翌朝、変装したメアリーたちは、王都オルヴィリア東区の路地を歩いていた。
アミはべったりとメアリーにくっついて、嬉しそうに微笑んでいる。
そこから漂う甘ったくぬるーい空気に、キューシーは手で顔をパタパタと仰いだ。
「お熱いわね」
「でしょー? 私とお姉ちゃんは両想いだからねーっ」
「ふふ、アミったら……」
「仲がいいのは何よりだ」
カラリアは思うところが無いわけでもない。
だが今は自分の感情より、アミが笑顔でいてくれることのほうが優先だ。
「あ、見えてきたよ! あそこだよね?」
彼女たちが歩く路地の突き当りには、酒場の看板があった。
四人が店に入ると、近くに立っていた男性が素早く外に出て、ドアに閉店のプレートがかけられる。
アルコールの匂いが漂う店の中には、目付きの悪い細身の男と、明るめの紫の髪を後ろで束ねた女の姿があった。
女性の姿を見て、アミは一瞬だけエラスティスのことを思い出す。
だが髪の色も違えば、彼女はそこにいるフィリアスのように、胡散臭い軽薄な笑みも浮かべていなかった。
「本当に来たのか、あのメアリー・プルシェリマが」
メアリーが近づくと、男は彼女を睨みつけながらそう言った。
彼女に腕を絡めるアミは、負けじと睨み返す。
「だから絶対に来るって言ったじゃない。ひさしぶりね、王女様」
「ええ、こうして直接会うのはどれぐらいぶりでしょうか、フィリアスさん」
「キャプティスに発つ前に会ってるから、まだそんなに経ってないわよぉ? ちなみにこの男ね、ここに来てずーっと『本当に王族が来るのか、信じられない』ってぐちぐち言ってるの」
「指名手配された王女が来るはずない、と思う気持ちはわからんでもないがな」
「それ以上に、王族を信頼できないからでしょう。そうですよね、クライヴさん」
当然、キューシーから彼に関する情報は聞かされている。
男の名はクライヴ・ディスペリュー。
年齢32歳、性別は言うまでもなく男。
身長は190センチ、頭はスキンヘッドで、そこに黒い竜の刺青が刻まれている。
おそらく、大昔に民が結束し、邪悪な王を打ち倒したと言われる逸話にまつわるものだろう。
“解放戦線”という名も、その戦争が解放戦争と呼ばれたことが由来に違いない。
彼ら――いや、厳密には“彼”が反王族をかかげ、テロリストとして活動している理由などただひとつ。
私怨である。
「家族を殺した相手の血族を信用する人間などいない。お前にもよくわかるだろう」
「ええ、共感できます。なので今回は、王族としてではなく、ヘンリー・プルシェリマを殺したい一人の人間として扱って頂けると助かります」
「ふん、信用できるものか」
「……ほらね?」
困った様子のフィリアスに、メアリーは思わず微笑んだ。
四人は各々が近くのテーブルに腰掛け、クライヴとフィリアスに向き合う。
「お前たちが噂の王女のお仲間たちだな。フィーダムやレミンゲンでの活躍は聞いているぞ、村を一つ潰したらしいな」
「マジョラームの力がありますから、農民たちを宿無しにはさせませんわ」
「キューシー・マジョラーム。貴族や王族とつるむ死の商人か……」
「そういうお前はどうなんだ、クライヴ。メアリーのみならず、フィリアスとも接触を図っていたのはお前自身の意思だろう。王族を憎んでいる割には、随分とフットワークが軽いな」
挑発的にカラリアが言うと、クライヴは露骨に不機嫌な表情をした。
「できれば近づきたくもない。だが組織を維持するためには、力が必要だ。もっとも、この女も、お前たちも、信用するつもりは無いがな」
「ひどい言われようでしょう? 私なんて、この店に来るだけで大きなリスクを犯してるっていうのに」
フィリアスは近衛騎士団のメンバーだ。
それがエドワードと近づいているという噂話だけで、国王は彼女を警戒するだろう。
加えて、怪しげな男や、メアリーとの接触がバレれば――たちまち国家反逆罪、ギロチン台行きである。
「それは確かに意外でした。フィリアスさんが姿を現すとは思いませんでしたから」
「ふん、その方が相手の信頼を得られる、と――リスクと天秤にかけて考えただけの話だろう。その程度の策に俺が惑わされると思ったら大間違いだ」
「本当に酷い男だわぁ。じゃあ私も仕返ししようかしら」
「いいぞ、やってみろ」
「オルヴィリア解放戦線がピューパ・インダストリーと繋がってるって話」
「ぬ……それは……」
言葉を濁すクライヴ。
キューシーはジト目で彼を睨んだ。
「王族とも繋がりが強いピューパと繋がってるなんて、あなたたちにプライドは無いの?」
「武器は必須だ。ピューパの連中も銃のデータをほしがっている。仕方なかったんだ。それに会社そのものと繋がっているわけではない、一部の研究員に協力を申し出ただけだ」
「武器商人は平和を望まない……ふん、いかにも連中が考えそうなマッチポンプね」
呆れた様子で息を吐き出すキューシー。
そんな彼女に、カラリアが突っ込みを入れた。
「お前もまったく同じことをしていただろう」
「ぐっ……」
「しかも彼の場合は一部の研究員との繋がりだからな。社を上げてテロリストを応援していたマジョラームに比べれば、いくらかマシ――」
「わ、わかったわよ。わたくしが悪かったわよぉ!」
キューシーは涙目だった。
おそらく、自分で言ったあとに『あ、これわたくしもやったことだ』と気づいて後悔していたに違いない。
キューシーの負った傷は深く、唇を尖らせいじける彼女を、アミが「よしよし」と撫でていた。
「騒がしい女どもだ」
「暗いよりはいいでしょう。ところで、今後はどうするんですか? その話をするために集まったんですよね」
「ええ、もちろんよ。以前も話していた通り、私たちが国王暗殺を実行するのは、大規模訓練により王都の守りが薄くなるタイミング」
「王城の警備もゆるくなるので、命を狙うのに最適だという話でしたね」
「それに俺たちも乗らせてもらう。具体的には、オルヴィリア解放戦線が騒ぎを起こし、陽動を担当するという話だが」
メアリーはこてんと首をかしげる。
「王族に恨みがあるのに、陽動でいいんですか?」
「当然、俺たちだって、直接手を下せるのならそうしたい。だがフィリアスから聞いたところによれば、ヘンリーは特別強力なアルカナ使いということだ。魔術師ですらない人間では相手にならないだろう」
「そういうことよ。混乱に乗じて、実際に陛下を殺すのは――メアリー、あなたたちってわけ」
「それはありがたい話です」
メアリーは、手を下すのは自分であってほしいと願っていたし、そうでなくてはならないとも思っていた。
父を復讐の対象と定めた時点から。
それは当然、その真意を問いただすためでもある。
「決行は八日後ですね」
「現状はそうだ。だが本当にその日に訓練が行われるのか、俺は疑問に思っている。メアリー・プルシェリマ、お前に命を狙われていることを、王も理解しているはずだからな」
「大規模訓練は、ガナディア帝国の皇帝との会談の前に行われるわ。帝国への軍事力アピールの側面もある……少なくとも延期や中止はできないはずよ」
「つまり前倒し、ということですか」
「八日後だと思いこむのは危険だ。それは常に頭に入れておけ」
「フィリアスさん、そのあたりの軍の動きはどうなんですか? 将軍不在の今、指揮系統が混乱し、前倒しにするのは難しいと思うのですが」
「ああ、オックスのことなら、彼が将軍にいるのは象徴のようなものよ。アルカナ使いだもの。もちろん、本人がいるのならそれなりに指揮はするけど、いなくてもどうにかなっちゃうのよ」
あまりにあっさりと言い切るフィリアスに、メアリーは少しだけオックスがかわいそうに思えた。
まあ、それでも彼に同情するような道理はないのだが。
「もっとも、現状で前倒しするような動きは見えてないわ」
「仮に前倒しが可能ならば、どれぐらいが限界だとお前は考える?」
「うーん……二日……いや、見栄えを整えることだけを考えれば、頑張って三日ってところかしらねぇ」
「つまり最速で五日後――急に余裕が無くなりますね」
「ああ。人数の少ないお前たちはともかく、我々にとっては死活問題だ。すぐに動く必要がある。そこでだ――マジョラームに支援を求めたい。いや、支援してもらうぞ。こちらに協力を仰ぐというのならな」
急に話を振られて、キューシーは不機嫌な顔のまま彼を見た。
「偉そうなやつね。でもわかったわ。ただし……ピューパにうちの武器を流したりしたら、命は無いと思いなさい」
「そこまで礼知らずにはならんさ、貴族ではあるまいし」
「ほんとどこまでも……!」
拳を握り、ぷるぷる震わせるキューシーを、アミとカラリアが二人がかりでなだめる。
こうしてひとまず話し合いは終わり、クライヴは組織のメンバーに話が固まったことを進めるため、酒場を出ていく。
すると彼は出口の直前で足を止め、振り返る。
「ああ、そうだ――ついでに伝えてくれと言われていたことがあったんだ」
「私たちにですか?」
「王都から少し離れた場所にあるピューパの研究所に、ユーリィ・テュルクワーズという女がいる。知っているか?」
「……知っていると言えば、知っている」
カラリアが半端な答え方をすると、クライヴは眉をひそめた。
しかし気にせずに言葉を続ける。
「彼女がお前たちに会いたがっていた。”ホムンクルス“とやらに関連する話があると言っていたが――立ち寄ってみたらどうだ」
「私たちピューパの研究所に行くの?」
「敵地真っ只中よね。罠の可能性は?」
「彼女は俺たちの支援者でもある、このタイミングで裏切るような愚か者ではないと思うが」
信用できる、とは明言せずに、酒場を出ていくクライヴ。
「ほんと、最後までいけすかないやつですわ」
「でも行かないわけにはいかないよね」
「はい、ホムンクルス絡み……そしてピューパの研究所……」
「十中八九、私たちの生まれにも関連してくる話だろうな」
あるいは、『正義』の死にもかかわる新事実が得られるのだろうか。
「元々、調べる予定ではあったんだもの。この際だし乗るしかないわ」
「ああ……そうだな」
そこにいる本物のユーリィという存在に、カラリアは不安を隠せない。
一方で、事情を知らぬフィリアスは四人の様子を伺いなら口を開いた。
「色々訳ありなんでしょうけど、こっちからも情報提供、いいかしら?」
「フィリアスさんもですか?」
「この前、キャサリン王妃が怪しいって話をしてたでしょ? 私も思うところがあって調べてみたのよ。そしたら不思議な話が聞けてね」
「教えて下さい!」
前のめりになりながら、フィリアスに顔を近づけるメアリー。
他の三人も、興味津々と言った様子で彼女を見た。
注目を集めて少しいい気になったフィリアスは、心なしか嬉しそうに、人差し指を立てながら告げる。
「同じ仮面を被った女の子が二人、王城に招かれたって話なんだけど――」
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