「『力』よ、メアリーを叩き潰せえぇぇぇえッ!」
オックスの叫びと同時に、戦いは開幕する。
男の体は膨らみ、肥大化した筋肉が服を引きちぎる。
巨体に見合わぬ速度で、剣を片手に迫る彼を、メアリーは落ち着いた様子で――否、冷たい苛立ちを瞳に宿し、対峙する。
力を入れると、彼女の右腕は弾け飛んだ。
そしてそこから新たに、むき出しの骨で形作られた腕が生まれる。
腰をひねりながらそれを振り上げ、そして拳を握り、振り下ろされる刃に向かって突き出す。
「ぬおぉぉおおおおおおおッ!」
オックスは夜の森に雄叫びを響かせる。
拳と剣の衝突――瞬間、白い骨が砕け散る。
松明に照らされた地面に破片が落ちた。
「自信過剰だなァ! メアリィィ!」
メアリーの右腕は落ちた。
オックスの魔術評価はおよそ30000。
メアリーは25000。
しかも、オックスの『力』のアルカナは、その魔力の全てを肉体の強化に使用する。
小細工がきかないかわりに、同程度の魔術評価を持つアルカナと比べて、一撃の威力が高いのだ。
残るは左腕――オックスは白い歯を見せ笑いながら、剣を横に薙いだ。
対するメアリーは、傷口から大量の血を流しながらも、落ち着いた様子で左腕も骨に変える。
そして、開いた手で斬撃を受け止めた。
「無駄なんだよぉぉおおおおッ!」
夜を裂く刃が、甲高い金属音と共に動きを止める。
砕けない。
斬れない。
「なぜ――魔術評価で劣る『死神』が受け止めただとッ!?」
「聞いてないんですか」
「まさか、それがアルカナ喰いの『死神』の能力か!」
「それでよく軍人なんてできましたね」
メアリーは呆れた様子でそう言うと、再生を終えた右腕をオックスの顔面に向けた。
「死者万人分・埋葬砲」
肘から先を吹き飛ばしながら、手のひらより放たれる骨塊弾。
至近距離で迫るそれを避けられるはずがなかった。
「ぶごぉおっ!」
無様に声をあげながら、弾丸が顔面に直撃する。
のけぞりながら、宙を浮くオックス。
メアリーは彼に左腕を向けると、続けて弾丸を放った。
一発目は直撃。
オックスは空中で回転。
二発目は顔面に迫る。
だが彼はそれを、大きく開いた口で噛み砕いた。
そして三発目は、空中で振るった剣で軌道を変える。
ようやく戦士らしい振る舞いが見れたというところか。
だがメアリーはそれに感心することもなく、続けざまに攻撃を繰り出した。
「埋葬鎌」
両手で握った巨大な鎌を、地面に振り下ろす。
歪曲した刃が空を断ち、大地を割った。
ズザザザッ! と腐葉土を巻き上げながら、斬撃が着地寸前にオックスに迫る。
「素人が斬撃を飛ばすとは、小癪なァッ!」
彼も負けじと剣を振るった。
三日月形の剣気が飛翔する。
二人の刃は、ちょうど十字を描くように衝突。
バチンッ、と弾けながら、火花を散らして相殺。
メアリーはかかとから骨を打ち出し加速、突進。
オックスは寸前で体勢を持ち直すと、剣で鎌の刃を受け止める。
だが片手では力負けし、押し込まれる。
彼はもう一方の前腕で刃を支え、どうにかそれを食い止めた。
「舐めるなメアリーッ! 僕のフランシス様への愛は……こんなものではなあぁぁぁぁあいッ!」
「言っておきますが、世界で一番お姉様を愛しているのは私ですよ、オックス」
「いいや僕だ!」
「私です」
「僕なんだあぁぁぁあああッ!」
絶叫と共に、彼はメアリーを弾き飛ばした。
明らかに魔術評価を超えた力の行使。
彼女は着地しながら、わずかに首をかしげる。
だがすぐにオックスが突っ込んできたため、考えている暇はなかった。
今度は振り下ろされた刃を、メアリーが受け止める番だった。
「フランシス様は世界で唯一僕を認めてくれた人だ! 僕にはフランシス様しかいないし、フランシス様にも僕だけなんだよォ!」
「一応聞いてあげます。なぜそこまでお姉様にこだわるんですか?」
「僕は――お飾りの将軍だ。アルカナ使いだったら誰でもいいんだよ。僕である必要はないんだッ!」
「その通りですね」
「認めるんじゃなあぁぁぁあああいッ!」
オックスが激昂する。
素早く刃を持ち上げ、メアリーを叩き潰す。
再び彼女は弾かれ後退した。
オックスの肥大化した両腕は、皮膚が伸びて薄くなり、赤い筋肉がほぼむき出しの状態になっていた。
浮かび上がった血管や筋肉が、彼の感情に呼応するように、どくんどくんと脈打っている。
メアリーは目を細め、怪訝そうにその様を観察した。
「僕だってわかってるさ、将軍なんて向いてないことぐらい。でもなあ、これでも求められた役割はまっとうしてきたんだよ! 現に、オルヴィス王国軍は世界最強の軍隊として君臨してるじゃあないか! 象徴として十分に機能してるじゃないかぁッ! なのに、なのに、どいつもこいつもぉおおおッ!」
オックスが怒りに任せて足で地面を叩くと、周囲一帯が大きく揺れた。
地鳴りも遠くまで響く。
獣たちが騒ぐ。
「そんな中、フランシス様は僕に声をかけてくれたんだ。『この国を背負っていただきありがとうございます』、と。『あなたのおかげで私たちは平和に暮らせます』と。こんな僕に優しい言葉を投げかけてくれたんだあぁッ!」
両手を大きく開くオックス。
彼の目は、もはやメアリーを見ていなかった。
夜空を見上げ、そこにフランシスの姿を幻視しているに違いない。
「救世主。女神。この世界で輝く唯一の光――フランシス様は僕にとって、そういうものなのだよ。わかるか、メアリー。フランシス様がどれだけ偉大な存在なのか、理解したかッ!?」
彼の問いかけに、メアリーはたった一言、乾いた心でこう返した。
「浅い」
「……は?」
オックスの表情が凍りつく。
よもや、メアリーのような存在からそのような言葉が発されようとは――完全に想定の死角だったようだ。
「お姉様、敬語だったんでしょう? それ社交辞令ですよ」
「何を……何を言っている? わざわざ、僕のところに来て声をかけてくれたんだぞ?」
「でも私、お姉様からオックス将軍の話を聞いたことがありません」
「本心をお前になど話すものかぁっ!」
「話しますよ。私、お姉様とずっと一緒にいたんですから。本当に興味がある人の話題なら、一度ぐらいは聞いたことがあります」
決して煽るつもりはなく、それは純然たる事実だった。
フランシスの交友関係は広い。
彼女を慕う人間はあまりに多く、フランシスもできるだけそういった人々を敬い、慕おうと努力していた。
だから『素敵な人に出会った』と思ったのなら、家族同士の日常会話の中で、話題として登場するものなのである。
「軍だと……そうですね、副将軍さんとか、他の幹部の方や、兵士さん個人の話を聞くこともありましたね」
「やめろ……そんなことは無い。社交辞令などであるものか。そんなものでっ、あんなに素敵な笑顔を浮かべられるはずがぁっ!」
「笑顔ですか。私の記憶に強く残っているお姉様の笑顔と言えば――」
メアリーは満面の笑みを浮かべ、軽く首を傾けながら、彼に告げる。
「お互いにファーストキスを捧げたときの、照れた笑顔でしょうか」
嘘偽りなどそこにはない。
それは確かに現実として存在した、姉妹の秘め事。
望んだのはメアリーのほうだ。
しかしフランシスも拒まなかった。
以降、二人は日常的にキスぐらいならひっそりと交わすようになっていった。
「あ……ああぁ……おあああぁああ……っ!」
自信に満ちたメアリーの笑顔を前に、オックスは頭をかきむしった。
強化された腕力でそんなことをすれば、髪は無残に千切れていく。
そんなこともお構いなしに、彼はうめき声を漏らしながら腕を動かし続けた。
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