内臓をぶちまけたメアリー。
彼女の傷は、数秒のうちにまるで逆再生したように再生していった。
「絵に、触れる……絵が、浮かび上がる……二つの現象、一つの、アルカナ……?」
立ち上がりながらそう推測するメアリーだったが、彼女は一体、何に触れたというのか。
試しに、腕の切断面から骨片を放ち、先ほど通った石畳を弾き飛ばす。
空中でくるりと回転したその裏側には、人間の絵が書かれていた。
それはキャンバスを首から下げ、絵を書く少女の姿だった。
(あれを踏んだせいで、能力が発動したというのですか? 一体、あの絵がどんな意味を持つと……)
その絵柄は、手の甲に浮かび上がったものとは明らかに違う。
触れる、浮かび上がる、これらは別々の能力なのかもしれない――
だが今は詳細な発動条件を推理できるだけの情報がなかった。
ただ一つ言えることは、何も無いように見えるこのビル前広場は、アルカナの地雷原だということである。
「お姉ちゃん、うかつに動いたら死ぬよぉ? だから何もせずに、おとなしく私に殺されてほしいな」
「そうはいきません。更地にしてしまえば、罠など無いも同然ッ!」
起き上がったメアリーは、鎌を握ると大きく振りかぶる。
すると、そんな彼女の背後から女の声が響いた。
「天使の名の下に命じる」
「な――!?」
聞き覚えのあるフレーズに、驚愕するメアリー。
急いで標的を変え、その声を遮ろうとしたが、
「その場を動くな」
間に合わない。
『節制』の能力が発動する。
「フィリアスさんまでっ!?」
魔力が向上した今のメアリーでも抗えない、正体不明な束縛の魔術。
その足は縫い付けられたように動かなくなった。
「切り刻んじゃえ、私の車輪!」
すかさず、アミが車輪を投擲する。
メアリーの上半身だけは辛うじて動く。
彼女は鎌で迎撃し、車輪を撃ち落とした。
しかしアミは続けざまに攻撃を繰り出し、さらにフィリアスは再び口を開いた。
「天使の名の下に命じる、攻撃を防ぐな」
瞬間、メアリーの腕は石になったように動かなくなった。
防御の術すら失った彼女は、成すすべもなく車輪に切り刻まれる。
「がああぁっ……ぐ、ぎいいぃいっ!」
続けざまに直撃する回転刃は、メアリーをずたずたに引き裂いた。
さらに、その車輪の表面には絵が描かれている。
「そしてお姉ちゃんに運命が刻まれる」
そんなアミの宣言に合わせるように、メアリーの四肢が弾け、宙を舞った。
「は、ひ――ぎっ、ああぁぁぁあああっ!」
ぼとりと、地面を汚す血の雨。
べちゃりと落ちるメアリーの一部。
血まみれの生首も、そのうちの一つだ。
「はぁ……はぁ……あ、あぁ……」
肺に繋がっていないのだから、呼吸も意味をなさない。
窒息感と痛みの中で、しかし死ぬことはできずに、彼女は苦しみ続ける。
朦朧とした頭で、なおも勝ち筋を探る。
(絵の能力には……限界があるようです。その気になれば、私を一撃で消し飛ばせるはずなのに、それはしない。四肢を引きちぎるので精一杯。なら、まだ勝機はある……)
ずるりずるりと肉片が彼女の首に近づいていく。
切断面は泡立ち、失われた体を補っていく。
脚部まで再生しメアリーが立ち上がるまで、残り数秒といったところか。
当然、絵の能力でメアリーを殺しきれないことは、相手も把握しているはずだから――とどめを刺すべく、フィリアスが炎の剣を握り、アミは大きな車輪を振りかぶっている。
威力を重視し、直線的に放たれる二人の攻撃。
反撃や迎撃は不可能と判断しての行動。
相手は見ての通りの有様なのだから、戦略としては妥当だ。
それがメアリーでなければ――
「まだまだ、この程度では死にません!」
メアリーの体は、首と右肩と胸の一部が繋がった程度。
その状態で、内側から体を突き破って、大きな腕が伸びる。
もはや腕に体がくっついているような状態だ。
それを使って、メアリーは大きく飛んで攻撃を回避した。
そして、視線をフィリアスやアミではなく、ビル近くにある柱の影に向ける。
(肉片が飛び散っていたので、それを使って探らせてもらいました)
ただやられていたわけではない。
ここにいるはずの、別のアルカナ使い――メアリーはそれを探していたのだ。
「案外、単純な隠れ方をするんですね」
芸も工夫もない。
ただ、物陰にいるだけのその少女たちに――さらに生やした銃口を向ける。
「機葬銃ッ!」
薙ぎ払うように放たれる無数の銃弾。
『きゃあぁっ!』
隠れていた金髪と銀髪の二人は、女の子らしい叫び声をあげながら飛び出してきた。
ミーティスの村で出会った双子の姉妹、ベータタイプホムンクルスのエリオとエリニである。
銃撃の反動を使いアミの追撃を回避したメアリーは、ようやく再生した脚でしっかりと着地した。
そして自分を取り囲む敵を冷静に見回す。
「3対1どころか、4対1ですか。道理で突破できないはずです。エリニとエリオという双子。『月』と『太陽』は関連性のあるアルカナのようですから、ミティスにその役割を与えられた。そういうことでしょう?」
メアリーの指摘に、姉妹は互いの顔を見合わせてにこりと笑った。
「それがわかったところで、ねえエリオ?」
「名前だけわかったって意味ないよ、ねえエリニ?」
「何を知ろうと」
「何に気づこうと」
『あなたがここで死ぬ運命は変わらない』
声を揃えて、強烈な殺気をメアリーに向ける双子。
二人の外見は、顔がフランシスに似ていることを除けば以前とほぼ同じだったが、唯一明らかに“異形”となった部分があった。
(背中から生えているのは、体から溢れ出た血管? まるで自分の意志を持つようにうごめいています……気持ち悪い)
そう、背中からまるでイソギンチャクのように、細く長い複数の管が伸びているのだ。
どうやら自分の意思で動かせるらしく、二人は常にそれをうねらせていた。
不規則に見えた管の動き。
しかしそれは突如として、素早く動き、意味を持った形を作る。
(人の絵……まさかっ!)
そこに明確な殺意が宿ったからか、わずかではあるが『星』の警告が視界に浮かんだ。
光の筋で指し示された先――メアリーの背後に、妹のエリオが出現する。
「また転移を!」
「転移じゃないよ。私は前からここにいた」
背中の管が伸びる。
「天使の名のもとに命じる――その場を動くな」
同時に『節制』による行動が発動、メアリーの肉体は硬直する。
彼女は即座に自らの肉体の放棄を選択。
内側から、肌を突き破り骨の腕を伸ばす。
鋭く尖った爪を地面に引っ掛け、自らの体を引き寄せる。
それを狙いすましたように、アミが目の前に現れた。
「動くなって言われたのに、悪いお姉ちゃん」
握った車輪による殴打が迫る。
できれば触れたくない。
砲撃で吹き飛ばしたい。
だが距離が近すぎる。時間もない。
やむなく腕から伸ばしたブレードで受け止めると――視界が回る。
“絵”が自らの体に浮かび上がったのだろう。
首からゴキッと嫌な音がして、一瞬意識が遠のいた。
「ご、おごっ……がっ……」
まともに声も出せない。
傷の度合いとしては浅く、再生までのタイムラグはわずかではあるが、その“わずか”が致命的だ。
一度は弾かれたアミの車輪。
だが今度は腹に当てられ、その場で回転――ぐじゅるるるっ、と中身をかき混ぜぶちまける。
さらに接近してきたフィリアスの炎の剣が太ももに突き刺され、傷を開くと同時に焼いた。
目を背けたくなるような惨状の中、それでもメアリーは倒れない。
(まずい……数が。この人数差は、さすがに……ああ、でも……)
「天使の名のもとに命じる、その場で潰れろ」
『節制』に命じられると、急激に体が重くなる。
耐えようとすると、脚の骨がミシミシと音を立て、終いにはへし折れてありえない方向に曲がった。
物理的に立てなくなったメアリーは膝をつく。
(『世界』はこれより、もっと強い……! 勝たなければ。殺さなければ。私は、私は――キューシーさんと、そう約束したんですからッ!)
『節制』の能力は確かに強力だ。
しかし魔術評価という明らかな差もある。
これだけの差があって、抗えない能力など、存在するはずがないのだ。
たとえ動きを99%鈍らせる力があったとしても――100%、絶対の行動不能などありえない。
「はあぁぁぁぁあああああッ!」
覇気に満ちた声と共に、メアリーの前進から骨の刃が突き出す。
アミとフィリアスは後ろに飛んで回避した。
なおも『節制』の呪縛は健在。
だがその押しつぶされそうな“重み”を、精神力だけで押しのけて、メアリーは立ち上がる。
『死神』は問題なく使える。
まだまだ、戦いはこれからだ――
「いくら立ったところで!」
「そう、無駄だよ!」
負けを認めろ。
そう圧力をかけるエリニとエリオを、戦意に満ちた瞳でにらみつけるメアリー。
二人はあくまでサポート要員なのか、少し離れた場所に立っていた。
まずはアミとフィリアスから倒さねばならない。
元々味方だった人間を鉄砲玉に使い、ホムンクルスは後方支援――そこにミティスの意地汚さが伺えて、メアリーは唇を噛む。
(どう攻めますか……この数の差、どうにか分断できれば戦いやすくなるのでしょうが)
ほんの数秒の膠着。
思考を巡らせ、敵に隙が無いか探るメアリー。
そのとき――ふっ、と視界からアミの姿が消えた。
(またしても転移――ですが同じ攻撃はそう何度も!)
メアリーは身構えた。
だが周囲にも、自分の体にも変化は起きない。
かわりに――
「あ……あれ、エリオ、その胸」
「あれれ。エリニ、何、これ……」
ビルに一番近い場所に立っていたエリオの背後から、少女の腕が突き刺さっていた。
「なんで」
「なんで」
『なんでお前が裏切るの!』
アミだ。
彼女は表情の失せた顔で、一瞬のうちにエリオの背後に周り、その胸を貫いたのだ。
「アミ……正気に戻ったんですか!?」
期待に思わず声が上ずるメアリー。
だが返ってきたのは、思っていたのと違う言葉だった。
「我はアミではない」
その言葉通り、明らかにアミとは違う声のトーンで、彼女は語る。
「我が名は『運命の輪』」
アルカナ使いではなく、アルカナそのものであると。
「残る全ての命を代償に、メアリー・プルシェリマを救いたい――その願いを叶えるために、我はここにいる」
そう言って、彼女はエリオから腕を引き抜いた。
すると皮膚が――いや、外装が剥がれ落ちていく。
内側から現れたのは、人間とは明らかに異なる人型の物体。
アミは、金属で作られたフレームに、内側で無数の歯車が回る――そんな異形へと変わっていった。
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