カチ、カチ、カチ――静かな廊下に、時計の音が鳴り響く。
言葉を失い立ち尽くすメアリーの元に、少し遅れて、同じ部屋にいたカラリアとティニーが駆け寄った。
「ど、どうして……」
「メアリー、何があった」
ティニーは口元を押さえて青ざめ、カラリアはメアリーの肩に手を置く。
しかし、尋ねられてもメアリーにすらわからない。
彼女は首を左右に振る。
「急に天井が破裂して、彼にパイプが突き刺さったんです」
それを聞いて、カラリアは死体の真上にある穴を見つめた。
「ガスの匂いもしなければ、老朽化している様子もない。何が原因だ?」
見た限り、破裂する要素はどこにも無いようだが――カラリアとメアリーが周囲を調べているうちに、他の団員たちも集まってくる。
医務室の真正面はちょうど広場のようになっていたので、野次馬も集まりやすい。
突然の仲間の死に困惑が広がる中、キューシーとジェイサムも姿を現した。
団長は死体を見て驚くと、悔しげに唇を噛んで頭を振る。
そして部下に「あいつを近くの部屋まで運んでやってくれ」と指示を出した。
「たまたまパイプが破裂して、たまたま下に人がいて――恐ろしい偶然ね。メアリー」
「そう、ですね。偶然にしては出来すぎているぐらいに」
キューシーが言わんとすることは、メアリーにもわかる。
アルカナ使いの攻撃ではないか――考えすぎかもしれないが、可能性は常に頭にとどめておくべきだろう。
「直前に何か起きたりはしなかった?」
「明かりが消えました、一瞬ですけど」
「だとすると……漏電で引火した? いや、ここは魔力も併用していたはずだから、電気が落ちても明かりが消えたりはしないはずよね」
顎に手を当てて考え込むキューシー。
だが、メアリーがこの廊下に出たとき、立っていたのは死んだ男性だけだった。
視認せずに殺したのか。
自動的に能力が発動したのか。
はたまた、遠隔で監視していたのか。
情報が少なすぎるため、“敵”の特定はおろか、存在の証明すら困難だ。
(これが誰かの攻撃なら、一人では終わらないはず。次が死んでくれたなら、確かめようもあるのですが)
顎に手を当て、冷たく思考を巡らせるメアリー。
すると、団員が死体を運び込んだ部屋からゴッ、と鈍い音が鳴った。
遅れて、男の声が聞こえてくる。
「お前、大丈夫か? すごい音がしたぞ。おーい、返事しろよ! なあ、おいって!」
「気絶してる……?」
「このタイミングで勘弁してくれよ。ったく、医務室まで運ぶか」
そんな会話が成されたあと、部屋から男が出てきた。
また別の、ぐったりと意識を失った男を背負って。
「すいません団長、こいつ転んで気絶しちまったんで医務室に連れてきまーす」
「大丈夫なのか?」
「頭打ってたんで、何も無いといいんですけど――」
苦笑する男に向かって、メアリーは抑揚のない声で言った。
「死んでますよ、その人」
突然の指摘に、彼は思わず素っ頓狂な声をあげる。
「はぁ?」
「打ちどころが悪かったんでしょう」
「ま、待ってくれよ、そんな簡単に人が死ぬわけっ!」
「死にますよ、人間なんて簡単に」
「ふざけんなよ、そんなことっ!」
食い下がる男。
あまりに冷たくいいすぎた――とメアリーも反省して、一息挟み、落ち着いて彼に言い聞かせる。
「私は口論をしたいわけではありません。二人目の死者が出たのなら、これは偶然ではないと言いたいのです」
「どういうことだ、メアリー王女」
メアリーは、声をかけてきたジェイサムのほうを向いて話を続けた。
「アルカナ使いの攻撃だと思います。今も敵は、私たちを殺そうと虎視眈々とこちらを狙っているはずです」
その言葉に団員たちは、驚愕し、身構える。
「ご自慢の私兵部隊の情報管理はどうなっているんだ、キューシー」
「それをあぶり出すのも目的のうちよ」
「よく言う」
「本当だっての。思ったより直接的な手段に出てきた点については、少し驚いてはいるけど」
軽口を叩きながらも、険しい目つきで周囲を観察するカラリアとキューシー。
空気が一気に張り詰める。
団員の中には、耐えきれず、パニックに陥るものもいた。
「ふ、ふざけんじゃねえ、なにがアルカナ使いだ! こんな場所で殺されてたまるもんかよ! 団長、武装の許可をくれ!」
「待て、動くんじゃない! いつ攻撃を受けるかわからないんだぞ!?」
「だったらあたしは一人でも銃を取りに行くッ!」
キューシーに噛み付いていた女団員だ。
彼女はジェイサムの制止も振り切り、武器庫へ向かって駆けてゆく。
だがその道半ばで、彼女が通る廊下の壁に異変が起きた。
金属の壁が突如として紙のように破れ、その尖った先端が、胸部を狙って動きだしたのだ。
「は――?」
女は何が起きたのか理解できず、視線だけをそちらに向けて死を待つのみ。
もはや偶然では片付けられない――明らかな魔術の行使。
見殺しにはできない、とメアリーは手のひらを向ける。
同時に、カラリアにアイコンタクトを送った。
(カラリアさん、彼女をッ!)
頷くカラリア。放たれる骨弾。
弾丸は剥がれた壁面に命中し、その軌道をそらす。
尖った先端は女ではなく、向かいの壁を突き刺し、止まった。
すかさず飛び出したカラリアが彼女の体を抱きとめ、前に転がり込む。
直後、寸前まで二人がいた床が弾け、むき出しになったパイプから高温の蒸気が噴き出した。
そのままカラリアは女を抱えたまま、廊下の向こう側へと駆け抜けていく。
「みなさん、見ての通りです。不用意に動かないでください、私にも全員を助けることは不可能です!」
「な、何だよっ、何が起きてんだよぉっ!」
「団長、どうしたらいいんですか!?」
「俺にもわからんが、今はメアリー王女に従え!」
困惑が広まる中、キューシーは変わらず余裕のある表情だ。
「全員は助けられなくても、わたくしぐらいは守ってほしいわね」
「キューシーさん、どうして護衛を連れてこなかったんですか?」
「護身術には自信があるのよ」
「ふざけている場合じゃありません!」
「そうね、反省してるわ。でも今は、相手の能力を見極めるところから始めましょう。敵がアルカナ使いなら、能力には必ず何らかの“特徴”や“法則”があるはずよ」
マグラートの『隠者』やメアリーの『死神』は、その名の通りの能力だった。
何のアルカナなのかさえわかれば、この場を切り抜ける方法もわかるかもしれない。
(少なくとも、今回の敵は、私たちがこうして止まっている間は攻撃を仕掛けてきていません。きっと“条件”があるんです、力を使うための――)
探るには、メアリーが囮になるのが一番だ。
もっとも、相手の狙いがメアリー自身である以上、敵も“それを望んでいる”可能性が高いのだが。
すると、カラリアが向かったのとは別の方角――その曲がり角の向こうから、かすかに、何かの“音楽”が聞こえてくる。
何人かの団員も気づき、眉をひそめた。
音がするほうに、皆の視線が向かう。
角から現れたのは、ピエロのおもちゃだった。
「何か妙なのが出てきたわよ」
白塗りの顔をした人形が、一輪車を漕ぎながら、陽気な音楽を鳴らしてこちらに近づいてくる。
どう見ても、ただの子供向けのおもちゃ。
しかし、この状況においてはあまりに不自然で、不気味だった。
「ねえメアリー、あれって、どういう意図かしらね」
「わかりません。ですが、明らかに罠です」
「壊す?」
「……それは」
あの目立ち方、明らかに“壊して終わり”とは思えない。
だが放置しても、それが良い結果に終わるかどうか――
「王女様、お願いします……あれ、壊してください……」
一番近い位置にいる団員が、人形から避けるように壁に体を寄せて、弱々しく声をあげた。
その間にも、ピエロは陽気にペダルを漕いで、首を左右に振りながら近づいてくる。
「お願いしますっ、私、死にたくありませぇんっ!」
「くっ――!」
メアリーは歯を食いしばり、骨弾を射出する。
弾丸はおもちゃに命中し、ピエロは粉々に砕け散る。
その中から、キラキラと輝く物体が飛散した。
「ガラス玉……?」
一見とれそうになるほどに鮮やかな、色とりどりの流星群。
それが放物線を描き、団員の目の前に差し掛かる。
メアリーは先ほど同様、すぐさま手のひらから骨片を放ち、それを撃ち落とそうとしたが――
(軌道が歪んだ? 当たらないッ!)
不思議な力で捻じ曲げられ、止めることができない。
「……あれ?」
団員の背後――壁が歪む。体が沈む。
右半身が飲み込まれると、急に壁は元の硬さを取り戻して、ぶちゅっと骨肉を押しつぶした。
血の花が咲き、残った左半身が、断面を晒して床に倒れ込む。
「あ……あ……あああぁっ……」
ガラス玉は、続けてもう一人の団員へと到達。
やはりその球体も、メアリーの攻撃を拒む。
そして彼の足元にコロンと転がると、落とし穴にでも落ちたように、その体は胸まで“床の中”に落ちた。
「うああぁあっ!? やだ、やだあぁぁぁぁあああああッ! あぎゃがっ」
そして閉じる。
肉が弾ける音が鳴る。
血が飛び散り大輪が咲く。
上半身だけになった男は、わずかに残った命を振り絞り、仲間たちの方へと這いずる。
「た、たすけ……死にたくない……死に、たく……う……うぅ……っ」
だが、それもそう長くは続かなかった。
あまりに唐突な死に、団員たちの我慢は限界を迎える。
「や、ヤバいって、あんなので死にたくねえよッ!」
「そうだっ、俺らはドゥーガンと戦うために残ったんだ! これは違うだろうが!」
叫び、一目散にその場から逃げ出す。
「待て、落ち着けお前たちいィッ!」
ジェイサムの制止も虚しく、とにかく『この場から離れたい』と団員たちは走った。
そして壁が爆ぜ、地面が隆起し、体が沈み、次々と犠牲になっていく。
次々と命が失われ、さらにそれが混乱を広げていく。
怒号と悲鳴が響く地獄で、ジェイサムは拳を壁に叩きつけた。
「クソおおぉぉおおおッ!」
「あれを壊すべきではなかった……?」
「誰も王女様のせいにはしねえよ、壊そうが壊すまいが!」
「そうよメアリー。それよりこちらにもあの玉が来てる、早く逃げるわよっ!」
「っ……わかりました。ジェイサムさんもこちらに!」
「いや、俺は団員たちを助けに向かう、王女様は自分が生き残ることを考えろッ!」
ジェイサムは「うおぉぉおおおおおッ!」と雄叫びをあげながら、廊下を走っていく。
他の団員同様、彼にも正体不明の殺意が襲いかかるが、その身体能力で強引に乗り越えるつもりのようだ。
メアリーたちは説得を諦め、近くにある医務室に滑り込む。
「早くドアを閉めなさい、メアリー!」
キューシーの呼びかけに、しかしメアリーは固まった。
視線の先には、廊下の隅で、自分の体を抱きしめながらガタガタと震えるティニーの姿があった。
(さっきまで近くにいたはずなのに、どうしてあんな場所に!?)
彼女の目の前には、ピエロから飛び出たガラス玉が迫っている。
――間に合うのか?
メアリーの胸に渦巻く不安が、自分自身に問いかける。
即座に結論を出すには、ティニーまでの距離は遠すぎた。
だが優しい声がメアリーを導く。
『大丈夫、メアリーならできる。がんばれ!』
それが幻聴かはともかく――愛おしい人の声を聞いて、メアリーの口角が釣り上がる。
高揚する気持ちが、その心から迷いを消し去った。
「メアリー、どこ行くのよ!?」
「ティニーさんを助けます! せめてそれぐらいはッ!」
キューシーは手を伸ばすが、すでにその背中は遠く――
ティニーは駆け寄るメアリーの姿を、驚愕し見開いた瞳で見つめていた。
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