そして二年生の夏。
短めの夏季休暇が終わったあと、朝のホームルームでそれは発表された。
「うちのクラスから三名、次の世界創造に指名された生徒がいる」
静まり返る教室。
緊張が走る中、ミティスは違う意味で焦っていた。
(三人……)
希望がゼロになったわけではない。
だが、その三人が全て自分たちで埋められる確率は――限りなく低いのではないか。
ちらりとセレスのほうを見ると、彼女もミティスを見つめていた。
いつもふざけてばかりのセレスは、今ばかりは不安げな表情をしている。
しかし見つめ合ったところで、できることはなにもない。
名前が発表される瞬間を待つだけだった。
「ウェント・テンペスタース」
「お、俺がっ!?」
驚く短髪の男子生徒、ウェント。
勉強よりは運動のほうが得意な生徒で、少々暑苦しい。
「ニクス・ニウィス」
「よっしッ!」
続けて名前を呼ばれ、珍しくガッツポーズを見せる、成績学年二位の真面目少年ニクス。
冷静沈着な彼でも、候補に選ばれるのは相当嬉しかったらしい。
この時点で、三人で神になるという目標は潰えた。
あとは、リュノが呼ばれないよう祈るだけだ。
目をつぶるミティス。
両手を重ねて強く祈るセレス。
そして――
「リュノ・アプリクス」
その名前は呼ばれた。
室内で複数のため息が漏れる。
ミティスとセレスは――そんな反応すら見せず、ゆっくりと前の席にいるリュノの背中を見つめた。
「これから説明会が行われる。三人は速やかに指定の教室まで向かうように」
「……はい」
無機質な返事。
それだけが、ミティスの得られたリュノの感情だった。
顔も見せず、こころなしかこわばった動きで、他の生徒と共に部屋を出ていくリュノ。
(リュノだけが……選ばれちゃった。私の……私の頑張りが、足りなかったから……!)
ミティスはうつむき、机の下で拳を握る。
すると、話を終えたはずの教師が再び口を開いた。
「あー、それとミティス・アプリクスとセレス・サンクトゥス」
「は、はひっ!」
「ひゃいっ!」
思わず力が入り、変な声で返事をしてしまうミティスとセレス。
まさか呼ばれると思っていなかったので、心の準備ができていなかったのだ。
「先ほどの三名とは別室に向かうように」
そう言って、二人はプリントを渡される。
(何で別室……?)
文章に目を通すと、そこには『予備神様候補生』という単語が書かれていた。
◇◇◇
その部屋に呼ばれたのは、ミティスとセレスの二人だけだった。
ひとまず用意された椅子に座る二人。
「私たち、神様候補になれたわけじゃないんだよね? 予備って書いてあるし」
「でも何かには選ばれたんじゃないかな。例えば裏神様候補とか」
「何それ」
「この世に蔓延る悪魔と戦う選ばれし戦士」
「漫画の読みすぎでしょ……」
「ノリ悪いなミティスちゃーん! 不安なんだから乗ってくれたっていいじゃーん!」
「あんたも不安になるのね」
「当たり前。リュノだけ呼ばれちゃったんだし……」
「……だね」
少なくとも、このままリュノと同じ神様になれる、というオチは待ってなさそうだ。
現状は、首の皮一枚で希望が繋がった、というところだろうか。
しばらく待っていると、女性の教師が入ってくる。
二人は椅子に座り直すと、ピンと背筋を伸ばした。
「こんにちは、ミティスさん、セレスさん。ひょっとしたら二人とも戸惑ってるかもね」
「おっしゃる通りです」
ミティスが素直に返事すると、教師は「ふふっ」と笑った。
「プリントに書いてあったと思うけど、二人は予備候補生に選ばれたの。これは、世界創造の途中で神様になるのが失敗して、リタイアした候補生の補充要員よ」
「補欠ってやつっすね」
「そういうこと。特に今年の世界創造は、20人という最大規模で行われる分、リタイア者が出る可能性も高い。だから、例年は一人しか選ばれない予備が二人になったというわけ」
「つまり、まだチャンスはあるってことですね」
「何かあったときだけ、ね。だから待遇は、実際に何かが起きるまでは普通の生徒と同じということは認識しておいて」
「わかりました」
「うっす」
つまり、実際に候補に選ばれた生徒は、その時点で扱いが変わるということだ。
今までのように、同じ教室でリュノと授業を受けることもできなくなるかもしれない。
そう思うと、ミティスは無性に寂しくなった。
「ちなみに、何であたしとミティスだったんです?」
セレスはストレートに尋ねる。
確かに、リュノの知り合いが二人というのは都合がよすぎる――とはミティスも思っていた。
「都合が良かったから、と聞いているわ。リュノ・アプリクスの友人なら、予備で途中から参加した場合もスムーズにチームに溶け込めるでしょうから」
「なーる」
正直、成績で選んだと言ってもらいたかった。
だが贅沢は言っていられない。
まだ三人一緒にいられる可能性は残っている。
その希望が残っただけ、最悪の結果は避けられたと言えよう。
◇◇◇
その日の夜、寮に戻ったミティスとセレスは、リュノを質問攻めにした。
「神様になるってどんな感じだったの?」
「なんかすごいパワー手に入れたりした!? 手からオーラが出るとか!」
「まだちゃんと、リュノはリュノだよね?」
「まさか、神様パワーであたしたちの下着スケスケになってるー!? いやーん、いっぱい見てー!」
「あ、あの、落ち着いてください。今日はただの説明だけでしたので」
そう言われ、一旦は引く二人。
しかし落ち着いてはいられなかった。
茶化しているように見えるセレスだが、彼女は場の空気をどうにか明るくしようと振る舞っているのだろう。
「リュノだけが選ばれるなんて、こんなことって無いわ……」
「まだ候補ですから。実際に世界創造が行われるまで何が起こるかわかりませんし。それに、二人も予備に選ばれたんですよね?」
「それはそうだけど……」
「予備は予備だからねぇ。あんまセンセも特別扱いしてくれる感じはなかったかな」
「そう、ですか……」
リュノが言葉を濁したのは、候補に選ばれた彼女が明確に、その瞬間から周囲から違う扱いを受けるようになったからだろう。
神様は人間の上位存在。
学園の教員ですらひれ伏すような特権階級だ。
「私、噂で聞いたんだけどさ」
うつむいたまま、ミティスが口を開く。
「神様になった生徒は、寮でも別室に移るって本当?」
「それを選択する生徒もいるみたいです。希望制なので、私は当然ここに残ります」
「そっか、それはよかった」
胸に手を当て、彼女は心から安堵する。
ようやく見れたその微笑みに、リュノもほっと一息ついた。
「まー、まだ何も始まってないのに色々言ったってしゃーないのかなぁ」
「……かもね」
「はい、私はただの人間ですから。今だって、二人とずっと一緒にいることを夢見ています」
その言葉に一切の迷いはない。
そう、迷う余地などないのだ。
リュノがリュノである限り、その望みにノイズが入ることなどありえないのだから。
◇◇◇
その日を境に、リュノは教室で授業を受けることはなくなった。
ミティスとセレスは、通常の授業と、神様としての役目を学ぶ授業が混ざった、特殊なカリキュラムを受けることになった。
とはいえ、教師からの対応は以前と変わらない。
なにせ、神の候補に選ばれた人間たちは、揺り籠内部にある装置に接続された時点から肉体と精神の変質が始まるのだ。
文字通り人間離れしたその肉体は、高い身体能力を持ち、もちろん現世の病に罹ることもない。
要するに予備が予備としての役目を果たすことは滅多にない、ということである。
リュノたちが完全な神として揺り籠から出てこなくなれば、ミティスたちは普通の生徒と同じ扱いに戻る。
だからへりくだる必要など無いということだ。
「二人だけ別室で勉強って寂しいよねぇ」
「私は教室だろうとここだろうと変わらないわ」
「リュノがいないから?」
「どっちにもセレスはいるじゃない」
「きゅん……」
ペンを握りノートに向かいながら、小声で言葉を交わす二人。
しかし教壇に立ついかつい中年教師にはそれが聞こえていたらしく、
「私語は慎めッ!」
ここは軍隊か、と言いたくなるような迫力のある声で怒鳴った。
二人の肩がびくっと震える。
それきり、ミティスもセレスも黙り込んで授業に打ち込んだ。
しかしミティスは心ここにあらずだった。
今ごろ、リュノはどこで何をしているのだろう――
すると教師はミティスが集中していないことに気づいたのか、冷たく言い放った。
「リュノ・アプリクスはお前たちと違うステージに上がったんだ。余計なことは思考するだけで無礼に当たるぞ」
「……は?」
ミティスは思わず教師をにらみつける。
一気に張り詰める空気に、セレスの頬が引きつる。
しかし彼は動じていなかった。
「ミティス・アプリクス。お前がどういう家の生まれで、どういう経緯でアプリクス家に引き取られたのかは知っている。恵まれた環境じゃないか、この学園に入れたこと自体が贅沢すぎるほどだ」
「お褒めに預かり光栄です」
「挙げ句の果てには、『死神』様と近しい関係というだけで予備候補にまで選ばれる始末。言っておくが私は反対したぞ、どんなに予備とはいえ汚れた血を近づけるべきではないとな」
「あー……そのデス様って何ですか?」
「リュノ・アプリクスの神としての名だ」
「ぷっ」
素で噴き出しそうになるミティス。
釣られてセレスも顔を背けた。
その反応に、教師はギリッと歯をきしませる。
「タロットカードを元に決められた崇高な名だ」
「ああ、ごめんなさい。ちょっとセンスが高尚すぎて私には理解できませんでした」
「ともかく、そのような下劣なセンスの持ち主が思考するだけで神が汚れるということだ」
「確かにそれは心配ですね」
「そうだろうな」
「先生のように、神様に選ばれなかったコンプレックスを引きずって、ただの教師のくせに『我々は神に仕える使徒だ』とダサすぎる名前を背負い、今日も生徒を相手に熱心にイキがってる素晴らしい人間以外は、神に近づくべきではないと私も思います。ええ、まったくもって同感です」
ミティスの隣で、セレスが「うわぁ」とつぶやく。
その言葉の建前と本心が真逆なのは誰の目にも明らかで、教師はこめかみに青筋を浮かばせていた。
「ですから先生、私たちのような神未満のひよっこ天使には、あなたがたのような素晴らしい志を持った方の導きが必要なんです」
「チッ……天使とは、人に神の血を注入し、神へと移り変わる途中の状態を示す言葉だ。二度と使うな、いいか?」
「ありがとうございます、勉強になります」
白々しさ満点の演技を続けるミティス。
授業を続ける教師は、その後もプルプルと体を震わせていた。
◇◇◇
放課後、教室から出たセレスは思いっきり体を伸ばした。
「うひぃーん、疲れたぁーっ! よっしミティス、リュノを迎えに行こうぜーい!」
「セレスの部活はいいの?」
「予備になったから休むって伝えてある」
「ふーん……」
「なんだよう、その疑うような目は」
「辞められて清々したって顔に書いてあるからよ」
カバンを手にしたミティスは、そう言ってセレスの横を通り過ぎる。
図星を突かれたのか、セレスはわずかに狼狽したが、すぐに駆け足で親友を追った。
「それ、誰にも言わないでよ?」
「やっぱ当たってたのね」
「だってみんなさあ、普通の部活と目指してる先が違うんだもん。神様になるために蹴落としあいみたいなのも起きてたし」
「クラスでもあったわね」
「あー、友達にわざと間違ったテストの範囲を教えるとか聞いた」
「候補に選ばれそうだから、階段から突き落とされた子もいたそうよ」
「犯罪じゃん!」
「表向きは事故だって言われてるけど」
「この学園さあ、本当にまともな神様とか育つのかなあ。いや、もちろんその辺も見て候補を選んでるんだろーけど」
セレスは気まずそうに言った。
この場にミティスしかいないからこそ、口にできる言葉だ。
もっとも、どこで教員が監視しているかわかったものではないが。
「教師ですら神に仕える者だとか言って偉そうにしてるみたいだし、その割には権力闘争で蹴落とし合いを繰り返してるわ。でもそれって、人間である限り逃げられないと思うのよ」
「集まると悪さをするやつが必ず出てくるってこと?」
「そんなものでしょう」
「じゃあさ、人間が神様になるとか無理なんじゃない? 作った世界で神様同士が揉めたりしたら悲惨だよ」
「私は……そういうのもあるんじゃないかと思ってる。揺り籠は閉じられているから、中身がわからないだけで。あるいは――」
ミティスは足を止め、うつむく。
「どしたの?」
「……神様になるときに、そういう争いの種まで全部取り除くんなら、それはもう人間じゃないわ。死んだのと同じよ」
「うん……」
その言葉に、セレスも足を止めて目を伏せた。
誰もが違和感は抱いている。
けれど誰もが神様を目指すことを『正しいこと』と教え込まれているから、何も言えない。
少し前に、とある大学教授が書いた論文が話題になった。
内容は人間の本能に関する研究だ。
一般的に、生命は種を残そうとする本能がある。
しかし人間だけは違う。
種を残すのは、あくまで新たな世界を創造するため。
全ては優れた個体を生み出し、神へと昇華するための過程――それこそが人間の本能なのだ。
だが昨今、その本能が薄らいできているという。
原因は不明。
年齢が若いほどにその傾向は強く、やがて人類は、自らの人生を捨ててまで神になることを受けれなくなるだろう――そんな内容だった。
もちろん、トンデモ論文として笑いものにされ、教授は辞任にまで追い込まれたわけだが――
ミティスたちの世代の反応は違った。
大人たちとの間に感じる思想のギャップ、それを埋める“答え”が見つかった、と納得していた。
そう、今の子供たちは、昔の人間とは違う。
全員が、心から神になることを望んでいるのではない。
大人が、親が、世間がそれを『正しいこと』、『いいこと』だって言うから、従っているだけのこと。
「私はさ、三人一緒なら神様になってもいいと思った。でも本心を言えば、三人一緒に人間のままが一番だと思ってたし、誰か一人か二人だけ取り残されるのなんて、絶対にあってはいけないことだと思ってたの」
「あたしだってそうだよ。だから、取り残されたくないと思って……」
お互いに頑張った。
お互いにいいことをした。
その結果が――別離である。
周囲は褒める。
しかしそれは、ミティスたちにとっての幸福ではない。
「……やっぱり、今のままじゃ駄目なのよ」
「ミティス?」
「どうにかしなくちゃ。手遅れになる前に、私が、自分の手で……」
そう言って、手のひらを見つめるミティス。
その目つきに寒気を感じたセレスは、慌てて彼女に駆け寄ると、両頬に手を当て至近距離で見つめ合った。
「な、何よ」
「やめて」
「え?」
「ミティスまで行っちゃったらやだよ。あたし、一人で残されるとか絶対に無理だかんね!」
セレスは涙目で声を荒らげた。
呆気にとられるミティスは、ふっと苦笑する。
「私があんたを置いてくわけないじゃない」
「でもさっきのミティス、どっか行っちゃいそうだった」
「行かないわ。行くとしても、二人一緒よ」
頬に当てられた手に、ミティスは自らの手を重ね、指を絡めた。
セレスは「うん……」と震え声で返事をすると、ぽふっとミティスの胸に顔を埋める。
この学園に来た以上、人から神へと変わる者が、どうなっていくのか――その実例を二人は知っている。
あのときは、他人事だと思っていた。
だが、これからリュノがああなっていくと思うと、セレスは不安でしょうがないのだろう。
無論、ミティスも同じ気持ちだったが――抵抗の意志がある分、セレスよりは強い。
だから、胸に顔を埋める親友が落ち着くまで、ミティスは優しくその頭を撫でて慰め続けた。
◇◇◇
――それから数十分後。
ミティスとセレスは、並んで校庭を歩いていた。
目指す先は揺り籠。
そろそろリュノが今日の作業を終えて戻ってくる時間なので、二人で迎えに行こうという魂胆だった。
しかし、セレスの頬はほんのり赤く、何やらもじもじしている。
「まだ引っ張るか」
そんな彼女を見て、ミティスは半笑いでそう言った。
「ガチで慰められることってなかなかないじゃぁん。あたしも恥ずかしいんだい!」
「前はいつだったっけ。陸上の大会で負けたとき?」
「思い出させるなー!」
吠えるセレス。
けらけらと笑うミティス。
二人はじゃれあいながら、揺り籠のあるエリアまで近づく。
すると前方から、制服姿の三人の男女が歩いてきた。
「あっ、リュノだ。おーいっ! 愛しのお嫁さんたちが迎えに来たぞーっ!」
「セレス、あんた他の人もいるのによく言えるわね……」
「ミティスも言わないと。リュノー! ご飯にするー? お風呂にするー? それともーっ!」
「……いや私のほうを見られても言わないからね?」
「それともミティスにするーっ!?」
「あんたが言うんかい!」
先ほどまでの照れを吹き飛ばすようにふざけるセレス。
彼女の声はかなり大きく、距離からしてリュノには間違いなく聞こえているはずだった。
「あれー、リュノこっち見ないなぁ」
「二人と話し込んでて気づいてないのかもね」
並んでいるのは、同じクラスだったウェントとニクスだ。
さほど親しくなかったはずだが、同じ神に選ばれたというだけで意気投合するものなのだろうか。
「やはり一人ではラヴパワーが足りていないのか……」
「十分に足りてるから安心なさい」
「だったらなんで反応してくれないのさあ!」
「そりゃあ……セレスが恥ずかしいことばっかり言ってるじゃないの? ほら、友達だと思われたくないみたいな」
「盛大にショックだよ!」
大げさなリアクションを見せるセレス。
彼女はなおも、リュノに呼びかけ続けた。
そのボリュームは、彼女が目の前まで来ても変わることなく。
なおもリュノはセレスの存在にすら気づいていないように、反応するどころか、ミティスたちのほうを一瞥することもなかった。
そして、そのまま横を通り過ぎていく――
「あ、あれぇ……あたし、無視されちゃってる?」
不安そうにミティスのほうを見るセレス。
一方で、ミティスの心臓は嫌な緊張感に、バクバクと高鳴っていた。
胸に手を当て、きゅっと拳を握る。
手のひらに汗が滲んだ。
(まだ、初日だよ? 世界創造まで何ヶ月もあるっていうのに、最初の日でここまでなんて――)
ただ、話に集中しすぎてたまたま気づかなかっただけ。
そう思いたかった。
いや、仮にそうだとしても、リュノがミティスとセレスに気づかないなんてこと、ありえないのだが。
なおもウェントとニクスとの会話を続け、足を止めないリュノ。
ミティスは彼女に駆け寄ると、肩に手をおいた。
名前を呼びたかった。
だけど、反応がなかったら怖いから、何も言えなかった。
ただ手を置いて、少し強めに掴んだだけ。
さすがのリュノも反応して、こちらに振り向く。
一瞬、彼女は不思議そうな顔をして――その刹那の表情に、顔はリュノなのにリュノではない、何か別の存在の介入を感じ、ミティスの胸は痛いほどドクンと脈打つ。
しかしリュノはすぐに笑った。
「あ、ミティスに……セレスも? 迎えに来てくれたんですか!?」
心から嬉しそうに、人間のリュノとして。
「う、うん……何回も呼んだのよ?」
「そうだよぉ、すっごい大声で話しかけたんだからね!」
セレスもミティスの隣に並び、ぷくっと頬を膨らます。
安堵したからこそ見せられる不満の表情だ。
「ごめんなさい、お話に集中しすぎていたんだと思います。たぶん」
そんな言葉を話すリュノの少し後ろで、ウェントとニクスが冷たい視線をミティスたちに向けている。
すると、ニクスが嘲笑するように口角を歪め、口を開いた。
「ふっ、名前を間違えるから反応されないんだ」
「あんた誰だっけ?」
挑発的なミティスの返しにも、ニクスは動じなかった。
「『審判』だ」
「名前を聞いてるんだけど」
「それ以外、僕に名前は無い。そして彼は『運命の輪』で、彼女は『死神』だ」
「揺り籠の中で、ニクスくんたちはそんなごっこ遊びをしているの?」
「『審判』と呼べ!」
ニクスはミティスに歩み寄ると、その胸ぐらを掴む。
「ぐ……ぅ……」
小柄な彼だが、その肉体からは想像できない腕力で、軽々と彼女の体を持ち上げる。
苦しげにもがくミティスを見て、セレスがニクスの腕に掴みかかった。
運動部のセレスなら――と思ったが、
「離してよっ、いくら神様候補だからって暴力なんて許されないんだからっ!」
なおもニクスの腕はびくともしない。
「許すか許されるかを決めるのは人じゃない、神だ」
「漫画の序盤で死にそうな……っ、小物の悪役みたいな言動ね」
「まだ神を愚弄するかッ!」
「やめてください、『審判』っ!」
リュノがそう言うと、ニクスの動きがぴたりと止まった。
彼はリュノを見つめ、不機嫌そうに言った。
「なぜこんな女の肩を持つ」
「私の大切な人だからです」
「神には不要な価値観だ」
「私たちはまだ人間です! 揺り籠で少し処置を受けたからって、偉くなったわけじゃないんですよ!」
「……ふん」
ニクスが手を離すと、ミティスはよろめきながら着地した。
転びそうになる彼女をリュノとセレスが支える。
ミティスは荒い呼吸を繰り返しながら、しわくちゃになった襟元を払い、ニクスを睨みつけた。
「はぁ、わかってないなあ」
そしてやれやれ、とため息をついて、三人に背中を向けた。
ウェントも呆れた様子でニクスと共に離れていく。
その背中をミティスがにらみ続けていると、リュノは小さな声で言った。
「本当に、ごめんなさい」
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