一通り話を終えたところで、フィリアスは外の空気を吸うと言って部屋を出た。
メアリーはそんな彼女を追う。
フィリアスは壁に背を預け、暗くなった空を見上げて憂鬱な表情を見せていた。
「釘を刺そうと思ったんですが、思っているより堪えてるんですね」
メアリーがそう言うと、フィリアスはいつもの表情を作る。
「無理しないでいいんですよ」
「人と向き合うと勝手に作っちゃうのよ。職業病ってやつ」
「近衛騎士ってそんな職業でしたっけ」
「そんな職業なのよ、これが。それで、釘を刺すって? お兄さんのこと?」
「ええ、お兄様を見ながら実に悪い表情をしていたので」
言いながら、フィリアスの隣に陣取るメアリー。
思いの外近い距離に、フィリアスは少し驚いた様子だった。
「変わったわね、あなた」
「今はフィリアスさんの話です」
「そういうとこ。以前はもっとおどおどしてたわ。今はまるでヘンリー様の娘みたい」
「皮肉ですか」
「本音よ。少し安心したわ。あなたにそういう影響を与える程度には、陛下も父親だったのね」
「……ええ、父親らしくあろうとしていたんでしょうね」
自分の娘との間に生まれた子供。
妻が死んだ原因。
それでも娘として扱おうとしたのは、ワールド・デストラクションの発案者としての責任を取ろうとしたのか。
はたまた、純粋にメアリーを娘として認識していたからなのか。
メアリーは地面に視線を落とす。
考えても、死体同然のヘンリーから答えを知ることはできないだろう。
「あーあ、こんなことならメアリー王女のほうに付いておくべきだったわね」
「良かったじゃないですか。お兄様が適度に情けなくて」
「あら酷い、そんなこと言ってないわよ、私」
「そういう表情をしてたんです。操りやすいとでも言うべきでしょうか」
「ああ、あの顔のこと? それはね、ゾクゾクしてたのよ」
「ゾクゾク?」
「エドワード王子って、いまいち思い切りが足りないし、政治能力も高いようには思えない。カリスマも微妙なところで、未だに平民気分だって抜けてないわ。この人を一人前の王に成長させるまでに、どれだけの困難が襲いかかってくるのかしら……って」
「……本気で言ってます?」
「もちろん。困難を悦ぶような性分じゃないと、この地位まで上り詰めることはできないのよぉ?」
ふざけ半分に言っているようにしか見えない。
どこまでが本音なのか、メアリーにはさっぱりわからなかった。
「でしたら残念でしたね」
「あら、どういうこと?」
「私、お兄様は割といい国王になると思ってます」
「理由を聞かせてもらってもいいかしら」
「だってお兄様、平民を経験してるじゃないですか。平民気分が抜けないのって、そう悪いことじゃないと思いますよ」
「どうなのかしらねぇ、それって長所なのかしら」
「ええ、きっと。少なくとも、私みたいな箱入り娘よりは」
「ふーん……」
フィリアスはなぜかメアリーの前に立つと、その顔をまじまじと見つめた。
「な、なんですか……?」
急な距離の近さに、メアリーはほんのり顔を染めて戸惑う。
するとフィリアスは、またあの冷たい笑みを浮かべて言った。
「箱入り娘のする目じゃないわ。一度でいいからやりあってみたいわぁ」
「縁起でもないこと言わないでください」
ふいっと視線をそらすメアリーに、フィリアスは思わず苦笑した。
「あらごめんなさい。これも性分なのよ、何だかんだで騎士だって戦士だもの。相手がアルカナ使いなら、自分の力を試してみたいって思ってしまうものなの」
「……では、オックス将軍とも戦ったことはあるんですか?」
「彼と? ああ、何度か模擬戦はやったことあるわねぇ……でも一度戦えばそれでいいかなぁ」
「単純だからですか?」
「よくわかったわねぇ。そうよ、『力』の能力って、とにかく力押しじゃない。確かにオックスの剣の腕は確かだけど、どれだけ技を磨いても、最後は力で押し切ったほうが強いのよねぇ」
「では、あれ以外に能力は無いんですね」
「私が知る限りはね。何、戦うつもり?」
「さあ、私にはわかりません。ですが、彼はそのつもりなのではないかと」
今度はメアリーが物憂げにため息をつく番だった。
それから、二人はぽつぽつと、軽く会話を交わして宿に戻った。
腹の中を暴くには、フィリアスはガードが硬い。
だが少なくとも、この戦いが終わるまでは協力してくれそうだ――メアリーはそんな気がしていた。
◇◇◇
ミーティスは田舎である。
ゆえに、宿にもあまり部屋がない。
その夜、一部屋をフィリアスとエドワードに譲ったメアリーたちは、強引に一つのベッドで眠りにつくことになった。
カラリアは「ソファで寝るからいいぞ」と遠慮したが、なぜか楽しそうなアミに押し切られた。
案の定、ベッドは死ぬほど狭く、端っこのカラリアは落ちそうになっていたが――ふざけてじゃれあっていると、子供心を思い出す。
無邪気に遊べる時間というのは、それだけで貴重だ。
誰もがボロボロの心を抱えている。
それを少しでも癒せるのなら――無駄な時間ではなかったはず。
そんなことを思いながら、暖かさに包まれ眠りにつく。
◇◇◇
翌日、メアリーは一人で村に出た。
決戦を明日に控えて、気になることを片付けるためだ。
もっとも、この村の地理にはあまり詳しくないため、さまようことになり――結果として、例の双子に掴まってしまう。
「きゃー! 王女様ー!」
「素敵ー! こっち見てー!」
寝起きの頭にキンキンと響くハイテンションさに、思わず苦笑するメアリー。
そして彼女は早速、双子に挟まれ、腕を絡められてしまう。
「王女様王女様、私たちの名前、覚えてくれてます?」
「こーんなに可愛いんだから覚えてますよね?」
「えーっと……金髪のほうが姉のエリニで、銀髪のほうがのエリオ……でしたっけ」
「せいかーい!」
「さすが王女様ー!」
「私たちの名前を覚えてくれてる素敵な王女様には!」
「私たちが特別に観光案内しちゃいまーす!」
「さあさあ!」
「こっちに!」
強引にメアリーを引っ張ろうとする双子。
メアリーはそれに抵抗しながら、二人に尋ねた。
「私、リュノさんの家を見てみたいんです。村の外れにあるんですよね?」
「リュノ様の」
「家?」
「もう残っていないんですか?」
「確かにあるけど」
「見たって楽しいものじゃないよ?」
「構いません、見せていただいてもよろしいですか」
双子は「つまんない場所だけどなー」「なー」と言いながらも、メアリーを村外れの家まで連れて行く。
そこは森に入る目の前にあった。
外装こそ新しいように見えるが、飾りっ気はなく、ただの木で作られた“小屋”だ。
前を通り過ぎただけでは、倉庫と勘違いしてしまいそうなその建物。
扉には特に鍵もかかっておらず、簡単に中に入ることができた。
最も、入ったところで、中にあるのは殺風景な部屋――
ありふれた台所、最低限の家具、そして油の切れたランプ。
観光地にするにはみすぼらしすぎる光景がそこにはあった。
「だから言ったのに」
「ねー?」
メアリーは『死神』――リュノをその身に宿している。
彼女が暮らした場所を訪れれば、何か記憶を手に入れられるのではないかと思ったのだが。
まあ、ヘンリーが操られていることも、『世界』の動機もわかった今、その情報を得る必要があるのか、という疑問はあるが――ユーリィやディジー、キャサリンのことなど、まだわかっていないことも多い。
「私たちはもっとこの家に力を入れるべきだと思うんだけど」
「みんなお金が無いからって放置してるんだよ」
金を使って整備したところで、その作り物に小説のファンが価値を感じるかは微妙なところだ。
結局、何も得ることなく外に出たメアリー。
彼女はそのあとも、リュノにゆかりのある場所を案内してもらったが、特に何も思い出すことはなかった。
村を一通り回ると、昼食の時間が迫っている。
さすがに一人で行動を続けると、アミやキューシーあたりに文句を言われそうなので、メアリーは宿に戻ろうとした。
すると道の向こうから、ステラと見知らぬ女性が並んで歩いてくる。
ステラはメアリーに気づくと、小走りで近づいてきた。
「あ、いたいた。メアリーちゃーん!」
まるでメアリーがこの村にいることを知っているかのような口ぶりだ。
「あれってステラさんじゃない?」
「そうだよ、村一番の有名人のステラさんだよぉっ」
双子たちはにわかに盛り上がる。
ステラがぎこちない動きでそんな二人に手を振ると、双子は『きゃーっ!』と黄色い声をあげて喜んだ。
「よく会いますね、ステラさん」
「それはこっちのセリフだよ、メアリーちゃん」
「ところで、そちらの方は……」
遅れてメアリーの前にやってきた女性は、名刺を取り出した。
「私、イナニス出版社のシャイティ・エネミナスと申します」
「ああ、あなたが。キューシーさんとアミから話は聞きました。ステラさんの担当編集者なんですよね」
「ええ、いつもお世話させていただいております」
笑顔で皮肉を言うシャイティ。
だがステラには意味が伝わらなかったらしく、彼女は照れくさそうにはにかんでいた。
「実はメアリーちゃんたちがミーティスに来てるって村の人から聞いてね、慌てて戻ってきたんだ」
「そうだったんですか……私たち、ステラさんの故郷とは知らなくて」
「すごい偶然だよね。先に宿に行って、他の人には会ったんだけど……ちょうどメアリーちゃんだけいなかったから、外に出てきたの」
「間が悪くて申し訳ないです。気になることがあって、調べてたんです」
「謝ることなんてありませんのよ。王女様がいない間に、しっかり先生の著作をアピールさせていただきましたから」
シャイティは得意げに眼鏡をくいっと持ち上げた。
いかにも敏腕編集、といった言動である。
「カラリア様もお気にめしていただいたんですよ。王女様もよろしければどうぞ」
「あはは、ありがとうございます」
スーツの中から出てきた本を受け取るメアリー。
言われてみれば、お世話になった知人の本なのにまだ読んだこともなかった。
「もう、メアリーちゃんは旅の途中だから荷物は少ないほうがいいのに……」
「そんな弱腰では売上は伸びません!」
「色んな国で売れてるんだし、もう伸ばさなくても……」
「王国内にすらまだ読んでない方がいるんですよ? 志は高く! さあ先生、さっそく家に戻って執筆を! お仕事を!」
「えー、まだメアリーちゃんと会ったばっかりなのにぃ。メアリーちゃんだって話したいことあるよね?」
「へ? ああ……そうですね。リュノさんのこととか、聞いてみたかったんですけど」
「リュノ……」
その名前を出した途端、ステラの表情が一瞬だけ凍った。
だがすぐに、元の穏やかな顔に戻る。
「女神様だね。小説が少し売れたからって、観光の目玉として売り出そうとしてるみたいだけど」
「ステラさんは知ってるんですよね、リュノさんのこと」
「もちろん。けど、物静かな人だったから、あまり話したことはないかな」
「そうですか……でしたら、他に関わりのあった人とかいませんでしたか?」
「人との付き合いはあまり好きじゃないみたいで、滅多に声も聞けないって言われてたかな。だからみんな、私の本が出るまで、彼女がこの村に住んでいたことを忘れてたぐらいだよ」
ステラの言葉は――どこか寂しげだった。
今はもう村に住んでいないからだろうか。
他の村人たちと比べると、かなりの温度差が感じられる。
「さあ先生、リュノさんの話も終わったところで、今度こそお仕事の時間ですよぉ。締め切りがたっぷり待ってますからねぇ」
「待ってシャイティさん、私はまだメアリーちゃんと話したいことが……あああっ、引きずらないでぇーっ、連れて行かないでーっ、あーれー!」
恨めしそうにメアリーに手を伸ばしながら、ステラはシャイティに連行された。
エリニとエリオは、そんな二人について行ってきゃっきゃと騒いでいる。
笑いながらそんな彼女たちを見送ったメアリーは、踵を返すと、宿に向かって歩きだした。
だが数歩進んだところで、ふいに足を止める。
風が吹く。
ざわざわと木々が揺れる。
「やっぱりそう来ますよね。あなたにとっても、これが最後のチャンスですから」
メアリーは冷めた表情でそうつぶやくと、再び歩き始める。
そんな彼女の後ろ姿を、遠く離れた物陰から、何者かがじっと見つめていた。
◇◇◇
その夜、眠ったふりをしていたメアリーは、密かにベッドを抜け出した。
そして部屋から出ると、床に落ちていた紙を拾う。
『金髪の女を人質として預かっている。返してほしくば一人で北の森まで来い。小屋の近くでお前を待つ』
メアリーはうんざりした様子で、その紙をくしゃりと握りつぶした。
誰の仕業か、見当はついている。
「はぁ、本当に懲りない男です……オックス将軍」
昼間から後をつけていたのも彼だ。
あれほどまでむき出しの殺意を向けられていたら、嫌でも気づく。
金髪の女というのは、双子の姉エリニだろう。
「顔見知りですから、もう少し冷静な人だと思いたかったんですが」
ヘンリーとの決戦が始まれば、戦いへの介入は難しくなる。
つまり今こそが、メアリーへの憎しみを晴らすラストチャンスなのだ。
とはいえ、彼女としてもオックスとの決着は、ヘンリーより先につけておきたいと思っていた。
人質など取らずとも、果たし状でも送りつけてくれれば、一人で向かったものを。
メアリーは廊下を歩き、宿の出口を目指す。
だが背後で、ギィ、と扉が開く音が聞こえた。
振り向くと、暗い部屋からキューシーとアミが顔を出す。
二人はふくれっ面でメアリーに言った。
「……勝手に出ていかれると寂しいんだけど」
「お姉ちゃんに抱きしめられないと眠れなーい」
すっかり癖になった苦笑いを浮かべ、頭をかくメアリー。
どうやらカラリアだけは、直接メアリーに触れていないので気づかなかったようだ。
「というか、一人で行くなんてありえないわ。危ないでしょう」
「そうだよ、私たちだって戦えるよ?」
「いえ、今回は一人で十分です。そうしないと、彼の心をへし折ることはできないでしょうから」
「その言い方……相手はオックスなのね。わたくしだってリベンジマッチしたいのだけれど」
「ごめんなさい」
「こっちこそごめん、ちょっと意地悪言っちゃった。メアリーの言う通り、因縁のある相手が決着をつけるのが一番でしょうね」
「朝までには帰ってきますから」
「お姉ちゃん、ほんとに大丈夫? 本当の本当に大丈夫っ?」
「心配ありません。こんな時に戦いを挑む、死ぬほど空気の読めない男ぐらい簡単に叩き潰せないと、お父様には勝てませんから」
少し怒気を孕んだ声でそう言うと、メアリーは二人に背中を向ける。
キューシーとアミは、心配そうにそれを見送った。
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