ビル内の警告灯が周囲を赤く照らし、アラートが鳴り響く。
仮眠を取っていたメアリーたちは、その音に飛び起きた。
「何ですか、敵襲!?」
「あっちから先に攻めてきたみたいね。アルカナ使いを減らす手間が省けて助かるわ」
「強がれる状況か?」
「さっきも言った通りよ。自信があるのよ、うちのビルのセキュリティにね」
不敵に微笑むキューシー。
しかし彼女をあざ笑うように、大きな音とともに、部屋が――否、ビル全体がぐらりと揺れる。
しかも一度ではない、何度もそれは繰り返された。
「……本当に大丈夫なのか?」
「何回も攻撃してるってことは、破れてないってことよ!」
そう言って、壁に設置された通信端末に近づくキューシー。
映像を移すタイプではなく、音声のみのやり取りを行うためのものだ。
一応、モニターは取り付けられているが、それは通信相手の現在位置を表示するためのものである。
すると、すぐに端末から呼び出し音が鳴る。
モニターには『社長室』と表示されていた。
彼女はそれをわかっていたようにボタンに触れると、通話を開始する。
「キューシーよ。お父様、状況は?」
『敵は真正面から攻め込んできたらしい。相手は黒髪の成人男性が一人。出撃した警備兵や防衛設備はすでに全滅、今はビルの入口を殴りつけているところだ』
「殴りつけて!? 手で?」
『ああ、報告によると男は自らを『吊るされた男』のアルカナ使いと名乗ったらしい』
「自分で名乗るなんて大した自信ね。わかったわ、今から私たち三人でそちらに向かうから」
『わかった……くれぐれも気をつけるんだよ。入り口の隔壁は頑丈に作ってあるけど、これもいつまで耐えるかわからない』
「さすがに三対一なら負けないわよ。じゃあね」
通話が終わると、キューシーはメアリーとカラリアのほうを振り返る。
「状況は聞いた通りよ」
「……不気味ですね」
「ああ、真正面から一人で……陽動かもしれんな」
「心配しすぎよ。それに、社長室の守りは他の場所よりずっと堅牢なの。たとえ相手がどれだけ強力なアルカナ使いでも、しばらくは耐えられ――」
ふいに、キューシーの言葉を遮るように、再び壁面の端末から呼び出し音が鳴った。
彼女はメアリーたちに目配せをすると、会話を中断してそちらに応じる。
今度は『医務室』とモニターに表示されていた。
「こちらキューシー。医療班、どうしたの?」
『キューシー様、先ほどお預かりしたアミという少女なんだけど』
「あの子に何か?」
『実は、少し前から、ありえないほどの――50度を超える高熱を出してて』
「何よその熱!? 毒にしたって高すぎるじゃない!」
『熱自体は、さっき落ち着いたんだけど、その直後に……』
聞こえてくる女性の声のトーンが、露骨に下がる。
少し離れて聞いていたメアリーの胸がざわついた。
「直後に、どうなったの」
沈黙する社員にキューシーが問いかけると、ためらいがちに彼女は言った。
『息を、引き取ったわ。蘇生処置も施したけど……』
部屋に沈黙が満ちる。
驚愕に目を見開いたキューシーは、すぐに苦しげな表情を浮かべると、ゆっくりとメアリーのほうを振り返った。
メアリーは、彼女の想像よりも落ち着いた様子で立ち上がり、端末に歩み寄り、口を開いた。
「……アミちゃんが、死んだってことですか?」
改めて、そう確認すると、社員は落ち込みながら答えた。
『王女様、ごめんなさい。力及ばずで』
「っ……!」
そこで、はじめてメアリーの表情が悔しさに歪む。
彼女は噛み締めた唇に血を浮かべながら、握った拳を壁に叩きつけた。
『本当に、申し訳ないわ』
「……いえ、あなたのせいではありません。私が、私が、ちゃんと守れていたらッ!」
さらに額を壁に押し付け、拳を握った右腕を震わせる。
その瞳に浮かぶ涙――まともな会話は難しいと判断したキューシーが、代わりに社員に訪ねた。
「原因は、毒だったの?」
『解毒はすでに完了していたわ、間違いなく。だから、精神的な疲弊から来る体調不良と思って、栄養の高い食事を与えて、休んでもらっていたんだけど』
「そう……わかったわ。これ以上の詳しい話は、直接行ってからでいいわ。今からメアリーを向かわせるから」
「キューシーさん? でも敵のアルカナ使いがっ!」
「行っておけ、メアリー」
「カラリアさんまで……」
「死因が不自然だわ。カラリアの言う通り、入り口の『吊られた男』が陽動なら、こっちが本命かもしれないのよ?」
「アミちゃんの死が、アルカナ使いの攻撃――」
メアリーはまったくその可能性を考えていなかった。
それは冷静さを失っている証拠だ。
今は自らの判断より、キューシーたちの言葉を聞くべきだ――そう判断する。
「……わかりました、すぐに向かいます! そちらも頑張ってくださいね、カラリアさん、キューシーさん!」
「ああ、お互いにな」
「気をつけなさいよ、メアリー」
いつもより優しい二人の言葉を背に受けて、メアリーは部屋を飛び出した。
ほぼ同時に通話を終え、キューシーはカラリアと向き合う。
「さて、と。あんたと二人ってのは気が乗らないけど」
「乗らないなら乗せろ、簡単に勝てる相手ではないぞ」
「わーってるわよ。まずは武器の受け取りからよね」
「そうしてもらえると助かる」
「んじゃ、エレベーターで下の階に――」
すぐさまメアリーに続いて部屋を出たいキューシーだったが、それを遮るように端末が呼び出し音を鳴らす。
出鼻をくじかれたキューシーは、「って、また……」と呆れた表情を浮かべる。
だがモニターを見つめると、ふっとその顔から表情が消え、動きを止めた。
静かな室内に、電子音だけが響く。
「どうした、急に固まって」
訝しむカラリアがそう問おうとも、返事はない。
痺れを切らした彼女は、キューシーの隣に移動し、モニターを覗き込む。
そこには『死体安置室』と表示されていた。
「こんな部屋まであるのか」
カラリアの問いに、ようやくキューシーは答えた。
「無いわよ」
そう冷たく、乾いた声で、簡潔に。
「何?」
「無いから驚いてんのよ。カラリア、周囲を警戒しといて。たぶん、来るわよ」
何が来るかなど、問い返すまでもない。
要するに、カラリアの予想が当たっていた、という話だ。
キューシーはボタンを押すと、通話相手に向かって言い放つ。
「ごきげんよう、アルカナ使いさん。あんたら本当に悪趣味な演出が好きね」
『……こんにちは。あなたが、『女帝』?』
スピーカーから聞こえてきたのは、か細い女性の声だった。
「まずはそっちが名乗りなさいよ。うちのセキュリティ破って自慢でもしたいの?」
『別に、そうじゃないわ。セキュリティなんて、意味がない。あなたたちは、自ら、棺桶に逃げ込んだ』
「大きく出たわね」
『大きくはない。私は、小さい。だけど――』
ぷつりと、そこで通信が途絶える。
「消えた?」
「キューシー、あっちのモニターだ」
カラリアが顎で指し示した先には、天井からぶら下げられた横長のモニターがあった。
画面にザーっ、と砂嵐が表示されたかと思えば、それは突如として止まる。
そして、真っ暗な背景に、一人の女が佇む映像が映し出される。
白髪の、細身で長身な女だ。
彼女の髪はあまりに長く、後ろは足元まで及ぶほどで、前髪も完全に顔を隠してしまっている。
服装は白のシンプルなワンピース。
靴は履かずに、裸足。
まるで幽霊のようだ――とカラリアは思った。
女はモニターごしに、キューシーたちに告げる。
『幸運。運命。めぐり合わせ。神様が言ってるの。メアリー王女を殺せ。それを邪魔する人間も、皆殺しにしろ、って』
「ビビって顔も見せられない人間が、よくも言えたものね」
『強がりは、あなたよ。棺桶の中にいるくせに』
女の体がわずかに揺れると、髪全体が波打つように、ゆらりと振れる。
すると、キューシーの真横で“ギギギ”と何かがこすれる音がした。
ベッドが動いたのだ。
「さて、どんな芸を見せてくれるのかしらね」
「キューシー、壁が動き出したぞ!」
部屋の壁が両側から、二人を押しつぶすように迫ってくる。
キューシーはとっさに扉へ手を伸ばす。
「チッ、開かないわ」
「退け、私が破壊する! おぉぉおおおおッ!」
彼女が横にずれた直後、カラリアの全力の拳が扉を叩いた。
部屋全体を揺らすような強い衝撃――だが拳を受けた金属の扉は、びくともしていない。
「アルカナの力で塞がれているのか」
「みたいね。わたくしの『女帝(エンプレス)』も弾かれるわ。悔しいけど魔力は相手の方が上みたい」
ドアノブに触れて、ため息をつくキューシー。
彼女はすぐさま、壁に押されて滑るベッドに触れる。
「こっちは行けるみたいね」
そして、魔力を注ぎ込んだ。
「支配者は生きた盾をご所望――イノシシにでもなってもらおうかしら」
突進、衝撃――そんなイメージで、ベッドを動物へと変えるキューシー。
一方でカラリアは、扉に向かったまま腰を落とし、拳を握っている。
壁は刻一刻と、二人を押しつぶさんと迫ってくる。
「合わせられるか、キューシー」
「当然。行くわよ、カラリア。せーのっ!」
「せえぇぇぇえええいッ!」
「行きなさいッ!」
カラリアの拳と、イノシシの突進――フロアを揺らすその衝撃は、敵アルカナによって固定された扉を吹き飛ばした。
二人が部屋から飛び出すと、直後、壁は急加速し、部屋は完全に押しつぶされた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!