで跳ね上がった。
彼女は骨の手足で体を支え、さらに背中から巨大な両腕を生やす。
上半身だけになり、地面に打ち捨てられたプラティは、それを見上げることしかできない。
「人でなしとしては、私のほうが一枚上手だったようですね」
メアリーは自嘲っぽくそう言うと、両腕を重ね、高くかかげた。
「死者万人分の、埋葬槌ッ!」
「ひ――いやあああぁぁああああっ!」
そしてまっすぐに振り下ろし、プラティを頭上から叩き潰した。
ズドォンッ! という地面を叩く音が、あたりに響きわたる。
石畳は砕け、穴が開く。
メアリーが腕を消すと、そこにはわずかに、プラティの残骸である肉片が残るのみだった。
キューシーは体を引きずりながら穴に近づくと、残った肉が一箇所に集まり、口の形に変わる。
「……ずるいです、キューシー」
「わたくしは最初から言ってたわよ。この魔力差じゃ勝つのは無理、合流するまで耐えるって」
「情緒の、欠片もない……」
「お父様と違って現実主義者なのよ」
「ですが……私にとっては、これで、よかったのかもしれません」
「プラティ、あんた……」
「あの世なら、言える気がするんです。殿下に。私を、娘にして、ほし……」
最後まで言い切る力も残っていないのは、その口は、再びぐずぐずの肉塊に戻る。
その後、二度と動くことはなかった。
悲しげにそれ見つめるキューシーに、メアリーが声をかけた。
「友人だったんですか?」
「そこまでの関係じゃないわ。ただ、人生で何度かニアミスしてただけよ」
「みんな複雑なんですね」
「そうね……何だかんだ言いながら、プラティだって結局憧れてたのよ。父娘ってやつに」
寂しげにそう言うと、キューシーは「はぁ」と息を吐き出し、いつもどおりの表情に戻る。
と言っても、全身傷だらけで、今にも倒れそうなのだが。
顔をあげてメアリーに話しかけようとすると、それだけでよろめく、
メアリーは慌ててその体を支えた。
「あー……助けてくれてありがとね、メアリー」
頬をわずかに染め、恥ずかしげに言うキューシー。
その言葉に、メアリーもまた救われる。
彼女は微笑み、「どういたしまして」と穏やかに返事をした。
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