液体に浮かぶマグラートの姿に、複雑な感情をメアリーは抱く。
「彼はやはり、ここで作られていたんですね」
「とんでもない数だな」
「スペアボディというやつです。あの場で私が倒さなければ、ここに戻ってきたはずです」
「哀れな男だな」
アルカナを宿し、人を殺すためだけに生み出された道具。
それがマグラートという存在だ。
可愛そうではないが、哀れではある――メアリーもそう思わないでもない。
だが、ここにメアリーたちが求めるような情報はなさそうだった。
次の部屋へ。
「暗いな……」
カラリアは壁のスイッチを探し、明かりをつける。
「ひっ……」
それを見たメアリーは、思わず声をあげた。
基本は先ほどの部屋と同じ、筒状の装置が並ぶ。
だがその中身が問題だった。
「ユーリィ……いや、ユスティアの体か……」
カラリアは拳を握り、唇を噛んだ。
そこには死んだはずの育ての母が、何体も並んでいる。
しかし、それだけならまだマシだ。
装置内に浮かぶユスティアは、それぞれ状態が違い、さらに全てが異なる“タイトル”を付けられている。
『痛みの共有』
異様に小さなサイズの首輪を付けられ、顔が紫色に変色しているもの。
『あなたは私と同じものになれるか』
頭蓋骨が半分ほど切除され、透明のカバーを付け、脳がむき出しになっているもの。
『人の心だけを腐らせる方法』
心臓が体から引きずり出され、それでも脈打ち続けているもの。
『死体味のキス』
首だけが浮かび、ユーリィのものと思われる口紅で顔が汚されているもの。
他にも、どれもが悪趣味な姿で放置されている。
ユーリィがユスティアに向けた歪んだ愛情が具現化されたような空間だった。
さらに、部屋の中央には透明なケースに収められた、真っ黒な物体が置かれている。
「人の一部、でしょうか」
「焼死体……おそらく、本物のユスティアの体、だろうな。私に気づかれないよう、現場から持ち帰っていたらしい」
吐き捨てるようにカラリアは言った。
彼女を守って命を落としたユスティアの肉体は、本来なら全て、あの地で埋葬されるべきだ。
そんな死者の尊厳を奪ってまで、ユーリィが作ったものが、この異様な空間だ。
「ユスティアさんの死体を回収できるということは……」
「ディジーに殺害を命じたのは、ユーリィで決まりだ」
遺跡でディジーが言っていた、ユスティアを殺したがっているホムンクルス以外の人間――それに該当するのはユーリィだけだ。
証拠を掴むまでもなく、確定と考えて間違いないだろう。
「どういう感情だったんでしょうか。殺すほど憎んでいたのに、こうして死体を回収してまで、複製した体を作り続けているなんて」
「理解したいとも思わないな。まともじゃない。完全にイカれてるんだ、あの女は」
この部屋を見てしまうと、そう考えるしかなかった。
いつから、どこから狂ってしまったのか――それは誰にもわからないことだが。
しかし、この部屋にも欲する情報はない。
結局、それらしきものを見つけたのは、最後の部屋だった。
そこにあったのは、高価な情報端末だ。
スイッチを入れると、パスワードを要求する画面が表示される。
試しにメアリーは『ユスティア』と入力してみたが、弾かれてしまった。
「今からパスワードを探す時間なんてありませんね」
周囲に何か手がかりが無いか探すメアリーだが、さすがにメモにパスワードを書いて残すほど間抜けではなさそうだ。
一方でカラリアは、しゃがみ込み、端末と接続されているケーブルを観察する。
「外部との通信も行われていたようだな。わざわざ隠し部屋で外部とやり取り……よほど後ろめたい内容なんだろうな」
「なおさら欲しいですが、パスワードがわからないと」
「メアリー、下がってもらっていいか」
言われるがままに端末から距離を取るメアリー。
するとカラリアは刀を抜き、端末を切断した。
「カ、カラリアさんっ!?」
戸惑うメアリーをよそに、彼女は端末の中からケーブルに繋がれた箱状の装置を引きずり出した。
「それ、何ですか?」
「記憶装置だ。端末のデータが全部入っている」
「乱暴に持ち出して大丈夫なんでしょうか……」
「こちらにはマジョラームが付いてるんだ。持ち帰りさえすれば、優秀な職員がデータをサルベージしてくれるだろうさ」
こういった機器にあまり強くないメアリーは、カラリアの言葉に頷くことしかできない。
しかしこれで、お目当てのものは入手できた。
あとは脱出するだけ――そんなタイミングで、二人だけしかいない部屋に、三人目の声が響く。
「悪い子だなあ、カラリアは」
「ふっ!」
カラリアは問答無用で発砲した。
いきなり現れたユーリィは、頭を半分ほど吹き飛ばされる。
彼女は中身をむき出しにして、傷口を手で押さえながら、わざとらしく苦しむような素振りを見せた。
「痛いよ。痛い。姉さんも死んだとき、こんな気分だったのかな」
「あんな状態でも普通に喋れるなんて、完全に化物ですね」
「自分自身も天使化していたか。いや、もはや自分の意思で動いているかも怪しいな」
「私は正気。でも狂っているって言うんなら、たぶん……20年ぐらい前からずっとだとおも――」
言葉を終える前に、メアリーが埋葬砲で吹き飛ばす。
下半身だけになったユーリィは、床に倒れた。
「私が手出ししてもよかったでしょうか」
「問題ない、話すだけ不愉快だからな」
カラリアは銃を握ったまま、ユーリィの亡骸の前に立つ。
「……再生はしていないか」
「何だか、天使とも少し違う気がします」
「気味が悪いことには変わりない。ここではあまり戦いたくない、早く逃げるぞ」
「わかりました」
部屋の位置からして、マグラートが並ぶ部屋の壁を破壊するのが、外への近道だ。
ここに天使の群れがなだれ込んでくるのは時間の問題。
悠長にユーリィと問答をしている余裕などない。
だというのに――
「またユーリィがっ!?」
部屋から出ようとする二人の前に、彼女は現れる。
もちろんすぐに吹き飛ばされるが、
「ひどいよカラリア。私とあなたは血の繋がった――」
「黙れ! 死ねっ!」
そのたびにカラリアの心を揺さぶる言葉を残して逝く。
「血の繋がった母娘なのに」
「カラリアには私の血が流れてる」
「私の」
「気持ち悪くて、劣った血が」
「誰よりも優しい姉にすら失望される」
「誰からも見捨てられた」
「汚れた血が」
しかも、その生成速度が異様に早い。
殺したそばからすぐに生まれてくる。
「何だこいつは……まったく手応えが無いぞ?」
「『死神』と少し似ている気がします……」
「どういうことだ、メアリー」
「おそらくあれは本体ではありません。別の場所にいる本体が、ここまで“根”を伸ばして人間の形を作り上げているんです」
「懐かしいな。メアリーが私にやった気持ち悪いアレか」
「ええ、便利なんですけどね」
「だったら相手にするだけ無駄だな!」
つまりここに現れるユーリィは、人の形をしただけの肉塊ということだ。
天使と異なり、戦闘力を持っている様子もない。
そうとわかれば、何を言われようが無視をして突き進むのみ。
マグラートの部屋まで到着すると、後ろから無数の足音が聞こえてくる。
メアリーは骨の拳を、カラリアは刀をそれぞれ手にすると、壁に向かって振るった。
開いた穴から外に出ると、左手から魔導車が近づいてくる。
「キューシーさん、アミ!」
キューシーの運転する車が停まると、二人はすぐさま後部座席に乗り込む。
「いいタイミングだ。よく場所がわかったな」
「同業者の勘で間取りを予想したのよ。ユーリィの部屋を荒らしたあとに出てくるなら、ここじゃないかってね」
車は、アクセル全開で広い研究所の敷地内を駆け抜ける。
後ろからは、施設に開いた穴から溢れ出した天使たちが追ってきていた。
「うわぁ、気持ち悪いのがいっぱい来てるよ!」
先ほどまでは無かった背中の赤い翼を羽ばたかせ、キューシーたちより少し早い速度で追跡してくる。
当然、その距離は少しずつ詰まっていく。
研究所の敷地は非常に広いが、その外側は頑丈で高い塀に囲まれている。
脱出するためには、入るときに通ったゲートをくぐらなければならない。
「あと少しでたどり着くわ、外にさえ出られればッ!」
「いや――無理だ、あそこからは出られない」
カラリアが窓越しに見たものは、まるでひとつの生き物のようにひしめき合う、天使の群れだった。
意地でもお前たちを逃さない――そんなユーリィの執念が感じられる。
「嘘でしょ!? 何よあの数!」
「キューシー、後ろからも来てるよ。このままじゃ追いつかれちゃう!」
「キューシーさん、私と運転を変わってもらってもいいですか?」
「変わるって、メアリーあんた、運転できるの? それにここで停めたら追いつかれるわ!」
「『戦車』を使えばすぐに突き放せます!」
「私もメアリーの提案に賛成だ。ついでに助手席を変わってくれ、アミ」
「いえっさー!」
「……そうね、時間が経つほど状況は悪くなるんだもの。早めに決断しますか。停めるわよ、メアリー!」
車は、生い茂る緑の上に停まった。
キューシー、メアリー、カラリアは一旦降車して、席を移動する。
アミは体が小さいのを利用して、外に出ることなく助手席から後部座席へ移った。
その隙に、天使たちが目前まで迫る。
「発進しますッ!」
メアリーはいきなりアクセルをベタ踏みにした。
普通ならエンジンが止まっているところだ。
しかし『戦車』の力を受けた今、そんな細かい理屈はもはや関係ない。
タイヤはその場で煙を上げながらフル回転し、車は爆発的な初速で急発進する。
車内は激しく揺れ、後部座席の二人から軽く悲鳴が響いた。
「ッ、シートベルトは付けておけよッ!」
「付けててもっ、この揺れはさすがにっ!」
「すごーい! はやーいっ!」
「何で楽しそうなのよアミは! あうぅっ!」
車輪が石を踏みつけるだけで、大きく車体が上下する。
しかしそのスピードのおかげで、天使は遥か後方まで離れていた。
「メアリー、ここから右折したらそのあとは真っ直ぐだ。壁に突っ込んで外に出るぞ。行けるな?」
「もちろん行けます。さらに揺れるので、どこかにしがみついてください!」
「ちょ、ちょっと本気で言ってるの? あの分厚い壁に突っ込むっての!?」
「はい、突っ込みます!」
「無理無理無理ぃっ、いくらマジョラーム製だからってそこまでの頑丈さはないわよぉ!」
「大丈夫、いけるよっ」
「何を根拠に言ってんのよ!」
「だってお姉ちゃんが運転してるんだもん。不可能はないっ!」
「根拠が根拠になってないのよぉーっ!」
キューシーの悲痛な叫び声が響き渡る。
なおも車は加速を続け、そのまま一切スピードを緩めることなく――石の壁に激突した。
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