「キューシー・マジョラーム。この国の未来のために、僕と結婚してくれないか!」
花束を手に、頭を下げるロミオ・スラヴァー。
ロケーションはマジョラーム本社の廊下という、プロポーズには似つかわしくない場所である。
彼の前に立つキューシーは、その花束を受け取った。
一瞬、ロミオの表情が笑顔になった。
キューシーも笑顔を返し、そして掴んだ花束を通りすがりのマジョラーム職員に手渡した。
「スラヴァー家の跡継ぎが持ってきたんだもの、たぶん、そこそこ高い花束よ。よかったら家に飾ってあげて」
「は、はあ……」
戸惑いながらも、男性社員はそれを受け取り立ち去っていった。
ロミオはあんぐりと口を開きながら、去っていく男を見送る。
そして姿が見えなくなると、キューシーのほうを振り向き吠えた。
「ひどいじゃないかっ!」
「ロミオ。あなたこれで何回目の求婚だと思っているの? いい加減にわたくしも限界よ」
「そうは言われてもだな……僕にはもう後がないんだ!」
「あなたにはジュリエットという恋人がいるんでしょう?」
「あの女は野心が強すぎて怖いんだよっ!」
「お似合いじゃない。潰されるぐらいの勢いで尻に敷かれなさいよ」
「い、嫌だ。僕は他の女がいい! 頼むよ、結婚してくれ! そして僕とスラヴァー家を復興してくれぇ!」
「そんなんだから落ちぶれたんでしょう。ほら、帰った帰った」
しっしっと手を振ってロミオを追い出そうとするキューシー。
彼は「ぐぬぬ」と悔しげな表情をしながら、なおもそこを動こうとしなかった。
見かねたキューシーは、少し離れた場所にいた女性の警備員を手招きする。
「この男をつまみ出しなさい」
「了解ー。とっとと立ちな、ここはてめーのいていい場所じゃねえんだよ」
「無礼だぞっ、僕を誰だと思ってるんだ!?」
「落ちぶれた貴族の坊っちゃんだろ」
「違う、王国一の貴族であるスラヴァー公爵の息子で、跡取りであるロミオ・スラヴァーだっ! お、おいインディ! この女を止めろ!」
ロミオが次に頼ったのは、灰色の髪をした執事だった。
彼は涼しい顔でロミオに近づくと、女警備員と二人で主を引きずった。
「毎度ご迷惑をおかけします、キューシー様」
「あなたも苦労するわね、インディ」
「ほんと、よくやるよな。あんたも優秀な執事だろうに。いっそマジョラームで雇ってもらったらどうだ?」
「給料はいいので」
「なるほど、そりゃ魅力的だ」
「インディ、そこは僕の人柄と言え! あとお前まで引きずるな! キューシーっ、僕はまた来るからな! 必ず結婚してみせるからなーっ!」
悪役のような捨て台詞を残して退場するロミオ。
キューシーは思わずため息をついた。
「やれやれですわ」
そんな彼女の元に、同じスーツ姿をした女性が歩み寄ってくる。
「あら、キューシーにも求婚してきたんですね、あの男」
「プラティじゃない。ってことはあんたにも?」
「つい昨日のことです」
「節操なさすぎ。まったく、必死すぎてドン引きだっての」
「スラヴァー家もかなり追い詰められていますからね」
「プラティがうちに引き取られてなかったらどうなってたのかしら」
「想像もできません。何せ、三歳のときの話ですので」
プラティ・マジョラームは、かつてプラティ・クランフルスという名前だった。
戦災孤児である彼女は、召使いとして育てるためにスラヴァー家に引き取られたのだが、16年前の国王暗殺騒動から守るために、ドゥーガンが自分の意志でノーテッドに託したのである。
以降、プラティはマジョラーム家の一員として暮らしてきた。
同じく元戦災孤児で、ノーテッドの養子となったキューシーと姉妹同然に育ち、今は共にマジョラーム・テクノロジーの幹部を務めている。
「ところでキューシー、現実問題としてあなたはどうするつもりなんです?」
「どうって?」
「結婚ですよ。私たちはもう18歳なんです、そろそろ考えるべきだと思いますが」
「ふっ、愚問ね」
キューシーはキメ顔でこう言った。
「わたくしはメアリー王女をお嫁さんにするって心に決めているのよ!」
冷めた目でプラティはつぶやく。
「駄目だこいつ」
あまりにそっけない反応に、唇を尖らせるキューシー。
「何が不満なのよ。昔から言ってるじゃない、わたくしの決意は変わらないって」
「ファンとして憧れるならわかりますが、さすがにこの歳になっても言い続けるのはドン引きです」
「そういうあなたはどうなの? 相手はいるわけ?」
「いませんが」
「はいわたくしの勝ちー、愛の勝利ー」
「相変わらず精神年齢低空飛行ですね」
「処女にいわれたくありませんわ」
「っ……キューシーもでしょう」
「わたくしは王女――いえ、メアリーに捧げたから」
「いつ? どこで?」
再びキューシーはキメ顔を作ると、ビシッとプラティを指差しながら言った。
「前世で!」
プラティは向けられた人差し指を掴むと、ぐにゃっと逆方向に曲げる。
「いだだだだっ」
「お父様に病院を紹介してもらいましょう」
「本当なのよー! 何度も夢で見たのよぉー!」
「家族の過剰性欲カミングアウトなど聞きたくありません」
そのまま社長室に連行されそうになったキューシー。
だがちょうど、そこにノーテッドが通りがかった。
「ああ、ちょうどよかった。お父様、このあたりにいい頭の病院は――」
「お父様、プラティの戯言など聞く必要ありませんわ。わたくしは健全よ! 夢と希望に溢れた健全な18歳よ!」
「脳細胞まで桃色のくせに何を言ってるんですか」
「灰色の枯れた脳細胞には言われたくないわ!」
「ははは、今日もキューシーとプラティは仲がいいね」
彼の言葉を受け、二人は同時に反応した。
「どこがですか!?」
「どこがよ!?」
見事に声を揃えて。
「ほら、仲良しじゃないか。ちょうどよかった、今から休憩するからお茶でも飲まないかい?」
羞恥からすっかり毒気を抜かれてしまった姉妹は、顔を赤くしながら、ノーテッドと共に社長室に向かうのだった。
◇◇◇
三人は社長室のソファで、秘書の用意したお茶を飲みながらくつろぐ。
しかしキューシーとしては、先ほど現れたロミオについて、父に文句を言わずにはいられなかった。
「さっきロミオが急にやってきて、わたくしに求婚してきたのよ」
「それで彼が来てたのか」
「昨日はプラティだって同じ目に合ったわ。お父様がビルに入るのを許可したのよね」
「それはするよ、親友の息子なんだから」
「そろそろおじさんとの付き合い方も考えるときだと思いますが」
プラティもちくりと釘を刺す。
だがノーテッドも、そこを譲るつもりはなさそうだ。
「今でこそマジョラームがスラヴァー領を支える形にはなったけど、我が社がここまで成長できたのはドゥーガンのおかげだよ。だから、いくらお願いされてもそうはいかない。キューシーだって、メアリー王女から離れろって言われても無理だろう?」
「そうね、諦めましょうプラティ」
「切り替えが早い女……」
メアリーの名前を出されると、急激にちょろくなるキューシーであった。
「とはいえ、ドゥーガンもそろそろ表舞台から身を引くのかもね」
少し寂しげにノーテッドが言う。
「何かあったんですか?」
「さっきデファーレ将軍が来たんだよ」
「マジョラーム軍の将軍ね」
「まだスラヴァー軍だよ、キューシー。忠義に厚い人だから、今までもドゥーガンのことを一番に考えて行動してきたんだけど……そんな彼から見ても、最近のドゥーガンは心が折れたように見えてしまうらしい」
「もしかして、フィデリス侯爵の一件が原因でしょうか」
フィデリス侯爵は、スラヴァー領の中心であるキャプティスの市長を任されていた男だ。
ドゥーガンともつながりの深い貴族である。
そんな彼が、汚職で摘発を受けたのはつい数ヶ月前のこと。
元々、民からの人気が低い貴族だったため、これを期に不満が噴出。
やむを得ず、役目を別の人間に譲ることとなった。
「後任は、ドゥーガンおじさんと関係のない若い貴族だったわね。確かジェイサムだったっけ?」
「民からの人気も高い、暑苦しい男性ですね」
「うん、あれも相当堪えたみたいだよ」
「も? 他にも理由があるの?」
キューシーがそう尋ねると、ノーテッドは気まずそうに腕を組む。
「んー……これをキューシーに話すと怒られちゃいそうなんだけどさ。実はドゥーガン、ヘンリー国王に『メアリー王女とロミオを婚約させたい』って頼み込んだみたいなんだよね」
「暗殺しようとした相手に縁談を持ち込んだの? それ、面の皮が何センチあればできることなの? ぜひ本人から顔面の鍛え方をご教授いただきたいんだけど」
殺気立つキューシー。
プラティは興味なさげにずずずとお茶をすすった。
「わかりきってるけれど、結果はどうなったの?」
「もちろん断られたらしい」
「ざまあぁぁああ!」
「落ち着きなさい、キューシー」
到底マジョラーム家の令嬢とは思えない舞い上がりように、思わずプラティも注意せずにはいられなかった。
「それがまあ、相当こっぴどく怒られた上で断られたらしくてさ。それ以降だよ、ドゥーガンが一気に老け込んだのは」
「なるほどね、ロミオが醜く焦ってる理由がわかってきたわ」
「スラヴァー家存続のピンチ、ですか。ロミオにも、自分が後継者になったところで、権力の維持などできないことに気づける脳があったんですね」
「二人とも辛辣だなぁ……小さい頃はよく一緒に遊んでたじゃないか」
「だからこそよ」
「です」
「あははは……」
幼馴染のみっともない姿というのは、見ているだけで悲しくなるものだ。
それゆえに、つい言葉も強くなる。
ノーテッドから見ても否定しようのない事実だったため、彼は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
◇◇◇
社長室での休憩後、キューシーは車に乗ってキャプティスのとある場所に向かっていた。
彼女は助手席に乗っており、運転は運転手である、茶髪の少女――ティニーに任せてある。
「へえ、そんな事情でプロポーズされてたんですね」
ハンドルを握る彼女は、ロミオに関する一連の話を聞かされたところだった。
「そう、しやがってたのよ。迷惑な話だわ」
「それだけお嬢様が魅力的ということですよ」
「あいつに惚れられても嬉しくともなんともないわ。ティニー、そこは右よ」
「了解です」
ティニーはキューシーと同じ18歳。
話も合うので、移動中はこうして、友達とするような他愛もない会話を交わすことが多かった。
「こういうときはメンタル回復のためにあの店に行くに限るわ」
「視察じゃなかったんですか?」
「もちろんそれも兼ねて、よ」
キューシーが向かっているのは、どうやらマジョラームが経営する店らしい。
彼女は会社の幹部なので、店の視察も仕事の一部である。
……そこに私情が混ざっていなければ、だが。
「キャプティスもずいぶんと平和になりましたね」
車は、ビルが立ち並ぶ通りを走っている。
平日の昼間だが、交通量も多く、歩道にも沢山の人が往来している。
キューシーはそんな光景を横目で見ながら、得意げに語る。
「そうね……お父様は謙遜するけど、わたくしはドゥーガンおじさんの手を離れてよかったと思ってるわ」
「社長の手腕はお見事です。私のような人間も、以前のキャプティスでは生活できていたかわかりませんから。もちろんお嬢様にも感謝しています」
「ふふ、取ってつけたようなお世辞はいらないわよ」
「滅相もございません。こうして運転手として雇っていただいているんですから」
「すっかり喋りが達者になっちゃって。けどね、これからキャプティスはもっと栄えるわ。わたくしは、いずれ王都を追い抜くんじゃないかとまで思ってる」
「そうなればキャプティスが王都になるんでしょうか」
「そうねえ、王族とマジョラームの力関係も逆転して……はっ、それってわたくしがメアリー王女をお嫁さんにできるってこと? うふふふふ……」
先ほどまでの知的なキューシーはどこへやら、彼女は気持ちの悪い声を出しながら、怪しげな笑みを浮かべた。
ティニーも扱いには慣れたもので、このモードに入ったときは、しばらく放置することにしていた。
少ししてキューシーの正気が戻ると、会話を再開する。
「ところでお嬢様、よくこの雑貨店に視察に来ますが、何か実験的な取り組みでもしてるんですか?」
「この店には、キャプティスで唯一の売場があるのよ」
「そうだったんですか。何を売ってるんです?」
そう問われ、キューシーは今日一番のドヤ顔で言った。
「――メアリー王女のグッズよ」
◇◇◇
「ふふふふ、ここは楽園かしら! あははははっ!」
店に入ったキューシーは、まるで悪人のような高笑いを響かせた。
彼女の周りには、大小様々なメアリーのグッズが陳列されている。
すぐ隣にはフランシスのグッズも売られているが、明らかに扱いは小さい。
一般的に、オルヴィス王国における人気はフランシスの方が上だ。
なのでグッズなどの販売も彼女の方が多い。
いや、そもそも王女のキーホルダーやマグカップ、タオル、ポスター、タペストリーのようなグッズが大量に存在すること自体がおかしいのだが――
それはさておき、明らかにこの店の品揃えは偏っていた。
職権濫用、その一言に尽きる。
メアリーに囲まれ、くるくる回りながら踊るキューシーに、ティニーはドン引きしながら問いかける。
「ど、どうしてお嬢様はそんなにメアリー王女のことが好きなんですか?」
「さあ?」
「え?」
「わかんないわ、昔からずっと好きなの。理由なんて忘れてしまったわ。気づいたら、直接会うために王都の学校に通おうって思うぐらい好きだった」
意外な答えだ。
ここまで入れ込んでいるのなら、何か劇的な出会いがあるものと思っていたのに。
しかしメアリーのことを語るキューシーの声や表情は真剣そのものである。
「本気なんですね」
「当然ですわ。でなければ、権力を振りかざしてこんな売場まで作りませんもの」
どうやらキューシー自身、それがまずいことであるという自覚はあるらしい。
だが、それでも止まらないほど、メアリーのことを愛しているのだ。
ティニーとの会話で落ち着いたキューシーは、今度は真面目に新製品のチェックを始めた。
すると、足音が売り場のほうに近づいてくる。
現れた、まだ幼さの残る少女は、ぶんぶんと手を振りながら大きな声で彼女を呼んだ。
「あ、キューシーだ! やっほー!」
キューシーは少女のほうを見ると、優しく微笑む。
どうやら顔見知りのようだ。
しかしティニーは少女のことを知らない。
「彼女は?」
「アミ・ヘディーラ。わたくしのメア友ですわ」
「めあ……?」
聞き慣れぬ単語に、首をかしげるティニー。
するとその疑問に、キューシーの近くまでやってきたアミが元気いっぱいに答えた。
「メアリー王女好き好きフレンド!」
そしてキューシーとハイタッチし、パチンという音を響かせる。
「いえーいっ!」
たったそれだけのやり取りで、ティニーは二人が友人なのだと理解した。
そして同時に、その輪に自分が加わることは無いであろうことも。
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